2005/08/02

「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson

最近、宮崎県串間市に百匹目の猿記念碑ができたとかで、、あらためて「百匹目の猿」がライアル・ワトソンによる虚構であることをあちこちのブログが取り上げていた。

愛・蔵太の気ままな日記 2005-07-31

kikulog: 百匹目の猿発祥の地

僕のおしゃべり VOl.19 百匹目のサル

 

出遅れ気味なので本ブログでは、「百匹目の猿」をデバンクした有名な著作(英文)の翻訳をしてみようと思う。
--------(以下、Ron Amundson  "The Hundredth Monkey Phenomenon "の翻訳)---

Ron Amundson: "The Hundredth Monkey Phenomenon " first published in Skeptical Inquirer vol. 9, 1985, 348-356 (http://www.uhh.hawaii.edu/~ronald/HMP.htm)

超常現象について主張の論拠はいろんな形で示されています。たとえば、個人的な証言(「私は宇宙人に誘拐された」)とか、日常でのちょっとした不思議なこと(「夢に出てきた人からちょうど電話がかかってきたことはありませんか?」)とか、「古代人の知恵」なども。実際の科学的な結果を引用/参照するのは、せいぜいESP実験くらいです。既に為された現代物理学の奇妙な発見を神秘化しようと試みられることもあります。しかし、今はニューエイジです(と言われています)。Rupert Sheldrake[1981]やLyall Watson[1979] のようなニューエイジの著作者たちは、自らの新しいビジョンが正しいことを示すための論拠として科学文献を使います。Sheldrakeは参考文献としてちょうど600を挙げており、Watsonも200を挙げています。引用されている文献のほとんどは学術的に認められた科学論文です。「(匿名の)科学者曰く」とか「フレッド・ジョーンズはある日ひとりで森を歩いていると...」といった記述はもはや見られません。今そんなものがあるでしょうか?

私は大学で認識論、科学哲学、およびニセ科学とオカルトを教えています。授業では学生たちが驚異的現象や超常現象についての主張の例を持ち寄ります。過去数年でひとつの主張の人気が出てきました。それは「百匹目の猿現象」です。この現象はLyall Watsonによって広く知られるようになったもので、彼は日本人例霊長類学者が書いた高く評された5本の論文[Imanishi 1963, Kawai 1963, Kawai 1965, Kawamura 1963, Tsumori 1967]を論拠としました。この現象についてのWatsonの記述は本全体の中で2ページ弱(注釈以外では147ページと148ページだけ)でした。しかし、この簡単な記述は多くの関心を集めました。Watsonに続いて、本[Keyes 1982]、ニューズレター記事[Brain/Mind Bulletin 1982]、映画[Hartley 1983]が同じ「百匹目の猿」という題で作られました。さらに、「百匹目の猿と 人類の生存への(The 'Hundredth Monkey' and Humanity's Quest for Survival)」[Stein 1983]という題の論文が論文誌に掲載され、「量子的猿」という題の記事が大衆雑誌(Science Digest 1981)に載りました。いずれも、霊長類の驚異的で超自然的なふるまいの唯一の情報ソースとしてWatsonの著作に依拠していました。

実際、引用された猿たちは驚異的でした。彼らは日本の幾つかの島に野生の群れをつくっていたニホンザル(Macaca Fuscata)でした。彼らは長年にわたって観察されていました。1952年と1953年に霊長類学者たちは群れに餌付け(サツマイモや小麦のような食べ物を与える)を始めました。食べ物は開けた場所、特に海岸に置かれました。この新しい経済によって、猿たちは革新的な振る舞いを編み出しました。そのひとつは、観察者が「Imo」と名づけた生後18ヶ月の雌猿によって1953年に発明されました。ImoはKoshima島の群れのメンバーでした。Imoは川や海でサツマイモを洗うと、それについた砂などを洗い流せることに気づきました。Imoの遊び仲間とImoの母親はこの方法をImoから学び、その方法はすぐに群れの他のメンバーにも広がっていきました。ほとんどの食餌の習慣と違って、この方法は若い猿から年上の猿が習いました。ふつうは親から子がその習慣を学ぶものですが。Watsonによれば、サツマイモを洗う習慣は1958年までは徐々に広まっていきましたが、1958年の秋に驚くべき現象がKoshimaで起きました。この現象は「百匹目の猿現象」の根幹をなすものです。


Koshimaの奇跡

Watsonによれば、Koshimaのすべての年少の猿は1958年前半までにサツマイモを洗うようになっていました。しかし、成人した猿のうちサツマイモを洗っていたのは、年少の猿から学んだ猿だけでした、そして、その年の秋に、何か驚異的なできごとがおきました。出来事の正確な性質は明らかではありません。Watson曰く...

...個人的逸話と霊長類研究者たちの伝承の断片を集める必要があります。それは彼らの多くが何が起きたのか未だはっきりわかっていないからです。そして、真実にうすうす気がついた人々は嘲笑されることを恐れて公表したがりません。したがって、詳細は即興でつくる他ありませんが、私が言える範囲で、おおよそ次のようなことが起こったようです。

その年の秋にはKoshimaの数はわからないが何匹あるいは何十匹の猿たちが海でサツマイモを洗っていました。...話の都合上、仮にその数を99匹、時刻を火曜日午前11時に、いつものように1匹がサツマイモ洗いに加わったとしましょう。しかし、百匹目の猿が加わったときはその数が明らかに何らかの閾値を超えて、ある種の臨界質量を通り過ぎたらようでした。というのはその日の夕方にはほとんどすべての猿がサツマイモを洗っていたからです。それだけでなく、地理的な障壁を超えて、自然発生的に、密封された実験容器のグリセリン結晶が結晶化したように、他の島のコロニーや本島の高崎山の群れにも現れたのです。

ある種の集団意識が猿の中で発展したとWatsonは言っています。1匹の猿がサツマイモ洗いに加わった結果、突如発展したのです。Koshimaの群れの残りの猿たちの突然の学習は、昨年までの猿が一度に一匹ずつ学ぶというこれまで方法とは違っていました。集団意識の新しい現象はKoshimanでの突然の学習ととともに、海を渡った対岸の猿にも突然にサツマイモ洗いの習慣を獲得させました。Watsonは、詳細のある部分を「即興で」作らざるをえなかったことを認めています。その日の時刻、その週の曜日、臨界質量に必要な正確な猿の数は科学文献では特定されていません。しかし、夕方までに(あるいは少なくとも非常に短期間に)、コロニーのほとんどすべて(あるいは少なくとも残りの大多数)の猿がその習慣を獲得したのです。Imoの発明のあとの5年のゆっくりした漸進的な習慣の獲得からすれば、これは特筆すべきことでした。 さらに特筆すべきは、Koshimaの奇跡によって明らかに引き起こされた地理的障壁を超えた突然のジャンプでした。

ドキュメンテーション

このセクションでは、私はWatsonの百匹目の猿現象についての記述と彼が論拠として科学的出典の関係を検証します。もちろん、出典には多くは期待できません。Watsonは完全なストーリーは出典にはなく、詳細を「即興で」作らざるをえなかったと言っているからです。しかし、1958年のKoshimaの現象の不思議さを示す証拠はないとおかしいのです。特に、このときにその群れでの突然の学習(一日の午後ではないでしょうが)とKoshimaでの現象の少し後に他の群れでも突然サツマイモ洗いの習慣が現れたことの証拠は見つからないとおかしい。さらに、出典には、このような重要な現象が報告されていないはずです。さらに、1958年の現象の前後でサツマイモ洗いをする猿の正確な数も、現象後のKoshimaの猿がどうやって知識を獲得したかの説明も出典にはみつからないはずです。これらがWatsonがサツマイモ洗いの学習が超常現象である主張の論拠だからです。これらの3点を出典から検証します。Koshimaで突然の学習現象が起きたのか?他のコロニーでの習慣獲得がKoshimaの現象の直後に起きたのか?出典に適切な記載がない場合に限って、Watsonが詳細を「即興で」つくったのか?以後のコメントはWatsonが出典とした猿についての文献に限っています。

Koshimaの群れについての情報のほとんどはMasao Kawai[1965]の論文誌掲載論文にあります。他の文献はこのトピックについての2次的なものです。Kawaiの論文はKoshimaの現象についての記述は特に詳細でした。1952年に20匹だった群れは1962年までに59匹になっていました。(少なくとも数字上、Koshimaには100匹目の猿がいたことはありません。)Watsonは「数はわからないが何匹あるいは何十匹の」(unspecified number of)のKoshimaの猿たちが1958年までにサツマイモ洗いを習得していたと書いています。実際には「わからない」なんてことはありませんでした。Kawaiのデータで、サツマイモ洗いの習得した日付(および他の二つの食べ物についての振る舞い)や、Koshimaの群れのすべての猿の誕生日と家系関係もわかるように書かれていました(当該論文の2〜3頁の図1など)。1958年3月に、7歳以上の猿11匹のうち正確に2匹がサツマイモ洗いを習得しており、2歳から7歳の19匹の猿のうち15匹がその習慣を獲得していました(3頁)。あわせて、大人の猿30匹のうち17匹です。この論文(あるいは他の文献)は、1958年秋の突然の学習現象について言及されていません。しかしながら、1962年までに49匹の大人の猿のうち36匹がこの習慣を獲得していたことは記されています。したがって、この4年の間に成人の猿の数とサツマイモを洗う猿の数が19匹増えたことになります。おそらくこれが、Watsonに1958年秋の突然の現象を示唆したものでしょう。そして、おそらく(推測するしかないが)このアイデアをWatsonの脳内で強めたのはKawaiの次の記述でしょう。「(サツマイモ洗い)行動の獲得は1958年の前と後の2つの期間に分けられる(5頁)。

したがって、Kawaiは1958年の突然の現象について、年のいつか、週の何曜日かどころか季節も記していません。しかし、彼は少なくとも年を特定しています。さらに、Kawaiは1958年の前と後での習慣獲得の違いについて迷っているでしょうか?彼は「何が起こったかまったくわかっていなかった」でしょうか?彼は嘲笑をおそれて詳細の公表をためらっているでしょうか?否、彼はことのすべての詳細に公表しています。1958年以前の学習期間では、正常さのみが目立っています。1953年から1958年はエキサイティングな技術革新の時期でした。群れは新しい食べ物に遭遇し、年少の猿たちはこの新しい食べ物の取り扱い方を発明しました。しかし、1958年までには革新的な若い猿たちは大人になっていました。ニホンザルは人間よりずっと早く大人になるのです。年少の猿から大人の猿へ食べ物の扱い方を教えたという異常な状況は、母猿の膝の上で食べ物の扱い方を学ぶと言う伝統的な形に立ち返りました。Imoの最初の子供、Ikaという名の雄猿は1957年に生まれました(5頁と7頁)。Imoとかつての遊び仲間たちは、彼らの子供たちにサツマイモ洗いを教えました。ImoがImoの母とっての悩みの種であったほどには、Ikaが彼の母にとって悩みの種ではなかったでしょうが。Kawaiは1958年以降の革新的な時期を「前文化的伝播」と呼んでいます(8頁)。(この用語は猿の群れについて何らの異常さも意味していません。正常な状況下の猿の群れは正真正銘の「文化」としての振る舞いを持っています。)

したがって、Kawaiの記述に言及されていないことはありません。神秘的なことも、突如さも1958年の現象にはありません。1958年と1959年は革新的な年少の猿たちが大人になった年たっだのです。1960年代の人間のヒッピーたちは今その感じがわかるでしょう。実際1958年はKoshimaにといて特に目立って習慣獲得が進まなかった年でした。その一年でサツマイモを洗うことを学んだのは、たった二匹の猿ZabonとNogiだけでした。それ以前の5年間でサツマイモ洗いを学んだ猿の数は年平均3でした(4頁の表1)。ZabonとNogiが超能力猿あるいは何らかの異常なる方法をとったことを示す証拠はありません。

もうしばらくWatsonの話を真に受けましょう。(Watsonの示した出典によれば)1958年にサツマイモ洗いを学んだ猿はたった2匹でしたから、そのうちの1匹が「百匹目の猿」だったはずです。Watsonはそのどちらでかるかを「特定していません」ので、「即興で」作らざるを得ず、「話の都合上」それはZabonだったということにしましょう。これは不運な幼いNogiはWatsonによれば、あの秋の午後に突如かつ神秘的にサツマイモを洗うようになった「コロニーのほとんどすべての猿」という論理上の重責を担うことを意味します。

Watsonはサツマイモを洗う習慣が「自然に」地理的障壁を超えたと主張しています。これを示す証拠がありますか。これの証拠はあるでしょうか?確かに、2つの出典で、この振る舞いが、Koshimaの外の少なくとも5つのコロニーで観察されたと報告しています(Kawai 1965の23頁, Tsumori 1967の219頁)。これらの報告では、この振る舞いがほんの数匹の猿にだけ観察され、コロニー全体には広まっていなかったと言っています。この振る舞いがいつ始まったかは報告されていません。それらは1953年から1967年の間に起きたようです。しかし、1958年秋のKoshimaでの神秘的現象の直後だったことを示す記述も、あるいは違う時期に突然起きたことを示す記述も、あるいは特筆すべき出来事があったことを示す記述もありません。

実際、Koshimaで1958年に奇跡が起きたと信じるべき理由はまったくありません。それを否定する理由がすべてあります。この現象についてのWatsonの記述は、彼が論拠として示したまさにその出典によって詳細に渡って否定されています。突然の説明できない現象とWatsonが主張しているのに対して、対照的に「そのような行動パターンは、群れの個体間でスムーズに伝えられ、次世代へ手渡されました」(Tsumori 1967の207頁)。


ニセ科学の方法論

事実関係はこれで終わりです。Watsonの「百匹目の猿現象」についての主張は、彼がその論拠して示したまさにその出典によって決定的に否定されています。彼はそれらの科学論文に記載された情報を読まなかったのか、誤って引用したのかいずれかです。しかし、Watson固有の推論と報告のやりかた、および彼の広めた影響は注目に値します。それらは、ニセ科学の伝統のよい例となっています。下記を考えてみてください。

1. 隠蔽された情報: Watsonは科学的報告書が重要なデータを明示しないままにしていると私たちに告げます。これはまったくの虚偽です。しかし、彼はさらに巧みに、ほとんどの研究者が起こったことについてまだよくわかっておらず、真実にうすす気がついた人々は嘲笑されることを恐れて公表したがらないと、私たちに告げます。そしてWatsonは一挙に、自らを勇気ある者と印象付け、なぜ他の誰もがこの奇跡的な現象を報告しようとしないか説明し、私たちに論拠として引用した文献をチェックする気をなくさせます。
Watsonは、真実を「個人的な逸話や霊長類研究者の間の伝承の断片」から見出します。そのような人々とつきあいのない私たちはWatsonの言うことを信じてしまいます。このテクニックは有効でした。百匹目の猿現象について私が見つけた解説には、Watsonが引用した科学的な出典を調べた形跡のあるものはひとつもありませんでした。にもかかわらず、それらはWatsonの空想を科学的に認められた事実として扱っていました。Watsonから新たに示された情報もありませんでした。私はそのような情報を提供するようにWatsonと出版社に手紙を書きましたが、返事はありませんでした。

2. 自然な説明の忌避: サツマイモ洗いは複数の島々で観察されていたというのが事実でした。Watsonは、ある島から別の島へ超自然的な方法でそれが伝わったと推論します。他の超常現象の熱狂的ファンと同じように、Watsonはサツマイモ洗いの同時発生の2つの妥当な説明を無視します。ひとつめは、別々の猿が独立に共通の課題に対して同じ解決策を発明した可能性です。この同時発生の可能性はニセ科学者が最も嫌うものです。「ネイティブアメリカンはエジプトとは独立にピラミッドを作れなかったはずだ。彼らはそれだけの知恵を持っていなかった。」極端な例では(たとえば von Daniken)、「人類はそのような巧妙なものを作れるには愚か過ぎる。異星人が作ったに違いない。」
Watsonは、Imoがサツマイモを洗うことが有用だと気づくことができた唯一の猿だったと考えます。彼の言葉によればImoは「猿の天才」であり、サツマイモ洗いは「車輪の発明にも匹敵する」ものであり、「他の島の猿はそのような発明をするには愚かすぎる」だと考えます。しかし、餌付けが始まった1952年および1953年以前にこれらの猿たちはサツマイモを食べたことはなかったことを思い返さないといけません。少なくとも5か所の猿は1962年までにサツマイモ洗いを学んでいました。これから私は、これらの猿たちが賢い生き物ではないかと考えます。しかし、Watsonにとっては1匹の猿だけが賢く、他の猿は超常現象によってサツマイモ洗いを獲得したことの証しでした。
二つ目の無視された説明は、自然な伝播です。実際、Kawaiは1960年にサツマイモを洗うJugoと名づけた猿がKoshimaから、高崎山の群れが生活する島へと泳いで渡ったことを報告しています。Jugoは1964年に帰ってきています[Kawai 1965の17頁]。Watsonはこのことに触れていません。ニホンザルは賢くかつ行動的であることが知られており、どちらの特徴もサツマイモ洗いが島から島へと伝播したことの説明になりえます。Watsonはそのどちらの説明も無視して、新しい超常パワーを発明すること選びました。

3. 奇跡のインフレ: 神話は引用されるたびに、誰もが少しずつ話をふくらませます。次の2つの例は、Watsonを徹底的に引用する第2世代の解説からとったものです。それでもWatsonの主張はふくらみ始めています。最初、霊長類研究者はKoshimaの外の離れた場所でサツマイモ洗いをする少数の例を報告していました。次にWatsonはこれを「習慣が自発的に.... 他の島のコロニーに ...現れた」と報告しました。これは虚偽ではありません。というのは他のコロニーの少数の個体が実際にいたからで(ただ少数の個体が群れの行動を代表するわけではありませんが)。Watsonに続いて、Ken Keyesは、百匹目のKoshimaの猿に続いて、「他の島の猿のコロニーで... サツマイモを洗うようになった!!」と報告しています[Keyes 1982の16頁]。Keyesを読むと、自発的にイモを海に浸す猿の集団というイメージを持ってしまいます。
次の例: 1958年の現象についての霊長類研究者の態度を、Watsonはただ彼らは「いまだ何がおきたかまったくわかっていない」とだけ報告しています。しかし、霊長類研究者の困惑はふくらまされ、Science Digest [1981]では「四半世紀にわたって科学者を悩ませている」と書かれています。特にこれらの2つの例では、Watson自身の記述は少なくとも適度です。正確とは言えませんが、まったくの間違いとも言えません。しかし、第2世代では「いまだ何がおきたかまったくわかっていない」が「四半世紀にわたって科学者を悩ませている」に変わり、他のコロニーの少数の個体に現れた習慣がコロニーの猿全体に変わっています。第2世代はその情報をWatsonだけに依拠していたことを思い起こしてください。Watosonの正しくはない記述が、言うまでもありませんが、正しくない方にひずめられています。

4. 超常現象が超常現象の論拠となる: 超自然現象の報告は他の同様の報告と整合性をとることで主張が強化されます。Watsonの解釈者たちがそれを示しています。Keyesは百匹の猿現象の論拠として、J.B. RhineのDukeでの言葉「それは個々の人間の間のテレパシーを証明している」と整合性をとっています。「今や私たちは知っています。百人目の人の意識が加わったとき、この超感覚的なコミュニケーションが協力に有効なレベルに引き上げられることを。」[Keyes 1982の18頁]。Elta Hartleyの映画「百匹目の猿」はEdgar Cayceを想起させるものでした。そして、集団意識のおどろくべき効果により、5つの2次ソースのうち4つがWatsonの百匹目の猿現象とRupert Sheldrakeの形態形成場の概念の類似性を強調しています。WatsonとSHeldrakeの類似性についての自然発生的な認識は、4つの出版物の境界を飛び越えたようです。これは奇跡ですね。(並行発明や自然拡散ではこのような偶然は絶対に説明できません。)


結論

百匹目の猿現象の2次ソースの幾つかには同情を禁じえません。それは、この現象を引用した目的によるものです。Ken Keyesの本はこの現象をひとつのテーマとして扱っていますが、その本の本当の話題は核軍縮でした。Arthur Steinの記事と(ある程度)Hartleyの映画は、百匹目の猿現象により核戦争を抑止できるかもしれないというKeyesの希望に触発されたものでした。その希望とは「あなたが百匹目の猿となって集合意識に参加することで、世界を核の虐殺から救えるかもしれない。」というものでした。この動機には不順なものを見出だせません。同じ理由で、クリスマスプレゼントに核軍縮をお願いする手紙をサンタクロースに出す子供の動機にも不順なものを見出せません。サンタクロースや百匹目の猿よりも有効な核戦争抑止策があることを願うばかりです。

Watsonの主たる関心は戦争の抑止ではなく、超常現象へのまっすぐな愛です。彼の本はひとりの子供の描写から始まります。Watsonの目の前で、その子供は暗闇でコルク栓を抜くようなごく低い音とともに」テニスボールを黄色いフェルトを内側に黒っぽいゴムを外側に、圧力を失うことなく裏返したのです[18頁]。百匹目の猿についての議論の直後に、意味深な出張をしています。彼はLowrence Blairの作とされる次の言葉を引用しています。「神話が非常に多くの人々によって共有されれば、それは真実になる」[48ページ]。このような相対主義の認識論はニューエイジの考え方においては特に奇異なことではありませんでした。このBlairの考えを私流に言いなおすと次のようなります。「十分に多くの人に嘘を信じ込ませれば、それは真理になる。」このような真理についての考え方を認めるような人は知識の情報源としては信頼できないと思います。もちろん、そのような人は空想、噂およびニセ科学のベスト・セラーのすばらしい情報源かもしれませんが。

私はこの種の相対論より認識論のリアリズムを好みます。真実は、それを信じる人の数や繰り返し出版される間隔に依存するものではありません。私の好む認識論は単純に表現できます。「事実は事実です。百匹目の猿現象はありません。 」



フォローアップ

私は「百匹目の猿現象」に検証を1984年8月に、その「現象」の著者であるLyall Watsonへ出版社であるSImon and Schuster気付けで手紙を出すことから始めました。私は「生命潮流」でWatsonが報告した猿の集団意識について詳しい情報を求めました。この手紙もその後の出版社への手紙も返事はありませんでした。私の検証結果は1985年夏 Skeptical Inquirer に掲載されました。ワシントンポストのサイエンスライターであり、後にCSICOP 1986 Responsibility in Journalism Awardを受賞したBoyce Rensbergerがこの話を取り上げました。彼は Simon and Schusterに交渉しましたが、Watsonに連絡をとることは断られました。Rensberger [1985]は、Watsonの本の編集者の「Watsonは顕著で著名な学者であるが、奇妙な考えを持っていると言わざるをえない。」という言葉を引用しました。が、それ以上の新しいことはありませんでした。

今やWatsonは沈黙を破りました。Whole Earth Reviewの編集者であるTed Schultzが彼に何とか連絡をつけました。Shultzによれば、Watsonは「彼の猿の物語についてのAmundsonの検証について喜んで返答したい。」と言っていました。そして返答は、1986年秋に Wole Earth Reviewの「Fringe of Reason」特集号に掲載されました[ Shultz 1989に再掲]。彼は「好奇心抑制の自薦委員会」状態の非難で語り始めましたが、Watsonは百匹の猿に対する私の批評を上機嫌で論じています。私の記事は「明快で、面白く」、彼の言うところの、CSICOPに見られる「感情的な否定論がすがすがしいくらいにない」と彼は言っています。私は彼のこの区別を喜べません。

Watsonは続いて「百匹の猿の起源と進化についてのAmundsonの分析を何らの留保なく受け入れます。Amundsonが正しく示したように、あれはほんのわずかの証拠と多くの伝聞を基に私が創ったメタファー(比喩)です。私は偽りを述べてはいません。私の結論は、Amundsonが私を論破するために用いた5つのソースに基づいていません。厳密に逸話としてあの現象についての証拠を慎重に記述しています。「生命潮流」の引用文献は、何かの論拠とするためではなく、私がいつもやるように道具、および有用な背景情報へのアクセスのためとして提示したものです。」
私が彼を「論破」するために使った「5つのソース」はまさに、この現象についてのもともとの議論において、Watsonが「道具」と「アクセス」として提示した5つのソースそのものであることを思い返しましょう。

Watsonは、百匹の猿現象が存在しないと言う私の結論に対して文句を続けます。彼は現象が本当だと今でも考えていますが、それがKoshimaで起きていないことは認めています。これはいわば、ユリ・ゲラー自らが自分は超能力持っていないと主張しているにもかかわらず、「ゲラー効果」があると言っているようなものです。いいでしょう。では、本当の例を見せてもらおうではありませんか。

Watsonは、私が彼の著作を「ニセ科学」だとした記述に不満のようです。百匹の猿の話が逸話であることを彼は認めていたと言っています。それはおおよそ半面の真理です。Watsonは生命潮流で「残りの詳細を個人的な逸話と伝承の断片から集める」必要があった(これは、彼の言葉によれば、研究者たちが嘲笑への恐れから公表をためらったからでした)と確かに認めているからです。彼は特に、科学的な報告からある重要な詳細情報が欠落していると明確に述べていました。そして、彼はKoshimaの現象を、詳細を「即興」で作って記述しました。奇跡的な結論は2つの文で記され、続いて参考文献の引用がなされていました。欠落しているとWatsonが言った詳細は欠落していませんでした。参照可能な(実際、彼の参考文献リストによって参照可能な)科学的証拠について彼は偽りを報告していました。

彼自身が書いた文章によって彼は論破されているという私の主張に対して、Watsonは参考文献は論拠ではまったくなくて、道具であると返答しました。(おそらく彼自身の道具によって論破される方が、彼自身の書いた文章によって論破されるよりは痛みが小さかったのでしょう。)ここで、生命潮流で使われた引用文献の書式が、科学論文や非公式文書で、主張が正しいことの論拠として提示する書式そのものであることを思い返しましょう。シこの書式は「本文を説明する注釈と対応する本文中の参照番号」として"The Chicago Manual of Style"に挙げられているものです。
彼の引用文献が本文を論証するためものではなく、実際には本文を否定するものだと、Watsonはどこかで私たちに注意を促したでしょうか?彼はそれらが「道具」でしかないと言ったでしょうか?否です。挙げられた数字が引用文献リストの番号を参照しているということしか書かれていませんでした。

(Whole Earth Reviewの記載によれば) 著名な学者であり、「人類学、動物行動学、および海洋生物学における学位の所持者」として、Watosonは、科学論文の文献引用の方法を理解しているはずです、引用文献の参照の意味を著者が勝手に創り出していいわけがありません。ある著者にとって「論拠」であり、ある著者にとって「道具」であるなどということを意味しません。Watsonは主張の論拠として使う場合の書式を使っています。今、彼はそのよう意味で使ったわけではないと言っています。

このテクニックは最も厳密な意味においてニセ科学的だと私は主張します。それは科学の外観を偽装しています。Watsonは引用文献リストの作成に誤りがあった(あるいはそれらの文献を全然読んでいなかった)と認めることもできたはずです。しかし、彼は参考文献が「道具」似すぎなかったという言い訳をしています。それらは学術論文の引用文献のように似ているだけだと。

Watsonは彼の主張を「伝聞」と「逸話」ではなく事実の報告だと受け取った何千人の人々に謝らなければなりません。
Watsonの出版された解説者は誰も彼がサツマイモを洗う猿についての「伝聞」を提示していたとは考えませんでした。 もし私が彼の話を誤って真に受けていれば、他の皆もそうしたことでしょう。Watsonの本の科学的に見える何百もの引用が彼の事実であるという主張を裏付ける意図がなかったことを知らせるべきです。それらは「道具」なのです。それらはまったく科学論文の引用文献のように見えます。しかしそれは幻想に過ぎません。



追伸

私が「百匹目の猿」についての著作について唯ひとつ後悔していることは、ワシントンポストにおけるBoyce Rensbergerによるとても貴重な「サツマイモを洗う猿理論の嘘を暴く」のような表題をつける度胸がなかったことです。

この新聞記事に対する反響には驚きました。私は"Skeptical Inquirer"の影響力を見くびっていました。そしてRensbergerの記事は確かにこの話を広めるのに役立ちました。それにしても、アメリカばかりでなく世界中で、百匹の猿がニューエイジ思想においてかくも人を動かすイメージになっているとは思いもよりませんでした。記事はオーストラリアとスウェーデン(翻訳題名"Der Hundereden Apen")で再掲されました。英国の科学雑誌"New Scientist"]1985]で論じられ、私はオーストラリアの公共放送ラジオでインタビューを受けました(インタビューはオーストラリアのSkepticの親切な人々によってアレンジされていました)。ニューエイジ思想に同調していると思われているような East-West Journal [1985]や Whole Earth Reviewのような雑誌も好意的に取り上げてくれました。(1986年秋のWhole Earth Review から議論と関連記事が「Fringes of Reason」[Schultz 1989]に再録されました。)
保守的なクリスチャンにどうニューエイジ信念に立ち向かうかに助言を与える本のなかでDouglas Groothuis[1988]から心よりの言葉をいただきました。私が知る限りで、唯一の否定的な反応があったのは私の狭量[Schultz 1989]についてのLyall Watosonの穏やかな小言だけでした。これらの流れからいえることは、百匹の猿の神話を聞いた幾千の人々のうちの多くが既にそれを疑っていたのではないかということです。しかしながら、実際には誰も原論文にあたって、その正しさを検証しませんでした。

このような無頓着の中で注目に値する例外は Maureen O'Haraという人文心理学者で、彼女は独自に百匹の猿を批評していました[O'Hara 1986参照]。彼女はWatsonの解説者たちへの非難の矛先を向け、Watsonの神話作成には私よりも寛容でした。しかし、彼女はニューエイジが集団意識を認めているという重大な誤り、私が指摘し損ねた誤りを、雄弁に暴露しました。「自分は百匹目の猿かもしれない」から、ニューエイジのファンたちは集団意識が個人に権限を与えると考えました。この権限を与えるという考え(empower)をO'Haraは愚かだと指摘しています。その人の持つ信念が少数派に属するなら、既に多数派の意見からの「百匹目の猿」効果を受けているからです。

さらに、信じるだけで社会を変革できるのだという考えは、社会的に何かをしない、まったくの言い訳になります。もし、快適な自宅に座って何かを信じれば同じ効果があるなら、誰がわざわざ政治活動に参加するでしょうか?カンザスの地方紙がまったく同じ点を認めていたことに特に喜んでいます。私がWatsonを論破したことWellington Newsが"Individually Responsible"という編集後記で祝ってくれました。

既に述べたように、私は合理主義十字軍の英雄ではありません。私の学生が授業の例題として百匹目の猿を持ってきたので、検証したのです。私たちがこんな与太話を聞いたときの安心感が、与太話を広めてしまいます。そして、他の神話は百匹目の猿ほど簡単に粉砕できるかどうか、やってみなければわかりません。



参考文献

Brain/Mind Bulletin. 1982. The Hundredth Monkey. In "Updated Special Issue: 'A New Science of Life.'" East-West Journal. 1985. Monkey Business, November, p.13.
Groothuis, Douglas R. 1988. Confronting the New Age. Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
Hartley, Elda (producer). 1983. The Hundredth Monkey (film and videotape). Hartly Film Foundation, Inc. Cos Cob, Conn.
Imanishi, Kinji. 1963. Social behavior in Japanese monkeys. In Primate Social Behavior, Charles A Southwick, ed. Toronto: Van Nostrand.
Kawai, Masao. 1963. On the Newly-acquired behaviors of the natural troop of Japanese monkeys on Koshima island. Primates, 4:113-115.
Kawai, Masao. 1965. On the newly-acquired pre-cultural behavior of the natural troop of Japanese monkeys on Koshima Islet. Primates, 6:1-30.
Kawamura, Syunzo. 1963. Subcultural propagation among Japanese macaques. In Primate Social Behavior, Charles A. Southwick, ed. Toronto: Van Nostrand.
Keyes, Ken, Jr. 1982. The Hundredth Monkey. Coos Bay, OR: Vision Books.
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Rensberger, Boyce. 1985. Spud-dunking monkey theory debunked. Washington Post, July 6.
Schultz, Ted, ed. 1989. Fringes of Reason: A Whole Earth Catalog. New York: Harmony Books.
Science Digest. 1981. The quantum monkey. Vol.8: 57.
Sheldrake, Rupert. 1981. A New Science Life. Los Angeles: J.P. Tarcher.
Stein Arthur. 1983. The "Hundredth Monkey" and Humanity's Quest for Survival. Phoenix Journal of Transpersonal Anthropology, 7: 29-40.
Tsumori, Atsuo. 1967. Newly acquired behavior and social interactions of Japanese monkeys. In Social Communication Among Primates. Stuart Altman, ed. Chicago: University of Chicago Press.
Watson, Lyall. 1979. Lifetide. New York: Simon and Schuster.
Watson, Lyall. 1986. Lyall Watson responds. Whole Earth Review, Fall. Reprinted in Schultz, 1989.
Wellington (Kansas) News. 1985. Individually Responsible, July 22.
posted by Kumicit at 2005/08/02 23:42 | Comment(5) | TrackBack(0) | Hundredth Monkey | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは (^^)/。

 ↓のようなページを作っています。
http://homepage3.nifty.com/kadzuwo/monkey.htm

 前は機械翻訳の翻訳結果にリンクしていたのですが、こちらのページを見つけることができましたので、リンクさせていただきました。
 他の関連ページも機械翻訳で対訳表示で読むことができますので、よろしければお立ち寄りください。

 どうかよろしくお願い申し上げます <m(_ _)m>。
Posted by 夜帆。 at 2005/11/12 05:17
夜帆さま

さっそく立ち寄らせていただきました。

"100匹目のゴキブリ"だったかもしれない"Lyall Watson responds"は自動翻訳よりはましな和訳をつくっております。ご参考までに
http://transact.seesaa.net/article/7214071.html
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2005/11/12 17:20
私のしょうもない『百匹目の猿』話のブログに
連投コメントいただき、ありがとうございましたm( )m。猿知恵にも劣る私の知識の浅さを改めて
実感いたしました。
このブログに立ち寄らせていただき、改めて
勉強させていただきます。ブックマークさせて
いただきました。今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m
Posted by Mr.DeruAna(出穴) at 2007/04/25 10:37
Kumicitは"所詮、妄想(-_-;)/It's only obsession."にはコメントしてません。
"サル学者"氏は参考URLをコメント本文に書かずに、「ホームページ欄」に書き込んだようですね。

それはさておき、うちは、後発なので英文資料中心です。Lyall Watson捏造ネタシリーズについては、わかりやすいところでは...
http://www.geocities.jp/wakashimu/yota/saru.html
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2007/04/25 17:10
拝見させて頂きとても勉強になりました。
確かこの本を読んだのがビジネスに取り組んでいた15、6年前だったと思います。感銘を受けたのを今でも覚えています。
俗にいうネットワークビジネスの社長から薦められた本で船井幸雄の本を何冊か読んでいました。
ネットワークビジネスは、宗教と同じような組織形態を持つと思っいます。それが良い、悪いではなく若い人を洗脳状態に導きやすい思考だと思うからです。
最近、自分の関係で宇宙系をネタに支持者を集める輩が多くいます。否定するには、一般の人からすれば悪魔の証明するようなもので困りますね。

Posted by Hs at 2015/09/13 01:13
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