2005/09/13

「百匹目の猿」何が論点なのか

前のエントリのコメント欄のやりとりが長くなってきたので、別のエントリとして続きを書こう。

何が論点なのか?

「100匹目のサル」をめぐって(3)福田::漂泊言論において、福田氏は
ワトソンの記述を読む限り、SPWの初期的獲得について問題としているわけではないことが分かります。そうではなくて、その先の段階としての「“海で”洗う」という行動こそがここでは問題とされているわけで

という新解釈を提示した。おそらく世界中で、この新解釈を正しいと考える人はいないだろう。同エントリのコメント欄で「とおりすがり」氏や「無名の学者」氏が批判を加えたのも自然な流れに見える。

しかし、これは間違いだ。

「100匹目のサル」をめぐって(2)福田::漂泊言論において、福田氏は
その中で、Elaine Myers(この人を私は知りませんでした)の記述を元に、ライアル・ワトソン説が「ウソ」であることを根拠づけしようと試みられています。しかしこの記述には不明な点が幾つかあったので根拠とするには今ひとつ弱いのではないかと思いました。

と言っている。

論点はただひとつで「Lyall Watsonがウソをついたとは証明されていない」である。これはサイエンスの問題ではなく、あえていうなら裁判なのだ。裁判である以上は、「Lyall Watsonがウソをついた」ことを証明する義務は「ウソをついた」と主張した側にある。だからこそ、福田氏は疑問点を列挙しても、自ら「Lyall Watsonが正しい」という主張もしなければ、そのための論拠を提示することもなかったのだ。

「ウソをついた」かどうかが論点なので、当然のことだが「Lyall Watsonが科学的に間違ったことを言った」かどうかは論点ではない。「Lyall Watsonは科学的に間違ったことを言っていた」が「ウソはついたとは証明できない」という答えであってもよいのだ。


これまでの経緯
これを踏まえて、これまでの経緯をふりかえってみよう。


黒影氏:「100匹目のサルのウソ」はいかにして暴かれたか」(幻影随想)にて、Elaine Myersの翻訳を行って、百匹目の猿のウソを説明。

福田氏:「100匹目のサル」をめぐって(2)」(福田::漂泊言論)にて、Elaine Myersの記述ではわからない7つの疑問点を列挙して、ウソとは言えないと主張。

とおりすがり氏:同エントリのコメント欄に
「百匹目の猿」の原論文には百匹目の猿はいない
(忘却からの帰還)にデータがあると書き込み。

福田氏:同エントリのコメント欄にて「ご紹介のページを拝読しました。今までウソ派の方たちが提示されていたものよりは厳密だと思います。ただ、1959年以降のイモ洗い獲得年数の詳細はやはりないようです。」とデータ不足だと主張。

黒影氏:幸島のサルのデータを読む(幻影随想)にて、Kumicit:補足(忘却からの帰還)にて、データを整理して、奇跡の余地がないことを提示。

福田氏:「100匹目のサル」をめぐって(3)」(福田::漂泊言論)にて、「“海で”洗う」という行動こそがここでは問題とされているわけです」と新解釈を提示。

Kumicit:「百匹目の猿」塩水ですか?(忘却からの帰還)にて、「1957年と1958年の調査で、我々は多くのサルが塩水でサツマ一もを洗っているのを発見した。個々のサルについての記録はないが、淡水でしかサツマイモを洗わないサルはいなかったようだ。」という原論文の記述を提示。

福田氏:同コメント欄にて「残念ながらワトソンの記述が「ウソ」であることを示すものであるとは言い難いと思います。というのも明確なのはSPWの種別とその内訳だけだからです。」

Kumicit:同コメント欄にて「Lyall Watson "Lifetide"では『1958年までには、全ての若者は汚れた食べ物を洗うようになっていた....そして、何か普通ではないことがおきた。』です。つまり、『海水によるサツマイモ洗い』であれば、時間が逆転しています。」と、海水説を否定。

福田氏:同コメント欄にて「『淡水でしかサツマイモを洗わないサルはいなかったようだ』の部分は河合氏は『it seems』と述べていますね。もし1957年と1958年の河合氏による調査で明らかだったのであれば『it seems』とは言わなかった筈です。つまりこの部分はAzuma氏とYoshiba氏による調査報告を参照している可能性が高いわけです(でなければ注釈の必然性もないわけですから)。」と、1959年以降である可能性を指摘し、「ウソの証明にはならない」と主張。

そして反論

ふりかえれば、明らかだが、これはサイエンスの議論ではない。福田氏も自らの「百匹目の猿現象」についての考えを述べているわけではなく、それが正しいかどうかも議論していない。さらに、福田氏は「Lyall Watsonがウソをついていない」と主張しているわけでもない。あくまでも、「Lyall Watsonがウソついているという告発は立証されたとはえいない」と言っているのだ。

よって、私も福田氏の設定したバトルフィールドのルールに従って反論しておこう。前のエントリにはりつけた原論文の注釈部分では
At the surveys of 1957 and 1958, no indivisual record were collected whether washing was done by salt water or by fresh water.

となっている。「個体識別はしていない」と言っているだけ。従って、「既に1957年時点で淡水から海水へ多くのサルは移行済み」であると。


福田氏の次の一手について予言しよう

福田氏本人も「淡水から海水への移行説」を信じているわけではないだろう。あくまでも、「淡水から海水への移行についてLyall Watsonは述べていたのだと解釈可能」かつ「淡水から海水への移行が1958年以降に起きたと原論文を解釈可能」であるから、「ウソはまだ証明されたとはいえない」と言っているだけだろう。(だからこそ、裁判の議論であって、サイエンスの議論ではないのだ。)

従って、福田氏は「淡水から海水への移行説」を捨ててもかまわない。あくまでも、「Lyall Watsonがウソをついたとは証明されていない」という福田氏の論理の一貫性は失われないのだから。で、ここからは予言になるのだが、福田氏は次に手を変えて、
このように主張するだろう。

となると、まだまだ判決までには時間がかかりそうだ。
posted by Kumicit at 2005/09/13 02:52 | Comment(2) | TrackBack(1) | Hundredth Monkey | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
福田氏はいわゆるビリーバーではなく,「L. Watson がウソをついたか」が論点というのは,そのとおりだと思います.どういう意味であれ「ウソではない」という主張が通れば満足なのでしょう.
「ウソではない」という主張は,それだけならある意味間違ってはいなかったんですけどね.Watson のは「お話」だから,そもそもウソとかホントとかいうようなものではないという意味では.(もっとも「お話」として扱われていないところが問題なのですが.)

しかし福田氏自身が.「海水への移行が問題だと解釈すれば,ウソはついていないことになる」という方向に話を持っていってしまった以上,現段階では彼に「立証責任」(解釈の正否についての) があるのではないでしょうか.前提が間違っていれば,そこから導き出される結果には意味がないですから.
Posted by とおりすがり at 2005/09/17 01:25
"とおりすがり"さん

おっしゃるとおりです。本来は福田氏は海水説を立証すべきかと思います。ただ

・福田氏はサイエンスの議論をしていないこと
・福田氏は決して自ら証拠を挙げたりしないこと
・福田氏は訴訟テクニックにすぎない海水説をさっさと忘却するだろうこと

をはっきりさせたかったのがこのエントリです。こういっておくと、

・立証なき新説を出せば、「訴訟テクニック濫発認定」

になります。そろそろ福田氏もあきらめるのではないかと思うのですが。
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2005/09/17 13:06
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「100匹目のサル」をめぐって(4)
Excerpt: 前回のエントリに「忘却からの帰還」のKumicitさんよりこんな応答がありました。 ・何が論点なのか? 反論があったので指摘しておきます。詳細はKumicitさんのエントリをご覧頂くとし?..
Weblog: 福田::漂泊言論
Tracked: 2005-09-18 18:26