2008/01/16

乗り遅れな気もするけど、merca論宅氏について考えてみた

Kumicitは、メタな論を偉そうに語る"merca論宅"氏が、"脳内ニセ科学批判者"をメタな論で批判していると思ってた。これなんか、まさにその言い訳としか読めない:
同ブログでは、なるべく個人批判・人格批判は避けています。従って、批判は全て一般化してます。菊池さんや天羽さんから、ポパーのみでニセ科学を批判しているサイトの例示を要求された際にも、躊躇したのは、そのためです。一般化がメタ議論につながって来ますが、あえてそうしています。
[merca:"方針" (2007/09/22) on 社会学玄論]
でも、違った。


主敵は"脳内妄想"ではない

"merca論宅"氏の主敵は、"脳内妄想"ではなくネット上にいる。"merca論宅"氏は、社会学玄論で、一度だけ、その主敵のURLを書いていた:
Commented by 論宅 at 2007-03-20 23:30 x

ogawaraさん  論宅です。コメントありがとうございます。実は、この記事は下のブログに触発されて書きました。
http://feliscatus.blog77.fc2.com/

merca:"疑似科学批判論者への疑問" (2007/03/14) on 社会学玄論 (魚拓)]


指定されたURLはTheorySurgery氏によるThe Black Crowesというブログで「社会科学に潜む疑似科学を考え」つつ、「温暖化懐疑論を展開」している。

社会科学批判そのものは2006年12月30日のエントリから開始されているが、"merca論宅"氏が反応したと思われるエントリ・コメントはおそらく以下の2つ:

コメント: 反証可能性による科学の線引き 2007/02/15 23:29 TheorySurgery

科学を偽って商売を行っても、それを取り締まる法律がなければ、インチキ科学商売は蔓延する一方ですね。科学の名を語った誇大広告はお咎めなしなのかな。疑似科学化した学問の場合は、カール・ポパーの提案した反証可能性によって、科学と疑似科学の線引きをすることができます。しかし、それが余り徹底されていないところに、今日の社会科学の学問的な知的退廃があるのかもしれません。

[TheorySurgery:"疑似科学化した社会科学の危機感 (2007/01/20) on The Black Crowes]

「ニセ科学入門」というホームページでは、ニセ科学が受け入れられる理由として「科学らしさ」をあげている。詐欺的なニセ科学商法においては、検証が不十分なものに「科学的」と名づけるだけで、あたかも、「科学的に検証済み」かのようなお墨付けを与えてインチキ商売を行っている。

これと同じことが社会科学の分野においても当てはまることが多い。社会「科学」とあるが、果たしてどこまで科学的かというと相当な疑問が生じるだろう。特に、社会学などの分野においては、憶測としか取れるような、疑似科学的な言説が頻繁に飛び交っているのをしばし見かける。怪しい言説をもとに国や生徒からお金を騙し取るのだから、ニセ科学と五十歩百歩だろう。

[TheorySurgery:"疑似科学と相対主義" (2007/02/19) on The Black Crowes]
このエントリから約1か月後に、"merca論宅"氏が反応している。「社会科学を疑似科学だと批判する疑似科学批判論者」たる"TheorySurgery"氏に対して、その名前も挙げず、リンクも張らずに、さも一般論であるかのように:
...
 究極的にいうと、物理学や自然科学のほうがむしろ不確かである。外からしか観察できないわけであるから、複雑な現象になると、隠されていた別の原因や要因が後からよく発見されたりする。しかし、行為を対象とする社会学には、調査対象が虚偽を申告しないかぎり、それは起こり得ない。

 外的観察しかできない自然科学よりも、内的観察ができる社会学や人間科学のほうが、対象と認識の一致という点において、より科学的である。

 疑似科学として社会学を非難する論客たちがいるが、きちんとした手続を踏んだ社会学ほど科学的な学問はないのである。

 あとになるが、本当は、数学こそが最大の疑似科学であることを明かしたい。

[merca:"疑似科学批判論者への疑問" (2007/03/14) on 社会学玄論]
あくまでも"疑似科学批判"一般ではなく、「特定の"疑似科学批判論者"たるTheorySurgery氏による"社会科学は疑似科学"という主張」がターゲット。従って、「社会学の方が、自然科学よりも科学的でありうる」ことを主張しているようだ。おそらく、"merca論宅"氏の念頭には、いわゆる"ニセ科学批判"などなかったと思われる。

これでまだ攻撃したりなかったのか、"merca論宅"氏は一週間後に次のような主張をしている:
...
自然科学的真理の正しさは、合意や多数決で決まらない。あくまでも対象との関係性で決まる。自然科学を近代社会のイデオロギーだから真理ではないと言ったところで、正しさを否定したことにならない。
 また、社会的リアリティは、物理的リアリティと関係ない。政治的意見や道徳の正しさは、人倫関係を超越した自然法則から導きだせるものではない。人倫関係の内部から導きだせるものである。早期から社会学はそのことに気づき、道徳を分析対象にし、実証的に研究してきた。

 科学というものを物理的リアリティに準拠して考える論者が、疑似科学として社会学を批判するのである。しかし、社会的リアリティに準拠した真理観が存在することがわかっていないのである。
[merca:"二つのリアリティ(真理観)" (2007/03/21) on 社会学玄論]
引用部分前段は特に変な主張ではない。「人倫関係を超越した自然法則から導きだせるものではない」はHumeの"Is-Ought Problem"に相当するもの。

そして、ここでも「科学というものを物理的リアリティに準拠して考える論者」という一般化された表現を使い、特定の疑似科学論者たるTheorySurgery氏の名前を挙げない。

当然のことながら、ターゲット非公開な攻撃であるため、他人が読むとイミフになる。

==>TAKESAN: "「疑似科学」の用法" (2007/06/24) on Interdisciplinary


さて、これでも気がおさまらなかったようで、"merca論宅"氏は4日後にさらにエントリをポストしている。
...
普通、このようにして、科学は人間の幸福(利益)のための手段であるとして、相対化されてきた。目的としての価値の問題は間違であるとかないとかという次元ではなく、人々が適切であり、何が善であるかと考えるという社会的リアリティ=合意や共有の問題であり、自然法則を扱う自然科学が入り込む余地はない。哲学のほかにも、しいて言えば、社会科学のみがこれを扱うのである。特に、社会学が有効なのである。

[merca:"手段にすぎない自然科学" on (2007/03/25) on 社会学玄論]
善悪・価値・倫理など経験的に検証不可能なものは自然科学の取扱対象外なのだが、社会科学は"善悪"を論理的に導けるものだっけ? どうも、このあたりから、何が何でも「社会学は自然科学の上位にあるのだああああ」と言いたいだけになっているように見える。




"merca論宅"氏がターゲットとしている"疑似科学論者"はひとりか?

ここまで見る限り、"merca論宅"氏はTheorySurgery氏以外をターゲットにしていないように見える。

確認のため、コメント欄がにぎやかになる2007年8月17日のエントリ「疑似科学批判が流行る理由」より過去のエントリを眺めてみたが、まったく具体的な"疑似科学論者"への言及がない。

また、「疑似科学批判が流行る理由」から始まるコメント欄のやりとりからも、具体的なニセ科学・ニセ科学批判・ニセ科学批判者を、"merca論宅"氏が知らなかったことがうかがえる。

以上から、根拠は弱いが、どうも"merca論宅"氏がターゲットとしている"疑似科学論者"はTheorySurgery氏だけと考えるのがよさそうだ。


メタではなく高見に立つ"merca論宅"氏

ターゲットがひとりだとすると、"merca論宅"氏は「サンプル1個のメタな論」をやってることになる。

本来、メタな論は複数のサンプルからひとつの機能を見出すような形で行われるもの....と"merca論宅"氏自身も言っている:
システム論社会学では、(形式あるいは機能/内容)の区別としてメタを捉える。例えば、宗教は人間に生きる意味を付与するという機能があると観察した場合、個々の宗教の具体的内容は問われない。宗教社会学は個々の宗教の教義内容ではなく、それが社会にとってどのような機能をもつかに焦点を当てる。従って、同一の機能を有する限り、仏教もキリスト教も等価だとみなす。科学も擬似科学(そのようなレッテルを貼られた知識体系)も、社会で同一の機能を有している場合、社会学的には当価となる。また、どんな宗教であれ、形式的には(聖/俗)の区別をもつ。個々の宗教に対して、その形式や機能がメタと呼ばれるものとなる。

[merca:"メタという観察形態" (2007/12/09) on 社会学玄論]
従って、「サンプル1個のメタな論」なんて意味なし。

にもかかわらず、"merca論宅"氏が「サンプル1個のメタな論」を展開する。何故だろうか?

もちろん、高見に立って、ターゲットとした疑似科学批判論者に対して、自動的に勝利するため。他に理由は考えられない。

というのは、もし本当に「merca:"メタという観察形態"」で"merca論宅"氏自らが説明したようなメタ論をやっているのなら、次のような論は出てくるはずがないからだ:
科学を絶対視する点においては、疑似科学もそれを批判する者も同じ観察点にいる。この盲点に自覚的な論客は少ない。多くの疑似科学批判論者は、疑似科学批判の背景には、科学が成熟社会=後期近代社会のイデオロギーとして機能しているという社会学的真理があることを理解していない。言い換えれば、自己の理論の前提に盲目なのである。学問的には、このままでは、目くそ鼻くそを笑う域をでない。

[疑似科学批判が流行る理由 (2007/08/17) on 社会学玄論]

何故かと言うと、
科学とニセ科学を機能的に等価だと見なす社会学的観察も一つの相対的な観察にしかすぎない...

[merca:"メタという観察形態" (2007/12/09) on 社会学玄論]
からだ。当然、別の観点、すなわち「ニセ科学とニセ科学批判の戦場」視点では、別の観察が成り立つ。

「社会学的観察も一つの相対的な観察」に立てば、「疑似科学批判の背景には、科学が成熟社会=後期近代社会のイデオロギーとして機能しているという社会学的真理」があると"merca論宅"氏は言っている。しかし、それが「ニセ科学とニセ科学批判の戦場」視点において、通用するはずはない。視点が違うのだから。

にもかかわらず、"merca論宅"氏は「学問的には、このままでは、目くそ鼻くそを笑う域をでない。」と言う。そんなことが言える理由は、「メタな観察ではなく、高見に立っているから」

posted by Kumicit at 2008/01/16 01:27 | Comment(4) | TrackBack(1) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>Dr. Michael Dentonは有名な反進化論屋であり、そのあまりの説得力に、「自然選択と種形成が創造論の一部」になってしまったり、反進化論者が「小進化はありだが大進化はない」と言ってみたりという状況をつくりだした。

彼の本読んでないんですいませんが、
どうしてどのようにして信者に対し説得力があったのでしょうか?ノアの方舟に入る数で譲歩したことがあるとは聞いていますが。
Posted by 匿名希望 at 2008/01/16 23:02
 はじめまして。丁寧な分析ありがとうございます。さすがに呆れ果てたので、
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7467
を書きました。トラックバックに失敗したので、コメント欄にURLを書いておきます。
Posted by apj at 2008/01/17 02:21
apjさんこんにちは

たいがいのブログからのTBは「言及リンク」があれば受信するのですが、movable typeとかはseesaaやmeblogの使っているエンジンと仲が悪いのかもしれません。あるいはたまたまかも...

それはさておき、"merca論宅"氏はこれまでの行動パターンを踏襲して、「標的不詳」「メタ視点で上位に立って自動勝利」という形で、反応してますね。
http://mercamun.exblog.jp/7949157/
「これまでのメタ論も、言い返せないのでメタで勝ったつもりになっていた」ことの証拠となる、とてもよいエントリです。
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2008/01/17 23:30
匿名希望さん

こっちのエントリへのコメントですね?
http://transact.seesaa.net/article/33995317.html

Kumicitが日本語版を読んでもふーんで終わるのですが、反進化論者たちにはとっても説得力があったようです。
==> http://home.planet.nl/~gkorthof/kortho18.htm

インテリジェントデザインの父たる法学者Phillip Johnsonも、とっても気に入って、インテリジェントデザインを立ち上げた本"Darwin on trial"の記述のなかばは、Denton本のパクリ。
==>http://home.planet.nl/~gkorthof/kortho19.htm

このあたりはKumicitが書くよりも、てなれたGert Korthof氏のreviewを見ていただく方がいいでしょう。
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2008/01/17 23:39
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負けたと思うまで
Excerpt: 先日のエントリーで社会学玄論の論宅氏の主張を視てきたわけだが、またしても脱力モノの壮絶なオチの予感が兆してきた。先日お相手してくださったapj さんのブログのコメント欄で紹介されたKumicit さん..
Weblog: 黒猫亭日乗
Tracked: 2008-01-17 16:48