ビジネスセミナーの百匹目の猿
船井幸雄 「百匹目の猿」1996
まえがきを見ると、
その頃は二十匹の猿しか幸島にはいなかったのです。.....一九五三年のある日、一歳半のメス猿が泥を川の水で洗い流してから食べはじめたのです。......一九五七年には、二十匹中十五匹がイモを川の水で洗って食べるようになりました。ところがおもしろいことに、十二歳以上のオス猿は、イモ洗いが群れに定着して十年たっても、イモ洗いをしなかったのです。...... そうしてあるとき、大分県の高崎山の猿たちの中にも水でイモを洗う猿たちがいるのが見つかりました。
とある。巧妙にファクトベースで書き始めておいて、この後に、一気にシェルドレイクの形態場へと飛躍していく。
ただ、この船井版がそのまま世の中に流布されているのであれば、少なくとも「幸島の群れの中に一気に広まった」とか「高崎山やその他の群れに一気に広まった」という話は消えているはずなのだ。ところが実際には残っている。ということは、船井幸雄「百匹目の猿」を実際に読んだ人は少ないということになる。
この後、ビジネス系のセミナーでこのネタが使われるようになったようだ。ただ、必ずしも船井版百匹の猿をそのまま語るというわけではなく、時には大きく隔たったパターンも出現する。
「あなたに全ての良き事が雪崩のごとく起きます!! 」というブログによれば、
これは、ある動物園で実際に実験した話である。
サルの集団に、エサを与えた。一つは「加工食品」一つは「砂まみれのイモ」。
当然、サル達は「加工食品」に群がった。
しかし、「砂まみれのイモ」は誰も食べなかった。
数日が経ち、ある一匹の子ザルがその「イモ」を川までもって行き、洗って食べた。
そして、その方法を仲の良い仲間の子ザルたちへ教えた。
数日後、調査すると、「イモ」を洗って食べる習慣が備わっているのは、最初の子サルと伝わった子ザル達とその親達だった。数えてみるとちょうど100匹目だった。
またまた数日が経ち、101匹目のサルがこの方法を学んだ・・・。数日後、その集団全てがこの習慣を身につけていた。
いうまったく違う舞台設定の話が存在しているようだ。というより、「ただのうろ覚え」を「創作」で補ったというところか。それにしても「数日後」とは速すぎ。
ケン・キース・ジュニア「百番目のサル」1984
松本茂樹, 尾崎真吾 [ケン・キース・ジュニア原作]「100ばんめのサル」1987
国際平和年記念作品「100ばんめのサル」 [シネマ・ワーク/東京メディアコネクションズ] 1986 [アニメーション+ドキュメンタリー 20分]
反核運動における百匹目の猿はケン・キース・ジュニアの「百番目の猿」に始まる。原文は1982年に出版されている。これを受けて、日本でも1986年には「100ばんめのサル」という反核アニメ&ドキュメンタリーが製作された。[つ:はKumicitの注釈]
日本の南の国、幸島に住むサルたちはいつもサツマイモの奪い合いをしています[つ:それは高崎山でしょう]。ケンカの後のイモは砂だらけ[つ:もともと砂地なので、はじめから砂がついてます]。ジャリジャリしておいしくありません[つ:手で払い落とすでしょう]。ある時イモを海へ落してしまいますが[つ:はじめは淡水]、拾ってみると砂がとれ、塩味もついておいしくなっていました。これ以来、若いサルたちは必ずエサを洗って食べるようになります[つ:洗わない若ザルもいた]。
この発見は次第にサルの間に広まり、初めは知らんぷりしていたボスザルや年寄りのサルもイモ洗いに参加[つ:参加してません]。そしてついに百番目のサルがイモを洗うことを覚えた時、とても不思議なことが起こりました。
なんと海を越えた他の島のサルたちも、一斉にエサを洗うようになったのです[つ:事実無根です]。
今、地球には生き物全てを一瞬に焼き尽くすほどの核爆弾がありますが、それをなくして、戦争や核の恐怖のない平和な暮しができないものでしょうか。
私たち人間もサルたちのように、新しい発見を世界に広げ、海を越えて平和を願う心を広げていけるのではないでしょうか。戦争や飢えや差別をなくし、人々が愛し合える日がくるよう、手をつなぎたいものです。
この映画が製作された1986年には、Ron AmundsonがLyall Watsonを論破し、Lyall Watsonは、メタファーだったという言い訳をしている。ウソ確定の直前くらいに公開されたことになる。
この映画をもののついでに批判していた「はりせんかまし:2000年問題を笑い飛ばす」も見事にめちゃくちゃ... [つ:はKumicitの注釈]
そんな馬鹿な、と思っていたところこの「100匹目のサル」という現象は、ライアル=ワトソンの「生命潮流」という本に書かれていたものだと判明した。私は日本人だからワトソンの論がすぐさま嘘であると分かった。最初に海水でイモを洗ったサルの名前が「イモ」という事からして十分に作り話っぽい[つ:もとは数字で呼ばれていたが、あとから名前が付け直された。"イモ"は"イモ洗い先生"から]。で、これが本州の高崎山のサルに突然(集合無意識を通じて)広まったという話。サルで有名な高崎山は実際は九州にあるという間違い[つ: 原文は"mainland"すなわち"本土"。これはWatsonではなく訳者の間違い]を外国人ならやむを得ないものとしてもだ。サルたちはどうやって海までイモを持って走るんだ[つ:走ったかどうか不明だが、海まで持っていってます]。誰か見た人います?
更に、この現象を論文に書いた人が河合隼夫[つ:雅雄です]ですって。確かにユング派精神分析医だけど。京大のサル学は世界的に有名だけど。
「生命潮流―来たるべきものの予感」1980
船井幸雄 「百匹目の猿」1996
ケン・キース・ジュニア「百番目のサル」1984
どれもほとんど読まれていないのかもしれない。
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