2008/03/26

「いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ」なわけないでしょ

池田信夫氏がさらりと間違ったことを書いている[via 進化論と創造論についての第1掲示板]ので、指摘しておく。

間違ってる部分は、エントリの本論とは無関係に記述されたところ:
では、なぜスミスは人々が「よい均衡」を選ぶと信じたのだろうか? その答は、おそらく本書が言及していない理神論にあると思われる。これは神を人格的な存在と考えず、世界の秩序そのものが神の具現化だと考える教義で、ニュートンがその影響を受けていたことはよく知られている。彼の発見した古典力学の完璧な規則性は、まさに神の存在証明ともいえるものだった(いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ)。

[池田信夫: "「見えざる手」は誰の手か" (2008/03/24)]
間違っている点は以下の2点:

  • Newtonは確かに理神論の影響を受けているが、理神論とは違う立場にあった(神の介入を主張する点で)
  • インテリジェントデザインは理神論と敵対する(神の介入の有無について)


本論と無関係なところに間違いを書いて、わざわざ信憑性を落とすこともないと思うのだが...


それはさておき、Newtonが理神論と違った立場にあり、インテリジェントデザインが理神論と敵対する立場であることを示しておこう。


理神論は神の介入を認めない

理神論は「宇宙創造後に神が宇宙に介入することはない」と考える:
[wikipedia: Deism]

Deists typically reject supernatural events (prophecy, miracles) and tend to assert that God does not intervene with the affairs of human life and the laws of the universe.

[wikipedia: 理神論]

理神論は、一般に創造者としての神は認めるが、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。
この定義について、インテリジェントデザインのような反理神論の立場からの異論はない[後述]。


Sir Isaac Newtonの考えは理神論に近いが、理神論ではない

「宗教と科学」などの研究者である芦名定道氏は次のように指摘する:
@これまでいわば定説的な扱いがなされてきた「理論論者・二元論者ニュートン」という見解は、ニュートン理解としてはあまりにも不十分であり、むしろ我々は神と世界との積極的な関係性(絶対的な支配者・主としての神と僕としての被造物)をめぐるニュートンの議論にこそ注目しなければならない。

[芦名定道: "現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学" --W 現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学]
また保守系宗教学術誌First Thingに掲載された記事でAvery Cardinal Dullesも、神の介入を求める点で、Newtonの考えが理神論と違うことを主張している:
Shortly after its invention by Lord Herbert, deism received indirect support from the physics of Isaac Newton (1642-1727) and the philosophy of John Locke (1632-1704). The physical world, according to Newton, was explicable in terms of “insurmountable and uniform natural laws” that could be discovered by observation and formulated mathematically. By mastering these laws human reason could explain cosmic events that had previously been ascribed to divine intervention. The beauty and variety of the system, Newton believed, was irrefutable evidence that it had been designed and produced by an intelligent and powerful Creator. Close though he was to deism, Newton differed from the strict deists insofar as he invoked God as a special physical cause to keep the planets in stable orbits. He believed in biblical prophecies, but rejected the doctrines of the Trinity and Incarnation as irrational.

Herbert卿によって発明されてすぐに、理神論はIsaac Newtonの物理学とJohn Lockeの哲学から、間接的な支持を受けた。物理世界はNewtonによれば、逸脱できない一定の自然法則の言葉で説明可能であり、その自然法則は観測と数学的な定式化により発見可能である。これらの法則を理解できたなら、人間の理性は、かつて神の介入として記述された宇宙の現象を説明できるようになる。Newtonの信じた体系の美しさと多様さは、インテリジェントでパワフルな創造主によってデザインされ、創造されたことの論破できない証拠だった。Newtonは惑星軌道の安定性の特別な物理的原因として神を召還するという点で、厳密には理神論者とは違う。彼は聖書の預言を信じたが、三位一体と復活を非理性的として否定した。

[Avery Cardinal Dulles:"The Deist Minimum", 2005 First Things (January 2005)]
実際、Avery Cardinal Dullesの言うように、Newtonは神による創造後の宇宙への介入の証拠を求めた。


Sir Isaac Newtonは神の介入の証明を求めた

機械論の隙間に神を見出そうとして、機械論の性質そのものによって失敗する。それでも神を求めたのがSir Isaac Newtonである。
宇宙が完全に機械化されているのならば、神の振舞う余地などないのではないかという憂慮を誰よりも強く抱いたのは、ニュートンである。
...
彼の主意主義神学では、自然の出来事を機械的な結果としても神の意思としても説明できたので、神の介入を最もよく実証するのはどんな出来事なのかを決定しなければならなかった。最も派手な証拠があるとすれば、それは通常のから著しくかけ離れた異常な現象からのものだろう。だが主意主義哲学に基づけば、異常な出来事さえ神の制定した機構から生じるものとして考えることができた。もしその異常な出来事に対してあるメカニズムが特定されるとすれば、神の振舞いについて言及するには及ばない、と懐疑主義者が難癖をつけないだろうか。

[J.H. ブルック「科学と宗教」(p.161)]
機械論で記述されたら、それは神の奇跡すなわち神の介入ではなく、神の予見となる。神の存在を否定するものではないが、神の介入を肯定できなくなる。
創造以後も神が活動していることを肯定するために、さらになる証拠が必要とされたのは明らかである。ニュートンは恒星の安定性にそれを見出した。無限の宇宙においてさえ恒星の運動が予測されるのは、それぞれの恒星に作用している重力が皆無であるとは考えられないからだ。恒星が互いに衝突せずにいられるのは何ゆえか、という問いに対するニュートンの答えこそ、神の摂理なのであった。しかし、ここでも曖昧さが生じた。それは神自らが恒星を適所で支えているからなのか、それとも、お互いに作用する力を無視しうるほど遠く離れたところに恒星を配置した神の先見の明ゆえなのか?
..
しかし、この問題は創造の時点ですでに片がついていたのかもしれないというニュートンの推測は、神が定常的に関与しているとする論拠を弱めることになった。(p.163)

そして、太陽系の安定性に神の摂理を見出そうとするのだが...
太陽系が長期にわたって安定を保つには、神の摂理という安全装置が必要なのだ、さもないと惑星は軌道を外れるか、太陽と衝突してしまうだろう。果たして摂理はどんな備えをしたのだろうか。同じジレンマが残った。この建て直しは直接的な命令によるのか、それとも神性な仕組みによるものか。もしその効果が目に見えるものであるなら、直接的な命令のほうがずっと壮観なはずだ。しかし、トマス・バーネットへの書簡において、ニュートンはこう述べた。「自然因が手近にあれば、神はそれを道具として用いられることでしょう。」そして、彗星こそがそのような手近な自然因であるとニュートンは信じていた。皮肉なのは、ある自然因が見つかるや、徹底した自然主義の立場をとる人々が摂理を不要とする論議を展開しだしたことだ。(p.164)
機械論の内側にいる限り、自然法則を使って神が介入したのか、自然法則に従った自然現象なのか識別がつかない。

そして、Sir Isaac Newtonの死後に:
18世紀末には新たなアイロニーが生まれる。フランスの数学者、ラプラスとラグランジュによって、惑星起動に生じる不規則は惑星自体が矯正することが示された。だからといって、宇宙が設計の所産でないとはならなかったが、誤りを免れない科学に宗教的弁明をもち込むとどんな失態が起こるかを赤裸々に露見したのである。(p.165)
神の介入を証明しようとして、機械論の中で何かを示そうとする。しかし、機械論で説明できれば神は存在は否定されないが、その現象は神の予見の範疇に入り、神の介入ではなくなる。


なお、惑星軌道へ神の介入を主張したNewtonの記述はこれ:
"...the motions which the planets now have could not spring from any natural cause alone, but were impressed by an intelligent agent ... To make such a system with all its motions, required a cause which understood and compared together the quantities of matter in the several bodies of the sun and the planets, and the gravitating powers resulting from thence; the several distances of the primary planets from the sun, and of the secondary ones from Saturn, Jupiter and the earth, and the velocities with which those planets could revolve about those quantities of matter in the central bodies; and to compare and adjust all these things together in so great a variety of bodies, argues that cause to be not blind and fortuitous, but very well skilled in mechanics and geometry."

惑星の運動は今や、自然因のみで動くのではなく、インテリジェントエージェントの影響を受ける。すべての天体の運動を含むシステムを創るには、太陽や惑星など多くの天体の質量や、これによって生じる重力とともに、理解し比較する必要がある原因を必要とする。太陽からの主要惑星の距離、土星や木星や地球の衛星の距離や、中心質量のまわりを巡る速度。これらをすべての多様な天体をまとめて比較し調整するためには、盲目や偶然ではなく、機械と幾何に熟達していることを論じる」

[Letter from Isaac Newton to Dr. Richard Bentley]




インテリジェントデザイン支持者は理神論を拒否する

インテリジェントデザインの本山たるCenter for Science and Culture, Discovery Instituteセンター長であるStephen Meyerは理神論の説明力が有神論に対して劣ると言う:
Admittedly, theism, naturalism, and pantheism are not the only world-views that can be offered as metaphysical explanations for the three classes of evidences. Deism, like theism, for example, can explain the cosmological singularity and the anthropic fine-tuning. Like theism, deism conceives of God as both a transcendent and intelligent Creator. Nevertheless, deism denies that God has continued to participate in His Creation, either as a sustaining presence or an actor within Creation after the origin of the universe. Thus, deism would have difficulty accounting for any evidence of discrete acts of design or creation during the history of the cosmos (that is, after the Big Bang). Yet precisely such evidence now exists in the biological realm.

3つの種類の証拠についての形而上学的説明として提案可能な世界観はもちろん、有神論・自然主義・汎神論だけではない。たとえば、理神論は有神論と同じく、宇宙論的特異性と人間原理的なファインチューニングを説明できる。有神論と同じく理神論は、神を超越的かつインテリジェントな創造者と考える。しかしながら、理神論は神が宇宙の誕生の後に存在し続けたり、創造に役割を演じたりするなど、その創造に関与し続けることを否定する。従って、理神論は、ビッグバン後の宇宙の歴史において、明確にデザインをしたり創造したりしたといういかなる証拠も説明できないという難点がある。そして、そのような証拠はいまや生物学の領域に存在する。

[Stephen C. Meyer: The Return of the God Hypothesis, 1999]
Meyerは理神論よりも有神論が優れた説明力がある理由を、理神論が、"宇宙誕生後に神がデザインをした"という証拠が見つかると、それを説明できないからだという。もちろん、それは正しい。理神論は「宇宙創造後に神は宇宙に関与しない」という考え方だからだ。


インテリジェントデザインは神の介入を主張する


インテリジェントデザインの定義は以下のとおりで、インテリジェントな原因を主張している:
The theory of intelligent design holds that certain features of the universe and of living things are best explained by an intelligent cause, not an undirected process such as natural selection.

インテリジェントデザイン理論は宇宙や生物のある特徴は"自然淘汰のような指導されない過程"ではなく、インテリジェントな原因が最もよく説明できる

[Top Questions on Discovery Institute}
これは超自然の介入を主張するものである。もともとインテリジェントデザイン支持者たちは、超自然を排除する科学の原則たる方法論的自然主義を拒絶している:
Logicians have names for this, circular reasoning and begging the question being among them. The view that science must be restricted solely to purposeless, naturalistic, material processes also has a name. It's called methodological naturalism. So long as methodological naturalism sets the ground rules for how the game of science is to be played, IDT has no chance Hades. Phillip Johnson makes this point eloquently. So does Alvin Plantinga. In his work on methodological naturalism Plantinga remarks that if one accepts methodological naturalism, then Darwinism is the only game in town.

論理学者これに循環論法と名づけている。それは論点をたくみに避けるものである。科学が目的なき自然主義的かつ唯物論過程だけに限られるという見方にも名前がある。それは方法論的自然主義と呼ばれる。方法論的自然主義が科学のゲームの方法についてのグランドルールを定める限り、インテリジェントデザイン理論は日の目を見ない。 Phillip Johnsonはこれを雄弁に証明している。そして、Alvin Plantingaも。Plantingaは自著「方法論的自然主義」で、もし方法論的自然主義を認めれば、ゲームをプレイできるのはダーウィニズムだけになると述べている。

[William A. Dembski: "What Every Theologian Should Know about Creation, Evolution, and Design" (1996)]
公立学校の理科教育への侵入のため、明示的な方法論的自然主義否定を引っ込めていた頃もあった[ie Behe 2006]ようだが、その後は反転している[ie Chadwell, 2006, Plantinga, 2006]もよう。

そして、その超自然は初期値や自然法則として実装されるフロント・ローディングではない。
The impulse to front-load design is deistic, and I expect any theories about front-loaded design to be just as successful as deism was historically, which always served as an unsatisfactory halfway house between theism (with its informationally open universe) and naturalism (which insists the universe remain informationally closed). There are no good reasons to require that the design of the universe must be front-loaded.

フロントロードされたデザインの衝動は理神論的であり、フロントロードされtらデザインについての理論は理神論と同じく歴史的には成功したが、それは常に、有神論(情報的に開いた宇宙)と無神論(情報的に閉じた宇宙)の不満足な中間でしかなかった。デザインがフロントロードされたはずだ要求する、適切な論理はない。
....

To be committed to front-loaded design means that all these body-plans that first appeared in the Cambrian were in fact already built in at the Big Bang (or whenever that information was front-loaded), ...

フロントロードされたデザインを認めることは、カンブリア紀に出現したボディプランがすべて、ビッグバンの時点(あるいはいつにせよ情報がフロントロードされた時点)で構築済みだということを意味する。...

[William A. Dembski: "Intelligent Design Coming Clean" (2000/11/17)
インテリジェントデザインはあくまでも神の介入についての主張である。それは、もちろん理神論と敵対する立場である。






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タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/03/26 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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