2005/11/18

インテリジェントデザイン〜有神論的リアリズム

エントリ「インテリジェント・デザインの強硬派 Phillip E. Johnson」で紹介したPhillip E. Johnsonの提唱する有神論的リアリズム。これはどう見ても、キリスト教。


有神論的自然主義とは

有神論的進化論(Theistic Evolution)では「大進化は、すべての生物は進化過程(ネオダーウィニズムを含む)により出現できるように神が定数や自然法則を定めたことによる。進化は神が人間を創るために使った。」と考える[page]。
これを宇宙論に対して語ると「有神論的自然主義」と呼ばれるようになるらしい。

インテリジェントデザインの提唱者であるPhillip E. Johnsonは、"WHAT IS DARWINISM?"において、次のように「有神論的自然主義」を攻撃している。

Yet the same reasoning that makes Darwinism inevitable also bans God from taking any action within the history of the Cosmos, which makes theism illusory. Theistic naturalism is self-contradictory.

ダーウィニズムを必然としたのと同じ論理により、神は宇宙の歴史においていかなる行動もとれなくなり、有神論を非月的なものにしていします。 有神論的自然主義は自己矛盾だ。

Some hope to avoid the contradiction by asserting that naturalism rules only within the realm of science, and that there is a separate realm called "religion" in which theism can flourish. The problem with this, as we have already seen, is that in a naturalistic culture scientific conclusions are considered to be knowledge, or even fact. What is outside of fact is fantasy, or at best subjective belief. Theists who accommodate scientific naturalism therefore may never affirm that their God is real in the same sense that evolution is real. This rule is essential to the entire naturalistic mindset that produced Darwinism in the first place.

ある者たちは、自然主義が科学の分野でのみ機能し、有神論が活躍する「宗教」と呼ばれる別の分野があると断言することで、矛盾を避けようとしている。これの問題は、これまで見てきたように、自然主義的な文化では、科学的結論が知識、または事実であると考えられるということだ。事実でないものは幻想であるか、よくて主観的な信念とされる。したがって、科学的自然主義に対応する有神論者は、進化が本当であるというのと同じ意味で、神が本当であるとは決して確信できるはずがない。これは、第一にダーウィニズムを生み出した自然主義的な考え方に不可欠なものだ。


有神論的リアリズム
有神論的自然主義に対抗するものとしてPhillip E. Johnsonは「有神論的リアリズム(Theistic Realism)」を提唱した。

有神論的リアリズムは、神が実在し、宇宙において行動し、感覚と論理によって存在を知りうるという哲学であり、有神論的リアリズムは哲学的な自然主義とフィデイズムの間に位置する。哲学的な自然主義は、宇宙を閉じた形で説明できると考えるが、有神論のリアリズムは、神を含めないと説明できないと考える[Reference.Com]。

これは、進歩的創造論(Progressive Creationism)、古い地球の創造論(OEC)、若い地球の創造論(YEC)をカバーし、有神論的進化論(Theistic Evolution)や理神論(Deism)と対立する考え方。普通、こういう考え方は「宗教」に分類される。

Phillip E. Johnsonは有神論的リアリズムを提唱した自著"Reason in the Balance"において、ちゃんと宗教色の濃い記述をしている[bloggentray]。


Because in our universal experience unintelligent material processes do not create life, Christian theists know that Romans 1:20 is also true: “Ever since the creation of the world [God’s] eternal power and divine nature, invisible though they are, have been understood and seen through the things that are made.” In other words, there is absolutely no mystery about why living organisms appear to be the products of intelligent creation, and why scientific naturalists have to work so hard to keep themselves from perceiving the obvious. The reason living things give that appearance is that they actually are what they appear to be, and this fact is evident to all who do not cloud their minds with naturalistic philosophy or some comparable drug. The rest of the passage (Romans 1:20-23) is also true: “So they are without excuse; for though they knew God, they did not honor him as God or give thanks to him, but they became futile in their thinking, and their senseless minds were darkened. Claiming to be wise, they became fools; and they exchanged the glory of the immortal God for images resembling a mortal human being or birds or four-footed animals or reptiles.” What these words plainly mean is that those who turn away from God and toward naturalistic philosophy give up their minds in the process and end up endorsing sophisticated nonsense and nature worship. (p.108)

普遍的な経験から我々は知性なき物質過程が生命を創造しないことがわかっているので、キリスト教有神論者はローマ人への手紙1章20節も本当であることを知っている。「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、」
言い換えるなら、何故、生物が知的創造の産物であることが明らかなのか、そして何故、科学的自然主義者が明らかなことを認識しないように全力を挙げているのかは、謎ではない。生物の外観がそうである理由は、かくあるべきだからであり、自然主義哲学やそれと同等の薬物によって心が曇っていないかいぎり、この事実は誰にとっても明らかだ。
「彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」
これらの言葉が明らかに意味することは、神に顔を背け、自然主義的哲学に向かう者は、知性を捨て、洗練されたナンセンスと自然崇拝となって終わるのだ。
(聖書「ローマ人への手紙」の訳は福音総合研究所の訳を使用)


最小の有神論的リアリズム
そして、この有神論的リアリズムのぎりぎりまで切り詰めて、教育の場へと持ち込もうというのが最小の有神論的リアリズム(Minimal theistic realism)だ。[Theistic realism (in Reference.com)]によれば、この最小の有神論的リアリズムとは
In God and Realism, Peter Byrne calls for "minimal theistic realism." According to Byrne, a minimal theistic realism does not address the issue of the existence of God. Instead,
"A minimal theistic realism ... is any interpretation of theism which holds that the governing intent of core theistic concepts is (or ought to be) to refer to a reality which is epistemically independent of human beings, ontologically distinct from them and transcendent" (p. 16).

"God and Realism"で、Peter Byrneは"最小の有神論的リアリズム"を呼び出す。Byrneによれば、最小の有神論的リアリズムは神の存在の問題に触れない。かわりに「最小の有神論的リアリズムは....認識の上で人間に依存せず、存在論的にそれらと別個の、超越的な本質に触れる(触れるべき)有神論の中心的概念の支配的意味を保つ有神論の解釈だ。」

To Byrne, this God need not be personal. Instead, he defines the Theos as "a moral and providential causality which transcends both the forces inherent in nature and the power in human action to promote the good and fight against evil" (p. 18).
Thus, to Byrne, the issue is not whether the language of belief successfully refers to a God or whether believers have epistemic access to God, but whether believers intend their concepts to refer to some providential and causal reality with transcends human beings.

Byrneにとって、この神は人格を必要としない。代わりに彼は神智学を「自然に本来備わっている力と善を促進し悪と戦う人間の行動を超越した道徳的かつ摂理的因果律」と定義する(p.18)。
従って、Byrneにとって、信仰の言葉が神にうまく言及できるか否かや、信仰者が認識の上で神とつながっているかは問題ではなく、信仰者が彼らの概念を、人間を超越した摂理的かつ因果律的な本質に触れるようにできるかどうかが問題なのだ。
[引用元はPeter Byrne: "God and Realism",2003]

最小限の有神論的リアリズムとは、「神の存在に言及しないが、その本質ははずさない」ものだという。これすなわち、インテリジェント・デザイン。

ID simply does not address the specifics of creation—the why and who—
IDは単純に、創造の理由は示しても誰が創造したかを示しません。[Harris and Calvert 2003]
posted by Kumicit at 2005/11/18 23:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | DiscoveryInstitute | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここの、ブログは、私の能力では、追いつけないので、あまりコメントしませんが気になっている事が、一つだけありました。中世のキリスト教が、ローマ人への手紙等の箇所から、自然崇拝者を邪教崇拝として魔女狩りして来た歴史は知られている通りですが、今の現代はすでに知的レベルに於いてはキリスト教は、地球上あらゆる場所に行き渡ってしまった時代であり、それでも滅びていない宗教は全て、正しいものであり、カトリック教会が、他の宗教は、全て尊重しますと言った通り、存在しないものを尊重する事は出来ないので自然神も又当然尊重されるもので、正しいと信じています。後はそれらが、どの位置に適しているか科学的にも分析されていくべき時代が来るのだと思います。その発端の方が、エリザベート皇妃であると結論的に考えています。
Posted by のぞきみさん at 2005/11/19 22:42
ローマカトリックは科学と敵対するつもりはないように見えます。1996年のヨハネパウロ2世の声明を待つまでもなく、既に20世紀前半に進化論の敵視もやめています。これに対して、インテリジェントデザイン運動や、YEC(若い地球の創造論)などは、バチカンの支配権が及ばないプロテスタント系の動きです。

バチカンが科学との整合性を重視し、結果として理神論(自然神)を容認したとしても、それとインテリジェントデザインのような運動は無関係です。

Posted by Kumicit 管理者コメント at 2005/11/20 11:08
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