2005/11/23

インテリジェント・デザインを間接的に支援する?CATO Institute

CATO Instituteは米国の保守系シンクタンクだ。Policy Scholar, Adjunct Scholer, Fellowといった3つの立場のメンバーから構成されており、理系のメンバーは多くないようだ。

このCATO Instituteは一貫して、「教育の民営化・自由選択」を唱えている。そして少なくとも2005年初めからのCAT InstituteのWebに掲載される記事では、「教育の民営化・自由選択」の名の下に、創造論やインテリジェントデザインを教える学校があってもよいという主張を続けている。

一見、「進化論 vs 創造論」の戦いに対して第三者的な立場でモノを言っているように思えるが、おそらくそうではない。英文上でも創造論よりの立場が見える("defenders of Darwinian dogmas"なんて表現は、中立なら使うとは思えない)。

温暖化議論に必ず噛み付くジャンクマン・ミロイもこのCATO InstituteのAdjunct Scholarだが、彼はインテリジェントデザインは宗教だと言っている(Junkscience.comの記事)。メンバーにより意見は違うのかもしれない。

しかし、CATO Institute全体としては、インテリジェント・デザイン(あるいはもっと過激に創造論も含む)を、教育の選択の自由の名の下に、教育の場に迎え入れようという主張をしているようだ。

以下はCATO Instituteの主張。

2005年1月21日 Neal McCluskeyの記事

Neal McCluskeyはCATO Instituteの
教育政策アナリストで教育の自由化を立ち位置としている。米陸軍、高校英語教師、教育関連フリーランスレポーターなど特に目立つ経歴ではない。
彼は「進化論争を民営化せよ(Privatize the Evolution Battle)」という記事で
Thankfully, there is a way for all parents -- the phonics crowd, whole language enthusiasts, creationists, defenders of Darwinian dogmas, etc. -- to get their way: privatization. If governments were to let parents choose their children's schools, then fights over educational standards would disappear, becoming matters of consumer choice, not political power.

幸いにも、フォニックス[訳注: つづり字と発音との関係を重視した教授法]群衆、多言語狂、創造論者、ダーウィン協議の守護者など、あらゆる親たちに、自らの意志を通すための方法がある。それは民営化だ。政府が親に子供の通う学校を選ばせるなら、教育の基準をめぐる戦いは消えうせ、消費者の選択となり、政治問題ではなくなる。

と書いている。親の選択にゆだねるという形で、望めば、創造論すらも学校で教育してもよいという主張をしている。この時点では、インテリジェント・デザインという言葉は使っていない。

2005年7月11日 David Boazの記事

David BoazはCATO InstituteのExecutive Vice Presidentである。担当分野は国内政策で、教育の選択、ドラッグ合法化、政府の成長、リバタリアニズムなどの問題扱う。
彼は「不自然な選択(Unnatural Selection)」という記事で、

Lots of Tennesseans wanted their children taught the Biblical story of creation. But there were others, probably a minority, who wanted their children to learn the scientific consensus in biology class. Because the school system was a state monopoly, they couldn't both get what they wanted.

多くのテネシーの親たちは子供に聖書の創造の話を教えてもらいたかった。しかし、他の親は、おそらく少数派だろうが、子供たちに科学のコンセンサスを生物の時間に教えてもらいたかった。しかし、学校制度は州独占であるため、いずれも望みは果たされなかった。
...

In those cases and others across the country, school officials and parents disagree about what's best. Who decides? Under our current system, the school board or the legislature makes a decision for the whole district or state. Under a system of school choice, parents could choose the school that best fit their child's needs -- with or without school uniforms, with or without school prayer, teaching evolution or creation, and so on. We'd have no more trials of teachers, and fewer dissatisfied parents.

それらのケースやその他の米国中で、学校の職員と両親は何が最善かについて意見が一致しない。では誰が決めるのか?現在の米国の制度では、教育委員会か立法府がその地域あるいは州全体について決定する。しかし、学校が選択できる制度のものとでは、親は制服の有無、学校の祈りの時間があるか否か、進化論を教えるのか創造論を教えるのかなどについて、子供必要性に最もあった学校を選べる。そうすれば、教師を裁判にかけることもなくなり、不満な親もほとんどいなくなるだろう。
と書いている。選択の自由の名の下に、創造論も教育できるようにしようという主張が繰り返されている。

この2つの記事が、2005年8月3日の無署名記事2005年9月27日の無償名記事で再掲されている。CATO Instituteの公式な考え方と言ってよいのかもしれない。

FoxNews 2005年11月18日の記事

Andrew J. CoulsonはCATO Instituteの教育の自由化センター長である。
彼のFoxNews掲載の記事「何故インテリジェントデザインと戦うのか(Why Fight Over Intelligent Design?)」において、

Supporters of the theory of human origins known as "intelligent design" wantit taught alongside the theory of evolution. Opponents will do anything to keep it out of science classrooms. The disagreement is clear. But why does everyone assume that we must settle it through an ideological death-match in the town square?

「インテリジェント・なデザイン」として知られている人間の起源の理論の支持者は、それが進化論とともに学校で教えられることを望んでいます。反対派は、それが科学の授業に侵入シナ用にあらゆる手を尽くします。意見の相違は明白です。しかし、なぜ、誰でも我々が町の広場でイデオロギーののデスマッチを通してそれを解決しなければならないと考えるのでしょうか?

Intelligent design contends that life on Earth is too complex to have evolved naturally, and so must be the product of an unspecified intelligent designer. Most adherents of this idea would undoubtedly be happy just to have it taught to their own children, and most of my fellow evolutionists presumably believe they should have that right. So why are we fighting?

インテリジェント・デザインは、地球の生命が自然に進化するにはあまりにも複雑であり、従って不特定のインテリジェント・デザイナーの産物に違いないという主張です。このアイデアの支持者たちは、彼らの子供たちにこれが教えられれば満足です。そして私の同僚たちの進化論者も、おそらくはそのような権利があると信じています。では、なぜ、我々は戦っているのでしょうか?

.....

Fortunately, there is a way to end the cycle of educational violence: parental choice. Why not reorganize our schools so that parents can easily get the sort of education they value for their own children without having to force it on their neighbors?

幸いにも、教育における暴力のサイクルを終える方法があります:それは親の選択です。親が子供に受けさせたいという教育を子供に容易に受けさせ、かつ隣人に押し付けることないように学校を再編成しませんか?
と書いている。

英文からもCoulsonがインテリジェント・デザイン側に思い入れがあることが読み取れる。


posted by Kumicit at 2005/11/23 01:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID: General | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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