2009/05/15

まだまだDembski情報量保存則

インテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiはあいもかわらず、自家製の情報量保存則を掲げて進化ないと力説している。

==>LIFE’S CONSERVATION LAW

基本的には「遺伝的アルゴリズムが最適解を見つけるのかかるステップの期待値は、ランダム探索を超えない」という定理を使って、「遺伝的アルゴリズム」と「進化」のアナロジーにより、進化で情報が増えないという論となっている。

アナロジーが成り立っていないので机上の空論なのだが、そんなことはDr. William Dembskiはまったく気にしない。そんなDr. William DembskiにMark C. Chu-Carrollが丁寧にケリを入れている。

ただ、Dembskiの情報量保存則は"保存則"たりえていないという根本的問題があるので、結局、結末はこうなる:
So why is that not a "conservation of information" law?

何故、それが情報保存則でないのか?

Because there's no conserved quantity. In a real conservation law, you have a measured quantity that you start with, and throughout any series of actions or events, you can prove that that quantity never changes. For example, you can look at a physical system in a particular frame of reference and measure the total momentum in the system. Then throughout any series of interactions, you can show that the momentum never changes.

それは保存量がないからだ。本物の保存則では、最初に計測された物理量が、連続した運動あるいは事象を経ても変化しないことを示せる。たとえば、特定の座標系で、系の全運動量を測定する。いかなる相互作用を経ても、運動量が変化しないことを示せる。

In Dembski's system, can you measure the total information in the system? No. Can you show that the amount of information in the system is the same before and after a search? Not in any meaningful way, no. Can you look at a search function, and ask how much information it encodes from a particular landscape? Not in any meaningful way, no.

Dembskiの系では、系の全情報量を測定できるだろうか?ノーだ。探索前後で系の情報量が等しいことを示せるだろうか? 有意味な方法ではノーだ。探索関数を見て、特定のランドスケープがどれだけの情報量をエンコードしているか問えるだろうか? 有意味な方法ではノーだ。

[Mark C. Chu-Carroll:"Dembski Responds" (2009/05/11) on Good Math, Bad Math]
ちょっと遊んでみれば、"情報量"がイミフであることがわかる。たとえば...

  • 系には2人のDembskiに相当する元素が一様に漂っているとする。このときの情報量を0とする。
  • この材料を使って、硬直したDembskiを一人だけつる。このときの情報量をDembski本体100と位置・運動量・向き・角運動量の12の合計112とする。
  • もうひとり硬直状態のDembskiをつくる。

    1. この系の状態を記述するには、少なくとも2人目のDembskiの位置・運動量・向き・角運動量が必要なので、情報量124だろうか?
    2. それとも情報量100のDembskiが2人だから、情報量は200?
    3. 遺伝情報という意味では、同一のDembskiが2人いても情報量は100?


タグ:id理論
posted by Kumicit at 2009/05/15 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/01/15

神義論を語るUncommon DescentのSteve Fuller

インテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiと仲間たちのブログUncommon DescemtのSteve Fullerが、2009年1月20日から、Oxford Centre for Christianity and Cultureで自然神学についての連続講義をするらしい。そこでのネタをUncommon Descemtで少し語ってる。それによると、Steve Fullerは、神義論(神は慈悲深いのに、創造された世界にあるがある理由)を扱うらしい:
Here is a dialogue between a theodicist and a sceptic, 18th century style. We might today replace T with ‘ID theorist’ and S with ‘Darwinist’, at least if they’re speaking frankly.

以下は、神義論者と懐疑論者の18世紀スタイルの対話である。これは今日であれば、フランクに話しているとするなら、Tをインテリジェントデザイン理論家、Sをダーウィニストに置き換えられるだろう。
T: I see design in nature
私は自然界にデザインを見ている。

S: Oh yeah? How do you know that it’s not an illusion?
  それが、幻想でないとどうやって知ったのかな?

T: Well, because I’ve been designed to detect design and, more importantly, to design things myself. And nature looks like the sort of thing I could have designed if I were super-smart. Indeed, if I thought nature had no design, or was designed by an intelligence radically different in kind from my own, I wouldn’t bother to do science at all.

私がデザインを検出できるように、そしてもっと重要なことは、私自身がものをデザインできるように、デザインされているからだ。そして自然界は、私がもし超賢ければ、デザイン可能なように見える。実際、自然界にデザインがないか、自分自身とは異質なインテリジェンスによってデザインされたとしたら、私は科学などやらなかっただろう。

S: But unfortunately, things aren’t so well-designed, if you look closely. (And presumably that’s one of the things you’re doing, when you do science.) They could have been better designed, so maybe you’re just imagining the design after all - making the best of a bad situation through some psychological tricks you’re playing on yourself. This in turn would suggest that you’re not so well-designed either.

しかし、残念ながら、ものは、よくみれば、それほど良くはデザインされていない。科学するときに、おそらく、やっていることの一つであろう。もっと、うまくデザインできたかもしれないが、キミはキミ自身に対して心理学的トリックを仕掛けて、最悪状態の最善をつくり、結局はデザインをイメージする。これは、キミがうまくデザインされていないことを示唆している。

T: Hey, but who says that a well-designed world has to be well-designed in all its parts? It may be that the best possible world would be full of suboptimal parts that nevertheless, when put together, function better than any other possible combination would.

しかし、うまくデザインされた世界が、世界の全パーツがうまくデザインされているはずだと、誰が言ったか? いっしょにすれば、どんな可能か組み合わせよりも、うまく機能する部分最適なパーツで満ちている実現可能な最善の世界かもしれない。

S: Oh, and I suppose you believe that this is such a world?

では、キミはここがそのような世界と信じていると考えてよい?

T: I do - though this is not to say that we have quite figured out how all of nature fits together to constitute an intelligible whole. But then who says science has completed its inquiries? And even if you’re right that the world’s design could be better realized, could we not be the beings exactly created to get the job done?

私はそう考えている。ただし、いかにして自然界全体が知性によってのみ理解されるように構成されているかを、我々が描ききっているとは言わない。しかし、科学の問がすべて解決したわけではない。たとえ、キミが正しくて、世界がもっとうまくデザインできたかもしれないとしても、我々は世界をもっとうまくデザインするために創造された存在かもしれない。

[Steve Fuller: "ID and the Science of God: Part II" (2009/01/10) on Uncommon Descemt]
「いっしょにすれば、どんな可能か組み合わせよりも、うまく機能する部分最適なパーツで満ちている実現可能な最善の世界かもしれない」は、Leibnizの主張に近い。JH.ブルックによれば、Gottfried Wilhelm Leibniz (1646-1716)は、次のようなポジションをとっていた:
ライプニッツが喝破したように、神が自らの創造の欠陥を補修しなければならないとすれば、職人としての技量が問われるからである。(p.164)

ライプニッツの神学では、神の被造物があらゆる「可能な」世界のなかの最善であることが示されれば神を賛美する根拠になった。そのような世界はニュートン、ベントリー、クラークが頻りに説いた宇宙の建て直しを必要としないはずである。奇跡とはしかるべき恩寵を満たすことなのであり、二流の時計仕掛けを修繕することではないと、ライプニッツは主張した。(p.180)

ライプニッツは予定調和に訴えた。天体の運動が定まり、生物が創造された後に続いたのは「純粋に」自然で、「まったく」機械論的なことである。(p.181)

[J.H. ブルック:"科学と宗教"]
このポジションをとると、自然界への神による超自然的介入を排除してしまい、理神論と受け取られることがある。

Steve Fullerはこの後で、デザインの検出と、この世界が不完全である理由を次のように書いている:
In this dialogue, I am drawing attention to two crucial features of theodicy that are relevant to ID:

この対話は、私がインテリジェントデザインに関連する自然神学の重要な2つの特徴に注目するように書いたものある:

  1. Evidence for the intelligence behind nature’s intelligent design can be inferred from the nature of our own creative intelligence, which means examining how our own minds work.

    自然界のインテリジェントデザインの背後にインテリジェンスが存在する証拠は、我々自身の創造的インテリジェンスの性質から、すなわち我々の心がどう働くかを調べることによって、推論できる。

  2. There is no reason to think that if nature is intelligently designed, the design has been already fully realized - it may still be for us to discover and/or complete nature’s intelligent design.

    自然界がインテリジェントにデザインされているとするなら、デザインが完全に実現していると考える理由はない。我々にはまだ、自然界のインテリジェントデザインを発見し完成させる仕事が残っているかもしれない。


[Steve Fuller: "ID and the Science of God: Part II" (2009/01/10) on Uncommon Descemt]
Steve Fullerの神義論は、「世界は未完成であり、人間は世界を完成させるために創造されており、これから完全にしていく」というもののようだ。ただし、これだと、神による自然界への超自然的介入を排除しないにしても、積極的に肯定することにはならない。

「自然界のインテリジェントデザインの背後にインテリジェンスが存在する」という表現も弱め。神による超自然的介入によるデザインの配備をしたかどうか特定していない。

まさに、「神による超自然的介入」の有無が、有神論的進化論とインテリジェントデザインを分かつものなのだが、そこがあいまいな話。意図的にあいまいにしたのかな?


関連エントリ



posted by Kumicit at 2009/01/15 01:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/01/03

説明フィルタを捨てた?Dembski

インテリジェントデザイン"理論"の基本パーツのひとつが"Dembskiは説明フィルタ"である。これは以下のように、「自然法則(必然)でも偶然でも説明できないもので、それらしいものはデザインだ」という明瞭な"God of the gaps"詭弁の形をとっている:
Dembski notes that intelligent agents can choose from one of many competing possibilities. If the choice made is unlikely to occur and sufficiently complex, then we can attribute that choice to design. This comes from our understanding of how intelligent agents operate--not from a negative argument against evolution. In The Design Inference, Dembski lays out a three-part "user-friendly" explanatory filter which we can use to detect intelligent design:

Dembskiはインテリジェントエージェントは多くの競合する可能性から一つを選択する能力を持っていると書いている。為された選択が起きそうにないものであり、十分に複雑であるなら、我々はその選択をデザインによるものだと考えられる。これはインテリジェントエージェントがいかに働くかについての我々の理解によるものであって、進化論に対するnegative argumentによるものではない。"The Design Inference"で、Dembskiは、インテリジェントデザインを検出するための、3ステップの使いやすい説明フィルタを提示している。
explanatoryfilter.gif
[FAQ: How do we Detect Design? on IDEA Center]
これの提唱者であるDr.William Dembskiが、何を思ったか、2008年11月にこれを放棄するようなことを書いている:

(1) I’ve pretty much dispensed with the EF. It suggests that chance, necessity, and design are mutually exclusive. They are not. Straight CSI is clearer as a criterion for design detection.

私は説明フィルタを多く適用してきた。この説明フィルタは、偶然と必然とデザインが排他的であることを示唆している。しかし、これらはそうではない。ストレートCSI(複雑で指定された情報)がデザイン検出規準として、より明確である。

(2) The challenge for determining whether a biological structure exhibits CSI is to find one that’s simple enough on which the probability calculation can be convincingly performed but complex enough so that it does indeed exhibit CSI. The example in NFL ch. 5 doesn’t fit the bill. The example from Doug Axe in ch. 7 of THE DESIGN OF LIFE (www.thedesignoflife.net) is much stronger.

生物学的構造がCSIを表しているのか否かを決定する挑戦は、十分に単純であって十分に納得できる確率計算ができるか、複雑すぎるか、いずれにせよCSIを表しているのかどうかがわかればよい。"No Free Lunch"[Dembskiの著書]の第5章の例は、これには適合していない。"The Design of life"の第7書言うのDoug Axeの例の方が、ずっと強い。

[William Dembski: Comment (2008/12/03) on Uncommon Descent
via EvolutionBlog]
「偶然と必然とデザイン」が排他的でないなら、「偶然か必然かデザインか識別できないもの」や「偶然でも必然でもデザインでもないもの」があるかもしれない。となれば、「偶然でも必然でもなければ、デザインだ」という"God of the gaps"形式の論は成り立たない。

そのかわりにDembskiが持ち出してきたのは「確率が計算できて、ありえない確率であるか、確率が計算できないほど複雑なら、デザインだ」というもの。

これは、Dembskiにとって、とても都合のよい定義である。というのは、「59は素数ではない」という「ジョーク」でもネタにされているように、実際に確率を計算した例がほとんどないから。
"My critics think that perhaps I just slipped up," said Dembski with a grin. "As usual, they have not tracked my argument and are in any case too ignorant of mathematics to be considered credible. I said that the specification for the bit string I published was the unary encoding of prime numbers up to 89 in sequence and 59 isn't in there, is it? If 59 were prime, then what I said would not be a specification, and this one of three examples that I've done the probability calculation for in the past six years would be down the drain. That's two years of work. I wouldn't make that kind of mistake."

「私の批判者は、おそらく私が書き落としたのだと思うだろう」とDembskiはニヤリとして言った。「いつもと同じで、彼らは私の議論をたどらず、いずれにせよ、彼らは信頼できると間がえらる数学をあまり知らない。私が出版したビット列についての仕様は、89までの素数列をひとつにコード化したものだと言った。そこに59はなかっただろう? 59が素数なら、私が言ったものは仕様ではなくなる。これまでの6年間に提示した確率計算の3つの例のうちのひとつがゴミ箱行きになる。それは2年の成果だ。私はそのような類の誤りを犯さない。」
つまり、「Dembskiが計算できないのだから、複雑なのさ」ってことになるから。

タグ:Dembski id理論
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2008/09/22

英国国教会の"Darwinへの謝罪"に対するUncommon Descentの反応

インテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiと仲間たちのブログUncommon DescentのLord Ickenhamが、英国国教会のDarwinに対する謝罪について、反応した:
As someone who has had an ongoing struggle with the Anglican Communion his entire adult life, and to whom the current, obvious, and slow-motion destruction of the entire historical Anglican Church brings no joy, I have a few comments on the anticipated apology of the Church of England, led by the Archbishop of Canterbury, Rowan Williams, to Charles Darwin. Despite indications to the contrary, this clearly has had some thought put into it, as evidenced by the Darwin section of the Church of England and website:

全世界聖公会との戦いに生涯をかけている身として、現在の明らかな緩慢に進行する英国国教会の全歴史の破壊には何の楽しみもないが、私は、カンタベリー大主教Rowan Williamsに指導されたチャールス・ダーウィンに対する予期される謝罪についてコメントしておきたい。反対意見にもかかわらず、英国国教会のダーウィンのセクションに示されるように、明会ある種の考えが注ぎ込まれている:
“Charles Darwin: 200 years from your birth, the Church of England owes you an apology for misunderstanding you and, by getting our first reaction wrong, encouraging others to misunderstand you still. “

チャールズ・ダーウィン: 誕生から200年が経ち、英国国教会は、貴君に対する誤解し、最初の誤った対処により、他の者たちに貴君を誤解させてしまったことに、に対し謝罪する。
As perceptive observers have already pointed out, there is no historical reason for the Church of England to make an apology to Charles Darwin – please remember that he was awarded an honorary degree from Cambridge, and is buried at Westminster Abbey. There was no persecution, no censure, only debates. Thus the apology for “misunderstanding”.

洞察力のある者たちが既に指摘しているが、英国国教会がチャールス・ダーウィンに対して謝罪する歴史的理由がない。彼はCambridgeから名誉学位を授与されており、ウェストミンスター寺院に葬られている。迫害も非難もなく、論争だけがあった。従って、謝罪は誤解に対するもの。

This fact then begs the question: What on earth is going on?

この事実は、それらの論点を回避している。いったい何が起きているのか?

The answer is that this move attempts to accomplish three things. First, as is explicitly stated, it makes a condemnation of those wrong-thinking people that are under the impression there is a conflict between Christian teaching and Darwinian theory by “apologizing”, rather than make the statement directly. Second, it attempts to put the Anglican Communion on par with the Roman Catholic Church in regard to the Galileo affair. Third, the well-written meat of the website by Revd Dr Malcolm Brown gives coaching on how to be a Christian and a Darwinist. To his credit, he also discusses the `dark side’ of Darwin, concluding “his [Darwin’s] theory … has been inflated into a general theory of everything – which is not only erroneous but dangerous.”

その答えは、この謝罪の動きが次の3点を実現しようとしていることである。第1に、直接に表明されているように、直接な声明を出すのではなく、謝罪することで、キリスト教の教義とダーウィンの理論が相いれないという印象を持っている、誤った考えを持つ人々を批判することである。第2に、ガリレオ事件に対するローマカトリックと同じ位置に、全世界聖公会を置こうとするものである。そして、第3は、Dr. Malcolm Brown師にようWebサイトのうまく描かれた要点が、キリスト教徒かつダーウィニストになるための方法をコーチすることである。彼の信用のために言うなら、彼はダーウィンのダークサイドについても論じており「ダーウィンの理論は...万物理論へと拡大したが、それは間違っているだけでなく、危険でもある」と結論している。

The bigger question is why Rowan Williams and other senior figures in the C of E feel that they need to make the apology. After studying the actions of this man after he became archbishop of Canterbury, my answer to this question is the same to the motives of numerous other inexplicable actions he has made: It makes no sense and I cannot discern any thoughtful leadership. The only straw I can grasp is that the idea sounds good to a certain mindset, that it puts the C of E in the news, and gives him praise from some in positions of secular authority (though evidently the opposite has happened). Perhaps he was thinking there has been a constant stream of bad news about the Anglican Communion in the press, and this would be a nice break. What he doesn’t seem to appreciate is that it is precisely this kind of ridiculous statement (regardless of your views on theology or science) that is a symptom of the larger detachment from reality within the majority of the Anglican church of England, the US, and Canada.

より大きな疑問は、Rowan Williamsなどの英国国教会の高位聖職者たちが、何故に謝罪の必要性を感じたかだ。この男(Rowan Williams)がカンタベリー大主教職についてからの行動を見ていくと、この疑問に対する私の答えは、これまでの彼の不可解な行動の数々と同じ動機によるものだ。それらは何の意味もなく、私には、いかなる思慮の跡も見出せない。私に考えられることは、ある種の考えを持つ人々に好感を持たれ、英国国教会をニュース報道に載せて、世俗的権威からの賞賛を受けるというものだ(実際には逆のことが起きたが)。おそらく彼は報道に常時、全世界聖公会について悪いニュースが流れていると思っていて、これが素晴らしい転換点になると思っているようだ。この種のバカげた声明は、神学観あるいは科学観がいかなるものであれ、英国国教会および米国とカナダの聖公会の多数派の現実からは、大きくかけ離れたものであることを彼はわかっていない。

The C of E has apologized for misunderstanding Darwin. Considering the website quotation from Bishop Rayfield, “Theology and science each have much to contribute in the assertion of the Psalmist that we are ‘fearfully and wonderfully made’”, I suspect that most Darwinian biologists would comment that the C of E misunderstands Darwin even today.

英国国教会はダーウィンを誤解していたことを謝罪した。Rayfield主教を引用したWebsiteの内容「我々は『恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている』[詩篇139章14節]という詩篇の主張において、神学と科学は互いに大いに寄与している」を考えれば、あらゆるダーウィンな生物学者たちは英国国教会が今なおダーウィンを誤解しているとコメントするだろうと思える。

Lord Ickenham: "The Church of England apologizes to Darwin" (2008/09/15) on Uncommon Descent]
例によって、まずQuote Miningの確認から...

ひとつめは「his [Darwin’s] theory … has been inflated into a general theory of everything – which is not only erroneous but dangerous. (ダーウィンの理論は...万物理論へと拡大したが、それは間違っているだけでなく、危険でもある)」の確認。原文では次のようになっているのだが...
Natural selection, as a way of understanding physical evolutionary processes over thousands of years, makes sense. Translate that into a half-understood notion of 'the survival of the fittest' and imagine the processes working on a day-to-day basis, and evolution gets mixed up with a social theory in which the weak perish – the very opposite of the Christian vision in the Magnificat (Luke 1:46–55). This 'Social Darwinism', in which the strong flourish and losers go to the wall is, moreover, the complete converse of what Darwin himself believed about human relationships. From this social misapplication of Darwin’s theories has sprung insidious forms of racism and other forms of discrimination which are more horribly potent for having the appearance of scientific “truth” behind them. Darwin’s immense achievement was to develop a big theory which went a long way to explaining aspects of the world around us. But to treat it as an all-embracing theory of everything is to travesty Darwin’s work. The difficulty is that his theory of natural selection has been so effective within the scientific community, and so easily understood in outline by everybody, that it has been inflated into a general theory of everything – which is not only erroneous but dangerous.

幾千年の物理的進化過程を理解する方法としての自然選択は道理にかなっている。自然選択を「適者生存」についての生半可な理解の説明に変換し、日々に働く過程としてイメージし、進化論を、賛歌[ルカによる福音書1章46-55節]のキリスト教観とは真逆に、その中で弱者が滅ぼされるような社会理論の混合する。強者が繁栄し、敗者が壁際に追いやられるという社会的ダーウィニズムは、さらに、ダーウィンが人間関係について信じていたこととはまったく逆のものである。ダーウィンの理論の社会学的な誤った応用から、知らない間に作用する人種差別と、背後に科学的"真理"を持つ恐るべき危険性のある差別が生まれる。ダーウィンの大きな成果は、我々のまわりの世界の特徴を説明していく大枠の理論を発展させたことである。それを万物理論として扱うことは、ダーウィンの成果を曲解するものである。問題点は彼の自然選択の理論が、科学界の中で非常に有用であり、その概要が誰にでも理解できるために、それが万物理論へと拡大したが、それは間違っているだけでなく、危険でもある。

[Rev Dr Malcolm Brown: "Good religion needs good science"]
Lord Ickenhamは、社会的ダーウィニズムに言及している部分を削除して引用することで、進化論そのものに危険性があると言ったかのような印象を与えている。

「Theology and science each have much to contribute in the assertion of the Psalmist that we are ‘fearfully and wonderfully made' (我々は『恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている』[詩篇139章14節]という詩篇の主張において、神学と科学は互いに大いに寄与している)」はというと...普通の引用

話を戻すと、、Lord Ickenhamの主張は、「今回の謝罪は、英国国教会を率いるカンタベリー大主教Rowan Williamsが、世俗からの評価を上げるために、キリスト教とダーウィニズムは両立するという教育をしようとしたため」というものである。他に理由がないという以上の根拠もなく、Lord Ickenhamはそう主張している。

これは、現状では進化論について「カトリックと英国国教会とメインラインバプティスト vs 福音主義バプティスト」という構図になっていることへの不満あるいは対抗意見の表明のように見える。

これまでにも、英国国教会Rowan Williamsカンタベリー大主教とスコットランドのキリスト教指導者たちが「創造論を教えるべきではない」と発言するなど、創造論とインテリジェントデザインが英国で勢力を拡大することに対抗する動きがある。

==>忘却からの帰還: 英国のキリスト教指導者たちが創造論を教えるべきではないと発言 (2006/03/26)

また、バチカンは前世紀から進化論を否定しておらず、有神論的進化論を妥協点に置いている。米国内では、政教分離原則を掲げてインテリジェントデザインの理科教育阻止をはかっている米国人連盟(AU)を率いているのが、メインラインバプティストのBarry W. Lynn師である。

このカトリックと英国国教会とメインラインバプティスト vs 福音主義バプティスト」という構図を容認してしまうと、「キリスト教 vs 進化論」という戦いの構図が消滅してしまう。なので、インテリジェントデザイン支持者としては、英国国教会の動きを止めることはできないにしても、過てる指導者のせいだということにしておきたい...というところだろうか?


タグ:UCD id理論
posted by Kumicit at 2008/09/22 01:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/08/06

Dembskiに統一教会信者Jonathan Wellsを切るように求めるインテリジェントデザイン支持サイト

わりと冷静なインテリジェントデザイン支持サイトTelicThoughtに、Jonathan Wellsが統一教会信者であることを問題にするエントリがポストされた:
Dear Prof. Dembski,

I'm writing this letter out of a sincere concern that I have had for some time. I haven't written it up until now, because I didn't think it was quite suitable material for TelicThoughts. We usually try to focus on science and the question of intelligent design, and this is more about religion. Specifically, about Jonathan Wells' religion. A number of years ago, way back at ARN, it was revealed that Dr. Wells was a member of the Unification Church. This meant that he believed that the Reverend Sun Myung Moon was the second coming of Jesus Christ. I was shocked to learn it at the time. But I figured, what the heck? We all have our quirky idiosyncratic beliefs. Why shouldn't he?

私は、しばらく前から持っている重大な懸念から、この手紙を書いています。これまで書かなかったのは、これがTelicThoughtにそぐわない話題だからです。私たちは、インテリジェントデザインの科学と問題についてフォーカスしてきており、それに対して、これは宗教の問題だからです。特に、Jonathan Welsの宗教についての。数年前、ARNでDr. Jonathan Wellsが統一教会の信者であることが明らかにされました。これは彼が、文鮮明師をイエス・キリストの再臨であると考えていることを意味します。それを知ったとき、私はショックを受けました。しかし、考え直しました。それがどうだって言うんだ。私たちはみんな、勝手な信仰を持っている。彼だって。

But I've become more concerned by a few recent events. First, you co-authored a recent book with Dr. Wells. Second, Dr. Wells had a role in the recent movie, Expelled, where he offered a definition of evolution that would be acceptable to any Young Earth Creationist. Third, you recently had a thread at your own blog where you accused Darwin of purposely trying to be the messiah of a secular religion. Fourth, I've recently been told that we should hold fellow Christians to a higher standard than we do non-Christians.

しかし、私は最近にいくつかの出来事で懸念を深くしました。最初はあなた(Dembski)がDr. Jonathan Wellsと共著で本を書いたことです。続いて、Dr. Jonathan Wellsが最近の映画Expelledで、どんな"若い地球の創造論者"にも受け入れられる進化の定義を提示したことです。第3は、あなたが自身のブログで、ダーウィンを意図的に世俗宗教の救世主になろうとしてと糾弾したことです。そして第4は、非キリスト教徒よりも、自分たちの仲間たるキリスト教徒に対して高い水準を求めるべきだと言われてことです。

So I'm asking that you distance yourself from Dr. Wells' religion, and publicly declare that the Reverend Moon is a false messiah. If you are willing to make such a declaration against Darwin (a view that many Christians would dispute), you should at the very least make an equally strong declaration against the Reverend Moon. If you refuse to do this, I will suspect that either you also believe in the Reverend Moon, or that either you or the Discovery Institute might suffer monetary loss by making such a declaration.

そこでは私は、あなた(Dembski)が、Dr. Joanathan Wellsが距離をとって、文鮮明師がインチキ救世主であると公に断言することを求めます。(多くのキリスト教徒が異議を唱える見解たる)ダーウィンに対してそのような宣告をするのであれば、文鮮明師がに対して、同様に強い宣告をしなければならないでしょう。そうしないのであれば、あなたも文鮮明師を信じているか、そのような主張により、あなたかDiscovery Instituteは損害を被るでしょう。
...

[Bilbo: "Open Letter to Professor William Dembski" (2008/08/02) on TelicThought]
Dr. William Dembskiのダブスタを責める文面だが、BilboがDembskiに求めているのは、ダーウィンに対する記述を改めることではなく、統一教会信者Jonathan Wellsとの関係を切ることだろう。

敬虔なキリスト教徒であれば、当然、言いたくもなる内容だが、TelicThoughtのコメンタたちは至って冷静で...
neddy Says:
...

Both Dembski and Wells are my e-mail friends, we don't agree in many points on ID, evolution and other subjects, but we get along pretty well. Berlinski is an agnostic Jew, and also a friend.

DembskiとWellsはメル友で、我々はインテリジェントデザインや進化論やその他の多くの話題で意見が合わないが、うまくやっている。Berlinskiは不可知論のユダヤ人だが、同じく友人だ。

So, what is wrong in having Wells as a friend? His YEC position is not my position nor the other IDists that I know.

Wellを友として何が問題だろうか。彼の"若い地球の創造論者"のポジションは私のポジションでもなければ、私の知るインテリジェントデザイン支持者とも違うが。
...
今のところ、Dr. William DembskiあるいはUncommon Descentは反応していない。反応するとしても、基本的にはneddyのようなものになりそうだが...

タグ:id理論 UCD
posted by Kumicit at 2008/08/06 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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