2007/12/30

"分子時計"について"若い地球の創造論"と同じポジションをとるインテリジェントデザイン

もともと、インテリジェントデザインは"若い地球の創造論"との互換性を持つようにデザインされている。このため、地球および生命についての時系列に言及しない。

==>忘却からの帰還:モデルなきインテリジェントデザイン (2007/02/07)

このため、"分子時計"について、"若い地球の創造論"と同じポジションをとるようだ。

つい最近も、インテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiと仲間たちのブログの執筆者兼モデレータであるO'Learyがうれしそうに、次のようなエントリをポストしている:
2006 and 2007 have been years in which a number of key science papers addressed things we know - that ain’t so. One story is the serious challenges to the long contested “molecular clock” theory.

2006年と2007年は、我々がこれまで知っていると思っていたことがそうではなかったと指摘する重要な論文が発表された年だった。そのひとつは、分子時計に対する重要な挑戦である。
...
In the science literature, many adjustments are offered to make the fossil record and molecular data match. Of course, some adjustment is certainly inevitable, but after a while a question arises. One can live with a clock that is routinely ten minutes slow. But if it is variably slow, slower at some times than others, there may come a point when one asks, why consult a clock anyway? Or, more to the point, should this device properly be called a clock?

科学論文では化石記録と分子時計を整合させるための多くの調整が提案されてきた。もちろん、調整は確かに不可避であるが、少したつと疑問が出てくる。人はいつも10分遅れている時計なら使える。しかし、遅れが変化するなら、そんな時計は使えるだろうか。そんな時計は時計と呼べるだろうか?
[O'Leary: "Design of Life: Molecular clock - right twice a day?" (2007/12/27) on Uncommon Descent]
"若い地球の創造論"との互換性を保つために、時系列を推定するための代替方法をインテリジェントデザイン運動が提唱しない。

タグ:UCD id理論
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2007/12/19

見えないものを見る能力を持つインテリジェントデザイン支持者たち

2007年12月8日に教皇ベネディクト16世は2008年1月1日の新年メッセージを出した。このメッセージで教皇ベネディクト16世は、国際的な環境保護政策において貧困国への配慮を求めた。このメッセージを、英国の大衆紙DailyMailが2007年12月13日最終更新の捏造記事「The Pope condemns the climate change prophets of doom(教皇は気候変動運命予言者を批判する)」で、温暖化否定論サイドに教皇が立ったかのように報道した。

温暖化否定論のポジションをとっているインテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiと仲間たちのブログUncommon DescentのDLHが、大喜びで、以下のエントリをアップした:
[DLH: "Pope contra Global Warmism" (2007/12/12) のキャッシュ]

The Pope has formally challenged governments to address moral issues of humanity above environment and that political decisions must be based on sound science, not political environmental movements. His challenge the parallels consequences of presuppositions in the origins debate, considering the differences between Darwinism, Intelligent Design, and Creationism. It also highlights the issues of sound science following the truth wherever the data leads, versus political movements with explicit or implicit agendas.

教皇は政府に正式に環境よりも上位に人類の道徳的な問題に対処し、決定は政治的環境運動ではなく、正しい科学に基づいてなされなけらばならないと、要求した。教皇は同様に起源についての論争にも疑問を呈し、ダーウィニズムとインテリジェントデザインと創造論の違いを考慮する。データが導く真理に従う正しい科学と、直接あるいは間接的なアジェンダのもとにある政治運動の対比にも注目した。
教皇のメッセージにも、DailyMailの捏造記事にも書かれていない「ダーウィニズムとインテリジェントデザイン」を見てとる能力がDLHにあるらしい。というか「データが導く真理に従う正しい科学と直接あるいは間接的なアジェンダのもとにある政治運動の対比」はブーメラン。

このあと、DLHが、なんか変だと気づいて、ちょっと修正したバージョンがこれ:
[DLH: "Pope for sound stewardship" (2007/12/12) ]
正しい責務について述べる教皇

Pope Benedict XVI has formally challenged governments to address the moral issue of placing humanity above the environment. He calls for political decisions to be based on sound science, not political agendas. His challenge to sound science over ideological pressures parallels issues in the origins debate. Note particularly the parallels between differing presuppositions versus consequences of Darwinism, Intelligent Design, and Creationism. The Pope’s message highlights the importance of sound science in following the truth wherever the data leads, versus political environmental movements with explicit or implicit agendas diverging from or running contrary to the data.

教皇ベネディクト16世は正式に、環境の上位に人間を置いて倫理問題に対処するように各国政府に要請した。教皇は政治的決定は、政治的アジェンダではなく正しい科学に基づいてなされるべきだと要求した。教皇の、イデオロギー的圧力に対する正しい科学への挑戦は、起源論争と同様のものだ。特に、ダーウィニズムとインテリジェントデザインと創造論の前提と結論の違いと、同様である。教皇のメッセージは、データが導きだす真理へとつながる正しい科学の重要性を、データとは真逆から広がる、あるいは真逆に走る直接あるいは間接的なアジェンダのもとにある政治政治的環境運動との対比させて、注目している。

UPDATE: The Pope’s message advocates responsible stewardship based on prudent policies undistorted by ideological pressures. The post title was changed to reflect the Pope’s emphasis compared to the news article below.
See source: MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE BENEDICT XVI FOR THE CELEBRATION OF THE WORLD DAY OF PEACE 1 JANUARY 2008.
See especially: The family, the human community and the environment, Sections 7, 8.
ダーウィニズムとか、書いてないことを見てとる恐るべき能力に違いはない。ただし、教皇のメッセージ本文にDLHは目を通したようで、そこへのリンクが加えられた。表現もDailyMailの記事よりは弱めているようだ。

なんにせよ、Uncommon Descentは進化否定論(インテリジェントデザイン)+温暖化否定論+HIV否定論(AIDS再評価運動)が前提で語るようになってきた。


それはさておき、見えないものが見えるのはDLHに限らない。インテリジェントデザインの本山たるDiscovery Instituteの所長であるBruce ChapmanやフェローのJay Wesley Richardsも教皇の声明の行間を読む能力を持っている:
In reading all the buzz about the pope’s recent statements on the nature of science and religion (see "Pope says science too narrow to explain creation," Reuters, April 11 2007), I suspect there's a translation problem here. Reading between the lines, it looked like Benedict said some pretty strong things. Of course he's challenging scientism and calling for a broader concept of reason than is contained in experimental science. That's easy for classically informed philosophers to understand. But you can be sure that exactly 0% of reporters and 1% of readers will understand that.

科学と宗教の性質についての教皇の最近の声明についてのすべての噂を読んでみて、翻訳の問題があるように思えてきた。行間を読むと、ベネディクトはもっと強いことを言っているようだ。もちろん、教皇は科学主義に疑問を呈していて、実験科学に含まれるものよりも広い論理概念を求めている。これは古典的な情報に通じた哲学者にとって理解することは容易だろう。しかし、記者の0%と読者の1%しか、これを理解できなかったことは確かだ。
[by Jay Wesley Richards quoted by Bruce Chapman: "Pap about the Pope" (2007/04/12) on Discovery Institute公式ブログ]
記者の0%と読者の1%しか読み取れない行間を読めるとは...

おそるべしインテリジェントデザイン支持者たち...
posted by Kumicit at 2007/12/19 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/12/10

DembskiとJonathan Wellsによるインテリジェントデザイン副読本の一部紹介から(3)

インテリジェントデザインの数学・哲学・神学担当Dr. William Dembskiと、生物担当その2の統一教会信者Dr. Jonathan Wellsによる、インテリジェントデザイン副読本改訂版"Design of Life"の特設ページにある、本文ちょびっと紹介な「Design of Life Excerpts」を見てみよう....の残り。

"The claim that natural laws are sufficient to account for the origin of life is far-fetched. Natural laws work against the origin of life. Natural laws describe material processes that consume the raw materials of life, turning them into tars, melanoids, and other nonbiological substances that thereafter are completely useless to life." (Ch.8)
自然法則が生物の起源を説明するのに十分だという主張は、不自然である。自然法則は生命の起源に反するように働く。自然法則は生命の原料を消費して、生命にまったく役に立たないタールやメラノイドや非生物物質に変える過程を記述する。(Ch.8)
なんとなく、古典的な創造論者の主張。このあたりも、Jonathan Wellsな感じ。Jonathan Wellsは創造論者の本から適当にネタを拾ってページを埋めたのかな?

これは定番というか、ちょっとネタとしては古いめだが、目は進化できないシリーズ:
"Darwinists have traditionally hidden behind the complexities of biological systems to shelter their theory from critical scrutiny. Choose a biological system that is too complex, and one can't even begin to calculate the probabilities associated with its evolution. Consider the eye. A widely held myth in the biological community is that Darwin's theory has explained the evolution of the vertebrate eye. In fact, the theory hasn't done anything of the sort." (Ch.7)
ダーウィニストたちは伝統的に、生物学的システムの複雑さの背後に、彼らの理論を隠して、批判から護ってきた。複雑すぎる生物学システムを選んでも、それが進化の可能性を計算することすら不可能である。生物学界に広まっている神話はダーウィンの理論が脊椎動物の目の進化を説明したというものである。しかし、実際には何も説明できていない。(Ch.7)
これも、Jonathan Wellsによる創造論本のコピペみたい。

新奇な主張をする本ではなく、コンパクトに創造論者ではなくインテリジェントデザインの主張をまとめて提示するのが目的なので、これはこれでもいいけどね。

Machines act blindly and automatically -- they are not responsible moral agents who can legitimately be blamed for their actions. For Clarence Darrow, evolution justified a biological determinism that turned humans into puppets of their evolutionary past." (Ch.9 Epilogue: The "Inherit the wind" stereotype)
マシンは盲目に自動的に動く。それらは自らの行動について責めを正当に受けられる、責任ある倫理実行者ではない。クラレンス・ダローにとって、進化は人間を進化の過去の操り人形に変えた生物学的決定論を正当化するものだった。(Ch.9)
この章はScopes Trialをスペシャルに扱った章なので、そのときの弁護士Clarence Darrowが登場している。基本的に第9章は、Scopes Trialにおける反進化論州法サイドを擁護する内容だが、この紹介部分は、それを露骨には出したくなかったのかな。


そして、最後はまったく正しい言明:
"Gould admits that anything Dawkins really cares about regarding biological structures -- their origin, function, complexity, adaptive significance -- is the product of natural selection. Gould was as much a Darwinist as Dawkins." (Ch.3)
グールドは、ドーキンスが起源・機能・複雑さ・適応度などの生物学的構造について問題にしたことをすべて自然選択の産物であると認めた。グールドはドーキンスと同じくダーウィニストだった。(Ch.3 Fossil Record)
インテリジェントデザインの本山たるDiscovery InstituteはStephen J Gouldの唱えるNOMAを認めない[ie Benjamin Wiker, 2003]ので、当然のことながら、Stephen J Gouldは敵。


ということで、「一部紹介から」はおしまい。

関連エントリ

DembskiとJonathan Wellsによるインテリジェントデザイン副読本登場 (2007/11/25)
DembskiとJonathan Wellsによるインテリジェントデザイン副読本のFAQ (2007/11/30)
DembskiとJonathan Wellsによるインテリジェントデザイン副読本の一部紹介から(1) (2007/12/04)
DembskiとJonathan Wellsによるインテリジェントデザイン副読本の一部紹介から(2) (2007/12/05)
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2007/12/05

DembskiとJonathan Wellsによるインテリジェントデザイン副読本の一部紹介から (2)

インテリジェントデザインの数学・哲学・神学担当Dr. William Dembskiと、生物担当その2の統一教会信者Dr. Jonathan Wellsによる、インテリジェントデザイン副読本改訂版"Design of Life"の特設ページにある、本文ちょびっと紹介な「Design of Life Excerpts」を見てみよう....のつづき。

化学進化まわりは統一教会信者Jonathan Wellsの担当範囲かな。このあたりは、まだまだ研究進行中の分野なので、神を見出しやすいのだが..
"Most of origin-of-life research is as relevant to the real problem of life's origin as rubber-band powered propeller model planes are to the military's most sophisticated stealth aircraft." (Ch.8 The Origin of Life)
実際の生命の起源の問題に対する、生命の起源の研究の大半は、軍用最新鋭ステルス航空機に対する、ゴムバンドで動くプロペラモデルのようなものである。(Ch.8)

"The origin of information is not a problem of chemistry. Chemistry can be a carrier of information, but it cannot be its source." (Ch.8)
情報の起源は化学の問題ではない。化学は情報の伝達をするが、起源とはならない。(Ch.8)

"Chemists typically do not concern themselves with the problem of the origin of information because their work presupposes a smart chemist ready to provide it!" (Ch.8)
化学者は典型的に、既に準備された完成された化学物質を前提とするので、情報の起源に関心を持たない。(Ch.8)
インテリジェントデザイン運動の"思い"である「進化論は完成には程遠い代物」と、デザイン推論(偶然でも自然法則でも説明できない意味ありげなものはデザインだ)の前提が背反していて、ここでは前者をとっている。

デザイン推論は

  • 通常科学が完成の域にあって、
  • 通常科学で説明できていないことは、おそらく超自然を呼び出さずには説明がつかない
という状況でないと駆動できない。通常科学にやることが山積み=研究ネタ山積みだと、「偶然でも自然法則でも説明できない」と言う論拠として、「通常科学で説明できていない」は使えない。「化学の問題」にまともに手が付いていないと主張してしまうと、とうぶん「化学の問題」に神を見出すのは無理だと言ったことになる。

ここがアンビバレントなところ。進化論を罵倒したいが、罵倒すると、進化論に対するNegative Argumentとして実装されているインテリジェントデザインは論拠があやしくなる。まあ、Jonathan Wellsは進化論破壊担当なので、代替理論は知ったことではないかもしれないが。


続いて、痕跡器官について。これは痕跡器官の意味を取り違えて使うという、創造論の古典的なネタの流用。若い地球の創造論ともまったく矛盾しない記述である:
"Vestigial structures are entirely consistent with intelligent design, suggesting structures that were initially designed but then lost their function through accident or disuse. Nevertheless, vestigial structures also provide evidence for a limited form of evolution. From both a design-theoretic and an evolutionary perspective, a vestigial structure is one that started out functional but then lost its function. Yet, in the case of evolution, vestigiality explains only the loss of function and not its origination. Vestigiality at best documents a degenerative form of evolution in which preexisting functional structures change and lose their function." (Ch.5 Similar Features)

痕跡器官はインテリジェントデザインとまったく矛盾しない。最初は機能があったが、それらは偶然もしくは使用されないことによって、機能を失ったものである。しかし、痕跡器官は進化の証拠も限定的に与える。デザイン理論におけるで進化の見方では、痕跡器官は、機能があったが、その機能を失ったものである。進化論は痕跡器官の機能喪失を説明するが、その起源は説明しない。痕跡器官はせいぜいがとこ、既存機能構造の変化あるいは機能喪失という退行的進化を立証するに過ぎない。(Ch.5)
これは「生物は創造されたときは完全だったが、次第に壊れてきている」という創造論の主張をくりかえしたもの。

創造論者の主張では、まず1974年物のHenry Morrisの主張をネタに痕跡器官の解説をしている。重要な点は痕跡器官という用語の意味:
Claim CB360:
Practically all "vestigial" organs in man have been shown to have definite uses and not to be vestigial at all.
実際には人間の痕跡器官は、すべて用途があり、痕跡ではない。

Source:
Morris, Henry M., 1974. Scientific Creationism, Green Forest, AR: Master Books, pp. 75-76.

Response:

  1. "Vestigial" does not mean an organ is useless. A vestige is a "trace or visible sign left by something lost or vanished" (G. & C. Merriam 1974, 769). Examples from biology include leg bones in snakes, eye remnants in blind cave fish (Yamamoto and Jeffery 2000), extra toe bones in horses, wing stubs on flightless birds and insects, and molars in vampire bats. Whether these organs have functions is irrelevant. They obviously do not have the function that we expect from such parts in other animals, for which creationists say the parts are "designed."
    "痕跡"という言葉は、その器官に用途がないことを意味しない。痕跡は「何かが喪失したことにより残された跡」である[G&C Merriam 1974]。生物の例では、ヘビの脚の骨・洞窟内の魚の眼の名残[Yamamoto and Jeffery 2000]・馬の指の骨・飛ばない鳥や昆虫の翼の付け根・吸血コウモリの臼歯など。これらの器官が機能を持つかどうかは問題ではない。これらは明らかに、創造論者がデザインされた部品だと言っている、ほかの動物の同様の部品にある機能を持っていない。

    Vestigial organs are evidence for evolution because we expect evolutionary changes to be imperfect as creatures evolve to adopt new niches. Creationism cannot explain vestigial organs. They are evidence against creationism if the creator follows a basic design principle that form follows function, as H. M. Morris himself expects (1974, 70). They are compatible with creation only if anything and everything is compatible with creation, making creationism useless and unscientific.
    生物が新たなニッチへ適応するように進化するときの進化的変化が不完全であると考えているので、痕跡器官は進化の証拠となる。Henry Morrisが考えたように、創造主が基本デザイン構想に従って、機能を構成したとするなら、痕跡器官は創造論に反する証拠となる。どんなものでも創造と矛盾しないとしない限り、痕跡器官は創造論と矛盾する。しかし、どんなものでも創造と矛盾しないとするなら、創造論は使えない非科学になる。

  2. Some vestigial organs can be determined to be useless if experiments show that organisms with them survive no better than organisms without them.
    痕跡器官に用途がないことを判別するには、その器官がなくても生存に不利にならないことを実験的に示せればよい。

Links:
Theobald, Douglas, 2004. 29+ Evidences for macroevolution: Prediction 2.1: Anatomical vestiges. http://www.talkorigins.org/faqs/comdesc/section2.html#morphological_vestiges

References:

  1. G. & C. Merriam. 1974. The Merriam-Webster Dictionary. New York: Simon & Schuster.
  2. Morris, H., 1974. (see above).
  3. Yamamoto, Y. and W. R. Jeffery., 2000. Central role for the lens in cave fish eye degeneration. Science 289: 631-633.
進化過程で、元の機能とは別な用途に転用されてしまった器官も、典型的な痕跡器官。元とは別な用途があるので、"痕跡"が消えずに残りやすい。

続いて、引き続き1985年物のHenry Morrisから。この本は1974年物の第2版:
Claim CB361:
Vestigial organs (if any really exist) are not evidence of evolution. They just show decay consistent with the second law of thermodynamics.

Source:
Morris, Henry M. 1985. Scientific Creationism. Green Forest, AR: Master Books, 75-76.

Response:

  1. Vestigial organs include more than atrophied organs. The bones of the middle ear, for example, are vestiges of jaw bones of ancestral tetrapods.
    痕跡器官は、萎縮された器官ではないものもある。たとえば、中耳の骨は四足歩行する祖先のあごの骨の痕跡である。

  2. Loss of organs is sometimes an advantage. For example, loss of legs is adaptive in whales. Thus, losses of organs often are evolution driven by natural selection. They are evidence of evolution when their vestigial forms show similarities to earlier nonvestigial forms.
    器官の損失が有利に働くこともある。脚の喪失はクジラにとっては適応的である。器官の喪失は自然選択によって推進される進化でもある。痕跡的形態が、もとの非痕跡的な形態と類似しているなら、それらは進化の証拠である。
  3. The second law of thermodynamics allows for more than decay.
    [CF901:The second law of thermodynamics says that everything tends toward disorder, making evolutionary development impossible. ]
    熱力学第2法則は崩壊だけをもたらすものではない。


まだまだ、つづく...
posted by Kumicit at 2007/12/05 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/12/04

DembskiとJonathan Wellsによるインテリジェントデザイン副読本の一部紹介から (1)

インテリジェントデザインの数学・哲学・神学担当Dr. William Dembskiと、生物担当その2の統一教会信者Dr. Jonathan Wellsによる、インテリジェントデザイン副読本改訂版"Design of Life"の特設ページにある、本文ちょびっと紹介な「Design of Life Excerpts」を見てみよう。

注目点は

  • 主張がどれくらい昔ながらの創造論にもどっているか?(創造論者の主張リストに該当項目があるか)
  • 宗教の領域にどこまで踏み込んでいるか?
である。

まずは、Dembski自身による2004年物のネタが紹介されている:
"How does evolutionary ethics make sense of people who transcend their selfish genes? Genuine human goodness, which looks to the welfare of others even at one's own (and one's genes') expense, is an unresolvable problem for evolutionary ethics. Its proponents have only one way of dealing with goodness, namely, to explain it away. Mother Teresa is a prime target in this regard. If Mother Teresa's acts of goodness on behalf of the poor and sick can be explained away in evolutionary terms, then surely so can all acts of human goodness." (Ch.1 Human Origin)
いかにして、進化倫理学は、利己的遺伝子を超越する人間たちを理解するのか? 自らの費用で他人の福祉を実現しようとする、本物の人間の長所は、進化倫理学にとって解決不可能な問題である。これら人間の長所について、進化倫理学者にできることは、説明をしないことだけである。これの主たる題材はマザーテレサである。貧しきもの、病めるものへのマザーテレサの良き行動を進化論の言葉で説明できるなら、いかなる人間の長所も説明可能だろう。(Ch.1)
このネタの選択は、微妙なところだ。進化心理学の手が及び始めている危険地帯ではあるが、宗教的には絶対防衛ラインでもある。Dembskiが強く主張したいところではあろう。

これについては、創造論者の主張「進化は倫理、特に利他行動を説明できない」がある:
Claim CB411:
Evolution cannot explain moral behavior, especially altruism. Evolutionary fitness is selfish; individuals win only by benefitting themselves and their offspring.
進化は道徳的行動、特に利他的行動を説明できない。進化的フィットネスは利己的である。自分自身およびその子孫だけに有益な行動をとった個体が勝利する。

Source:
Dembski, William A., 2004. Reflections on human origins. http://www.designinference.com/documents/2004.06.Human_Origins.pdf
Watchtower Bible and Tract Society. 1985. Life--How Did It Get Here? Brooklyn, NY, p. 177.

Response:

  1. The claim ignores what happens when organisms live socially. In fact, much about morals can be explained by evolution. Since humans are social animals and they benefit from interactions with others, natural selection should favor behavior that allows us to better get along with others.
    この主張は、生物が社会的に生きている場合に起きることを無視している。実際、倫理はおおよそ進化で説明可能である。人間は社会的動物であり、他者との相互作用にから利益を得ているので、自然選択は、他者とうまくやっていけるようにする行為を選好する。

    Fairness and cooperation have value for dealing with people repeatedly (Nowak et al. 2000). The emotions involved with such justice could have evolved when humans lived in small groups (Sigmund et al. 2002). Optional participation can foil even anonymous exploitation and make cooperation advantageous in large groups (Hauert et al. 2002).
    公正さと協力は、繰り返されることで価値を持つ[Nowak et al.2000]。そのような正義を含む感情は、人間が小さな集団で生きていれば進化可能である[Sigmund et al.2002]。オプショナルな参加は、匿名の搾取をも失敗させることができて、大きな集団における協調行動を有利にする[Hauert et al. 2002]。

    Kin selection can explain some altruistic behavior toward close relatives; because they share many of the same genes, helping them benefits the giver's genes, too. In societies, altruism benefits the giver because when others see someone acting altruistically, they are more likely to give to that person (Wedekind and Milinski 2000). In the long term, the generous person benefits from an improved reputation (Wedekind and Braithwaite 2002). Altruistic punishment (punishing another even at cost to yourself) allows cooperation to flourish even in groups of unrelated strangers; the abstract of Fehr and Gächter (2002) is worth quoting in full:

    血縁選択(Kin Selection)は、近親者への利他行動を説明できる。近親者たちとはほぼ同じ遺伝子を共有しているので、近親者を助けることは、自らの遺伝子にとっても有益である。社会では、利他行動をしているのを見た者が利他行動をとりやすくなるので、利他行動は自らにも有益となる[Wedekind and Milinsk 2000]。長期的には、気前が良い者は、評判が良くなることによる利益を得る[Wedekind and Braithwaite 2002]。無関係で互いを知らないグループにおいても、自らに損害が出ても他者を罰すること(利他的罰)は、有効である。Fehr and Gächter[2002]のアブストラクトは有益なので引用する:
    Human cooperation is an evolutionary puzzle. Unlike other creatures, people frequently cooperate with genetically unrelated strangers, often in large groups, with people they will never meet again, and when reputation gains are small or absent. These patterns of cooperation cannot be explained by the nepotistic motives associated with the evolutionary theory of kin selection and the selfish motives associated with signalling theory or the theory of reciprocal altruism. Here we show experimentally that the altruistic punishment of defectors is a key motive for the explanation of cooperation. Altruistic punishment means that individuals punish, although the punishment is costly for them and yields no material gain. We show that cooperation flourishes if altruistic punishment is possible, and breaks down if it is ruled out. The evidence indicates that negative emotions towards defectors are the proximate mechanism behind altruistic punishment. These results suggest that future study of the evolution of human cooperation should include a strong focus on explaining altruistic punishment.

    人間の協調行動は進化の謎である。他の生物と違って、人間は遺伝的に関係ない人々と、大きな集団の中で、再び会うことがないだろう人々と、評判が良くなることによる利益がほとんどなくても、協力しあうことが多い。このような協調行動は、血縁選択進化理論による縁故な動機でも、シグナリング理論や互恵的利他行動の理論による利己的動機でも説明できない。ここで、我々は、離反者への利他的罰が、協調行動の説明のカギとなることを実験的に示す。利他的罰とは、罰する側に利益がなく、損失が出る場合でも、他を罰する行為を意味する。利他的罰が可能であれば、協調行動が全盛になり、利他的罰が除外されれば協調行動は消滅することを示す。これらの結果は、人間の協調行動の進化についての今後の研究では、利他的罰を説明することを重視しなければならないことを示唆する。

    Finally, evolution does not require that all traits be adaptive 100 percent of the time. The altruism that benefits oneself most of the time may contribute to life-risking behavior in some infrequent circumstances.
    最後に、進化は、すべての特徴が常に適応的あることを要求しない。利他行動は多くの場合は有益な性質だが、時には生命を危険にされることにつながるかもしれない。

  2. This claim is an argument from incredulity. Not knowing an explanation does not mean no explanation exists. And as noted above, much of the explanation is known already.
    この主張は"Argument from incredulity"(無知からの論)である。説明が知らないことは、説明が存在しないことを意味しない。上述のように、多くの説明は既知である。


References:

  1. Fehr, Ernst and Simon Gächter, 2002. Altruistic punishment in humans. Nature 415: 137-140.
  2. Hauert, C., S. De Monte, J. Hofbauer and K. Sigmund, 2002. Volunteering as Red Queen mechanism for cooperation in public goods games. Science 296: 1129-1132.
  3. Nowak, M. A., K. M. Page and K. Sigmund, 2000. Fairness versus reason in the ultimatum game. Science 289: 1773-1775.
  4. Sigmund, Karl, E. Fehr and M. A. Nowak, 2002. (see below)
  5. Wedekind, C. and V. A. Braithwaite, 2002. The long-term benefits of human generosity in indirect reciprocity. Current Biology 12: 1012-1015.
  6. Wedekind, C. and M. Milinski, 2000. Cooperation through image scoring in humans. Science 288: 850-852. See also Nowak, M. A. and K. Sigmund, 2000. Shrewd investments. Science 288: 819-820.
  7. Wright, Robert, 1994. (see below)

Further Reading:

  1. Netting, Jessa, 2000 (20 Oct.). Model of good (and bad) behaviour. Nature Science Update, http://www.nature.com/nsu/001026/001026-2.html
  2. Sigmund, Karl, Ernst Fehr and Martin A. Nowak, 2002. The economics of fair play. Scientific American 286(1) (Jan.): 82-87.
  3. Vogel, Gretchen, 2004. The evolution of the golden rule. Science 303: 1128-1131.
  4. Wright, Robert, 1994. The Moral Animal New York: Pantheon Books.
  5. Henrich, Joseph. 2006. Cooperation, punishment, and the evolution of human institutions. Science 312: 60-61.
このような批判が出せれているのに、一切対応することなく、Dembskiは「倫理的行動についての進化論では説明できない」と繰り返す。これは不勉強というより「倫理的行動が進化心理学的に説明可能」ということ自体を容認できないからのようにも思える。

続いては、超有名なネタ「Methinks it is like a weasel」である:
"When Eugenie Scott calls for a technician to stand over a monkey's shoulder and correct its mistakes, she commits the fallacy of begging the question or arguing in a circle. In other words, Scott presupposes the very thing she needs to establish as the conclusion of a sound scientific argument. Indeed, scientific rigor demands that we ask who in turn is standing over the technician's shoulder and instructing the technician what is and is not a mistake in the typing of Shakespeare. If the technician's assistance to the monkey is to mirror natural selection, then the technician needs to help the monkey without knowing or giving away the answer. And yet that's exactly what the technician is doing here." (Ch.7 Specified Complexity)

ユージーニ・スコットが「技術者にサルを監視して、間違いを訂正させる」とき、ユージーニ・スコットは論点回避もしくは循環論に陥っている。言い換えると、ユージーニ・スコットは、正しい科学的議論の結論として確立すべきものを、まさに前提としている。科学的厳格さを求めるなら、サルを監視して指示する技術者に対して、サルがシェークスピアをタイプしていくときに何が間違いで、何が正しいかを誰が指示しているかを問わなければならない。もしサルに対する技術者の手助けが自然選択の反映であるなら、技術者は答えを知ることなく、サルを手助けする必要がある。それこそが、正確に技術者がここでしていることである。(Ch.7)
これはドーキンスの"METHINKS IT IS LIKE A WEASEL"のことを指している。Eugenie Scottは米国の進化論教育を守るNational Center for Science EducationのExecutive Directorであるので、Dembskiたちにとっては仇敵。なので、ここではEugenie Scottの名前を持ち出してきたのかも。

さて、このネタは10年以上前のものなので、創造論者の主張も古く、おなじみ創造論者Carl Wielandの1998年物:
CF011.1.
Dawkins (1996) demonstrated a program that starts with a random string of letters and, via random copying errors, evolves it into the phrase "Methinks it is like a weasel" in just a few generations, demonstrating the power of natural selection unaided by intelligence. But intelligence is involved in predetermining the target sentence.

ドーキンス[1996]はランダムな文字列から始めて、ランダムなコピーエラーによって、"Methinks is like a weasel"へと数世代で、インテリジェンスによらずに自然選択によって進化するプログラムを提示した。しかし、ターゲットとする文をあらかじめ決めることで、インテルジェンスを含みこんでいる。

Source:
Gitt, Werner, and Carl Wieland, 1998. Weasel words. Creation Ex Nihilo 20(4) (Sep/Nov): 20-21. http://www.answersingenesis.org/docs/3746.asp

Response:

  1. Dawkins's simulation was plainly stated in his book to demonstrate selection, not evolution. It was intended to show the difference between cumulative selection and single-step selection. Attempts to apply Dawkins's simulation to evolution as a whole are a misreading of his book.
    ドーキンスが本で示したシミュレーションは進化ではなく、選択の例示である。これは累積的選択と、一段階の選択の違いを示そうとしてものである。それを進化全体にあてはめようとすることは、ドーキンスの本の誤読である。
  2. Other evolution simulations do demonstrate all the salient features of evolution (Lenski et al. 2003). They do include a fitness function, but simulating fitness is part of simulating evolution.
    他の進化シミュレーションでは、進化の特徴をすべて例示している[Lenski et al.2003]。彼らはフィットネス関数を含んでいるが、フィットネスのシミュレーションは、進化のシミュレーションの一部である。


References:

  1. Dawkins, Richard, 1986. The Blind Watchmaker. New York: Norton.
  2. Lenski, R. E., C. Ofria, R. T. Pennock and C. Adami, 2003. The evolutionary origin of complex features. Nature 423: 139-144. http://myxo.css.msu.edu/papers/nature2003/ See also: National Science Foundation, 2003. Artificial Life Experiments Show How Complex Functions Can Evolve. http://www.sciencedaily.com/releases/2003/05/030508075843.htm
ターゲットのない遺伝的アルゴリズムより進化の例示もある。たとえば:

==>Dave Thomas: "Target? TARGET? We don’t need no stinkin’ Target!" (2006/07/05) on Panda's Thumb

これは見事な、ターゲットのない進化シミュレーションになっている。



まだまだ続く...
posted by Kumicit at 2007/12/04 01:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする