2011/01/15

科学の方法を教えても解決しないかも

人々がニセ科学を信じる理由として、Michael Shermerが10年ほど前に、こんなことを書いている。
Smart people believe weird things because they are skilled at defending beliefs they arrived at for non-smart reasons.

Rarely do any of us sit down before a table of facts, weigh them pro and con, and choose the most logical and rational explanation, regardless of what we previously believed. Most of us, most of the time, come to our beliefs for a variety of reasons having little to do with empirical evidence and logical reasoning. Rather, such variables as genetic predisposition, parental predilection, sibling influence, peer pressure, educational experience and life impressions all shape the personality preferences that, in conjunction with numerous social and cultural influences, lead us to our beliefs. We then sort through the body of data and select those that most confirm what we already believe, and ignore or rationalize away those that do not. [This phenomenon, called the confirmation bias]

賢い人々は、賢くない理由で自分たちが到達し信条を擁護することに長けているので、変なものを信じる。

我々が、事実を前に腰を落ち着けて、賛否両論を秤にかけ、最も論理的かつ合理的な説明を、自分がこれまで信じてきたもに関わらず選択するということは、ほとんどない。我々の大半は、ほとんどの場合、様々理由で到達した信条は、経験的証拠や論理的推論によって影響されることはない。むしろ。、遺伝的要因・親の好み・兄弟姉妹の影響・仲間からの圧力・教育経験・生活の印象などのによって個人の好みが形成され、多くの社会的および文化的影響と相まって、我々の信条をつくりあげる。そして、我々はデータ全体を並べなおして、既に信じていることを最も核にできるデータを選択し、そうでないデータを無視するか、合理化する。[この現象を確認バイアスと呼ばれる]

[Michael Shermer: "Smart People Believe Weird Things" (2002/09) ]
特に強い理由や合理性もなく信条を作り上げていて、それに反するデータがあっても無視・合理化する傾向を持つという人間の特性によるものだとMichael Shermerは言う。

これは、数日前に取り上げたように、それほど関心のない分野についても同様で、ひとたびニセ科学を信じたら、その印象を消すのは容易ではない。

で、Michael Shermerは対策として、科学知識だけでなく科学の方法を教えることを挙げる。
The key here is teaching how science works, not just what science has discovered. We recently published an article in Skeptic (Vol. 9, No. 3) revealing the results of a study that found no correlation between science knowledge (facts about the world) and paranormal beliefs. The authors, W. Richard Walker, Steven J. Hoekstra and Rodney J. Vogl, concluded: “Students that scored well on these [science knowledge] tests were no more or less skeptical of pseudoscientific claims than students that scored very poorly. Apparently, the students were not able to apply their scientific knowledge to evaluate these pseudoscientific claims. We suggest that this inability stems in part from the way that science is traditionally presented to students: Students are taught what to think but not how to think.”

ここでのキーは科学が発見したことだけでなく、科学の方法も教えることである。我々は最近(2002年)、Skeptic Magazine(Vol.9 No.3)の記事で、科学的知識(世界に関する事実)と超自然を信じることに相関がないことを示した研究結果を報告した。著者であるW. Richard WalkerとSteven J. HoekstraとRodney J. Voglは「科学知識のテストのスコアが高かった学生は、超自然な主張について懐疑度は、スコアが低かった学生と変わりなかった」と結論した。学生たちは科学的知識を、これらの超自然な主張の評価に適用できていないようである。その理由のひとつとして、「学生たちに科学を提示する伝統的な方法、すなわち、どう考えるかではなく、何を考えるかを教える」ことを挙げている。

[Michael Shermer: "Smart People Believe Weird Things" (2002/09) ]
しかし、科学の方法を教えても、効果は期待できないかもしれないという研究がある。

==>Matthew Johnson & Massimo Pigliucci: "Is knowledge of science associated with higher skepticism of pseudoscientific claims?", The American Biology Teacher 66(8):536-548. 2004 doi: 10.1662/0002-7685(2004)066[0536:IKOSAW]2.0.CO;2

これは2004年に発表されたUniversity of TennesseeのMatthew JohnsonとMassimo Pigiucciの研究結果で、University of Tennesseeの学生を対象として調査を行ったものである。
We presented our survey to four classes, two second-year biology and two second-year philosophy classes. Our original experimental design assumed that philosophy majors would attend the philosophy classes, but due to class scheduling conflicts at the time of the survey, the only philosophy classes we had access to were in fact ethics classes attended by business majors. Overall, there were 170 respondents. [University of Tennessee - Knoxville]

我々は、2年の生物学および2年の哲学の授業について行った調査結果を報告する。元々の我々の実験デザインでは、哲学専攻の学生は哲学の授業に出席すると仮定していたが、調査時点では授業スケジュールが重なっていて、我々が調査できた哲学の授業は実際には、経営専攻の学生が出席する倫理学の授業だった。全体で170名の回答があった。
...
Table 5. Pairwise Spearman's rank correlation coefficients relating overall scores of students in pseudoscience, science facts and science concepts categories. Significance levels of the statistical tests are in parentheses. Similar results were obtained using either Kendall's rank or Pearson parametric correlation coefficients.

表5: 疑似科学を信じる・科学の知識・科学の方法についての学生たちのスコアの、スピアマンの順位相関係数。()内は有意水準。ケンドールの順位相関およびピアソンのパラメトリック相関でも結果は同様。

疑似科学を信じる   科学の知識
科学の知識 -0.18 -
(0.0228)
科学の方法 -0.06 +0.27
(0.4383) (0.0007)

[Matthew Johnson & Massimo Pigliucci: "Is knowledge of science associated with higher skepticism of pseudoscientific claims?", The American Biology Teacher 66(8):536-548. 2004 doi: 10.1662/0002-7685(2004)066[0536:IKOSAW]2.0.CO;2]
科学の知識も科学の方法も、効いてそうにない結果となっている。確定的なことは言えるようなものではないが、科学の知識や方法を教える他に、別の手が必要なようである(もっとも、そんなものが存在するのかわからないが)。



ちなみに、この調査に用いられたアンケートは...


1. 以下のうち、どれが地球の全エネルギーあるいはほぼ全エネルギーの主要な源か?
(A) 植物
(B) 動物
(C) 石炭
(D) 石油
(E) 太陽


2. 以下のうち、どれが正しいか?
(A) エネルギーはひとつの形態から別の形態に転換できる
(B) エネルギーはひとつの形態から別の形態に転換できない
(C) 運動している物体が、その動きによって持っているエネルギーは、正しくはポテンシャルエネルギーとして知られている
(D) 物体がその位置によって持っているエネルギーは運動エネルギーと言われる。
(E) 核分裂エネルギーが2005年のエネルギー源第1位であること、大半の科学者は容易に同意する。


3. 傷の近くの皮膚に磁石をあてることで、傷が癒える
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


4. 科学は。いずれ変わるかもしれない、一時的な結論しか出せない
(T) 正しい
(F) 間違っている


5. 科学は「科学的方法」と呼ばれる研究実行のひとつ一定の方法を持っている
(T) 正しい
(F) 間違っている


6. フォトン(光子)は...
(A) 粒子である
(B) 波である
(C) エネルギーの単位である
(D) 状況により、粒子であり、波である
(E) 光を説明するために使われる理論的存在


7. 政府は異星人がエリア51のような場所に来ている証拠を隠している
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


8. 科学理論は説明であって事実ではない
(T) 正しい
(F) 間違っている


9. 人間は心を使って、未来を見たり、他人の思考を読んだりできる。
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


10. 占星術により、人の性格や未来を知ることができる
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


11. 旋毛虫の重い感染により、人は旋毛虫症という病気になることがある。このような状況を記述する最も適切な言葉はどれか?
(A) 寄生
(B) 共生
(C) コマーシャリズム
(D) 慈善
(E) 良性


12. 有機化合物と無機化合物の主たる違いは以下のどれか?
(A) 有機化合物は生きている化合物であり、無機化合物は生きていない化合物である
(B) 有機化合物よりも、無機化合物の方が多くの種類がある
(C) 無機化合物は有機化合物からのみ、合成可能である
(D) 有機化合物は無機化合物からのみ、合成可能である
(E) 有機化合物は炭素を含む


13. 周期表のPbはどれか?
(A) 鉄
(B) リン
(C) 鉛
(D) プルトニウム
(E) カリウム


14. ビッグフットと呼ばれる類人猿のような哺乳類が、アメリカ大陸の森林を歩き回っている
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


15. 科学は事実に関するものであって、人間や、事実の解釈に関するものではない
(T) 正しい
(F) 間違っている


16. 科学的であるためには、実験を行う必要がある
(T) 正しい
(F) 間違っている


17. ネッシーとも呼ばれる恐竜がスコットランドの湖に生息している
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


18. チェーンメールを送ると、幸運になれる
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


19. ひとつの実験で理論が正しいと証明できる
(T) 正しい
(F) 間違っている


20. 新しいチョークを計測するのに適した単位はどれか?
(A) メートル
(B) リットル
(C) キログラム
(D) デシメートル
(E) キロメートル


21. リトマス試験紙をHClに浸けると、どうなるか?
(A) リトマス試験紙の色は変化しない
(B) リトマス試験紙が溶ける
(C) リトマス試験紙が青色になる
(D) リトマス試験紙が赤色になる
(E) 炭酸から酸素が発生する


22. 科学は部分的には、信条・仮定・観測不可能なものに基づいている
(T) 正しい
(F) 間違っている


23. ネコやイヌのような動物は幽霊の存在を感知できる
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


24. 以下のうち、遺伝障害はどれか?
(A) ダウン症候群
(B) 梅毒
(C) マラリア
(D) 白血病
(E) 肺気腫


25. 科学法則は徹底的に確認された理論である
(T) 正しい
(F) 間違っている


26. 受け入れられた理論とは、十分な証拠によって確認され、反証しようという試みに耐えている仮説である
(T) 正しい
(F) 間違っている


27. ヴードゥーの呪いは本当にあって、人を殺したことが知られている
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


28. 科学者は直接観測されたことがない理論的存在が存在することを受け入れている
(T) 正しい
(F) 間違っている


29. 鏡が壊れると、長い年月にわたって不幸が訪れる
(1) まったく信じない
(2) それが正しいか疑っている
(3) 正しいか間違っているか、わからない
(4) 正しいと信じている
(5) 正しいと強く信じている。


30. 地球が最も太陽に近づくのはいつか?(北半球の季節のなかで)
(A) 夏
(B) 秋
(C) 冬
(D) 春
(E) 春と夏





1. E 科学の知識
2. A 科学の知識
3. - 疑似科学
4. T 科学の方法
5. F 科学の方法
6. E 科学の知識
7. - 疑似科学
8. T 科学の方法
9. - 疑似科学
10. - 疑似科学
11. A 科学の知識
12. E 科学の知識
13. C 科学の知識
14. - 疑似科学
15. F 科学の方法
16. F 科学の方法
17. - 疑似科学
18. - 疑似科学
19. F 科学の方法
20. D 科学の知識
21. D 科学の知識
22. T 科学の方法
23. - 疑似科学
24. A 科学の知識
25. F 科学の方法
26. T 科学の方法
27. - 疑似科学
28. T 科学の方法
29. - 疑似科学
30. C 科学の知識

[Matthew Johnson & Massimo Pigliucci: "Is knowledge of science associated with higher skepticism of pseudoscientific claims?", The American Biology Teacher 66(8):536-548. 2004 doi: 10.1662/0002-7685(2004)066[0536:IKOSAW]2.0.CO;2]

posted by Kumicit at 2011/01/15 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | Skeptic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011/01/06

否定論者と戦うときに Again

4年前のWashington Postの記事がとても面白いので取り上げてみる。
cdc.jpg

The federal Centers for Disease Control and Prevention recently issued a flier to combat myths about the flu vaccine. It recited various commonly held views and labeled them either "true" or "false." Among those identified as false were statements such as "The side effects are worse than the flu" and "Only older people need flu vaccine."

When University of Michigan social psychologist Norbert Schwarz had volunteers read the CDC flier, however, he found that within 30 minutes, older people misremembered 28 percent of the false statements as true. Three days later, they remembered 40 percent of the myths as factual.

Younger people did better at first, but three days later they made as many errors as older people did after 30 minutes. Most troubling was that people of all ages now felt that the source of their false beliefs was the respected CDC.

米国疾病予防管理センター(CDC)は最近(2007年)、インフルエンザワクチンに関する俗説に対抗するビラを作成した。これは多くの広まった見方を提示して、「正しい」「誤り」に分類していた。「誤り」には「副作用はインフルエンザよりも悪い」と「老人のみ予防接種が必要」があった。

University of Michiganの社会心理学者Norbert Schwarzは被験者にこのCDCのビラを読ませたが、30分後には、高年齢の人々は「誤り」のうち28%を「正しい」と記憶していた。3日後には、40%の俗説を事実だと記憶していた。

若い人々は最初は高年齢の人々よりうまくやったが、3日後には高年齢の人々の30分後の結果と同程度になった。もっとも問題なのは、年齢によらず、[正しいと間違って記憶していた]誤った考えの情報源がCDCだと感じてたことだ。

[Shankar Vedantam: "Flu vaccine Facts mythes--Persistence of Myths Could Alter Public Policy Approach" (2007/09/04) on Washington Post]
要するに...
  • 与えられた情報:「CDCは言っている『副作用はインフルエンザよりも悪い』は『誤りだ』と」
  • 記憶に残った事:「CDCは言っている『副作用はインフルエンザよりも悪い』と」

という傾向があることを確認したNorbert Schwarzの研究から記事は始まる。

そして..
The research is painting a broad new understanding of how the mind works. Contrary to the conventional notion that people absorb information in a deliberate manner, the studies show that the brain uses subconscious "rules of thumb" that can bias it into thinking that false information is true. Clever manipulators can take advantage of this tendency.

The experiments also highlight the difference between asking people whether they still believe a falsehood immediately after giving them the correct information, and asking them a few days later. Long-term memories matter most in public health campaigns or political ones, and they are the most susceptible to the bias of thinking that well-recalled false information is true.

The experiments do not show that denials are completely useless; if that were true, everyone would believe the myths. But the mind's bias does affect many people, especially those who want to believe the myth for their own reasons, or those who are only peripherally interested and are less likely to invest the time and effort needed to firmly grasp the facts.


このNorbert Schwarzの研究は心の働きについての新たな理解を示して見せている。「人々は意図的に情報を吸収するのだ」という従来の考えと違って、この研究は「脳は、誤った情報を正しいと考えるようにバイアスをかける意識下のルールを使っている」ことを示している。賢い情報操作に、この傾向を利用できる。

実験では、「誤った考えを今も信じているか」と正しい情報を与えた直後に被験者に質問した結果と、それから数日後に質問した結果の違いを見ている。公衆衛生キャンペーンや政治キャンペーンでは長期記憶が問題となる。それらは、よく覚えている誤った情報を正しいと考えるバイアスに影響されやすい。

実験では、誤った情報を否定することが全く役に立たないことを示したわけではない。もしそうなら、誰もが俗説を信じるだろう。しかし、心のバイアスは多くの人々、特に「俗説を信じたい理由を持っている」人々や、「ちょっとした興味しかなくて、事実を確実に把握するために必要な時間と努力を使いたくない」人々には、影響を及ぼしている。
人間の脳の働き、「先に情報をばらまいた方が勝つ」という状況を作りだしているらしい。

そして、さらに「誤った情報を否定する」という懐疑論者の行動自体が、「誤った信念を強化する」可能性さえし提起される。
The research also highlights the disturbing reality that once an idea has been implanted in people's minds, it can be difficult to dislodge. Denials inherently require repeating the bad information, which may be one reason they can paradoxically reinforce it.

この研究はまた、「人々の心にひとたび植えつけられた考えを除去するのは困難である」という困った現実も明らかにしている。「俗説を否定する情報を流すには必然的に、その対象である誤った情報を流す必要があり」そのことが、「俗説を否定する情報を流すことで、結果として人々の誤りを強化することになる」理由でもある。
記憶に留まるのが、依然聞いたことがある部分だけという悲しいことになるようだ。

こうなるのは、繰り返し入ってくる情報は正しい情報だと判断してしまう意識下のルールがあるためだという。
a new experiment by Kimberlee Weaver at Virginia Polytechnic Institute and others shows that hearing the same thing over and over again from one source can have the same effect as hearing that thing from many different people -- the brain gets tricked into thinking it has heard a piece of information from multiple, independent sources, even when it has not. Weaver's study was published this year in the Journal of Personality and Social Psychology.

The experiments by Weaver, Schwarz and others illustrate another basic property of the mind -- it is not good at remembering when and where a person first learned something. People are not good at keeping track of which information came from credible sources and which came from less trustworthy ones, or even remembering that some information came from the same untrustworthy source over and over again. Even if a person recognizes which sources are credible and which are not, repeated assertions and denials can have the effect of making the information more accessible in memory and thereby making it feel true, said Schwarz.

Virginia Polytechnic InstituteのKimberlee Weaverたちの新たな実験で、「同じ情報源から繰り返し同じことを聞かされる」のと「多くの人々から同じことを聞かされる」のと同じ効果をもたらすことを示した。すなわち、実際にはそうではないのに、複数の独立した情報源から情報を得たと脳が考えてしまう。Weaverの研究は今年(2007年)、Journal of Personality and Social Psychologyに掲載された。

Weaverたちの実験は、心の別な基本特性も示している。それは、人間は最初にどこで情報を得たかを覚えるのが不得意だということである。そして、人々はどの情報が信頼できる情報源から来たのか、どの情報が疑わしい情報源から繰り返し来たのか覚えるのが不得意だ。「たとえ、どの情報源が信頼できて、どの情報源が疑わしいか知っていても、繰り返される主張と否定によって、情報が脳内記憶に触れやすくなり、より正しいと感じやすくなる」と共著者のSchwartzは言う。
さらに「***という主張があるが、それは誤りだ」と聞かされても、時間がたつと「***という主張がある」だけが残ってしまうという研究もある。
Experiments by Ruth Mayo, a cognitive social psychologist at Hebrew University in Jerusalem, also found that for a substantial chunk of people, the "negation tag" of a denial falls off with time. Mayo's findings were published in the Journal of Experimental Social Psychology in 2004.

"If someone says, 'I did not harass her,' I associate the idea of harassment with this person," said Mayo, explaining why people who are accused of something but are later proved innocent find their reputations remain tarnished. "Even if he is innocent, this is what is activated when I hear this person's name again. ....

Mayo found that rather than deny a false claim, it is better to make a completely new assertion that makes no reference to the original myth. Rather than say, as Sen. Mary Landrieu (D-La.) recently did during a marathon congressional debate, that "Saddam Hussein did not attack the United States; Osama bin Laden did," Mayo said it would be better to say something like, "Osama bin Laden was the only person responsible for the Sept. 11 attacks" -- and not mention Hussein at all.

エルサレムのHebew Universityの認知社会心理学者Ruth Mayoの実験でも「多く人々が、否定情報の『否定タグ』が時間とともに欠落させてしまうこと」が示された。Mayoの発見は2004年に Journal of Experimental Social Psychologyに掲載された。

ひとたび嫌疑を受けた後で無罪になった人物に悪い評判が残る理由を説明として「誰かがもし『私は彼女にハラスメントしていない』と言ったら、わたしはこの人物とハラスメントを関係づける。彼がたとえ無罪でも、この人物の名前を聞くと、この関連を思い出す」とMayoは言う。

Mayoは「誤った主張を否定するより、もとの誤った主張に触れずに、まったく別の新しい主張をした方が良い」ことを発見した。近頃、連邦上院議員Mary Landrieu(民主党)は長時間の連邦議会の議論において「サダムフセインが米国を攻撃したのではない。やったのはオサマ・ビン・ラディン」だと述べたが、フセインに言及せずに「オサマ・ビン・ラディンのみが9..11の攻撃の元凶である」と述べたほうが良いとMayoは言う。
つまり、こうなる:
  • 与えられた情報:「サダム・フセインは米国を攻撃していない。オサマ・ビン・ラディンが攻撃した」
  • 記憶に残った事:「サダム・フセインは米国を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・攻撃した」


  • 与えられた情報:「オサマ・ビン・ラディンが9.11の攻撃の元凶である」
  • 記憶に残った事:「オサマ・ビン・ラディンが9.11の攻撃の元凶である」


このような別な形での情報提示が不可能で、「誤った主張を否定する」か「沈黙する」かの2択になる場合も多い。その場合...
So is silence the best way to deal with myths? Unfortunately, the answer to that question also seems to be no.

Another recent study found that when accusations or assertions are met with silence, they are more likely to feel true, said Peter Kim, an organizational psychologist at the University of Southern California. He published his study in the Journal of Applied Psychology.

それでは俗説に沈黙するのが最善の方法か? 残念ながら、それに対する答えはノーだろう。

「別の最近の研究で、告発あるいは主張に対して、誰もが沈黙した場合、その告発あるいは主張は正しいを受け取られる可能性が高まることが明らかになった」と、University of Southern Californiaの組織心理学者Peter Kimは言う。彼はその研究をJournal of Applied Psychologyに掲載した。
対抗議論を出さないのもまずいらしい。

で、これらから言えることは、「ビリーバーを説得するのは非常に困難なので、ビリーバー対策は諦めて、ビリーバーになる前の人々に情報を先に注入することで、ビリーバーになるのを防ぐ」というのが、現実的に狙える限界線だということだろう。

posted by Kumicit at 2011/01/06 01:18 | Comment(0) | TrackBack(1) | Skeptic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/06/15

否定論者と戦うときに

Pascal Diethelm and Martin McKeeは否定論者の行動の特徴をまとめている。ちょっと長いので、Debora MacKenzieによる概要版を列挙する。ただし最初の5個がオリジナルで、6個目MacKenzieの追加項目:.

  1. Allege that there's a conspiracy. Claim that scientific consensus has arisen through collusion rather than the accumulation of evidence.
    陰謀があると主張する。科学的コンセンサスは証拠の集積ではなく談合によってできたと主張する。

  2. Use fake experts to support your story. "Denial always starts with a cadre of pseudo-experts with some credentials that create a facade of credibility," says Seth Kalichman of the University of Connecticut.
    自分たちの主張を支持するフェイクな専門家を使う。「否定論は、信頼性を仮装する何らかの資格を持つ疑似専門家要員から始まる」とUniversity of ConnecticutのSeth Kalichmanは言う。

  3. Cherry-pick the evidence: trumpet whatever appears to support your case and ignore or rubbish the rest. Carry on trotting out supportive evidence even after it has been discredited.
    証拠のつまみ食い。自分の主張を支持すると思われる証拠を吹聴し、そうでない証拠を無視するか、捨てる。たとえ信頼性を失った証拠でも自分を支持する証拠を担ぎ続ける。

  4. Create impossible standards for your opponents. Claim that the existing evidence is not good enough and demand more. If your opponent comes up with evidence you have demanded, move the goalposts.
    敵対者に対して、不可能な基準を創る。既存の証拠は不十分で、もっと必要だと主張する。もし敵対者が、要求した証拠を持ってきたら、それでは不十分で、もっと必要だと主張する。

  5. Use logical fallacies. Hitler opposed smoking, so anti-smoking measures are Nazi. Deliberately misrepresent the scientific consensus and then knock down your straw man.
    詭弁を使う。ヒトラーは喫煙に反対したので、禁煙対策はナチだ。意図的に科学的コンセンサスを偽って提示し、その藁人形を打ち倒す。

  6. Manufacture doubt. Falsely portray scientists as so divided that basing policy on their advice would be premature. Insist "both sides" must be heard and cry censorship when "dissenting" arguments or experts are rejected.
    疑いを創りだす。科学者たちの意見は割れているという偽りの描写を行い、科学者たちの助言の基づく政策は時期尚早だと主張する。「両側」の意見を聴く必要があると主張し、「非主流」の論や専門家が否定されると、検閲だと叫ぶ。
これらは目新しいものではなく、従来から観察されてきたことのまとめ。

Pascal Diethelm and Martin McKeeはこのような否定論者に対して、

Denialists are driven by a range of motivations. For some it is greed, lured by the corporate largesse of the oil and tobacco industries. For others it is ideology or faith, causing them to reject anything incompatible with their fundamental beliefs. Finally there is eccentricity and idiosyncrasy, sometimes encouraged by the celebrity status conferred on the maverick by the media.

否定論者たちは様々な動機を持っている。ある者たちは石油産業やタバコ会社の気前の良さに釣られる。またある者たちはイデオロギーと信仰を動機とし、自分たちの根本的な信仰に反するものは何でも否定する。そして最後は、エキセントリックあるいは特異性。時にはメディアで一匹狼と持ち上げられた有名人の立場。

Whatever the motivation, it is important to recognize denialism when confronted with it. The normal academic response to an opposing argument is to engage with it, testing the strengths and weaknesses of the differing views, in the expectations that the truth will emerge through a process of debate. However, this requires that both parties obey certain ground rules, such as a willingness to look at the evidence as a whole, to reject deliberate distortions and to accept principles of logic. A meaningful discourse is impossible when one party rejects these rules. Yet it would be wrong to prevent the denialists having a voice. Instead, we argue, it is necessary to shift the debate from the subject under consideration, instead exposing to public scrutiny the tactics they employ and identifying them publicly for what they are. An understanding of the five tactics listed above provides a useful framework for doing so.

動機が何であれ、重要なことは直面しているものが否定論だと認識することだ。通常の学術的な反応は、論争の過程で真実が明らかになるとの期待のもとに、敵対する論との論争を行い、異なる見方について強いところと弱いところを検証する。しかし、これが成立するには論争の両側が基本的なルールに従う必要がある。たとえば、証拠全体を見て、意図的歪曲を拒否し、論理の原則を受け入れるなど。当事者の一方がこれらのルールを拒否すれば、有意義な議論は不可能になる。しかし、それでも否定論者たちを声を抑圧することは間違っている。そうではなくて、問題としているテーマの論争から、否定論者たちの戦術を人々の目に示し、否定論者たちが何者であるかを明らかにすることにシフトすべきである。これを行うのに、上記の5つの戦術リストが役に立つだろう。

[Pascal Diethelm and Martin McKee: "Denialism: what is it and how should scientists respond?", The European Journal of Public Health 2009 19(1):2-4; doi:10.1093/eurpub/ckn139 ]
否定論者たちのと戦闘では、否定論者たちとの論争ではなく、否定論者たちの戦術と何者であるかを人々に知らしめる行動が必要だという。

これは他の人々も指摘するところであり、たとえばDr. Stephen J Gouldから直接論争を避けるように助言されたDr. Richard Dawkinsは以後、本やメディアなどの手段で戦闘を続行している。

また、HIV否定論では、無視したことが、被害の拡大を招いたとTara C Smithは指摘する
posted by Kumicit at 2010/06/15 00:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | Skeptic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/05/30

否定論者との論争

Richard Dawkinsは、テレビ討論のような形での創造論者とのディベートを拒否するようになった理由を次の様に述べている:
Some time in the 1980s when I was on a visit to the United States, a television station wanted to stage a debate between me and a prominent creationist called, I think, Duane P Gish. I telephoned Stephen Gould for advice. He was friendly and decisive: "Don't do it." The point is not, he said, whether or not you would 'win' the debate. Winning is not what the creationists realistically aspire to. For them, it is sufficient that the debate happens at all. They need the publicity. We don't. To the gullible public which is their natural constituency, it is enough that their man is seen sharing a platform with a real scientist. "There must be something in creationism, or Dr So-and-So would not have agreed to debate it on equal terms." Inevitably, when you turn down the invitation you will be accused of cowardice, or of inability to defend your own beliefs. But that is better than supplying the creationists with what they crave: the oxygen of respectability in the world of real science. I have followed his advice ever since

1980年代のあるとき、私は、Duane P Gishだったと思うが、有名な創造論者とテレビ討論するために、米国のテレビ局に向かうところだった。私はStephen Gouldにアドバイスを求めて電話した。彼はフレンドリーかつ断固として「ディベートしてはいけない」と言った。問題はディベートに勝つか負けるかではない。創造論者たちは現実的に求めているのは勝利ではない。彼らにとってはディベートしただけで十分なのだ。彼らは評判を必要としているが、我々には必要ない。騙されやすい一般人にとっては、創造論者たちが本物の科学者と同じ舞台に立っているというだけで十分なのだ。「創造論にも見るべきものがある」あるいは「誰々博士は公平な条件での討論に合意しなかった」と。もちろん、ディベートの招待を断れば、臆病あるいは、自分が信じているものを擁護できないのだと謗られる。しかし、それでも創造論者が切望しているもの、すなわち本物の科学の世界で払われる敬意を与えるよりはましだ。それ以来、私は彼のアドバイスに従っている。

[Richard Dawkins:"Why I Won't Debate Creationists" (2006/05/14)]
創造論者、そしてインテリジェントデザイン運動家たちは、「Teach the Controvesy(論争の存在を教えろ)」という名目で、公立学校の理科教育へ侵入しようとした。だからこそ、公開討論という手段を拒否すべきだというStephen Gouldの考えは正しい。そして、Richard Dawkinsは本や進化論を扱うテレビ番組やネットなど別なる手段で戦闘を継続する。

同様の考え方はBrian Dunningなども共有するところ:
When you advertise a debate, maybe 1,000 people will attend. And let's say you do a smashing job and manage to convince that entire handful of convincable attendees that science is real. Great, you won over five people. But what you're forgetting is that for those 1,000 attendees, there are 5,000 people out there who heard about the debate (they saw the ads or flyers or whatever) who did not attend. What you unintentionally communicated to those 5,000 people is that your scientific discipline is academically comparable to the pseudoscientific version, and that both are equally valid. The fact that the debate exists at all struck a blow to the public's perception of the credibility of science that far outweighs any progress you may have made in the room.

キミがディベートを広報すれば、1000人くらいが参加するかもしれない。そして、キミは見事に敵を倒して、わずかな本当に学ぼうとしている参加者全員に科学が正しいと納得させたとしよう。すばらしい、キミは5人を獲得した。しかし、キミが忘れているのは1000人の参加者たち、そして参加していないが広報やフライヤーか何かを見てディベートのことを聞いた5000人だ。キミが意図せずして、この5000人に伝えたことは、キミの科学分野がニセ科学バージョンと学術的に比肩するものであり、両者は等しく有効だということだ。ディベートでキミがどれだけのことを成し遂げようとも、ディベートが行われたという事実が科学の信憑性に対する人々の認識に対する打撃となる。

[Brian Dunning: "Should Science Debate Pseudoscience?" (2009/08/18) on Skeptoid, ]
しかし、進化否定論たる創造論やインテリジェントデザインとの戦いと異なり、HIV否定論の様相は違っている。

2010年5月18日からNewScientistが掲載している、否定論問題についてシリーズ「Special report: Living in denial」に登場した、HIV否定論と戦うMichael Fitzpatrickは次のように述べる:
THE epithet "denier" is increasingly used to bash anyone who dares to question orthodoxy. Among other things, deniers are accused of subordinating science to ideology. In his book Denialism: How irrational thinking hinders scientific progress, harms the planet, and threatens our lives, for example, Michael Specter argues that denialists "replace the rigorous and open-minded scepticism of science with the inflexible certainty of ideological commitment".

How ironic. The concept of denialism is itself inflexible, ideological and intrinsically anti-scientific. It is used to close down legitimate debate by insinuating moral deficiency in those expressing dissident views, or by drawing a parallel between popular pseudoscience movements and the racist extremists who dispute the Nazi genocide of Jews.

As philosopher Edward Skidelsky of the University of Exeter, UK, has argued, crying denialism is a form of ad hominem argument: "the aim is not so much to refute your opponent as to discredit his motives". The expanding deployment of the concept, he argues, threatens to reverse one of the great achievements of the Enlightenment - "the liberation of historical and scientific inquiry from dogma".

「否定論者」という呼び名は、正統性に疑問を呈する者たちを叩くために、ますます使われるようになっている。いろいろあるなかでも否定論者は、科学をイデオロギーに従がわせる者だと批判される。Michael Shermerは自著「ダーウィニズム: 非合理的な考えが科学の発展を妨げ、地球に害を与え、多くの人々の命を脅かす」で、彼は否定論者が「厳格で開放的な科学の懐疑論と、柔軟性のない確定的なイデオロギーで置き換える」と論じている。

なんとアイロニーなこと。「否定論」の概念自体が柔軟性のない、イデオロギー的で、反科学である。非主流な見方を提示する者たちの倫理的欠陥を仄めかしたり、よくある疑似科学運動とナチスによるユダヤ人の虐殺に異議を唱える人種差別主義過激派を同じものとすることで、正当な議論を終わらせることに使われる。

英国University of Exeterの哲学者Edward Skidelskyは、相手を否定論だと主張することは「敵に対して反論するよりも、敵の動機の信用を落とすことを目指す」人身攻撃の一形態だと論じる。さらに彼は、これが嵩じれば、「教義に対する歴史的・科学的探究の解放」という啓蒙主義の偉大な成果のひとつを、逆に脅かすものだと論じている。

[Michael Fitzpatrick: Living in denial: Questioning science isn't blasphemy (2010/05/22) on NewScientist]
創造論との戦いでは、「創造論」はダーティワードとして当然のごとく使われている。それに対して、Michael Fitzpatrickは「HIV否定論」という用語を使うべきでないと言う。それは....
Don't get me wrong: the popular appeal of pseudoscience is undoubtedly a problem. But name-calling is neither a legitimate nor an effective response.

Take, for example, two areas in which I have had some involvement: the controversies arising from Peter Duesberg's claim that HIV does not cause AIDS, and the links between vaccines and autism alleged by the former academic gastroenterologist Andrew Wakefield.

Both Duesberg and Wakefield were reputable scientists whose persistence with hypotheses they were unable to substantiate took them beyond the limits of serious science. Though they failed to persuade their scientific peers, both readily attracted supporters, including disaffected scientists, credulous journalists, charlatans, quacks and assorted conspiracy theorists and opportunist politicians.

In both cases, scientists were dilatory in responding, dismissing the movements as cranks and often appearing to believe that if they were ignored they would quietly disappear. It took five years before mainstream AIDS scientists produced a comprehensive rebuttal of Duesberg. Though child health authorities were alert to the threat of the anti-vaccine campaign, researchers were slow to respond, allowing it to gather momentum.

誤解しないでほしい。疑似科学の人気は間違いなく問題である。しかし、否定論者と呼ぶことは正当なことでも、有効な対処でもない。

たとえば、私は何らかの形で関わった2つの例がある。ひとつはHIVはAIDSを起こさないというPeter Duesbergの主張であり、もうひとつは胃腸科研究医であるAndrew Wakfieldが主張したワクチンと自閉症の関係である。

DuesbergとWakefieldはいずれも評価の高い科学者であり、立証できない仮説を持つ続けたことで、真摯な科学の限界を超えてしまった。彼らは同業の科学者を納得させられなかったが、いずれも、不満を抱く科学者や騙されやすいジャーナリストや詐欺師やニセ医師や陰謀論者やご都合主義の政治家など、多くの支持者を容易に集めることができた。

いずれに対しても、科学者たちの対処は遅れがちだった。科学者たちはそのような運動を変なやつらだと思うだけで忘れてしまい、無視していれば、いずれは静かに消え去ると考えていた。主流のAIDS科学者たちが、Duesbergに対して包括的な反論を行うまでに5年が経過していた。子供の医療の専門家たちは反ワクチン運動の危険性に警告を発していたが、研究者たちは緩慢にしか反応せず、結果としては反ワクチン運動を勢いづけた。

[Michael Fitzpatrick: Living in denial: Questioning science isn't blasphemy (2010/05/22) on NewScientist]
創造論との戦いでは、積極的に戦う人々が多くいる。これに対して、HIV否定論については、そうではないという現実があるのは確かだ。

この点について、疫学の研究者で、創造論とも闘うTara C, Smith助教授が、あまりニセ科学に触れていないと思われる医学系の専門家向けに、ニセ科学「HIV否定論(AIDS再評価)」の現状や"やり口"について述べている。その上で...
Because these denialist assertions are made in books and on the Internet rather than in the scientific literature, many scientists are either unaware of the existence of organized denial groups, or believe they can safely ignore them as the discredited fringe. And indeed, most of the HIV deniers' arguments were answered long ago by scientists. However, many members of the general public do not have the scientific background to critique the assertions put forth by these groups, and not only accept them but continue to propagate them. A recent editorial in Nature Medicine [32] stresses the need to counteract AIDS misinformation spread by the deniers.

これらのHIV否定論者の主張は、科学論文ではなく、本やインターネットで行われる。従って、多くの科学者たちは、そのような組織されたHIV否定論グループの存在を知らなかったり、知っていても、そのようなグループは信用できない狂信者として無視できると考えている。実際、HIV否定論者の論の大半は、はるか昔に科学者たちが回答したものだ。しかし、多くの普通の人々は、このようなグループが提示する主張を批判する科学的素養を持っていない。"Nature Medicine"誌の最近の社説は、HIV否定論者が広めているAIDSについての誤報を打ち消すことが必要だと強調している[32]。

[Smith TC, Novella SP (2007) HIV Denial in the Internet Era. PLoS Med 4(8): e256 doi:10.1371/journal.pmed.0040256 (2007/08/21) (訳1, 訳2, 訳3)]
自分の専門分野にニセ科学が生息しているのに気がついたら、各個撃破を繰り返すしかない。ひとたび撃墜しても、同じネタが蘇ってくるかもしれない。そのたびに反論を繰り返すことも必要だと説く。

Michael Fitzpatrickはだからこそ、論争が必要だと主張する。
Social psychologist Seth Kalichman of the University of Connecticut in Storrs mounts a typical defence of this stance in his book Denying Aids: Conspiracy theories, pseudoscience, and human tragedy. According to Kalichman, denialists often "cross the line between what could arguably be protected free speech". He justifies suppression of debate on the feeble grounds that this would only legitimise the deniers and that scientists' time would be better spent on research.

Such attempts to combat pseudoscience by branding it a secular form of blasphemy are illiberal and intolerant. They are also ineffective, tending not only to reinforce cynicism about science but also to promote a distrust for scientific and medical authority that provides a rallying point for pseudoscience.

As Skidelsky says, "the extension of the 'denier' tag to group after group is a development that should alarm all liberal-minded people". What we need is more debate, not less.

University of Connecticut in Storrsの社会心理学者Seth Kalichmanはこのスタンスについての典型的な擁護を自著「AIDS否定:陰謀論と疑似科学と人間の悲劇」で挙げている。Kalichmanによれば、否定論者たちはしばしば「間違いなく保護されるべき言論の自由の境界線を越える。」 彼は論争が否定論者たちを正統化してしまうでだけであり、科学者の時間は研究に費やすほうが良いのだという根拠薄弱な理由で、論争を抑圧することを正統化した。


神への冒涜の世俗バージョンとしてのブランディングによる疑似科学との戦いは、非リベラルで非寛容である。そのような方法には効果がなく、科学へのシニカルな見方を強化し、科学と医学の専門家に対する不信を高め、疑似科学へ集結点を作ってしまう。

Skidelskyが言うように「否定論タグを次々と別のグループに貼り続けると、リベラルな信条を持つ人々に警戒感を与える。」我々にはより一層の論争が必要である。

Bibliography
1.The Tyranny of Denial by Edward Skidelsky, Prospect, January 2010

Michael Fitzpatrick is a London doctor and author of Defeating Autism: A damaging delusion (Routledge, 2009)

[Michael Fitzpatrick: Living in denial: Questioning science isn't blasphemy (2010/05/22) on NewScientist]
「否定論」というカテゴリに入れる以上の対抗措置をしていないというのは問題だというのは正しいだろう。

「リベラルな信条を持つ人々に警戒感を与える」という問題は創造論/インテリジェントデザインおよび温暖化否定論で指摘する者はみあたらない。これは、創造論/インテリジェントデザインおよび温暖化否定論が主として福音主義キリスト教と連鎖しているのに対して、HIV否定論がキリスト教全般とともに、反大企業とも連鎖していることによるものかもしれない。
posted by Kumicit at 2010/05/30 02:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | Skeptic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/05/29

否定論と懐疑論と

2010年5月18日からNewScientistが掲載している、否定論問題についてシリーズ「Special report: Living in denial」で、Michael Shermerが「懐疑論者」と「否定論者」の線引きを提示している。
WHAT is the difference between a sceptic and a denier? When I call myself a sceptic, I mean that I take a scientific approach to the evaluation of claims. A climate sceptic, for example, examines specific claims one by one, carefully considers the evidence for each, and is willing to follow the facts wherever they lead.

A climate denier has a position staked out in advance, and sorts through the data employing "confirmation bias" - the tendency to look for and find confirmatory evidence for pre-existing beliefs and ignore or dismiss the rest.

Scepticism is integral to the scientific process, because most claims turn out to be false. Weeding out the few kernels of wheat from the large pile of chaff requires extensive observation, careful experimentation and cautious inference. Science is scepticism and good scientists are sceptical.

Denial is different. It is the automatic gainsaying of a claim regardless of the evidence for it - sometimes even in the teeth of evidence. Denialism is typically driven by ideology or religious belief, where the commitment to the belief takes precedence over the evidence. Belief comes first, reasons for belief follow, and those reasons are winnowed to ensure that the belief survives intact.

Denial is today most often associated with climate science, but it is also encountered elsewhere. For example, there are those who do not believe that HIV causes AIDS. Others say that the Holocaust did not happen, or reject the overwhelming evidence for evolution. All merit the moniker "denier", because no matter how much evidence is laid out before them they continue to deny the claim.

懐疑論と否定論の違いは何だろうか?私が主張の評価に科学的なアプローチをとるという意味で、私は自らを懐疑論者と称している。たとえば、気候変動懐疑論者は、特定の主張をひとつづつ慎重にそれぞれ証拠を検討し、事実が導くところに従がおうとする。

気候変動否定論者は事前にポジションをとっていて、確証バイアスによるデータ選択をしている。すなわち、予め持っている信念を指示する証拠をさげして、見つけ、それを否定する証拠を無視するか否定する。

懐疑論は科学の過程において必要なものである。というのうは、大半の主張は誤りだと判明するからだ。もみ殻の大きな山から少しの小麦を見つけるには、広範な観察と、注意深い実験と、慎重な推理が必要である。科学は懐疑論であり、良き科学者は懐疑的である。

否定論は違う。証拠の如何に関わらず、自動的に論争を行う。ときには、証拠が手元にあっても。否定論は典型的にはイデオロギーと信仰に導かれており、信仰へのコミットメントは証拠に優先する。信仰が最初で、信仰の理由が続き、その理由によって、信念がそのまま存続すよるように保証する。

否定論が今日に最も関連づいているのが気候科学であるが、他にもあらゆる場所に見られる。たとえば、HIVがAIDSを起こすことを信じない人々がいる、ホロコーストは起きていないという人々や、進化の圧倒的証拠を拒否する人々がいる。これらはすべて、否定論者に値する。というのうは、目の前にどれだけ証拠を詰まれても、否定し続けるからだ。
[Michael Shermer: "Living in denial: When a sceptic isn't a sceptic" (2010/05/18) on NewScientist]
科学は「仮説・予測・実験/観測・検証・仮説修正ループ」という方法であるので、定義上は懐疑論と否定論の線引きは(グレーゾーンがあるとしても)可能に見える。

したがって、仮説・主張単体では切れ分けられないこともある:
Though the distinction between scepticism and denial is clear enough in principle, keeping them apart in the real world can be tricky. It has, for example, become fashionable in some circles for anyone who dares to challenge the climate science "consensus" to be tarred as a denier and heaved into a vat of feathers. Do you believe in global warming? Answer with anything but an unequivocal yes and you risk being written off as a climate denier, in the same bag as Holocaust and evolution naysayers.

Yet casting questions like these as a matter of belief is nonsensical. Either the Earth is getting warmer or it is not, regardless of how many believe it is or is not. When I say "I believe in evolution" or "I believe in the big bang", this is something different from when I say, "I believe in a flat tax" or "I believe in liberal democracy".

Either evolution and the big bang happened or they did not; both matters can, in principle, be solved with more data and better theory. But the right form of taxation or government cannot be answered with more data and better theory. They are ideological positions that are established by subjective debate. Liberals committed to one vision of society will marshal evidence to support their political beliefs, while conservatives buttress their own world view. Both sides are sceptical of each other's position, both deny information that contradicts their own views, and in most cases disputes are resolved not through experiment and hypothesis testing but through democratic election.

What sometimes happens is that people confuse these two types of questions - scientific and ideological. Sometimes the confusion is deliberate. Denial is one outcome. Thus, one practical way to distinguish between a sceptic and a denier is the extent to which they are willing to update their positions in response to new information. Sceptics change their minds. Deniers just keep on denying.

懐疑論と否定論の区別は原理的には十分に明確だが、現実には識別はあやしいこともある。たとえば、気候科学のコンセンサスにチャレンジするような人々のサークルで名を馳せれば、否定論者の汚名を着せられる。地球温暖化を信じるか?という質問に対して、明確なイエス以外を答えれば、気候変動否定論者とされ、ホロコースト否定論者や反進化論者の仲間扱いされるかもしれない。

しかし、信念の問題として、これらのような質問をするのは意味がない。地球が温暖化しようがしまいが、それはどれくらい多くの人々が信じているかどうかとは関係がない。「進化論を信じる」とか「ビッグバンを信じる」ということは、「私はフラットな税率を信じる」とか「リベラルデモクラシーを信じる」ということとは違う。

進化論の問題もビッグバンの問題も、原則は、さらなるデータとより良い理論によって解決されるべきものである。税制や政府の正しい形は、より多くのデータやより良い理論によって解決する問題ではない。それらは主観的な議論によって確立されたイデオロギーな立場である。社会についてのひとつの見方をとるリベラルは。自分たちの政治信条を支持する証拠を集める。保守派は自分たち自身の世界観を支持する。両者ともに相手の立場に懐疑的で、両者とも自分たち自身の見方に反する情報を否定し、多くの場合、紛争は仮説検証と実験によってではなく、民主的選挙によってなされる。

時には人は科学の問題とイデオロギーの問題を混同する。その混同が意図的な場合もある。否定論はそのひとつの結果である。したがって、懐疑論者と否定論者を識別するための実用な方法のひとつは、新たな情報に対応して、どこまで立場を変えるかである。懐疑論者は考えを変えるが、否定論者は否定し続ける。

[Michael Shermer: "Living in denial: When a sceptic isn't a sceptic" (2010/05/18) on NewScientist]
昨日とりあげた世論調査にも出ているが、地球温暖化や進化論についての見方は、宗教や政党支持と絡んでおり、「人は科学の問題とイデオロギーの問題を混同」しやすい。そして「 否定論者は否定し続ける。」そして、おそらく否定論者自身は自らを懐疑論者だと考えていて、それを覆すことはできないだろう。
posted by Kumicit at 2010/05/29 01:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | Skeptic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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