2010/04/14

シミュレーション・アーギュメントとインテリジェントデザイン

シミュレーション・アーギュメント関連のエントリを忘却からの帰還 ATWIKIバージョンに再配置した。



シミュレーション・アーギュメントとインテリジェントデザイン



シミュレーション・アーギュメントという論が前世紀末からある。これは、我々が現実世界ではなく、虚構世界に生きている確率を論じるものである。

技術的に成熟した人類の次の段階の文明には、巨大な計算力があるだろう。この経験的事実に基づくと、シミュレーション・アーギュメントは次の命題のうち少なくとも一つは真であることを示す。(1)人類段階の文明が、次の段階の文明に到達する可能性は限りなくゼロに近い。(2) 次の段階の文明は、自らの祖先のシミュレーションを実行することに興味を持つ可能性は限りなくゼロに近い。(3) すべての人々のうち、シミュレーションの中に生きている人々の比率は限りなく1に近い。
このシミュレーション・アーギュメントは原理的に反証不可能であり、科学ではなく論理学の範疇にある。


これに関して、Dr. Whitworthは、シミュレーション・アーギュメントを科学の版図内で証明する方法がないか探求しているが、それは無理で、やはり論理学の版図内にあるとしか言いようがない。


ところで、このシミュレーション・アーギュメントの特殊例として、インテリジェントデザインを考えることは可能かもしれない。


ただし、インテリジェントデザイン運動な人々は、シミュレーション・アーギュメントには関心がない。というか2007年まで存在すら知らなかった。


なお、シミュレーション・アーギュメントの(1)に関連して、誕生する人間の総数の推定だけを基に、人類の存続期間を予測すると主張するDoomsday Argument(終末論法)というものが存在する。


これは、シミュレーション・アーギュメントと同じく、コペルニクス原理に基づく論である。
posted by Kumicit at 2010/04/14 00:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/03/12

インテリジェントデザイン(還元不可能な複雑さ)のアウトライン

「還元不可能な複雑さ」とはインテリジェントデザイン理論家Dr. Michael Beheが1996年に、漸進進化不可能性の証拠として提唱した概念である。

Systems are irreducibly complex if removing any one part destroys the system's function. Irreducible complexity in organisms indicates they were designed.

もし、部品を一個でも取り除くとシステムの機能が失われるなら、そのシステムは還元不可能に複雑である。生物器官にある還元不可能な複雑さは、それがデザインされたことを示す。

[Michael Behe: "Darwin's Black Box", New York: The Free Press. 1996]

このときBeheは、アナロジーとしてネズミ捕りを、生物器官の例として細菌の鞭毛を挙げている。これについての、インテリジェントデザイン運動側の簡単な解説が以下にある。



あまり言うことがないのか、同じセンテンスが繰り返されている。

それはさておき、この「還元不可能な複雑さ(Irreducible Complexity)」の定義が1974年に出版された"若い地球の創造論"(創造科学)の本"Scientific Creationism"に書かれている。

The problem is simply whether a complex system, in which many components function unitedly together, and in which each component is uniquely necessary to the efficient functioning of the whole, could ever arise by random processes. The question is especially incisive when we deal with living system. Although inorganic relationships are often quite complex, living organisms are immensely more so. The evolution model nevertherless assumes all of these have arisen by chance and naturalism.

問題は、多くの部品がいっしょになって機能し、全体が効率的に機能するには個々の部品が代替不可能な必須である複雑なシステムが、ランダムな過程によって形成されるかどうかだ。この問題は我々が生物システムを取り扱うときに痛烈な問いとなる。非有機的な関係でもしばしば複雑になるのだから、生物でははるかに複雑になる。進化モデルはこれらすべてが、偶然と自然主義によって起こったと仮定する。

[Henry M. Morris: "Scientific Creationism", 1974, 1985, p.71]

また、Beheが例として挙げた鞭毛も、すでに創造科学のネタとして使われている。つまり、Beheの還元不可能な複雑さは、創造科学のパクリ、あるいは再包装である。



ただし、Beheは還元不可能な複雑さの例として、鞭毛以外に、血液凝固系、免疫系などを挙げており、それらについては創造科学のネタではなく、Beheオリジナルである。

これらの例は、実際にはどうかというと、何らかの形で分解されている。鞭毛はType III Secretory Systemのコオプションの可能性が指摘され、ヤツメウナギの血液凝固系は半分でも機能していることが示され、免疫系も分解されている(末尾参照)。



このことは、たまたまBeheが挙げた例が進化可能だったということにとどまらない。もっと重要なことは「部品を一個でも取り除くとシステムの機能が失われる」ことが「進化不可能」を意味しないことが示されていることだ。


アナロジーが理論の一部になっているインテリジェントデザイン


「還元不可能に複雑な」ものが分解されてしまうと、「還元不可能な複雑さ」は何の意味もない概念になってしまった。

これとともに、そもそもの「還元不可能な複雑さ」には、「アナロジーが理論の一部を構成」しているという問題がある。実際、インテリジェントデザイン運動側は「アナロジーの例と実際の例に十分な類似性があるなら、アナロジーによる議論は有効でありうる」とIDEA FAQなどで堂々と述べている。



しかし、そもそも、アナロジーは可能性の示唆はできても、証明にならないと既にHumeが論じている

アナロジーは、科学的な仮説と同じように、可能性を「示唆」するだけであって、決して証明にはなりえないのである。科学の仮説は実験によって検証しうる。しかし、創造の背後にある知性についての仮説が同じようなやり方で検証し得ないのは明らかだ。世界が創造される現場を目撃した人はいないからだ。

我々が知っているのは一つの世界だけである。もし様々な世界を比較検討できるのであれば、「この」世界のほうが「あの」世界よりも機械に似ているとか似ていないとか言えるだろう。しかし、世界の単一性を奉じている我々に、どうしてこのような優劣の選択が正当化できるのか。

[JH ブルック: 科学と宗教, pp.201-203]




「ネズミ捕り」のアナロジーで語られた「還元不可能な複雑さ」をめぐる論争は、生物器官の進化可能性という生物学の世界とともに、アナロジーの世界でも進むことになってしまった。

Beheの提示した部品5個で構成されるネズミ捕りについて、部品1個からの漸進進化や、ネクタイピンからのコオプションなど「進化可能」な経路が提示された。



新しいところでは「血液凝固系」をめぐる論争がある。人間などが持つ血液凝固系の半分の部品でヤツメウナギの血液凝固系が構成されていることがわかったとき、インテリジェントデザイン支持者Casey Luskinは格調高く、「一輪車が機能しても、前輪のない自転車は機能しない」と述べた。Casey Luskinnは、かっこよく決めたつもりだったが、血液凝固系ではなく自転車ネタで対抗されて、笑われてしまうことになった。




「還元不可能な複雑さ」は"God of the gaps"詭弁となる



いまひとたび、「還元不可能な複雑さ」の定義を見てみよう。

もし、部品を一個でも取り除くとシステムの機能が失われるなら、そのシステムは還元不可能に複雑である。生物器官にある還元不可能な複雑さは、それがデザインされたことを示す。

ここで問題となるのは、進化不可能性を示すとBeheが主張する「還元不可能な複雑さ」という概念によって検証できるのは、まさに進化論ではないのかという点である。還元不可能に複雑な生物器官がデザインだと結論する理由・論理がどこにも示されていないのだ。



そうなると、「還元不可能に複雑な生物器官は進化不可能なので、デザインだ」と言ってしまうと、それはまさに「科学で説明できないものは神様のせいなのさ」という"God of the Gaps"詭弁そのものになってしまう。

実際、インテリジェントデザイン理論家(数学・神学)は、インテリジェントデザインの反証可能性として、「還元不可能に複雑な生物器官について進化過程が示される」を挙げている。




哲学者Soberが還元不可の複雑さを斬る



「還元不可能な複雑さ」という概念でデザインの存在の証拠を示したとみなしているインテリジェントデザイン運動だが、ちっともそうでないことを哲学者はSoberは明らかにした。



「還元不可能な複雑さ」を創れるインテリジェントデザイナーは「還元不可能に複雑な」のかと言う点を誰も語っていないこと。もし、
「還元不可能な複雑さ」を創れるインテリジェントデザイナーは「還元可能に単純」だったとしたら、どうなるだろうか?

論理的には、突然変異と自然選択というシンプルな「デザイナー」によってでも進化は可能だと言っていることになる。すなわち、「還元不可能な複雑さ」は進化論を支持することになってしまう。

それが嫌なら、「還元不可能な複雑さ」を創れるインテリジェントデザイナーは「還元不可能に複雑」であると明示する他ない。そうなると、そのインテリジェントデザイナーもまた、「還元不可能に複雑な」存在によって創られないと存在しえなくなる。最終的には「還元不可能に複雑な」第一原因がなければならない。すなわち、現実がどうであれ、概念の定義上、超越的神の存在を仮定することになる。





Dr. Michael Beheは還元不可能な複雑さに関して、次のように豪語していた:
There has never been a meeting, or a book, or a paper on details of the evolution of complex biochemical systems.

複雑な生化学系の進化の詳細についての学会や本や論文はまったく存在しない。

[Michael Behe: "Darwin's Black Box", 1996]
しかし、Kitzmiller v. Dover裁判で、免疫系につい、こんなやりとりがあった。
ERIC ROTHSCHILD. And when I say new, I just meant different from the eight that I identified with Dr. Miller.

私が新しいものと言ったのは、Dr. Millerが挙げた8つの論文とは別にあるという意味です。

MICHAEL BEHE. Yes, that's right.

そのとおりです。

ERIC ROTHSCHILD. A minimum of fifty, and you're right they're not all new. Some go back as early as 1971, and they go right through 2005, and in fact there's a few that are dated 2006, which I guess would indicate a forthcoming publication.

少なくとも50の論文があります。それらがすべて新しいわけではないということについては、あなたは正しい。いくつかは1971年の論文であり、2005年のものまであります。そして、2006年のものは少しあります。これは、さらに新しい論文が登場することを示していると考えられるでしょう。

MICHAEL BEHE. I assume so.

私もそう思います。

ERIC ROTHSCHILD. Okay. So there's at least fifty more articles discussing the evolution of the immune system?

はい。したがって、免疫系の進化について論じた論文が、少なくとも50あることになります。

MICHAEL BEHE. And midpoint I am, I certainly haven't had time to look through these fifty articles, but I still am unaware of any that address my point that the immune system could arise or that present in a detailed rigorous fashion a scenario for the evolution by random mutation and natural selection of the immune system.

私は確かに時間がなくて、これら50の論文に目を通していませんが、免疫系が出現可能あるいは、免疫系のランダムな突然変異と自然選択による進化についての詳細かつ厳密な形でシナリオを提示したものという私が指摘点に該当するものを知りません。

...

ERIC ROTHSCHILD.. And in addition to articles there's also books written on the immune system?

これらの論文に加えて、免疫系について書かれた本がありますね?

MICHAEL BEHE lot of books, yes.

多くあります。

ERIC ROTHSCHILD. And not just the immune system generally, but actually the evolution of the immune system, right?

そして、それらは免疫系について書いているだけでなく、実際に免疫系の進化について書いてありますね?

MICHAEL BEHE. And there are books on that topic as well, yes.

そのようなトピックについての本はあります。

ERIC ROTHSCHILD. I'm going to read some titles here. We have Evolution of Immune Reactions by Sima and Vetvicka, are you familiar with that?

本の題名をいくつか読み上げます。Sima and Vetvickaの"Evolution of Immune Reactions"はご存知ですか?

MICHAEL BEHE. No, I'm not.

知りません。

ERIC ROTHSCHILD.. Origin and Evolution of the Vertebrate Immune System, by Pasquier. Evolution and Vertebrate Immunity, by Kelso. The Primordial Vrm System and the Evolution of Vertebrate Immunity, by Stewart. The Phylogenesis of Immune Functions, by Warr. The Evolutionary Mechanisms of Defense Reactions, by Vetvicka. Immunity and Evolution, Marchalonias. Immunology of Animals, by Vetvicka. You need some room here. Can you confirm these are books about the evolution of the immune system?

これらは免疫系の進化についての本ですね?

MICHAEL BEHE. Most of them have evolution or related words in the title, so I can confirm that, but what I strongly doubt is that any of these address the question in a rigorous detailed fashion of how the immune system or irreducibly complex components of it could have arisen by random mutation and natural selection.

ほとんどの題名に進化か、進化に関連する言葉が入っているので、そうだと言えます。しかし、これらが、厳密かつ詳細な形、あるいは免疫系や還元不可能に複雑な部品がランダムな突然変異と自然選択によって出現した方法を指摘していないのではないかと思います。

immune_evolution_michael_Behe.jpg

[Kitzmiller v. Dover Area School District
Trial transcript: Day 12 (October 19), PM Session, Part 1
]
研究者ひとりが読める文献の量は無限ではなく、Dr. Michael Beheが免疫系の進化についての論文や本を読み通していないことは何ら不思議ではない。それは問題でもなんでもない。

ただ、「複雑な生化学系の進化の詳細についての学会や本や論文はまったく存在しない。」というBeheの記述は、関連する大半の文献に目を通すことなく書かれたものである。そして、それが、「還元不可能な複雑さが進化不可能性を示す」根拠となっている。それが問題。
posted by Kumicit at 2010/03/12 07:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/02/22

インテリジェントデザインのアウトライン

あらためてインテリジェントデザインについて概説しようとすると、以下のようなアウトラインになりそう。


多様な創造論が米国には存在している。

==>創造論の連続分布

その中でも40〜50%の人々が信じているのが、地球も宇宙も6000歳で、人類は現在の形で6000年前に創造されたという"若い地球の創造論"(創造科学)である。

==>世論調査

20世紀初頭には進化論教育を禁止するなどの動きがあったが、紆余曲折を経て、公立学校から創造論が排除され、進化論教育がおこなわれるようになってきた。そして、最後に残った創造論教育は、ルイジアナ州の「進化論と創造科学を同一時間教えることを義務付けた州法」だった。

これは、1987年に連邦最高裁で米国憲法の定める政教分離原則に反するとの判決が出て、葬り去られた。

==>Edwards v. Aguillard裁判(1987)

この違憲判決で公立学校から完全に排除された創造論者たちは、再度侵入を果たすべく動き始めた。

コンテンツはそのままに、「創造論」を「インテリジェントデザイン」に、「創造論者」を「デザイン支持者」に書き換えることで、再侵入を果たそうという試みもそのひとつだった。

==>Common Descentな創造科学とインテリジェントデザイン

創造論の副読本として編集が進んでいた"Of Pandas and People"もそのように書き換えられた。しかし、その過程で全置換に失敗した。

==>中間化石 cdesign proponentsists

もちろん、この書き替えだけでは公立学校への再侵入は果たせない。もはや宇宙も地球も6000歳とは言えない。しかし、宇宙は135億歳・地球は45億歳と言っても、45%の"若い地球の創造論"支持な人々はついてこない。

そこで、宇宙と地球の年齢を棚上げし、研究の対象外にした。これは、"古い地球の創造論"を支持する人々をも取り込むために都合がよかった。

==>ID理論の主導者Phillip Johnsonは進化論は有神論と相容れないと語った

そして、インテリジェントデザインのコンセプトができあがる。

==>インテリジェントデザインの定義あれこれ
==>IDEA Center FAQ (ショート版2)
==>IDEA Center FAQ (ショート版1)

ここで重要になるのが、デザインの検出。聖書ではなく科学で、生物が進化したのではなく、インテリジェントデザイナーによってデザインされたことを示す手段。それが、Demhbskiの説明フィルタだった。

==>どのようにデザインを検出するのか(IDEA Center FAQ)

そして、デザインの検出をSETIになぞらえた。しかし、その過程で、59は素数ではなくなった。

==>インテリジェントデザインでは59は素数ではない by Dembski

SETIとデザインの検出の根本的違いをつきつけられることになる。SETIは異星人の属性を仮定するが、インテリジェントデザインはデザイナーの属性を仮定しない。SETIは信号を見つけた所から研究が始まるが、インテリジェントデザインはデザインを見つけたら研究完了。

==>SETIとIDのアナロジーをめぐる戦い〜Robert Camp
==>SETIとIDのアナロジーをめぐる戦い〜PvM
==>「SETIはデザイン推論」ではない

SETIとのアナロジーとは別に、Dembskiの説明フィルタが古典的な詭弁である「God of the gaps」(科学で解明できないものは神様のせいなのさ)そのものだと指摘される。

==>God of the gaps詭弁および関連の詭弁
==>どのようにデザインを検出するのか(IDEA Center FAQ)

これに対抗して...

==>インテリジェントデザインは"God of the Gaps"ではない

あまりにも明瞭な"God of the Gaps"形式であるため、言い逃れしようがない。そこで...

==>科学も"Natural Law of the Gaps"だ

しかし、「進化したはずだ」というのは研究の始まりであって、結論ではないという、SETIとのアナロジーと同じ問題につきあたる。

そして、もうひとつ、ハイレベルのコンセプトである共通祖先と、ロウレベルの理論である個々の生物器官の進化メカニズムの違いにも突き当たる。個々の進化メカニズムが解明しつくされなくとも、ハイレベルのコンセプトである共通祖先は確立されている。

==>進化論は正しいと言う創造論者
==>創造論者の攻撃に対して"共通祖先"が無傷である理由


そんなこんなで、インテリジェントデザインは中味の何もない"理論"になったが、それを気にする者は支持者にもいなかった。所詮は進化論は間違っていると言えれば内容など不要だったからだ。

==>復習インテリジェントデザイン

そんなものが科学であるわけもなく...

==>インテリジェントデザインが科学ではない理由

ペンシルバニア州Dover学区に侵入を果たしたものの、すぐに違憲判決を受けた。

==>Kitzmiller v. Dover裁判(2005)

それでインテリジェントデザインが終わるわけではないが、同様の試みは困難になった。



還元不可能な複雑さやNFL定理の意図的誤用などは後回し。
posted by Kumicit at 2010/02/22 02:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/11/25

"Common Design"

「相同性は"Common Descent"あるいは"Common Ancestor"の証拠ではない」という主張をするために、インテリジェントデザイン支持者と創造論者が仲良く使っている用語に"Common Design"というのがある。

わかりやすい定義は、こんなかんじ:
[John H. Calvert: "INTELLIGENT DESIGN IS GOOD SCIENCE" (2006/08) on Intelligent Design Network]

Furthermore, the patterns reflected by the fossil record and genetics cited by Materialists in support of their claim, are actually more consistent with a claim of common design then a claim of gradual descent with modification in the pattern of a branching tree. Thus, the evidence tends to rule in design as the best explanation for much of the diversity of life.

唯物論者たちが自らの主張を支持するものとして挙げる化石記録と遺伝子を反映したパターンは、分岐する樹状パターンの漸進的な"変化を伴う系統"の主張よりも、"Common Design"の主張の方が実際的には適合している。したがって、生命の多様性についてデザインが最もよい説明として認められる傾向がある。

...

Design Theorists argue that all of this evidence is also consistent with an intelligent cause. Antibiotic resistance appears to result from a system having an extraordinarily high mutation rate, perhaps that is a design feature of the system. Although the fossil record shows increasing complexity it also shows long periods of stasis, very sudden increases in complexity, the absence of many transitional forms, and many instances of novel systems arising repeatedly without any apparent common ancestor. All of these clues as well as common bio-software, implicate common design rather than unguided evolutionary change. Because the clues the materialist is using are consistent with both design and materialism, they prove neither. To show a material explanation as the “best” of the two, he must show positive evidence for his claim and show evidence that tends to rule out the evidence of design. In many respects his evidence does neither

デザイン理論家はこれらすべtねお証拠がインテリジェントな原因とも整合すると論じる。抗生物質抵抗性は高い突然変異率のシステムから生じるが、これはおそらくシステムのデザイン特性だ。化石記録は複雑さの増大を示しているが、長い安定状態と、突如の複雑さの増大と、多くの中間化石のけつじょと、共通祖先なしに新システムが登場する。これら手がかりすべては、共通の生物ソフトウェアとともに、導きない進化による変化よりも"Common Design"を意味している。唯物論者が使う手がかりは、デザインとも唯物論とも整合するので、それらはどちらも証明しない。唯物論的説明が2つのうちの最良であることを示すには、その主張を支持するポジティブな証拠を示し、デザインを除外する証拠を示すべきである。多くの点で、証拠はどちらも示さない。
もちろん、「そうとも言える」という説明はオッカムの剃刀に引っかかるだけなので、科学のフィールドでは無意味なインテリジェントデザインの主張。ただし、創造論支持者たちには訴求力はあるだろう。

それはさておき、オッカムの剃刀に引っかかるだけの"Common Design"を持ちだしたインテリジェントデザイン支持者たちだが、その意味するところは語られることは、ほとんどない。

普通、"Common Design"とは、能力的にばらつきのある複数デザイナーに基本設計と部品共通化させるための守るべきパターンだったり、大失敗しないための設計指針だったりする。

そして、複数デザイナーに"Common Design"規約を厳格に守らせたら、変なデザイン続出。腰痛不可避な二足歩行のデザインも、その例とか。ゼロベースの再設計ができないと、無理なデザインになるのは仕方がない。

とはいえ、ゼロベースの再設計は土地勘が効かないので、大失敗になりやすい。有限な能力しかないデザイナーが、前任から引き継いだ設計指針の範囲でものづくりするのが正解かもしれない。

とすると、"Common Design"規約を構築するまでに、不様な失敗作が山積みで、その後に収束・洗練というところ。そして、成功と失敗の判断は、それなりの時間をかけた自然選択に委ねると。もし、デザインの成否を即判断できるなら作るまでもない。だいたいCommon Design規約など不要。

もちろん、完全かつnon commonだと、逆に複数デザイナーが存在するように見えるので、あえて変なデザインになっても、Common Designにしたと言う主張もある:

==>デザイナーの意図を解明するインテリジェントデザイン支持者ReMine (2007/03/23)

でも、それなら人間中心設計でも良さそうだが、何故か腰痛仕様。

まあ、行き当たりばったりに生物を創造して、次第に使えるデザインを見いだしていきつつも、正確に至ることのないデザイナーたち。というのは、洪水を起こしてから結果に驚くシュメールの神々には似つかわしいが、雷神の成れの果てのヤウェには不似合い。

現代的なスタイルだと、God Inc,のProduct Developmentとか...


タグ:id理論
posted by Kumicit at 2009/11/25 01:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/10/10

創造論者の主張:インテリジェントデザイン関連こんぷ

Mark Isaakの創造論者の主張( Index to Creationist Claims )の和訳を増強して、CI(インテリジェントデザイン)の項目をコンプした。まだ、先は長そうだけど、一通りは始末するつもり。


posted by Kumicit at 2009/10/10 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/09/07

Green Nude Revisited

ダーウィンそしてドーキンスを嫌う者たちは、右翼にも左翼にもいる。たとえば、マルキストなサイトにはこんな記述がある:
In this view, the replicator of life is the gene; thus the organism is simply the vehicle for the genes ("survival machines-robot vehicles blindly programmed to preserve the selfish molecules known as genes"…"they swarm in huge colonies, safe inside gigantic lumbering robots"). It is a recasting of Butler’s famous aphorism that a hen is simply the egg’s way of making another egg. An animal, for Dawkins, is only DNA’s way of making more DNA. He imbues the genes with certain mystical qualities which is essentially teleological.

この見方では、生命の複製者は遺伝子である。したがって、生物は遺伝子の乗り物に過ぎない。(遺伝子として知られる利己的分子を保存するように盲目的にプログラムされた乗り物にして生存機械 ... 遺伝子たちは安全な巨大な鈍重なロボット内側に巨大なコロニーをつくる)。これは「雌鶏はもう一つの卵を作らせるための卵の手段である」という Butlerの有名な警句の再演である。Dawkinsにとって動物は、さらに多くのDNAを作らせるためのDNAの手段である。Dawkinsは本質的に目的論である神秘的な性質を遺伝子に持たせる。

[lan Woods and Ted Grant: " Reason in Revolt: Marxism and Modern Science" on Defence of Marxism]
「本質的に目的論である神秘的な性質」という記述がなければ、インテリジェントデザイン運動と何ら変わらない。

まさに同様な記述をインテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonも書いている:
This is not only absurd but embarrassingly naive. If human nature is actually constructed by genes whose predominant quality is a ruthless selfishness, then pious lectures advocating qualities like generosity and altruism are probably just another strategy for furthering selfish interests. Ruthless predators are often moralistic in appearance, because that is how they disarm their intended victims. The genes who teach their robot vehicles not to take morality seriously, but to take advantage of fools who do, will have a decisive advantage in the Darwinian competition.

これは不合理で、その上にあまりに単純である。もし、冷酷で自分本位な遺伝子によって人間性が構築されているのなら、寛大さや利他主義を主唱する偽善的な指導も、さらなる利己的な利益を得ようとする別なる戦略でもあるのだろう。冷酷な捕食者は道義的に装う。それは狙った犠牲者たちを武装解除するためだ。遺伝子はその乗り物に道徳をまじめに受け取らず、道徳をまじめに受け取る馬鹿を利用するように教えることが、ダーウィンの競争で決定的に有利になる。

[Phillip Johnson: "The Robot Rebellion of Richard Dawkins" on Discovery Institute]
似たような主張をする者が右翼と左翼に存在する理由として、共通する考えがあるとMatt Cartmillは主張する:
Both camps believe passionately that the big truths about the world are moral truths. They view the universe in terms of good and evil, not truth and falsehood. The first question they ask about any supposed fact is whether it serves the cause of righteousness. Their notions of good and evil are different, but both see the commonplace surface of the world as a veil of illusion, obscuring the deeper moral truths behind everything that give life its meaning.

右翼と左翼はともに、世界についての大いなる真理は道徳的真理であると情熱的に信じている。彼らは善悪という言葉で宇宙を見るのであって、真偽ではない。事実と思われることについて、彼らがまず問うことは、それが正しさの原因にかなうものか否かである。彼らの善悪の定義は違っているが、両者ともに、世界の表層は幻想のベールであって、生命に意味を与える、すべての背後にある深い道徳的真理を覆い隠すものだと見ている。

...

Science, however, worries only about whether things are true and has no opinion about what they signify. In so doing, it offends both the religious right and the academic left. Both camps reject its claim to being objective and morally neutral. Because they don't think such a thing is possible, they see the pretended objectivity of science as a cover for ulterior motives.

科学は物事が真かどうかだけを問題にしていて、それが意味するところについての意見を持たない。それは、宗教右翼とアカデミック左翼の両方を怒らせる。両者はともに、客観的であるとか、道徳的に中立といった主張を拒絶する。彼らはそんなことは不可能だと考えているので、科学の装われた客観性がその下心を偽装するものだと考える。

[Matt Cartmill: "Oppressed by evolution - Christian right, multicultural left united against theory of evolution - Cover Story", Discover, March, 1998 (COPY)]
この主張を裏付けるものとして、たとえばアカデミック左翼と呼ぶべきレウォンティンがいる。彼は18世紀のブルジョア革命のイデオロギーの反映だと「生物の世界へのこのような個体中心の見方」を批判する:
自然選択による生物進化というダーウィンの理論全体は、当時のスコットランドの経済学者たちが展開していた初期資本主義の政治的、経済的な理論に、実際、異様なほどよく似ています。ダーウィンは、経済的な最適者の生き残りについて、かなりの知識を持っていました。毎日、新聞を読んで、株式投資によって生計をたてていたからです。ダーウィンがなしたことは、19世紀初めの「政治的な」経済を理解し、それを「自然の」経済すべてをふくむように拡張することでした。

[レウォンティン(川口啓明・菊池昌子訳): 遺伝子と言う神話, 大月書店, 1998], 科学は社会を反映する p.25

この還元主義とは、世界は小さなあれこれの断片に分けることができ、その断片のそれぞれには固有の特徴があり、それら断片をくみあわせるとにより大きな集合物が作りだされるという考え方です。たとえば、個体は社会を作りあげ、社会は個体の特徴の現れ以外のなにものでもありません。個体の内的な特徴が社会の原因であり、社会全体の特徴は、これらの原因の結果によるものです。生物の世界へのこのような個体中心の見方は、あらゆるものの中心に個人をおく18世紀のブルジョア革命のイデオロギーの反映にすぎません。

[レウォンティン(川口啓明・菊池昌子訳): 遺伝子と言う神話, 大月書店, 1998], 科学は社会を反映する pp.123-124
これの鏡像のように、ダーウィニズムは共産主義と同じく伝統的神を攻撃するものだというインテリジェントデザイン運動の主張がある:
Yet a little over a century ago, this cardinal idea came under wholesale attack by intellectuals drawing on the discoveries of modern science. Debunking the traditional conceptions of both God and man, thinkers such as Charles Darwin, Karl Marx, and Sigmund Freud portrayed humans not as moral and spiritual beings, but as animals or machines who inhabited a universe ruled by purely impersonal forces and whose behavior and very thoughts were dictated by the unbending forces of biology, chemistry, and environment.

一世紀少し前に、この基本的な考え方は、現代科学の発見に近づく知識人による大規模の攻撃を受けた。伝統的な神と人間の概念の両方をデバンクし、チャールス・ダーウィンやカール・マルクスおよびジーグムント・フロイトのような思想家は、人間をモラルと精神的な存在ではなく、純粋に非人格な力によって規定された宇宙に居住する動物や機械であって、その挙動とまさに思考が確固たる生物学と化学と環境に支配されていると描写した。
...
This statement highlights one of the animating concerns of Discovery Institute's Institute’s Center for Science and Culture: the worldview of scientific materialism. We. think this worldview is false; we think that the theories that gave rise to it (such. Darwinism, Marxism and Freudian psychology) are demonstrably false; and we think that these theories have had deleterious cultural consequences.

この言明はDiscovery InstituteのCenter for Science and Cultureの行動中の懸念のひとつたる科学的唯物論の世界観をハイライトしたものだ。我々はこの世界観が間違っていると考えている。我々は、好ましくない結果をもたらした、これらの理論が明らかに間違いだと考えている。我々はこれらの理論が文化的に有害な効果を与えたと考えている。

[THE WEDGE STRATEGY on Discovery Institute]


実は共通の理由で進化論を嫌っていて、進化論を敵と同一視する右翼と左翼の姿は、「ソ連で成功した画家が"緑色の裸婦"の絵を描いたことで、国を追われ、芸術を擁護するナチス政権のドイツへ逃れる。そこでも"緑色の裸婦"で国を追われ、自由の国たる米国へ逃れる。しかし...」という文庫本41頁の短編であるアーウィン・ショーの「緑色の裸婦」を思わせる。

posted by Kumicit at 2009/09/07 10:05 | Comment(0) | TrackBack(1) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/08/23

方法論的自然主義をめぐって

忘却からの帰還 ATWIKIでの過去エントリ整理で、「>方法論的自然主義・科学と神・NOMA」まわりがなんとか収集終了。ついでにwikipedia記事の現時点の和訳を創りなおした。また、これに関連して、「創造論者の主張」もCB400〜440を追加した。

方法論的自然主義(Methodological Naturalism)は科学の原則である。そして、この方法論的自然主義に基づけば、科学者が神を信じることに何らの論理矛盾も存在しない。しかし、学校理科で習うことはないようなので、知らない人も多いかも。



方法論的自然主義



方法論的自然主義(Methodological Naturalism)とは「仮説の説明および検証は自然原因および自然現象によってのみ行われる」という「方法論」であり、科学の原則となっている。ここで「自然」とは「自然法則の逸脱たる超自然ではない」という意味である。

科学の原則となっている理由は
  • 「自然法則の逸脱たる超自然」は検証不可能であること

  • 現時点で科学で説明がつかない現象が、「未知のメカニズムや観測できなかった現象などによるもの」か、「超自然の介入によるもの」かを合理的に識別する方法がないこと




方法論的自然主義





インテリジェントデザイン運動と方法論的自然主義



科学の原則たる方法論的自然主義と敵対するインテリジェントデザイン運動。理科教育に侵入するために、方法論的自然主義を容認したこともあるが、結局は敵対姿勢に。




インテリジェントデザインと超自然



インテリジェントデザイナーは超自然なのか? 哲学者Soberは「人間の心は還元不可能に複雑」という仮説を用いて、インテリジェントデザイナーは超自然であることを論理的に示した。すなわちインテリジェントデザイン理論は宗教であると。



一方、経験的事実を積み上げていくと、インテリジェントデザイナーを超自然の存在に限定できないとMassimo Pigliucciは指摘する




インテリジェントデザインと神



インテリジェントデザインは科学であって神の話ではないのか、それとも神の話なのか。




科学と神の関係



科学者であることと、自然法則を超越した神の存在を信じることの間には、原理的には、いかなる論理矛盾も存在しない。それは、科学の実行が、方法論的自然主義という手順にしたがっちるだけであって、超越的な神の存在について言及しないから。神が、いかなる能力を持っていようとも、全然問題ない。

しかし、神の仕様次第では、科学と神は敵対する。特に神の過去の業績については。


NOMA



NOMA原則とはStephen J Gouldが提唱した「科学は事実と理論という教導権を、宗教は意味と倫理価値という教導権を持ち、それらは互いに重複しない」という考え方である。



しかし、インテリジェントデザイン運動側はNOMAなどありえないと主張する。


なので、CSIのフェローでもある宇宙生物学・惑星学者David Morrisonは「神と進化論は両立する」と言うのは逆効果だと言う


posted by Kumicit at 2009/08/23 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/02/15

インテリジェントデザイン ときどき復習

ちょっとインテリジェントデザインを復習...

インテリジェントデザイン運動は宗教保守の政治運動である



インテリジェントデザインを中心とするネオ創造論宗教アジェンダを進めるために活動する組織であり、インテリジェントデザイン運動の中心であるDiscvoery Instituteが執筆した政治および社会的行動計画が、Wedge Documentである。

このWedge Documentが描くインテリジェントデザイン運動の目的は、唯物論とその文化的遺産の転覆させることである。
THE WEDGE STRATEGY

CENTER FOR THE RENEWAL OF SCIENCE & CULTURE
DISCOVERY INSTITUTE(1999)

INTRODUCTION(イントロダクション)

The proposition that human beings are created in the image of God is one of the bedrock principles on which Western civilization was built. Its influence can be detected in most, if not all, of the West's greatest achievements, including representative democracy, human rights, free enterprise, and progress in the arts and sciences.

人間が神の形に似せて創られたという命題は、西洋文明が構築された基盤原則のひとつである。その影響は、そのすべてでないにせよ、代議制民主主義、人権、企業活動の自由や芸術および科学の発展を含む西洋の偉大な業績の多くに見られる。

Yet a little over a century ago, this cardinal idea came under wholesale attack by intellectuals drawing on the discoveries of modern science. Debunking the traditional conceptions of both God and man, thinkers such as Charles Darwin, Karl Marx, and Sigmund Freud portrayed humans not as moral and spiritual beings, but as animals or machines who inhabited a universe ruled by purely impersonal forces and whose behavior and very thoughts were dictated by the unbending forces of biology, chemistry, and environment. This materialistic conception of reality eventually infected virtually every area of our culture, from politics and economics to literature and art.

一世紀少し前に、この基本的な考え方は、現代科学の発見に近づく知識人による大規模の攻撃を受けた。伝統的な神と人間の概念の両方をデバンクし、チャールス・ダーウィンやカール・マルクスおよびジーグムント・フロイトのような思想家は、人間をモラルと精神的な存在ではなく、純粋に非人格な力によって規定された宇宙に居住する動物や機械であって、その挙動とまさに思考が確固たる生物学と化学と環境に支配されていると描写した。現実に対するこの唯物論的考え方は結局、政治家や経済から文学や芸術まで我々の文化の事実上すべてに感染した。

The cultural consequences of this triumph of materialism were devastating. Materialists denied the existence of objective moral standards, claiming that environment dictates our behavior and beliefs. Such moral relativism was uncritically adopted by much of the social sciences, and it still undergirds much of modern economics, political science, psychology and sociology.

この唯物論の勝利の文化的影響は破滅的であった。唯物論者は客観的な道徳規準の存在を否定し、我々の挙動と信念を環境が支配すると主張した。そのような道徳の相対主義は、社会科学の多くの分野で無批判に採用され、現代の経済学や政治学や心理学や社会学の多くの基盤となっている。

Materialists also undermined personal responsibility by asserting that human thoughts and behaviors are dictated by our biology and environment. The results can be seen in modern approaches to criminal justice, product liability, and welfare. In the materialist scheme of things, everyone is a victim and no one can be held accountable for his or her actions.

唯物論者はさらに、人間の思考と挙動は生物学と環境に支配されると主張することで、個人の責任感を蝕んだ。その結果は、刑事裁判や製造物責任や福祉の現代的アプローチに見て取れる。唯物論者のスキームにおいては、誰もが犠牲者であり、誰もが自らの行動に責任を持てない。

Finally, materialism spawned a virulent strain of utopianism. Thinking they could engineer the perfect society through the application of scientific knowledge, materialist reformers advocated coercive government programs that falsely promised to create heaven on earth.

最後に、唯物論は、ユートピア的理想主義の伝染力の強い菌種を大量に産み出した。科学的知識を適用することで完璧な社会を構築できると考えて、唯物論の改革論者は地上に天国を創りだすという偽りの約束をする高圧的な政府計画を主張した。

Discovery Institute's Center for the Renewal of Science and Culture seeks nothing less than the overthrow of materialism and its cultural legacies. Bringing together leading scholars from the natural sciences and those from the humanities and social sciences, the Center explores how new developments in biology, physics and cognitive science raise serious doubts about scientific materialism and have re-opened the case for a broadly theistic understanding of nature. The Center awards fellowships for original research, holds conferences, and briefs policymakers about the opportunities for life after materialism.

Discovery InstituteのCenter for the Renewal of Science and Cultureはまさに唯物論とその文化的遺産の転覆させようとしている。自然科学や人文科学および社会科学の指導的な学者たちを集めて、センターは生物学や物理学および認知科学の新しい成果を調査し、科学的唯物論についての重大な疑いを投げかけ、自然についての広い有神論的理解への扉を再び開いている。センターは、唯物論を超えた生命の可能性について、独自の研究に共同研究資金を提供し、学会を開催し、政策決定者に説明する。

...

[Wedge Document with Comment on Discovery Institute]
ここには、創世記の字義通りの解釈の擁護など見られない。打倒すべきは"唯物論"である。インテリジェントデザイン運動の言う唯物論とは、直接的な「神の存在の否定」のみならず、「神の存在に言及しない」という自然科学の原則たる"方法論的自然主義"をも含んだ概念である。


支持者は創造論を信じる人々



反ダーウィニズムを掲げるインテリジェントデザイン運動が支持者として想定するのは、当然のことながら創造論を信じる人々。

宇宙も地球も6000歳な"若い地球の創造論"が米国では、けっこう信じられている:
NBC News Poll conducted by the polling organizations of Peter Hart (D) and Bill McInturff (R). March 8-10, 2005. N=800 adults nationwide. MoE ± 3.5.

"Which do you think is more likely to actually be the explanation for the origin of human life on Earth: evolution or the biblical account of creation?" Asked of those who answered "Biblical account": "And by this do you mean that God created the world in six days and rested on the seventh as described in the Book of Genesis, or that God was a divine presence in the formation of the universe?"

地球上の人類の起源についての説明でどれが本当らしいと考えているか? 進化・創造についての聖書の記述? 聖書の記述と回答した人々に、「創世記に書かれているように、神は宇宙を6日間で創造して、7日目に休んだ」か「宇宙の形成に神が影響した」のどちらかを問うた。

%
Evolution 33 進化
Biblical account 57   聖書の記述
Created in six days 44 宇宙は6日間で創造された
Divine presence 13 神は宇宙の創造に影響した
None of the above (vol.) 3 どれでもない
Unsure 7 わからない
[via PollingReport.Com]
従って、"若い地球の創造論"を信じる人々を支持者として獲得することが不可欠である。

実際、インテリジェントデザイン運動の創始者である法学者Phillip Johnsonは創造論の同士討ちはダーウィニズムをやっつけてからにしろと言っている。
A conference on "Mere Creation" at Biola University in suburban Los Angeles brought together an unprecedented cross-disciplinary gathering of 200 men and women--mostly academics and mostly Christians--interested in building a credible origins model based on "theistic design."

ロサンゼルス郊外のBiola Universityで開かれた"純創造論"会議に、「有神論のデザイン」に基づく信じられる起源モデルを作ろうとしている、主として科学者およびキリスト教徒の200名の男女を宗旨を超えて集まった。

"This isn't really, and never has been, a debate about science," says the conference's prime mover, law professor Phillip Johnson of the University of California at Berkeley. "It's about religion and philosophy." Mr. Johnson also insists the real issue in the century-old debate isn't even about the early chapters of Genesis. "I turn instead to John 1," says the astute Presbyterian layman, "where we're told that 'In the beginning was the word.'"

「これは真に、そして絶対に、科学についての論争ではない。」と会議の第1発言者たるカリフォルニア大学バークレイ校の法学教授Phillip Johnsonは言った。「これは宗教と哲学について論争だ。」Phillip Johnsonは一世紀にわたる論争の真の議題が、創世記の始めの章についてものですらないと主張した。「代わりにヨハネによる福音書1節、『始めに言葉ありき』を挙げよう。」と長老派教会の信者(であるPhillip Johnson)は言った。

Phillip Johnson's strategy stretches like a would-be eclipse over most of the differences. "We can't afford to be shooting incessantly at each other over old-earth and young-earth disagreements," he says wherever he goes among evangelical Christians. "The real enemy is naturalistic, impersonal Darwinism that deliberately and consciously seeks to set God on the sideline of our culture." Mr. Johnson suggests there will be time enough for settling the details of creation once Darwinism has been denied its century-old dominance.

Phillip Johnsonの戦略は、ほとんどの(キリスト教の)差異にを超えて蝕の影のように伸びていく。彼は福音主義キリスト教徒の中のどこへ行っても「我々には、古い地球の創造論と若い地球の創造論の違いについて互いに撃ち合っている余裕はない。真の敵は、故意に意図的に、神を我々の文化のサイドラインの外側に追いやろうとする自然主義、非個性のダーウィニズムだ。」と言う。Johnsonは一世紀にわたるダーウィニズムの優位を打ち砕けば、創造論の細かい点について決着をつける時間はいくらでもあると示唆している。

[Witnesses for the prosecution (1996/11/30) on World Magazine]
従って、支持者獲得のためには、「宇宙も地球も6000歳で、ノアの洪水があった」という"若い地球の創造論"を否定するような主張は、インテリジェントデザイン理論には含められない。と同時に、"古い地球の創造論"と矛盾する主張も同様である。

"若い地球の創造論"および"古い地球の創造論"と互換性を持つ



まずは、"古い地球の創造論"と互換性を保つために、創世記に言及しない:
Is intelligent design theory the same as creationism?
インテリジェントデザイン理論は創造論と同じか?


... Creationism is focused on defending a literal reading of the Genesis account, usually including the creation of the earth by the Biblical God a few thousand years ago. Unlike creationism, the scientific theory of intelligent design is agnostic regarding the source of design and has no commitment to defending Genesis, the Bible or any other sacred text. ...

創造論は、聖書の神が数千年前に地球を創造したことを含む創世記の記述の字義通りの解釈の擁護にフォーカスしたものである。創造論と違って、インテリジェントデザインの科学理論はデザインのソースについて不可知論の立場をとり、創世記の擁護に関与しない。

[Questions about Intelligent Design on Disocvery Institute]
そして、両互換性のために、地球の年齢について言及しない:
Does IDEA take a position on the age of the earth?
IDEAは地球の年齢についての何らかのポジションをとっているか?


The age of the earth is not an issue related to intelligent design theory, the validity of evolutionary theory, or even to to the validity of religions, including Christianity. For this reason, IDEA finds no reason to make any statements about the age of the earth. This does not mean it is not an important question, but it is not one we address.

地球の年齢はインテリジェントデザイン理論や、進化論の妥当性、あるいはキリスト教を含む宗教の妥当性とは関係がない。この理由により、IDEAは地球の年齢について何らかの声明を出す必要性を見出せない。これは地球の年齢が重要な問題ではないという意味ではないが、我々の対象ではない。

[IDEA Center FAQ]
従って、たとえばカンブリア爆発が起きたことは認めても、いつかは特定しない:
Date: Thu, 24 Apr 2008 16:14:37 -0500
From: info@ideacenter.org
To: "Kumicit"
Subject: Re: Cambrian explosion around 530 million year ago?
Dear Sir/Madam:

The IDEA Center agrees that a Cambrian explosion occurs, but does not
speculate about when. I hope this clarifies matters for you.

IDEA Centerはカンブリア爆発が起きたことは認めるが、それがいつ起きたかは推測しない。

Best wishes,

Caroline Crocker, MSc, PhD
Executive Director IDEA Center
年代を特定できないので、カンブリア爆発が5億4200万年前から5億3000万年前に起きていても、6000年前の数時間に起きていても、構わないことしか言えない。

これでは何を言っているのかわからない。せっかく"若い地球の創造論"および"古い地球の創造論"との互換性を実現しても、両側からアフォ扱いされることになる。"古い地球の創造論"ミニストリ"Reasons To Believe"の主宰者Dr. Hugh Rossと、"若い地球の創造論"ミニストリCreation Ministries Internationalの主宰者Dr. Carl Wielandは次のように、インテリジェントデザインを評する:
When it comes to the origin of the universe, life, and humanity, scientists want history's story. They emphatically request that the story be cast in the form of a testable model. In a two-hour prime-time national television debate in 1997 between evolutionists and ID leaders, the evolutionists repeatedly asked, "Where is your model?" and never received a reply. Nine years later, evolutionists still ask the same question and still receive no response.
宇宙と生命と人類の起源について、科学者はその歴史のストーリーを求める。科学者たちはストーリーが検証可能なモデルの形で提示されることを要求する。1997年のプライムタイムの2時間の全米放送の進化論者とインテリジェントデザインの指導者たちの討論番組で、進化論者たちは繰り返し「モデルはどこにあるのか?」と問うたが、答えはなかった。それから9 年経過したが、進化論者は同じことを問い、答えは得られていない。[ Hugh Ross: Creation as Science(pp.31-33)]

They generally refuse to be drawn on the sequence of events, or the exact history of life on Earth or its duration, apart from saying, in effect, that it "doesn't matter". However, this is seen by the average evolutionist as either absurd or disingenuously evasive - the arena in which they are seeking to be regarded as full players is one which directly involves historical issues. In other words, if the origins debate is not about a "story of the past", what is it about?
彼らは一般に、イベントの時系列あるいは地球上の生命の歴史あるいはその期間について、記述することを拒否し、それらは重要ではないと言う。しかし、これは平均的な進化論者から見れば、不合理もしくは陰険に回避的である。彼らが完全なプレーヤーだと思われたがっているアリーナは、直接に時系列の問題を含むものだ。言い換えるなら、起源について議論が、過去のストーリーについてでないなら、何についてなのか?
[Carl Wieland: "AiG's Views on the Intelligent Design Movement"]


インテリジェントデザイン"理論"が言えること



インテリジェントデザイン"理論"が言えることは、結局のところ、次のようなものになる:
What is the theory of intelligent design?
インテリジェントデザイン理論とは何か


The theory of intelligent design holds that certain features of the universe and of living things are best explained by an intelligent cause, not an undirected process such as natural selection.

インテリジェントデザイン理論は、宇宙および生物のいくつかの特徴が、自然選択のような方向性のない過程ではなく、インテリジェントな原因によって最もよく説明されると考える。

[Questions about Intelligent Design on Disocvery Institute]

Rather than trying to infer God’s existence or character from the natural world, it simply claims "that intelligent causes are necessary to explain the complex, information-rich structures of biology and that these causes are empirically detectable."

自然界から神の存在や特徴を推論するのではなく、複雑で情報に富んだ生物構造を説明するにはインテリジェントな原因が必要であり、これらの原因は経験的に検出可能であると主張する。

[William Dembski: "What is Intelligent Design?" on ARN]

Intelligent design is a scientific theory which seeks to determine if some objects in the natural world were designed through recognizing and detecting the types of information known to be produced by the intelligent agents when they act.

インテリジェントデザインは、自然界の何かがデザインされたかどうかを、インテリジェントエージェントが働いたときに作られるとわかっているタイプの情報を認識し検出することで、判断しようという科学理論である。

[FAQ: What is intelligent design theory? on IDEA center]
「ある生物種がデザインされたか否か」を論じることはできても、デザインの方法や配備方法や配備時刻などは取り扱い対象外。

また、検出方法についても、言えることはほとんどなく、事実上「進化論で説明できなくて、意味ありげなものはデザイン」という詭弁のみ:
Detection of design:(デザインの検出)

Chance, necessity, and design--these three modes of explanation--are needed to explain the full range of scientific phenomena.

偶然と必然とデザインという3つの説明モードが科学的現象全体を説明するために必要だ
[Dembski 1998]。

William Dembski's Explanatory Filter:(説明フィルタ)

Start

Highly probable?(ありえそう?) --> Law(自然法則)

Intermediate probability(そこそこありそう?) --> Chance(偶然)

Specified small probability(特にありえなさそう)-->Design(デザイン)

Chance(偶然)

[IDEA Center FAQ]



インテリジェントデザイン"理論"とは結局のところ...



インテリジェントデザインの主要理論家Dr. BeheとDr. Dembskiによる言葉の定義を見てみれば:
The theory of intelligent design holds that certain features of the universe and of living things are best explained by an intelligent cause, not an undirected process such as natural selection.
インテリジェントデザイン理論は、宇宙および生物の特定の特徴が、自然選択のような方向性のない過程ではなく、インテリジェントな原因によって最もよく説明されると考える。[Discovery Institute FAQ]

We could therefore define intelligence as the capacity for rational or purposive or deliberate or premeditated choice.
したがって、インテリジェンスを合理的であるか目的があるか慎重であるか計画的な選択の能力と定義できる。[Dembski 2001]

Design is simply the purposeful arrangement of parts.
デザインとは部品の意図的配置だ。[Behe 1998]


となっていて、これをつなげると...
  • 不明な目的をめざした選択をするインテリジェンスによる、部品の意図不明な意図的配置であるデザイン


中味なしな、何のことやら、わからない主張である。


中味はいらないインテリジェントデザイン"理論"



中味のないインテリジェントデザイン"理論"だが、それでもちっと困らないのが、インテリジェントデザイン運動。Discovery Instiuteのシニアフェローであり、Gilder Publishing LLC代表であるGorge Gilderの2005年の名言[via Panda's Thumb]に次のようなものがある:
"I'm not pushing to have [ID] taught as an 'alternative' to Darwin, and neither are they," he says in response to one question about Discovery's agenda. "What's being pushed is to have Darwinism critiqued, to teach there's a controversy. Intelligent design itself does not have any content."

Discovery Instituteの方針について問われたとき、彼(George Gilder)は「私はダーウィンの代替としてインテリジェントデザインを教えることを推進していない。そして彼らもだ。推進しているのはダーウィニズムを批判することであり、論争があることを教えることだ。インテリジェントデザイン自体に中味はない」と答えた。

[The evolution of George Gilder (2005/07/27) on Boston.com]
インテリジェントデザイン"理論"に中味はなくても困っていない。

もっとも、中味がないので、学校で教える内容もないと、インテリジェントデザイン運動の創始者であるPhillip Johnsonも認めている:
GALESBURG - The father of intelligent design says his child is not ready for school.
The hypothesis of intelligent design, while being developed, is not complete enough to be taught in the classroom, Phillip Johnson, professor emeritus of law at the University of California at Berkeley, said during a lecture at Knox College Friday.

インテリジェントデザインの父は、彼の子供がまだ学校へ行く準備ができていないと言った。インテリジェントデザイン仮説は発展途上であり、授業で教えるに十分には完成していないと、カリフォリニア大学バークレー校の法学名誉教授Phillip Johnsonは、金曜のKnox Collegeでの講義で発言した。

[Intelligent design founder argues against evolution (2006/02/18) on Register-Mail]




ちなみに進化論に対するポジションは...



なお、反ダーウィニズムを掲げるインテリジェントデザイン運動だが、名目上は「インテリジェントデザインと進化は相容れないわけではない」と主張している。

一見、よくわからない主張だが、実際には「進化」の意味を再定義しているだけである。
Is intelligent design theory incompatible with evolution?
インテリジェントデザインと進化は相容れないか?


It depends on what one means by the word "evolution." If one simply means "change over time," or even that living things are related by common ancestry, then there is no inherent conflict between evolutionary theory and intelligent design theory. However, the dominant theory of evolution today is neo-Darwinism, which contends that evolution is driven by natural selection acting on random mutations, an unpredictable and purposeless process that "has no discernable direction or goal, including survival of a species." (NABT Statement on Teaching Evolution). It is this specific claim made by neo-Darwinism that intelligent design theory directly challenges.

それは進化という言葉が何を意味するかによる。"時間を経ての変化"あるいは生物が共通祖先によって関係しているという意味なら、進化論とインテリジェントデザイン理論の固有の対立はない。しかし今日の主流の進化論はネオ・ダーウィニズムであり、それは進化は自然選択が突然変異に働くことで進み、種の存続を含む識別できる方向性や到達点を持たない、予測できない目的のない過程であると主張している(NABT Statement on Teaching Evolution)。このネオ・ダーウィニズムによる主張に対して、インテリジェントデザイン理論は挑んでいる。

[Questions about Intelligent Design on Disocvery Institute]
「自然選択と突然変異」による進化である「ネオダーウィニズム」には反対だと書いている。すなわち普通の「進化論」とは相容れない。


こんなインテリジェントデザインでも...



「わたしの持論なんですが,この知的設計説という「大仮説」はまんざらバカにできないものだと思っています。」とか言っちゃってくれちゃってる竹内薫は、きっとインテリジェントデザインを知らない。よくいる、読まずに支持するヤツだろう。

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posted by Kumicit at 2009/02/15 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/11/02

一般法則論者氏のコメントについて (2)

一般法則論者氏がさらにコメントをしてきたので、対応しておく。

前回の繰り返しになるが...

  1. 自然科学は方法論的自然主義の原則のもと、超自然に言及しない。従って、超越的神はその存否も含めて取り扱い対象外としている。
  2. 自然科学は実験・観察・観測など経験的に検証なものを対象とする。従って、目的・存在理由など、実験・観察・観測などによって検証不可能なものは、取り扱い対象外。

超越的神や存在理由や目的といったものは、形而下学と呼ぶべき自然科学(φυσικά)ではなく、哲学の一分野である形而上学(μεταφυσικά)が取り扱う。

これを前提として、一般法則論者氏のコメントを見ていこう:
この世界の成り立ちと仕組みの発見と理解に関して、物質に関する科学的な世界観が全てで絶対のようですね。

天然自然の存在の創造主である神がいるかいないか、ヒトの生き方の原理があるかないか、あるとすればそれはどんなものかは、これらが既に全てのヒトにとって客観的にかつ確定的に決まっている世界にあとから生まれた私達からみれば、それを自然科学がやっているように、科学と同じ方法論で客観的に発見することができますし、またこれをしなくてはなりません。
一般法則論者氏も、「ヒトの生き方の原理」は「科学と同じ方法論で客観的に発見」できると言っている。つまり、方法論は同じだが自然科学とは別なる手段で行うのだと。

その手段は、形而上学(metaphysics)である。形而上学、超自然への言及と経験的に検証不可能な問題の取り扱いという、自然科学にできないことをやるもの。自然科学に対してメタなポジションにあるが、それは主観あるいは机上の空論を意味しない

そして、しつこいようだが、Kumicitは以下の点を否定していない:
例えば物質を作っている根源の仕組みが分かっても、ヒトとしての生き方がそこから出てこないことを一般法則論では問題にしています。
自然科学は「ヒトとしての生き方」など探求できない。だから、別途、形而上学という分野がある。

ただし、実験・観察・観測によって検証できない分野である形而上学は、その分、難しい。たとえば、一般法則論者氏のコメントも論証の対象となる:
これを明らかにしないと、人類が今抱えて居る問題の解決ができません。ヒトの生き方の原理はこの世界の成り立ちと仕組みの一部です。これを無視し続けていては ヒトとして何時までもまともに生きることが出来ません。
「ヒトの生き方の原理」とは何であり、「世界の成り立ちと仕組み」とは何であるか定義しなければならない。そして「ヒトの生き方の原理」が「世界の成り立ちと仕組み」の一部であることを論証する必要がある。もちろん「まともに生きる」とは何なのかも定義しなければならない。

ということで、なんか、面倒そうなので、Kumicitは手を出していない。興味もないので今後も手を出すことはないだろう。

posted by Kumicit at 2008/11/02 02:16 | Comment(0) | TrackBack(1) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/10/26

一般法則論者氏のコメントについて

一般法則論者氏の主張はわりと基本的な事柄を説明するのに便利なので、来訪記念に
とありげることにする。なお、一般法則論者氏の本拠地はたぶんこれ:

==>いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

とっても多くのブログにコメントを残している人である。ただし、反応が得られないときは別のブログへとさっさと彷徨っていく流浪の民な感じを受ける。


では、パラグラフ単位に一般法則論者氏のコメントに対応する。説明の都合で第2パラグラフから:
天然自然の存在の創造主である神が存在する、というと、すぐにID説を支持し、反自然科学の立場だ! 迷信的な宗教を支持するのだ、と早とちりする人たちが、神など存在しないのは高校の物理の教科書楷書を学べば自明だとか宗教など迷信だという人たちが、科学基礎論的な知識も無いくせに、日本ではわんさかといます。
「日本ではわんさか」についてわからないが、ここはまったく正しい。

  1. 方法論的自然主義

    自然科学の原則として、「方法論的自然主義(methodological naturalism)」というものがある。これは、「自然界についての説明は自然なものに限られ、超自然に言及しない」というもの。なお「自然な説明」とか「自然(な)過程」と言った言葉は、「超自然ではない」とか「超越的神による自然界への介入ではない」と言った意味合いを持っている。

    これに対して、「超越的神は存在しない」という立場が「形而上学的自然主義(metaphysical naturalism)」である。別名「機械論的唯物論」で、自然科学の版図の外側にある。

  2. 経験的に検証可能

    で、「方法論的自然主義」は、もうひとつの原則である「自然科学の対象は経験的に検証可能なもの」すなわと「実験・観察・観測などによって検証可能できるもののみを相手にする」と表裏一体。

    自然法則を超越した存在や現象は「経験的に検証可能」ではないので、自然科学の対象外になる。このことは神学的にも当然な流れ。神の被造物たる機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する機械論の末裔なので、当然、神そのものを記述対象にしない。

  3. 超越的な神の存在

    経験的に検証不可能な超越的神の存在は自然科学の対象外。なので、「超越的神が存在する」も「超越的な神が存在しない」も自然科学の主張ではない。どちらの主張も自然科学と何の矛盾もない。
このあたりは、「名も無き忘却からの帰還者」氏(うちは名前未記入だと自動的にこうなるのです)の指摘通りで、こういったことが理科教育で語られてなくて知らないままの人が多そうだ。

==>Science for All Americans: 第1章: 科学の本質

つづいて、第1パラグラフにもどる:
反進化論のID説と正統派の科学との対立の原因は、双方が、ヒトが想像力ででっち上げて作ったのではない、それ自体で、ヒトが作ったのではない天然自然の世界の中に、あるようにして在る天然自然の存在の創造主である神が存在する、という事実を発見する手間をかけてないことです。
自然科学は「超越的な神」を取り扱い対象外としている。

  1. 対立原因は一方的にインテリジェントデザイン運動側にある。

    ユダヤ・キリスト教の神は「超越的な神」すなわち、自然法則の制定者であり、自然法則の停止・逸脱を行う存在で、宇宙(自然界)の"外側"にいる。この超自然へ自然科学が言及せよとインテリジェントデザイン運動が要求していること。

  2. "God of the gaps"

    インテリジェントデザイン運動側が「手間をかけてない」ことは正しい。彼らは「進化論で説明できないものがある。それは超自然の介入である」という形式の論を使っている。

    これは「自然科学の隙間に神を置く」"God of the gaps"と呼ばれる詭弁である。もちろん、研究が進んで隙間が埋まると、そこにいた神様が生き埋めになる。このため、「バクテリアの鞭毛の進化」などの戦線で、インテリジェントデザイン運動側が詭弁・虚偽などの手段を以って、徹底抗戦に出ている。

    実際のところ、「進化論で説明できないもの」が「将来も説明がつかないかどうか不明」であり、もし「永劫に説明がつかない」場合でも、それは「神の存在を証明しない」(科学の版図外である哲学においても)。 それは、経験的に検証不可能なネタなら、神様以外にも幾らでも思いつくからだ。


科学的な天然自然の存在の創造主である神の存在証明をして、しかも進化論を認め、生物学者が否定する一人ひとりのヒトの存在理由と存在目的も証明することが出来る考え方があります。  
ここは完全に間違っている。

  1. 自然科学は超越的神の存在を対象外としており、存在を証明できない。

    ただし、哲学という手段を以って神の存在を証明することは、自然科学と矛盾しない。

  2. 生物学は「ヒトの存在理由と存在目的」を取り扱わない。

    「神の被造物たる機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する機械論の末裔」には、「存在理由や存在目的」を取り扱い対象外。従って、生物学に「ヒトの存在理由と存在目的」には登場しない。ただし、その存在を肯定も否定もしない。

    なお、生物学者は普通、取扱商品である生物学について「方法論的自然主義」の立場をとっているはずだが、プライベートは知ったこっちゃない。敬虔なキリスト教徒から攻撃的無神論者まで様々。

  3. ただし、哲学などの手段を以って「ヒトの存在理由と存在目的」を解明・説明・証明することは、何ら自然科学と矛盾しない。というか関知しない。


そして、最後のパラグラフ:
ヒトの存在理由も存在目的も、テレビにはテレビの原理があり、扇風機には扇風機の原理があるように、人としての生き方の原理があることも説明出来ない現在の正統派の科学は、一般法則論者から言わせると、妄想の類に属します。
前半までは何の問題もない。自然科学はその方法の実装上、「ヒトの存在理由も存在目的も..人としての生き方の原理があることも説明出来ない」。 

「ヒトの存在理由も存在目的も..人としての生き方の原理」を解明・説明・証明したければ、自然科学の再定義や改竄などではなく、哲学や神学を使うのが正しい。

一般法則論者氏が「ヒトの存在理由も存在目的も..人としての生き方の原理」を哲学として探求しているのではあれば、Kumicitには特に異論・意見はない。そのようなものを取り扱い対象外とする自然科学を「妄想の類に属する」と思うことにも、特に文句を言うつもりもない。


ただし、自然科学が:

  1. 方法論的自然主義の原則のもと、超自然に言及しない。従って、超越的神はその存否も含めて取り扱い対象外としている。
  2. 実験・観測観察・観測など経験的に検証なものを対象とする。
そして、そのような実装なので、自然科学は「ヒトの存在理由も存在目的も..人としての生き方の原理」も取り扱い対象外としている。... といったことだけは知っておいてほしいな。

あと、上では言わなかったが、「自然科学は一時的真理である」というのがある。新たな実験・観測・観察によって、理論は修正され続ける。逆にいえば、「自然科学が絶対的真理」になったら、研究屋はやることがなくなって全員失業さ...
タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/10/26 12:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/05/29

インテリジェントデザインが科学ではない理由

宗教の欠落はナチズムをもたらすという理論と化してきているインテリジェントデザインだが、もともとは旧世紀初頭の聖書創造論に始まる創造論の系譜。当然のことながら、インテリジェントデザイン"理論"は"Theistic Science"を自称するとおり、科学とは違う範疇に属する。

何が違っているのかを、Science for All Americans Chapter 1: THE NATURE OF SCIENCE (第1章: 科学の本質)に従って見ていこう。

[1-9]
科学はあらゆる問題に完全な解答を与えられる訳ではない

科学的な方法による有効な調査ができない多くの問題が存在する。例えば、まさにその本質から肯定も否定も出来ないような信念が挙げられる(例えば、超自然的な力や物の存在や生命の本当の目的などである)。他の例を挙げると、ある種の信念(奇跡、予言、占星術、そして迷信など)を抱いた人たちによって、おそらく正確であろう科学的な調査が無関係なものとして排除される傾向もある。科学者は、善悪に関する話題を収束する手段を持っていない。しかしながら、科学者は善悪の重み付けを手助けするような特定の現象の結果を発見することでこの手の議論に時々貢献してしまう。 [langsam氏翻訳]


インテリジェントデザイン運動では、科学の定義はこれと違っている:

  • 超自然の存在[自然法則を超越した存在]を扱える
  • 目的・意味・意図などを扱える
通常科学はもちろん、自然法則によって世界を記述するものである以上、自然法則の逸脱たる超自然を取り扱い対象外にしている。また自然現象の目的・意味・意図がについても、その有無を含めて取り扱い対象外として言及することがない。

しかし、インテリジェントデザイン運動の定義に立てば、そのような通常科学の実行は次のようにしか見えない

  • 超自然の存在を否定している。
  • 自然現象あるいは宇宙あるいは人間の存在を無目的・無意味だと主張している。

そして、超自然について言及し、宇宙あるいは人間の存在の目的・意味を語る"正しい"科学を打ちたてようとする。



理解不可能な現象

そして、法則性から逸脱した存在・現象たる超自然を扱うために、さらに通常科学とは違う原則をとる。それは...

[1-5]
世界は理解可能である

注意深く系統立てた調査を通して理解することのできる一貫したパターンのうちに、自然現象が起こるということを、科学は前提としている。そして、知性の使用と我々の感覚を伸ばす機械の助けを借りることで、自然の全てのパターンを発見できると、科学者は信じている。[langsam氏翻訳]

インテリジェントデザイン運動の立場は、こんなかんじ:

  • 自然現象には科学で理解できないものがあると信じている。
  • それは奇跡=神による自然界への介入=神の存在証明
哲学の原理原則としては、この立場は間違いというわけではない。ただし、科学の実行上は、探求がそこで止まってしまうという点で、邪魔なだけ。

実際にやると、「鞭毛は進化し得ないから、デザインだ」という例のように「科学で説明できないものは神様のせいなのさ=God of the gaps」という隙間神族「鞭毛神」の召喚になってしまう。そして、鞭毛の進化経路が提示され始め、鞭毛が分解されてくると、「鞭毛神」を守るための聖戦を始めなければならなくなる。


科学的な概念が変化しないかのように振舞う

この戦いにおいて、科学の実行についてインテリジェントデザインが通常科学と違う認識を持っていることが示される。

[1-7]
科学的な概念とは変化するものである

科学とは知識を生み出す過程のことである。この過程は、現象の注意深い観測とそれらの観測事実を説明する理論の構築の両方に依存している。新たな観測事実はその時点での有力な理論を脅かすため、知識の変化は不可避なものである。ある理論がどれだけよく観測事実をうまく説明しようとも、別の理論がそれ以上にうまく当てはまったり、またより広い領域における観測事実に当てはまることもあり得る。科学において、理論の試行、改善、そして時々起こる破棄というのは、その理論が古くとも新しくとも、絶えず行われている。たとえ完全で絶対的な真実である保証はなくとも、さらなる正確な近似が世界とその作用を説明しうると、科学者は想定している。[langsam氏翻訳]
進化が確率過程として取り扱われ、遺伝子重複やコオプションなどがメカニズムとして加えられて久しい。しかし、インテリジェントデザイン運動は、確率という言葉を使いながら、確率過程という考え方が存在しないかのように論を構築する。理論とは打ち立てられたら変化しないものであるかのように。

戦いの武器としてインテリジェントデザイン運動が使う、Beheの還元不可能な複雑さという概念は、「突然変異でType III secrtory systemが自立運動しない鞭毛みたいになる」とか「それはそれで、大して不利でもなかったので、生き残ってしまったこともある(生き残れなかったケースの方が多数だったかも)」といった効果を無視した、理想化されたもの(あるいは、古典的な進化の考え方に基づくもの)。

そのような古風な「還元不可能な複雑さ」という概念が、インテリジェントデザインの中心的な概念になっているのは、「科学的な概念とは変化するもの」とは考えていないからだろう。


「科学的知識は持続的である」に従ってみた


インテリジェントデザインは以上のように科学とは違う何かである。しかし、あらゆる点で、科学ではない...というわけでもない。理科の授業に侵入すべく、科学の原則に従ってみようとした面もある。

[1-8]
科学的知識は持続的である

科学者は絶対的な知識に達する考えを排除し、ある不安定要素を自然の一部として受け入れてしまうが、大部分の科学的知識は持続的なものである。概念の無条件な排除よりもむしろ修正が科学の基準であり、強力な知的構築物は生き残り、より正確になり、広く受け入れられる傾向にある。例えば、相対性理論を定式化する際に、アルバート・アインシュタインはニュートンの運動法則を破棄するのではなく、ニュートンの法則が、より全体的な構想の限定的な適用の近似に過ぎないということを示した。(例えば、NASA(The National Aeronautics and Space Administration)は衛星軌道を計算するのにニュートン力学を用いている。)さらに、科学者が自然現象について正確な予測ができるようになることは、我々がまさに世界への理解を得ているということの説得力のある証拠でもある。継続性と安定性は変化と同じぐらい科学の特徴であり、確信はためらいと同じぐらい(科学において)一般的なのである。[langsam氏翻訳]
「地球も宇宙も6000歳」という命題を持っている"若い地球の創造論"は「科学的知識は持続的である」という原則を満たさない。創造論を採用したら、ただち、理解不能な自然現象が山積みになるからだ。たとえば、今もなお"若い地球の創造論"では、6000光年より彼方の星が見える理由を説明できていない。日々見上げる星空そのものが"若い地球の創造論"にとっては超常現象以外のなにものでもない。そんな"理論"が、通常科学の世界で認められることはない。というか値打ちが全くない。

そのような事態をインテリジェントデザイン"理論"は建前の上では回避している。すなわち「進化論で説明できないものはデザインだ」という形式。従来からある通常科学の主張をすべて認めた上で、その隙間に対して自らの主張をたてる。それによって、形式的には「科学的知識は持続的である」という原則を満たしている。

この原則をインテリジェントデザインが徹底することはあまりないのだが、ちゃんと守ろうとしたこともある。明らかに進化したと言えるものについて、「designed to evolve」と主張することである。実際に、ナイロンを食べる細菌についてDembskiが主張したことがある。これだと、通常科学の主張と矛盾することがない。

ただし、これは科学の実行において、ありがたみがない。この論の行き着く果てが、フロントローディング(自然法則と初期値と乱数系列の形で実装されていて、超自然からの介入がない)だからである。



証拠をもとめないインテリジェントデザイン

複数の理論のどれが正しいか戦っているときには、もちろん観測・観察・実験・シミュレーションなどの手段を以って、証拠を手にしようとするのが通常科学なのだが...

[1-12]
科学は証拠をもとめる

科学的な主張の妥当性は遅かれ早かれ現象の観察を参照することで決着がつく.よって,科学者は正確なデータを得ることに傾注する.そうした証拠をもたらす観察や計測がなされる状況は,自然な環境(たとえば森林)から完全に人工的なもの(たとえば実験室)まで,多岐にわたる.観察を行う際に,科学者たちはみずからの五感や,五感を強化する器具(たとえば顕微鏡)を使ったり,あるいは人間が感じとれるものとはまったく異なる特徴(たとえ磁場)をつかむ器具を使用したりする.科学者たちはみずから手出しせずに観察することもあれば(地震,鳥の渡り),収集したり(岩石,貝殻),あるいは積極的に世界を探測することもある(地殻のボーリング,試薬の投与)。[optical frog氏翻訳]


鞭毛とか血液凝固とか免疫系とか、インテリジェントデザイン運動はデザインの証拠を挙げる。だから、一見、証拠を求めているように見える。でも、インテリジェントデザイン支持者たちは、証拠を求めない

  • インテリジェントデザイン支持者たちは、Darwin's Black Box"の出版から12年間に、血液凝固系が還元不可能であることを示すべき研究を何もしなかった[Musgrave 2008, ]。
  • 鞭毛が進化不可能であることを示すために何もしなかった。それどころか、コオプションというメカニズムすら知らなかった。
  • 「junk DNAに機能がある」と言うが、決して「junk DNAに機能」を見つけようとはしない。



そんなインテリジェントデザイン"理論"とは科学ではなく...

超自然を扱い、目的・意味を論じる。理解不可能な現象があると信じる。そして、いつまでたっても、昔の進化論に戦いを挑み続ける。しかし、その戦いのために証拠を求めようとはしない。

少なくとも、それでは研究成果が出ないのは明らかだ。

  • 超自然も目的も意味も、科学で取り扱えない。
  • 理解できたという論文は書けるが、理解不可能という論文を書くのはむつかしい。
  • 現状のコンセンサスに戦いを挑まないのでは、成果にならない。
  • 自分で証拠を見つけてないのだから、メタアナリシスとかやるのでない限り、成果にならない

査読つき論文が皆無に等しいのは、そもそも論文が書けないからでもある。インテリジェントデザイン運動内の論文誌すら、論文数があまりも少なく、今や休刊状態。

そんな成果なきインテリジェントデザイン"理論"はなんだろうか?
タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/05/29 00:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/04/20

詭弁"Going ‘in the direction of evolution’"について

創造論者たち[ie. DeWitt, 2002]
は、優生学につながる素として"ダーウィン進化論"を批判することが多い。Ben Steinのインテリジェントデザイン宣伝映画Expelledも同様。

それらは「倫理的価値を"自然科学の版図内の結論"として導き出すこと」が詭弁ではなく、「論理的帰結だ」という前提が必要。すなわち...
Mooreは次のように論じた。進化の方向は"必然的に良い"ということではない。倫理的価値はそれが自然であることによって決定されない。そして、その派生で、「現に存在しているものは(自然なものであるから)、存在すべきである」という詭弁があると論じる人もいる 。

この観点では、「進化は発展的な力なので、あらゆる優生学的な方法で、我々は進化の方向へ進むことを助けるべきであり、人類が進化しない方向に進むのを抑止すべきである」とか「男性は女性よりも自然では乱交なので、男性の乱交は倫理的に容認可能だ」とか「男性は女性よりも自然では乱交であり、自然の秩序を変えるべきでない」といったものが例として挙げられる。

[Curry 2006]
この「Going‘in the direction of evolution’」[Curry 2006]な詭弁あるいは誤謬に関わるのは、創造論者たちだけではない。その立場によって次のように行き着く:

  • 進化によって生じたものは善である
  • しかし、"その形質"は一般には善とは考えられない
  • 従って...

    1. 進化論は間違いである
    2. "その形質"を善と考えないのは間違いで、実は善なのだ
    3. "その形質"は、適応によって生じたものではない

3.あたりから派生したのが、Lewontinたちの"社会生物学に対する批判"なのかもしれない:
強制交尾は、昆虫から霊長類まで広く見られるオスの適応行動だ。人間の男性の攻撃的な性行動も、文化的に条件づけられた権力行使の歪みとしてではなく、動物一般の繁殖戦略と見なさねばなるまい。社会生物学は、そして著者はそう主張する。
 この種の言説は危険というか、性犯罪者の免罪に利用されはしないだろうか。なにしろ男のレイプ衝動は「自然な性質」だとのお墨付きを与えているのだから。
 著者は「否」と断言する。何かが「自然である」とは、「善である」という意味ではない。両者を混同する「自然主義の誤謬」から、フェミニズムなどの見当違いのイデオロギーが生ずるというのである。

[三浦俊彦: (書評)ジョン・オルコック『社会生物学の勝利』(新曜社) 『読売新聞』2004年4月18日掲載]
「"自然に関する知識"から"倫理的価値"を導き出す」ために「自然は良い」という"価値観"(あるいは宗教)が必要。その「自然は良い」を自然科学の版図内にあると思えば、創造論者たち[ie. DeWitt, 2002]のような主張ができてしまう。

もちろん、「自然は良い」はさまざまな宗教の主張であっても、自然法則から導出できる結論ではない。キリスト教系だと神の被造物たる自然は善なるものかもしれないし、スピリチュアル系だと"自然"は信仰対象そのものかもしれない。だとすると、彼らにとっては、その自然から生み出されるものは善かもね。

したがって、これらの宗教を用いないなら、次のようになる:

  • 進化によって生じたものが善かどうかは知ったこっちゃない
  • "その形質"は一般には善とは考えられない
  • 従って...
    4. "その形質"は一般には善とは考えられない




関連エントリ


posted by Kumicit at 2008/04/20 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/04/04

地球の年齢を言えないインテリジェントデザイン

大学にインテリジェントデザインを広めるIDEAは「地球の年齢は対象外」と立場を表明している:
[IDEA Center FAQ]

Does IDEA take a position on the age of the earth?

The age of the earth is not an issue related to intelligent design theory, the validity of evolutionary theory, or even to to the validity of religions, including Christianity. For this reason, IDEA finds no reason to make any statements about the age of the earth. This does not mean it is not an important question, but it is not one we address.

地球の年齢はインテリジェントデザイン理論や、進化論の妥当性、キリスト教を含む宗教の有効性などとは関係ない問題である。この理由によりIDEAは地球の年齢について述べる理由を見出さない。これは地球の年齢が重要な問題ではないというのではなく、我々が対象としないことを意味するだけである。
これに対して、インテリジェントデザイン運動の公式的立場は以下の表明されるように、「前提にしない」である:
[Isn't Intelligent Design Another Name for Scientific Creationism? on ARN.org]

Legally, scientific creationism is defined by the following six tenets:
法的には、科学的創造論は次の6つの主張によって定義される:

  • The universe, energy and life were created from nothing.
    宇宙とエネルギーと生命は無から創造された
  • Mutations and natural selection cannot bring about the development of all living things from a single organism.
    突然変異と自然選択では、1個の生物からすべての生物が発展しえない。
  • "Created kinds" of plants and organism can vary only within fixed limits
    生物の創造された種類は、固定された範囲のみで変化しうる
  • Humans and apes have different ancestries.
    ヒトと類人猿は祖先が異なる
  • Earth’s geology can be explained by catastrophism, primarily a worldwide flood
    地球の地質は世界規模の洪水によって説明できる
  • The earth is young—in the range of 10,000 years or so.
    地球は1万歳程度。

Intelligent design, on the other hand, involves two basic assumptions:
これに対して、インテリジェントデザインは2つの基本的仮定をおく。

  • Intelligent causes exist.
    インテリジェントな原因が存在する
  • These causes can be empirically detected (by looking for specified complexity).
    これらの原因は指定された複雑さを見ることで、経験的に検出可能である。
ところが、インテリジェントデザイン支持者たちは、進化論で説明できない現象として5億3000万年前のCambrian Explosionを挙げている。

ただし、年代に触れてはいけないので、たとえばDiscovery InstituteのCenter for Science and CultureのProgram DirectorであるDr. Stephen C. Meyerは次のような微妙な記述をしている:
The “Cambrian explosion” refers to the geologically sudden appearance of many new animal body plans about 530 million years ago. At this time, at least nineteen, and perhaps as many as thirty-five phyla of forty total (Meyer et al. 2003), made their first appearance on earth within a narrow five- to ten-million-year window of geologic time (Bowring et al. 1993, 1998a:1, 1998b:40; Kerr 1993; Monastersky 1993; Aris-Brosou & Yang 2003). Many new subphyla, between 32 and 48 of 56 total (Meyer et al. 2003), and classes of animals also arose at this time with representatives of these new higher taxa manifesting significant morphological innovations. The Cambrian explosion thus marked a major episode of morphogenesis in which many new and disparate organismal forms arose in a geologically brief period of time.

[Stephen C. Meyer: "Intelligent Design: The Origin of Biological Information and the Higher Taxonomic Categories", 2007] (emphasis added by Kumicit)
まず、「カンブリア爆発は、5億3000万年前の多くの新しい動物のボディプランの地質学的な突如の出現を"refer"する」と書いている。起きたと言えないので、"refers"を使う。次の"At this time"も、5億3000万年前を指しているようでもあるが、おそらく「カンブリア爆発」を指していて年代不特定。次に「ten-million-year window(1000万年幅)」を従来研究の主張として書いている。その主張を認めると、少なくとも地球の年齢6000歳を否定してしまうのだが...

「地球の年齢」を言えないインテリジェントデザイン運動としては、苦しいところだろう。
タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/04/04 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/03/26

「いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ」なわけないでしょ

池田信夫氏がさらりと間違ったことを書いている[via 進化論と創造論についての第1掲示板]ので、指摘しておく。

間違ってる部分は、エントリの本論とは無関係に記述されたところ:
では、なぜスミスは人々が「よい均衡」を選ぶと信じたのだろうか? その答は、おそらく本書が言及していない理神論にあると思われる。これは神を人格的な存在と考えず、世界の秩序そのものが神の具現化だと考える教義で、ニュートンがその影響を受けていたことはよく知られている。彼の発見した古典力学の完璧な規則性は、まさに神の存在証明ともいえるものだった(いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ)。

[池田信夫: "「見えざる手」は誰の手か" (2008/03/24)]
間違っている点は以下の2点:

  • Newtonは確かに理神論の影響を受けているが、理神論とは違う立場にあった(神の介入を主張する点で)
  • インテリジェントデザインは理神論と敵対する(神の介入の有無について)


本論と無関係なところに間違いを書いて、わざわざ信憑性を落とすこともないと思うのだが...


それはさておき、Newtonが理神論と違った立場にあり、インテリジェントデザインが理神論と敵対する立場であることを示しておこう。


理神論は神の介入を認めない

理神論は「宇宙創造後に神が宇宙に介入することはない」と考える:
[wikipedia: Deism]

Deists typically reject supernatural events (prophecy, miracles) and tend to assert that God does not intervene with the affairs of human life and the laws of the universe.

[wikipedia: 理神論]

理神論は、一般に創造者としての神は認めるが、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。
この定義について、インテリジェントデザインのような反理神論の立場からの異論はない[後述]。


Sir Isaac Newtonの考えは理神論に近いが、理神論ではない

「宗教と科学」などの研究者である芦名定道氏は次のように指摘する:
@これまでいわば定説的な扱いがなされてきた「理論論者・二元論者ニュートン」という見解は、ニュートン理解としてはあまりにも不十分であり、むしろ我々は神と世界との積極的な関係性(絶対的な支配者・主としての神と僕としての被造物)をめぐるニュートンの議論にこそ注目しなければならない。

[芦名定道: "現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学" --W 現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学]
また保守系宗教学術誌First Thingに掲載された記事でAvery Cardinal Dullesも、神の介入を求める点で、Newtonの考えが理神論と違うことを主張している:
Shortly after its invention by Lord Herbert, deism received indirect support from the physics of Isaac Newton (1642-1727) and the philosophy of John Locke (1632-1704). The physical world, according to Newton, was explicable in terms of “insurmountable and uniform natural laws” that could be discovered by observation and formulated mathematically. By mastering these laws human reason could explain cosmic events that had previously been ascribed to divine intervention. The beauty and variety of the system, Newton believed, was irrefutable evidence that it had been designed and produced by an intelligent and powerful Creator. Close though he was to deism, Newton differed from the strict deists insofar as he invoked God as a special physical cause to keep the planets in stable orbits. He believed in biblical prophecies, but rejected the doctrines of the Trinity and Incarnation as irrational.

Herbert卿によって発明されてすぐに、理神論はIsaac Newtonの物理学とJohn Lockeの哲学から、間接的な支持を受けた。物理世界はNewtonによれば、逸脱できない一定の自然法則の言葉で説明可能であり、その自然法則は観測と数学的な定式化により発見可能である。これらの法則を理解できたなら、人間の理性は、かつて神の介入として記述された宇宙の現象を説明できるようになる。Newtonの信じた体系の美しさと多様さは、インテリジェントでパワフルな創造主によってデザインされ、創造されたことの論破できない証拠だった。Newtonは惑星軌道の安定性の特別な物理的原因として神を召還するという点で、厳密には理神論者とは違う。彼は聖書の預言を信じたが、三位一体と復活を非理性的として否定した。

[Avery Cardinal Dulles:"The Deist Minimum", 2005 First Things (January 2005)]
実際、Avery Cardinal Dullesの言うように、Newtonは神による創造後の宇宙への介入の証拠を求めた。


Sir Isaac Newtonは神の介入の証明を求めた

機械論の隙間に神を見出そうとして、機械論の性質そのものによって失敗する。それでも神を求めたのがSir Isaac Newtonである。
宇宙が完全に機械化されているのならば、神の振舞う余地などないのではないかという憂慮を誰よりも強く抱いたのは、ニュートンである。
...
彼の主意主義神学では、自然の出来事を機械的な結果としても神の意思としても説明できたので、神の介入を最もよく実証するのはどんな出来事なのかを決定しなければならなかった。最も派手な証拠があるとすれば、それは通常のから著しくかけ離れた異常な現象からのものだろう。だが主意主義哲学に基づけば、異常な出来事さえ神の制定した機構から生じるものとして考えることができた。もしその異常な出来事に対してあるメカニズムが特定されるとすれば、神の振舞いについて言及するには及ばない、と懐疑主義者が難癖をつけないだろうか。

[J.H. ブルック「科学と宗教」(p.161)]
機械論で記述されたら、それは神の奇跡すなわち神の介入ではなく、神の予見となる。神の存在を否定するものではないが、神の介入を肯定できなくなる。
創造以後も神が活動していることを肯定するために、さらになる証拠が必要とされたのは明らかである。ニュートンは恒星の安定性にそれを見出した。無限の宇宙においてさえ恒星の運動が予測されるのは、それぞれの恒星に作用している重力が皆無であるとは考えられないからだ。恒星が互いに衝突せずにいられるのは何ゆえか、という問いに対するニュートンの答えこそ、神の摂理なのであった。しかし、ここでも曖昧さが生じた。それは神自らが恒星を適所で支えているからなのか、それとも、お互いに作用する力を無視しうるほど遠く離れたところに恒星を配置した神の先見の明ゆえなのか?
..
しかし、この問題は創造の時点ですでに片がついていたのかもしれないというニュートンの推測は、神が定常的に関与しているとする論拠を弱めることになった。(p.163)

そして、太陽系の安定性に神の摂理を見出そうとするのだが...
太陽系が長期にわたって安定を保つには、神の摂理という安全装置が必要なのだ、さもないと惑星は軌道を外れるか、太陽と衝突してしまうだろう。果たして摂理はどんな備えをしたのだろうか。同じジレンマが残った。この建て直しは直接的な命令によるのか、それとも神性な仕組みによるものか。もしその効果が目に見えるものであるなら、直接的な命令のほうがずっと壮観なはずだ。しかし、トマス・バーネットへの書簡において、ニュートンはこう述べた。「自然因が手近にあれば、神はそれを道具として用いられることでしょう。」そして、彗星こそがそのような手近な自然因であるとニュートンは信じていた。皮肉なのは、ある自然因が見つかるや、徹底した自然主義の立場をとる人々が摂理を不要とする論議を展開しだしたことだ。(p.164)
機械論の内側にいる限り、自然法則を使って神が介入したのか、自然法則に従った自然現象なのか識別がつかない。

そして、Sir Isaac Newtonの死後に:
18世紀末には新たなアイロニーが生まれる。フランスの数学者、ラプラスとラグランジュによって、惑星起動に生じる不規則は惑星自体が矯正することが示された。だからといって、宇宙が設計の所産でないとはならなかったが、誤りを免れない科学に宗教的弁明をもち込むとどんな失態が起こるかを赤裸々に露見したのである。(p.165)
神の介入を証明しようとして、機械論の中で何かを示そうとする。しかし、機械論で説明できれば神は存在は否定されないが、その現象は神の予見の範疇に入り、神の介入ではなくなる。


なお、惑星軌道へ神の介入を主張したNewtonの記述はこれ:
"...the motions which the planets now have could not spring from any natural cause alone, but were impressed by an intelligent agent ... To make such a system with all its motions, required a cause which understood and compared together the quantities of matter in the several bodies of the sun and the planets, and the gravitating powers resulting from thence; the several distances of the primary planets from the sun, and of the secondary ones from Saturn, Jupiter and the earth, and the velocities with which those planets could revolve about those quantities of matter in the central bodies; and to compare and adjust all these things together in so great a variety of bodies, argues that cause to be not blind and fortuitous, but very well skilled in mechanics and geometry."

惑星の運動は今や、自然因のみで動くのではなく、インテリジェントエージェントの影響を受ける。すべての天体の運動を含むシステムを創るには、太陽や惑星など多くの天体の質量や、これによって生じる重力とともに、理解し比較する必要がある原因を必要とする。太陽からの主要惑星の距離、土星や木星や地球の衛星の距離や、中心質量のまわりを巡る速度。これらをすべての多様な天体をまとめて比較し調整するためには、盲目や偶然ではなく、機械と幾何に熟達していることを論じる」

[Letter from Isaac Newton to Dr. Richard Bentley]




インテリジェントデザイン支持者は理神論を拒否する

インテリジェントデザインの本山たるCenter for Science and Culture, Discovery Instituteセンター長であるStephen Meyerは理神論の説明力が有神論に対して劣ると言う:
Admittedly, theism, naturalism, and pantheism are not the only world-views that can be offered as metaphysical explanations for the three classes of evidences. Deism, like theism, for example, can explain the cosmological singularity and the anthropic fine-tuning. Like theism, deism conceives of God as both a transcendent and intelligent Creator. Nevertheless, deism denies that God has continued to participate in His Creation, either as a sustaining presence or an actor within Creation after the origin of the universe. Thus, deism would have difficulty accounting for any evidence of discrete acts of design or creation during the history of the cosmos (that is, after the Big Bang). Yet precisely such evidence now exists in the biological realm.

3つの種類の証拠についての形而上学的説明として提案可能な世界観はもちろん、有神論・自然主義・汎神論だけではない。たとえば、理神論は有神論と同じく、宇宙論的特異性と人間原理的なファインチューニングを説明できる。有神論と同じく理神論は、神を超越的かつインテリジェントな創造者と考える。しかしながら、理神論は神が宇宙の誕生の後に存在し続けたり、創造に役割を演じたりするなど、その創造に関与し続けることを否定する。従って、理神論は、ビッグバン後の宇宙の歴史において、明確にデザインをしたり創造したりしたといういかなる証拠も説明できないという難点がある。そして、そのような証拠はいまや生物学の領域に存在する。

[Stephen C. Meyer: The Return of the God Hypothesis, 1999]
Meyerは理神論よりも有神論が優れた説明力がある理由を、理神論が、"宇宙誕生後に神がデザインをした"という証拠が見つかると、それを説明できないからだという。もちろん、それは正しい。理神論は「宇宙創造後に神は宇宙に関与しない」という考え方だからだ。


インテリジェントデザインは神の介入を主張する


インテリジェントデザインの定義は以下のとおりで、インテリジェントな原因を主張している:
The theory of intelligent design holds that certain features of the universe and of living things are best explained by an intelligent cause, not an undirected process such as natural selection.

インテリジェントデザイン理論は宇宙や生物のある特徴は"自然淘汰のような指導されない過程"ではなく、インテリジェントな原因が最もよく説明できる

[Top Questions on Discovery Institute}
これは超自然の介入を主張するものである。もともとインテリジェントデザイン支持者たちは、超自然を排除する科学の原則たる方法論的自然主義を拒絶している:
Logicians have names for this, circular reasoning and begging the question being among them. The view that science must be restricted solely to purposeless, naturalistic, material processes also has a name. It's called methodological naturalism. So long as methodological naturalism sets the ground rules for how the game of science is to be played, IDT has no chance Hades. Phillip Johnson makes this point eloquently. So does Alvin Plantinga. In his work on methodological naturalism Plantinga remarks that if one accepts methodological naturalism, then Darwinism is the only game in town.

論理学者これに循環論法と名づけている。それは論点をたくみに避けるものである。科学が目的なき自然主義的かつ唯物論過程だけに限られるという見方にも名前がある。それは方法論的自然主義と呼ばれる。方法論的自然主義が科学のゲームの方法についてのグランドルールを定める限り、インテリジェントデザイン理論は日の目を見ない。 Phillip Johnsonはこれを雄弁に証明している。そして、Alvin Plantingaも。Plantingaは自著「方法論的自然主義」で、もし方法論的自然主義を認めれば、ゲームをプレイできるのはダーウィニズムだけになると述べている。

[William A. Dembski: "What Every Theologian Should Know about Creation, Evolution, and Design" (1996)]
公立学校の理科教育への侵入のため、明示的な方法論的自然主義否定を引っ込めていた頃もあった[ie Behe 2006]ようだが、その後は反転している[ie Chadwell, 2006, Plantinga, 2006]もよう。

そして、その超自然は初期値や自然法則として実装されるフロント・ローディングではない。
The impulse to front-load design is deistic, and I expect any theories about front-loaded design to be just as successful as deism was historically, which always served as an unsatisfactory halfway house between theism (with its informationally open universe) and naturalism (which insists the universe remain informationally closed). There are no good reasons to require that the design of the universe must be front-loaded.

フロントロードされたデザインの衝動は理神論的であり、フロントロードされtらデザインについての理論は理神論と同じく歴史的には成功したが、それは常に、有神論(情報的に開いた宇宙)と無神論(情報的に閉じた宇宙)の不満足な中間でしかなかった。デザインがフロントロードされたはずだ要求する、適切な論理はない。
....

To be committed to front-loaded design means that all these body-plans that first appeared in the Cambrian were in fact already built in at the Big Bang (or whenever that information was front-loaded), ...

フロントロードされたデザインを認めることは、カンブリア紀に出現したボディプランがすべて、ビッグバンの時点(あるいはいつにせよ情報がフロントロードされた時点)で構築済みだということを意味する。...

[William A. Dembski: "Intelligent Design Coming Clean" (2000/11/17)
インテリジェントデザインはあくまでも神の介入についての主張である。それは、もちろん理神論と敵対する立場である。






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posted by Kumicit at 2008/03/26 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/03/19

復習:何もないインテリジェントデザイン

1987年6月19日のEdwards v. Aguillard -- U.S. Supreme Court Decisionにより「創造科学を理科の授業で教えること」が違憲と判断されると、創造論者たちはインテリジェントデザインを創った。

でも、これも2005年12月20日のKitzmiller v. Dover Area School District of Pennsylvaniaで創造科学と同等扱いで、違憲になった。

しかしそもそも、インテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonもインテリジェントデザインに教える内容がないと昨年発言している:
I also don’t think that there is really a theory of intelligent design at the present time to propose as a comparable alternative to the Darwinian theory, which is, whatever errors it might contain, a fully worked out scheme. There is no intelligent design theory that’s comparable. Working out a positive theory is the job of the scientific people that we have affiliated with the movement. Some of them are quite convinced that it’s doable, but that’s for them to prove…No product is ready for competition in the educational world.

私も現時点で、間違いを含んでいるにせよ、完全に働く記述であるダーウィン理論に比肩するような代替理論に、インテリジェントデザイン理論がなっているとは考えていない。比肩しうるようなインテリジェントデザイン理論は存在しない。肯定的理論を導くことは、私が運動で支援している科学系人材の仕事である。彼らの中には、それが可能だと完全に確信している者もいる。しかし、それを証明するのは彼らである。教育界で競合するために、いかなる生産物も準備できていない。

[Michelangelo D’Agostino: "In the matter of Berkeley v. Berkeley "]
ということで、"Teach the controversy"(論争を教える)に方向転換がなされる:
"I'm not pushing to have [ID] taught as an 'alternative' to Darwin, and neither are they," he says in response to one question about Discovery's agenda. "What's being pushed is to have Darwinism critiqued, to teach there's a controversy. Intelligent design itself does not have any content."

Discovery Instituteの方針について問われたとき、彼(George Gilder)は「私はダーウィンの代替としてインテリジェントデザインを教えることを推進していない。そして彼らもだ。推進しているのはダーウィニズムを批判することであり、論争があることを教えることだ。インテリジェントデザイン自体に中味はない」と答えた。

[The evolution of George Gilder (Boston.com 2005/07/27)]
でも、「進化はない」という査読つき論文があるわけでもないので、「論争」の存在も示せない。

なので、「critical analysis of theory of evolution」とか「We think students deserve to know not only about the strengths of modern evolutionary theory, but also about some of the theory's weaknesses and unresolved issues」とか言ってみる。

とは言っても、「進化はない」という査読つき論文があるわけでもなく、最先端の論争に高校レベルでつきあえるわけでなく。

しかも、「進化論は間違っている」のあとに言えることはこんなものしかない。
Arguably, intelligent design can be summarized as the notion that at some point in the past, in some way, some entity(possibly God) created life, or altered life at some point, or created the universe to be compatable with life.
おそらくインテリジェントデザインは次のように要約できる。過去のある時点で、ある方法で、ある存在(おそらく神)が生命を創ったか、ある点で生物を改変したか、生物が存在できるように宇宙を創った。[conservapedia:Creationism]
これでは中学校の実験レポートにもならない。

まあ、これでも「わたしの持論なんですが,この知的設計説という「大仮説」はまんざらバカにできないものだと思っています。」とか言っちゃってくれちゃってる竹内薫なら、大いに受け入れてくれるだろうけどね。





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posted by Kumicit at 2008/03/19 09:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/11/16

用語メモ

用語集

  • 説明(explanation)
    仮説・法則・理論などのこと。
  • 自然な説明(natural explanation)・自然主義的説明(naturalistic explanation)
    超越的な神のような超自然を含まない説明。
  • 自然な過程(natural process)・自然主義的過程(naturalistic process)
    超越的な神のような超自然が関与しない過程。
  • 方法論的自然主義(methodological naturalism)
    自然現象の説明に、超越的な神のような超自然を含めない。科学の原則。
  • 形而上学的自然主義(metaphysical naturalism)・機械論的唯物論(materialism)
    超越的な神のような超自然は存在しない。これは科学的に検証・反証できないため、形而上学に分類される。なお、これは方法論的自然主義と矛盾しない。
  • 形而上学的超自然主義(metaphysical supernaturalism)
    超越的な神のような超自然が存在する。これは科学的に検証・反証できないため、形而上学に分類される。なお、これは方法論的自然主義と矛盾しない。
  • 経験的に検証可能 empirically testable
    理論・仮説が実験・観察・観測結果を予測できて、実際の結果と比較して、検証できる
  • 経験的に反証可能 empirically fallsifable
    理論・仮説が実験・観察・観測結果を予測できて、実際の結果と比較して、反証できる



インテリジェントデザインの論法

  • God of the gaps
    これは進化論では説明できないので、デザインだ。
  • Argument from default
    進化論で説明されない限り、デザインだ。
  • Argument from ignorance
    これが進化した経路を思いつかないので、デザインだ。
  • Argument from incredulity
    これが進化したとは信じられないので、デザインだ。
  • Negative Argument
    これがデザインされた証拠は、これが進化論で説明できないこと。


インテリジェントデザイン理論の対象外項目

  • インテリジェントデザイナーの数
  • インテリジェントデザイナーの能力
  • インテリジェントデザイナーの目的
  • インテリジェントデザイナーの意図
  • インテリジェントデザイナーの性格
  • インテリジェントデザイナーのデザイン方法
  • インテリジェントデザイナーのデザインの自然界への配置方法
  • インテリジェントデザイナーのデザインの自然界への配置時期
  • 地球と生命の歴史(時系列)



インテリジェントデザイン理論用語

  • デザイン
    =意図的部品の配置
  • インテリジェンス
    =目的/方向性を持った選択能力
  • 複雑で指定された情報(CSI)
    =自然法則でも偶然でも説明がついていない意味ありげなもの
    =デザイン
  • 還元不可能な複雑さ
    =漸進進化では説明できていない生物/生物器官
    =デザイン
  • Dembskiの説明フィルタ
    =「自然法則でも偶然でも説明がついていない意味ありげなものはデザインだ」



神学用語

  • フロントローディング(Front Loading)
    世界創造時点での初期値や物理法則の形での実装。進化するように設定するとか。
  • 神の予見
    フロントローディングと同じ。
  • 神の介入(Intervention)
    世界創造後に、世界の物理法則の一時的あるいは恒久的改変、惑星軌道の修正、新種生物の持ち込みなどを行うこと。奇跡もこれに含まれる
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posted by Kumicit at 2007/11/16 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/10/04

放置されたインテリジェントデザイン文献倉庫にある用語の定義できなさ

最近では放置気味になっているインテリジェントデザイン文献倉庫ISCIDに、インテリジェントデザイン用語集がある。これを特に、「複雑さ」「指定」「デザイン」「デザイナー」「指定された複雑さ」を見ると、いかにインテリジェントデザインの用語定義がうまくいかないかが、よくわかる。

まずは複雑さから見ると:
Complexity 複雑さ

Complexity is one of those terms for which it is difficult to give a precise definition. Intuitively, it is thought of as a property or feature that implies the opposite of simplicity. Complexity is often used to describe single sytems made of multiple interacting parts. However, complexity descriptions can be used for a large variety of applications.

複雑さは正確に定義するのが困難な用語のひとつである。直感的には、単純さの反対を意味する特性と考えられる。複雑さは、複数の相互作用する部分から構成させる単一システムを描写するのに、よく使われる。しかし、複雑さという記述は、多種多様な適用に使える。
事実上、定義不可能だと言っている。通常の科学においても、複雑さの定義は、コルモゴロフ複雑性(Kolmogorov complexity)くらいしかない。

続いて、通常用語「意味ありげ」に相当する「指定(仕様)」を見ると:
Specification "指定"

A conditionally independent pattern that in the presence of complexity can be employed to draw a design inference.

デザイン推論を採るために、複雑さに見られる条件付き独立パターン
何も定義されていない。「意味ありげ」を定めることは、普通にむつかしいので、インテリジェントデザインで定義できなくても、特に不思議ではない。

「デザイン」はもはや定義できず、「デザイナー」の行動として解説されるのみ:
Design デザイン

A four-part process by which a designer forms a designed object: (1) A designer conceives a purpose or goal. (2) To accomplish that purpose, the designer forms a plan. (3) To execute the plan, the designer specifies building materials and assembly instructions. (4) The designer or some surrogate applies the assembly instructions to the building materials. What emerges is a designed object, and the designer is successful to the degree that the object fulfills the designer’s purpose.

デザイナーがデザイン物を形成するときに4つの段階を踏む。
(1) デザイナーは、目的あるいは到達点を考える。
(2) 目的を達成するために、デザイナーは計画を立てる。
(3) 計画を実行するために、デザイナーは、構成材料と組み立て方法を指示する。
(4) デザイナーもしくは代行者が、組み立て方法を構成材料に適用する。
これにより出現するのがデザイン物であり、デザイナーは、物がデザイナーの目的に適う程度に成功する。
目的を持ったデザイナーの活動結果として定義するしか、方法がないようだ。

ところが、「デザイナー」の項を見ると、この「デザイン」の解説にある「目的を持ったデザイナー」と整合させようとして、変なことになっている。
Designer デザイナー

An intelligent agent that arranges material structures to accomplish a purpose. Whether this agent is personal or impersonal, conscious or unconscious, part of nature or beyond nature are live possibilities within the theory of intelligent design. In particular, the designer need not be a creator.

目的を達成するために物質構造を組み替えるインテリジェントエージェント。このエージェントが人格を持つか否か、意識があるか否か、自然界の一部なのか、自然を超越しているのか、インテリジェントデザインの範囲内では、どれも有効な可能性である。特にデザイナーが創造主である必要はない。
インテリジェントデザインの建前どおりに書くと、こうなるのだろう。しかし、意識も人格もないが目的だけを持っているという変なものが出てくる。自動設計マシンあたりならOKかもしれないが。

そして、これらを組み合わせて、インテリジェントデザイン理論の精髄?あるいは唯一の新概念たる"指定された複雑さ"の項目へ進む:
Specified Complexity 指定された複雑さ

Specified complexity is William Dembski's dual-pronged criterion for objectively detecting the effects of certain types of intelligent activity without first hand evidence of the cause of the event in question. Dembski's notion of specified complexity is a rigorous theoretical formulation of the everyday distinction we make between natural events (i.e. natural death, naturally occuring rock formations) and events with intelligent causes (i.e. murder, Mount Rushmore).

"指定された複雑さ"は、問題とする現象の原因についての直接の証拠なしに、特定の型のインテリジェントな活動の効果を客観的に検出するための、William Dembskiの判別基準である。Dembskiの"指定された複雑さ"の概念は、自然現象(自然死や自然に形成された岩)とインテリジェントな原因による現象(殺人やMount Rushmore)を日常的な区別の厳密な理論的公式化である。

Specified complexity consists of two important components, both of which are essential for making reliable design inferences. The first component is the criterion of complexity or improbability. In order for an event to meet the standards of Dembski's theoretical notion of specified complexity, the probability of its happening must be lower than the Universal Probability Bound which Dembski sets at one chance in 10^150 possibilities.

"指定された複雑さ"は、信頼しうるデザイン推論のために不可欠な2つの重要な要素から構成される。第1の要素は、"複雑さ"あるいは"ありえなさ"の基準である。"指定された複雑さ"の理論的な概念のDembskiの基準に合致するには、その現象が起きる確率が、Dembskiが設定した1/10150の確率境界を下回らなければならない。

The second component in the notion of specified complexity is the criterion of specificity. The idea behind specificity is that not only must an event be unlikely (complex), it must also conform to an independently given, detachable pattern. Specification is like drawing a target on a wall and then shooting the arrow. Without the specification criterion, we'd be shooting the arrow and then drawing the target around it after the fact.

"指定された複雑さ"の第2の要素は、"指定"の基準である。"指定"の背後にある考えは、その現象があり得そうにない(複雑)であるだけでなく、独立に与えられた、分離可能なパターンと整合しなければならない。"指定"は壁に的を描いて、矢を射るようなものである。"指定"基準がなければ、我々は矢を射てから、的を描くことになる。

Criticisms of Dembski's notion of specified complexity often target the notion of specification. Critics argue that it is a subjective concept, highly dependent on the observer's background knowledge and therefore not reliable as a scientific criterion.

"指定された複雑さ"のDembskiの概念への批判は、しばしば"指定"の概念を標的にする。批判者は、それが主観的概念であり、観測者の背景知識に大きく依存し、従って科学的基準として信頼できないと論じる。

Additional criticisms include the following:
その他の批判論は次の通り:

  1. Too anthropocentric: it requires human-like intelligences
    人間中心的:人間のようなインテリジェンスを必要とする。
  2. Limited application: more easily applied to events for which we already know the causes
    適用限定:原因が分かっている現象についても、適用できてしまう
  3. Requires the elimination of all (known) random and lawlike causes
    (既知の)ランダムおよび法則性原因をすべて除外しなければならない。
  4. Determining probabilities of events involves incomplete knowledge of circumstances in which the event occurred
    現象の確率の決定が、現象が起きた環境について、不完全な知識を含んでいる。

Kumicitが批判を書くまでもなく、ちゃんと批判が書いてある。

ただし、根本的な論理のすり替えには言及していない。それは
  • Mount Rushmoreの大統領の顔と、自然の造形として顔みたいな岩は、見た目で、区別がつくだろう
  • しかし、あらゆる生物および生物器官は、すべてデザインに見えるはず。進化の産物なのか、デザイナーの産物かは、見た目からは区別不可能。
  • 区別の方法は、進化論で説明がつくか否か。
アナロジーである岩については「見た目」で、本来の研究対象たる生物(器官)については、「進化論で説明がつくか否か」で区別することになっている。すなわち、アナロジーが成立していないこと。

posted by Kumicit at 2007/10/04 00:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/08/23

インテリジェントデザイン運動がよく使う悪口用語

インテリジェントデザインの英語文献では必ず使われると言っていい単語たちがある。普通の英単語なんだけど、この手の業界用語なので、知らないと何だかわからなくなる。

ということで、ちょっと復習...

natural, naturalistic (自然の, 自然主義の)

"natural process"(自然の過程)とか、"natural explanation"(自然な説明)といった形で使われるのだが、慣れていないと、最もわけわからないかもしれない。

この場合の"natural"は"supernatural"(超自然の)と反対語。超自然には「超越的な神」とか「魂」とか「生気」(生物だけに働く力)とかが含まれる。普通は、「超越的な神」あるいは「超越的な神の、自然界への自然法則を無視した介入」といったことを意味する。

"natural"は従って、「超自然を除外する」と言った意味合いで使われる。"natural process"(自然の過程)とは、神様が直接関与していない過程であり、"natural explanation"(自然な説明)は、自然法則のみよる自然現象の記述といった意味を持つ。

これが何故、悪口になるかというと、「神様を除外している無神論」だから。


で、"naturalistic"(自然主義の)もほぼ同様。ただし、こっちは由緒正しい哲学用語"naturalism"(自然主義)の形容詞。本来は、metaphysical naturalism (形而上学的自然主義)とmethodological naturalism (方法論的自然主義)があるのだが、インテリジェントデザイン運動では、この2つを区別しない。

方法論的自然主義は「科学の説明は自然なものに限られる=超自然を召喚しない」というもの。形而上学的自然主義は「超自然は存在しない」という主張。

当然「神=超自然が存在しない無神論」という悪口。


material, materialistic (物質的, 唯物論的)

"material"(物質的)は、"natural"とほぼ同様に使われる。たとえば、"material process"だと、超越的な神や霊魂など"非物質的"なものは除外した過程。

"materialistic"(唯物論的)もほぼ同様。"materialism"とは形而上学的自然主義と同義で「超自然は存在しない」という考え方。

いずれも、超自然=神を除外したり、存在しないと主唱したりするので無神論と解釈される。


unguided (導かれない)
unintelligent (知性によらない)

米国の進化と創造についての世論調査で必ず出てくる選択肢が"Guided by God"である。具体的な意味は明確に定義されていないが、何らかの形で神様が関与していることを意味している。

この"Guided by God"の反対語が"unguided"である。これは、神がいないとまでは言わないが、「神が関与しない」ことを意味する。インテリジェントデザイン運動では、「自然界に介入しない神」なら、いないのと同じだから無神論に等しいと考える[ARN ID FAQ]。なので、"unguided"も悪口として使われる。

"unintelligent"も同様。"intelligent process"(知性が介在した過程)は、そのまま「神が介在した過程」なので、その逆は「神が介在しない過程」。


undirected (方向性のない)
blind (盲目の)
random (ランダムな)

軍拡競争で、ある方向に進化が進んでしまうこともあるので、必ずしも進化過程が行き当たりばったりというわけではない。にせよ、進化は偶然の積み重ねでもあり、人類が今の姿をしているのも偶然の産物でもあると思われる[ie ScienceDaily]。

「人類こそ到達点」とか「人類の登場は必然の結果」といった"事実"に基づいて、人類の存在意義・価値・尊厳を考える立場からすれば、"undirected"(方向性のない)などあってはならない。

逆にいえば、"undirected process"(方向性のない過程)は、「人類の存在意義・価値・尊厳」を否定するもの。それは、無条件に悪である。よって、"undirected"(方向性のない)は悪口になる。


"bind process"も"undirected process"と同義。"random"(ランダム)はちょっと違うはずだが、悪口として使われるときは同義。


purposeless (無目的)

「目的」は、機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する科学の取り扱い対象外。
よって、科学は「目的」に言及しない。これに対して...

「目的に言及しないのは、目的がないということだな。」
「人間の存在の目的がないとは何だ」...

まあ、インテリジェントデザイン運動はつまるところ、こんなもん。




以下、用例の出典
unguided, unplanned process of random variation and natural selection
[Luskin]

undirected, unguided natural causes
[ Pearcey, 2000]

unguided, unintelligent, purposeless, material processes such as natural selection acting on random variations or mutations
[Meyer & Keas]

coupling undirected, purposeless variation to the blind, uncaring process of natural selection
[DeWolf, West, & Luskin]

explain life in purely naturalistic and materialistic terms
[Taylor 2004}

the scientific establishment is requiring something else: "the best materialistic explanation for phenomenon
[Veith 2005]

Standing in the way is the materialistic definition of science inherited from the Victorian Age
[Richards 2005]
posted by Kumicit at 2007/08/23 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/08/03

ひきつづき方法論的自然主義

wikipedia:Naturalism (philosophy)の記述は編集合戦にならないように中立なものになっている。従って、創造論およびインテリジェントデザイン側のポジションも併記されている。
創造論とインテリジェントデザイン

創造論支持者は、超自然の活動の可能性を不必要に、現在の科学の実行と理論から排除していると主張する。現在では、「自然界の幾つかの特徴はインテリジェンスの結果として最もよく説明される」と主張するインテリジェントデザイン支持者は、科学の実行のために自然主義者の現実の概念化は不要だと論じる。彼らの一般的な批判は、「自然界が神や超自然の介入とは独立した不可侵の法則による閉鎖系だとするのは、科学を誤った結論に導き、神や超自然の介入についての考えを含めようと主張する研究を不適切に排除している」というものである。

ある現象が科学的検証可能で、自然に説明できるなら、それは超自然ではなくなるというポジションは、このポジションは本質的に矛盾していると論じる、形而上学的超自然主義によって論破される。彼らは何かが発見される前に、科学によって何が発見可能かどうやって定めるのかと問う。計測装置が開発されて、新しい発見が可能になるまで、計測不可能なものは検証不可能である。しかし、現象を検証する新しい方法を発見し開発することを科学的正統が許容するためには、非科学的と考えられるものを科学的に探究することが許されなければならない(しかし、その通りなら、非科学は科学になる)。そうでないなら、知識は宗教教義によっては限定されないが、唯物論的パラダイムによって限定される。このポジションは、「自然主義は超自然を召喚しないことで科学を限定するもので、方法論的自然主義からの逸脱なしに真理を探究する学界としての科学という、あらゆるタイプの科学についての規範的原則として正当化できない」と主張するCenter for Science and Cultureのようなインテリジェントデザイン支持者がとる。

[wikipedia:Naturalism (philosophy) translated by kumicit]
これについて注釈をつけておく。

このポジション(方法論的自然主義に反対)をとる人々

Center for Science and Cultureとはもちろん、インテリジェントデザインの本山たるDiscoery Instituteのインテリジェントデザイン部門である。Dr. Stephen Meyer率いるこのCenter for Science and Cultureが、主として方法論的自然主義に反対している[ie. Johnson, 2007]と考えてよい。

ただいま内戦状態な若い地球の創造論ミニストリAnswers in GenesisCreation Ministries Internationalや、かつての創造科学の本拠地たるInstitute for Creation Researchなどは、あまり声高に叫んではいない。

これは"若い地球の創造論"では、創造7日目からは神様は自然界に介入しないことになっている[ie. AiG, 1990]ので、神様を召還しなくても論争になってしまうため。つまり、方法論的自然主義の枠内でも、既に進化生物学&地球物理&宇宙物理その他大勢と戦闘中...

ということで、反"方法論的自然主義"の主唱勢力はインテリジェントデザイン運動になる。


このポジションでも、ダメダメなインテリジェントデザイン

たとえば、Lenny Flankは超自然であっても、科学的研究法を適用するなら、科学になると主張している。
科学的研究法は非常に単純で、基本的な5ステップから成り立つ。それらは次のとおり:
  1. 宇宙のある様相を観察する
  2. 観察したものを説明できる可能性のある仮説をつくる
  3. その仮説で検証可能な予測をつくる
  4. それらの予測を検証できる観察あるいは実験を行う
  5. すべての観察や実験と予測が一致するまで、仮説を修正する

これらの5ステップのどれでも原理的に、先験的に、"超自然の原因"を排除しない。この方法により、非物質的なピクシーやゴーストや女神や悪魔やグレートパンプキンやお望み次第のものを仮説に注ぎ込んでかまわない。実際に、治癒に対する祈りの効果としての"超自然の原因"について、科学的実験が提案され、実施され、論文発表されている。その他に、ESPやテレキネシスや予知や遠望視のような非物質的あるいは非自然的現象についての研究が行われている。
[Lenny Flank: Does science unfairly rule out supernatural hypotheses? translated by kumicit]
しかし、インテリジェントデザインは「3.その仮説で検証可能な予測をつくる」でこけているというのが、Lenny Flankの指摘である。

ここで、観察あるいは実験は、必ずしも直接的に現象を捉えるものでなくてもよい。たとえば、重力波やグラヴィトンを捕捉しなくても、ニュートンの万有引力の法則は検証可能であり、反証も可能である。実際はもうちょっと複雑で、水星の近日点移動から内側に惑星の存在を予測し、見つからなくて一般相対性理論へつながった場合とがあるけどね。

で、インテリジェントデザインによる検証可能な予測だが、これが一見それらしく偽装しているものの、実はとっても変である。

(1) High information content machine-like irreducibly complex structures will be found.
(2) Forms will be found in the fossil record that appear suddenly and without any precursors.
(3) Genes and functional parts will be re-used in different unrelated organisms.
(4) The genetic code will NOT contain much discarded genetic baggage code or functionless "junk DNA".

FAQ: Can we positively say something was designed? on IDEA Center]



(1) High information content machine-like irreducibly complex structures will be found.
高度情報を含む機械のような還元不可能に複雑な(生物器官)構造が見つかる


生物の器官なんて、たいがい「高度情報を含む機械のような」もの。さらに「還元不可能に複雑」の表向きの定義が「複数のパーツが同時にそろわないと機能しないもの」なのだが、実はちょっと違う。一見「還元不可能に複雑」であっても、進化経路が見つかれば「還元不可能に複雑」ではなくなる。血液凝固カスケードや免疫系や鞭毛などがこの例。

ここで問題なのは、「還元不可能に複雑だと主張されたものが、そうでないと示されたこと」ではなくて、「還元不可能に複雑=進化論では説明できないもの」であること。つまり...

(1) 進化論では説明できない、複雑な生物器官が見つかる


(2) Forms will be found in the fossil record that appear suddenly and without any precursors.
化石記録に突如、先行形態のなしに出現したものがみつかる。


古典的な中間化石が見つからないというもの。すなわち...

(2) (中間化石が見つからなくて) 進化論では説明できない化石が見つかる


(3) Genes and functional parts will be re-used in different unrelated organisms.
遺伝子や機能が関係のない別の生物で再利用される


これも類似器官が別の生物にあっただけでは成り立たない。それが進化で説明できたら、この(3)には該当しない。つまり...

(3) 進化論では説明できない、異なる種にある類似した器官・機能・遺伝子が見つかる


ここまでの3つは、結局のところ「進化論で説明できないものが見つかる」以上のことは言っていない。それだと、「進化論」の検証になるかもしれないが、「インテリジェントデザイン」の検証にはならない。つまり「その仮説で検証可能な予測をつくる」になっていない。


(4) The genetic code will NOT contain much discarded genetic baggage code or functionless "junk DNA"
ゲノムにはそんな多くの使われないコードや機能のないjunk DNAはない。


この主張は論理や根拠なく主張されていているものであり[エントリ]、インテリジェントデザイン運動が始まる前に、既にjunk DNAに機能がある[Battey et al. 1983<.a>] via Denialism Blog]と言われており、種の分岐がいつかを推定できるくらいにjunkな場所がある。

ということで、(4)はただの間違い。でも、そもそもが、「論理や根拠なく主張されて」いては「検証可能な予測」ではない。



ということで、超自然を論じる前に、「その仮説で検証可能な予測をつくる」に至っていない。このため、せっかくwikipedia:Naturalism (philosophy)の中立的な記述があるのに、それがインテリジェントデザインを正当化するのに効いてこない。


ということで、インテリジェントデザインは

科学の原則たる方法論的自然主義を否定していて、しかも超自然をOKにしてあげても、科学にならない。

posted by Kumicit at 2007/08/03 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/08/02

ふたたび方法論的自然主義

をもとにして、方法論的自然主義についてのエントリを書いてから、1年以上たった。

その後、wikipedia:Naturalism (philosophy)の記述がかなり整理されて、方法論的自然主義のみになり、形而上学的自然主義についてはwikipedia:Metaphysical naturalismで扱われるようになっていた。また、2007年2月にはStanford Encyclopedia of PhylosophyNaturalismが登場している。

ということで、とりあえずwikipedia:Naturalism (philosophy)のトピックを紹介する。

まずは定義から
Methodological naturalism contrasted with metaphysical naturalism(方法論的自然主義と形而上学的自然主義)

Metaphysical naturalism, which is often called "philosophical naturalism" or "ontological naturalism", takes an ontological approach to naturalism. Ontology is a branch of metaphysics that studies being, and so this is the view that the supernatural does not exist, thus entailing strong atheism.

哲学的自然主義あるいは存在論的自然主義とも呼ばれる形而上学自然主義は、自然主義に対して存在論的アプローチをとる。存在論は存在を研究する形而上学のひとつであるので、これは超自然は存在しないという見方であり、強い無神論になる。

In contrast, methodological naturalism is, in the words of Steven D. Schaphersman, "the adoption or assumption of philosophical naturalism within scientific method with or without fully accepting or believing it … science is not metaphysical and does not depend on the ultimate truth of any metaphysics for its success (although science does have metaphysical implications), but methodological naturalism must be adopted as a strategy or working hypothesis for science to succeed. We may therefore be agnostic about the ultimate truth of naturalism, but must nevertheless adopt it and investigate nature as if nature is all that there is." [4]

これに対して方法論的自然主義は、Steven D. Schaphersmanの言葉によれば「自然主義を完全に受け入れたり信じたりしているか否かにかかわらず、科学的方法の枠内の哲学的自然主義の採用あるいは仮定である。...(科学は形而上学的含意を持つが)科学は形而上学ではなく、形而上学的な究極の真理に依存しない。方法論的自然主義は科学がうまくいくための戦略あるいは作業仮説として採用しなければならないものである。したがって、我々は自然主義の究極の真理について不可知かもしれないが、これを採用し、自然があるがままであるかのように自然を研究しなければならない。」

[4] Naturalism is an Essential Part of Science - Steven D. Schafersman
続いて、超自然について
Relationship to the supernatural(超自然との関係)

This definition rules out recourse to the supernatural. Pennock contends[5] that as supernatural agents and powers "are above and beyond the natural world and its agents and powers" and "are not constrained by natural laws", only logical impossibilities constrain what a supernatural agent could not do, and "If we could apply natural knowledge to understand supernatural powers, then, by definition, they would not be supernatural". As the supernatural is necessarily a mystery to us, it can provide no grounds on which to judge scientific models. "Experimentation requires observation and control of the variables … But by definition we have no control over supernatural entities or forces." Allowing science to appeal to untestable supernatural powers would make the scientist's task meaningless, undermining the discipline that allows science to make progress, and "would be as profoundly unsatisfying as the ancient Greek playwright's reliance upon the deus ex machina to extract his hero from a difficult predicament."

この定義は超自然に訴えることを禁止する。Pennockは次のように強く主張する。「超自然のエージェントやパワーは自然界を超越したものであって、そのエージェントやパワーは自然法則には拘束されず、論理的不可能性だけが超自然のエージェントのできないことを制約する。そして、もし我々が自然な知識を超自然のパワーの理解に適用できるなら、定義上、それは超自然ではない。超自然は必然的に不可思議なものであるので、これに基づいて科学的モデルについての判断はできない。実験は観測と変数のコントロールが必要である。... しかし、定義上、我々は超自然の存在や力を制御できない。科学が検証不可能な超自然のパワーに訴えてもよいことにするなら、科学者の仕事は無意味になり、科学を発展させる規範は損なわれ、困難な状況か英雄を救いデウス・エクス・マキナに依存した古代ギリシャ劇のように、まったく不満足なもになる。」

Naturalism of this sort says nothing about the existence or nonexistence of the supernatural which by this definition is beyond natural testing. Other philosophers of science hold that some supernatural explanations might be testable in principle, but are so unlikely, given past results, that resources should not be wasted exploring them. Either way, their rejection is only a practical matter, so it is possible to be a methodological naturalist and an ontological supernaturalist at the same time. For example, while natural scientists follow methodological naturalism in their scientific work, they may also believe in God (ontological supernaturalism), or they may be metaphysical naturalists and therefore atheists. This position does not preclude knowledge that derives from the study of what is hitherto considered supernatural, but considers that if such a phenomenon can be scientifically examined and explained naturally, it then ceases to be supernatural.

このような自然主義は、定義の上で自然に検証できない超自然の存在あるは不在について何も言わない。ある科学哲学者は、原理的には超自然の説明の一部は検証可能かもしれないが、過去の結果から考えて、ほとんどありえず、超自然の探究にリソースを無駄にすべきではないと考えている。いずれにせよ、超自然の拒絶は実行上の問題であって、方法論的自然主義者が同時に存在論的超自然主義者であってもよい。たとえば、自然科学者は科学の研究においては方法論的自然主義に従うが、神(存在論的超自然主義)を信じているかも知れず、形而上学的自然主義者すなわち無神論者かもしれない。このポジションは、これまで超自然によるもの考えられてきたものについての研究による知識を、もしおその現象が科学的に検証可能で、自然に説明できるなら、排除しない

[5]Robert T. Pennock, Supernaturalist Explanations and the Prospects for a Theistic Science or "How do you know it was the lettuce?"
この後の部分は、Critiqueとして書かれていたものが、創造論とインテリジェントデザインのポジションという形の記述に改められている。
Creationism and intelligent design (創造論とインテリジェントデザイン)

Supporters of creationism claim that the possibility of supernatural action is unnecessarily excluded by the current practices and theories of science. Currently, proponents of intelligent design, who hold that certain features of the natural world are best explained as the results of intelligence, argue that the naturalist conception of reality is not needed in order to do science. Their general criticism is that insisting that the natural world is a closed system of inviolable laws independent of theism or supernatural intervention will cause science to come to incorrect conclusions and inappropriately exclude research that claims to include such ideas.

創造論支持者は、超自然の活動の可能性を不必要に、現在の科学の実行と理論から排除していると主張する。現在では、「自然界の幾つかの特徴はインテリジェンスの結果として最もよく説明される」と主張するインテリジェントデザイン支持者は、科学の実行のために自然主義者の現実の概念化は不要だと論じる。彼らの一般的な批判は、「自然界が神や超自然の介入とは独立した不可侵の法則による閉鎖系だとするのは、科学を誤った結論に導き、神や超自然の介入についての考えを含めようと主張する研究を不適切に排除している」というものである。

The position that if a phenomenon can be scientifically examined and explained naturally it then ceases to be supernatural is disputed by methodological supernaturalists, who argue that the position is inherently inconsistent. They ask, how can science presuppose what is discoverable before it has been discovered? What is immeasurable is untestable, until a measuring device is invented and a new discovery process enabled. But in order to be allowed by scientific orthodoxy to discover and invent new ways of testing reality, one must be allowed to engage in scientific pursuits of what is considered unscientific (but then, as stated, the "unscientific" becomes scientific, if it's true). Otherwise, knowledge is limited not as much as by religious dogmas, but by materialistic paradigms. This position is taken by intelligent design proponents such as the Center for Science and Culture, whose website claims that methodological naturalism limits science by not invoking the supernatural, and that "'methodological naturalism' cannot be justified as a normative principle for all types of science–without doing violence to science as a truth-seeking enterprise." [12]

ある現象が科学的検証可能で、自然に説明できるなら、それは超自然ではなくなるというポジションは、このポジションは本質的に矛盾していると論じる、形而上学的超自然主義によって論破される。彼らは何かが発見される前に、科学によって何が発見可能かどうやって定めるのかと問う。計測装置が開発されて、新しい発見が可能になるまで、計測不可能なものは検証不可能である。しかし、現象を検証する新しい方法を発見し開発することを科学的正統が許容するためには、非科学的と考えられるものを科学的に探究することが許されなければならない(しかし、その通りなら、非科学は科学になる)。そうでないなら、知識は宗教教義によっては限定されないが、唯物論的パラダイムによって限定される。このポジションは、「自然主義は超自然を召喚しないことで科学を限定するもので、方法論的自然主義からの逸脱なしに真理を探究する学界としての科学という、あらゆるタイプの科学についての規範的原則として正当化できない」と主張するCenter for Science and Cultureのようなインテリジェントデザイン支持者がとる。

[12] CSC - Open Debate on Life’s Origins By: Stephen C. Meyer


明日へつづく
posted by Kumicit at 2007/08/02 09:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする