2008年04月20日

詭弁"Going ‘in the direction of evolution’"について

創造論者たち[ie. DeWitt, 2002]
は、優生学につながる素として"ダーウィン進化論"を批判することが多い。Ben Steinのインテリジェントデザイン宣伝映画Expelledも同様。

それらは「倫理的価値を"自然科学の版図内の結論"として導き出すこと」が詭弁ではなく、「論理的帰結だ」という前提が必要。すなわち...
Mooreは次のように論じた。進化の方向は"必然的に良い"ということではない。倫理的価値はそれが自然であることによって決定されない。そして、その派生で、「現に存在しているものは(自然なものであるから)、存在すべきである」という詭弁があると論じる人もいる 。

この観点では、「進化は発展的な力なので、あらゆる優生学的な方法で、我々は進化の方向へ進むことを助けるべきであり、人類が進化しない方向に進むのを抑止すべきである」とか「男性は女性よりも自然では乱交なので、男性の乱交は倫理的に容認可能だ」とか「男性は女性よりも自然では乱交であり、自然の秩序を変えるべきでない」といったものが例として挙げられる。

[Curry 2006]
この「Going‘in the direction of evolution’」[Curry 2006]な詭弁あるいは誤謬に関わるのは、創造論者たちだけではない。その立場によって次のように行き着く:

  • 進化によって生じたものは善である
  • しかし、"その形質"は一般には善とは考えられない
  • 従って...

    1. 進化論は間違いである
    2. "その形質"を善と考えないのは間違いで、実は善なのだ
    3. "その形質"は、適応によって生じたものではない

3.あたりから派生したのが、Lewontinたちの"社会生物学に対する批判"なのかもしれない:
強制交尾は、昆虫から霊長類まで広く見られるオスの適応行動だ。人間の男性の攻撃的な性行動も、文化的に条件づけられた権力行使の歪みとしてではなく、動物一般の繁殖戦略と見なさねばなるまい。社会生物学は、そして著者はそう主張する。
 この種の言説は危険というか、性犯罪者の免罪に利用されはしないだろうか。なにしろ男のレイプ衝動は「自然な性質」だとのお墨付きを与えているのだから。
 著者は「否」と断言する。何かが「自然である」とは、「善である」という意味ではない。両者を混同する「自然主義の誤謬」から、フェミニズムなどの見当違いのイデオロギーが生ずるというのである。

[三浦俊彦: (書評)ジョン・オルコック『社会生物学の勝利』(新曜社) 『読売新聞』2004年4月18日掲載]
「"自然に関する知識"から"倫理的価値"を導き出す」ために「自然は良い」という"価値観"(あるいは宗教)が必要。その「自然は良い」を自然科学の版図内にあると思えば、創造論者たち[ie. DeWitt, 2002]のような主張ができてしまう。

もちろん、「自然は良い」はさまざまな宗教の主張であっても、自然法則から導出できる結論ではない。キリスト教系だと神の被造物たる自然は善なるものかもしれないし、スピリチュアル系だと"自然"は信仰対象そのものかもしれない。だとすると、彼らにとっては、その自然から生み出されるものは善かもね。

したがって、これらの宗教を用いないなら、次のようになる:

  • 進化によって生じたものが善かどうかは知ったこっちゃない
  • "その形質"は一般には善とは考えられない
  • 従って...
    4. "その形質"は一般には善とは考えられない




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2008年04月04日

地球の年齢を言えないインテリジェントデザイン

大学にインテリジェントデザインを広めるIDEAは「地球の年齢は対象外」と立場を表明している:
[IDEA Center FAQ]

Does IDEA take a position on the age of the earth?

The age of the earth is not an issue related to intelligent design theory, the validity of evolutionary theory, or even to to the validity of religions, including Christianity. For this reason, IDEA finds no reason to make any statements about the age of the earth. This does not mean it is not an important question, but it is not one we address.

地球の年齢はインテリジェントデザイン理論や、進化論の妥当性、キリスト教を含む宗教の有効性などとは関係ない問題である。この理由によりIDEAは地球の年齢について述べる理由を見出さない。これは地球の年齢が重要な問題ではないというのではなく、我々が対象としないことを意味するだけである。
これに対して、インテリジェントデザイン運動の公式的立場は以下の表明されるように、「前提にしない」である:
[Isn't Intelligent Design Another Name for Scientific Creationism? on ARN.org]

Legally, scientific creationism is defined by the following six tenets:
法的には、科学的創造論は次の6つの主張によって定義される:

  • The universe, energy and life were created from nothing.
    宇宙とエネルギーと生命は無から創造された
  • Mutations and natural selection cannot bring about the development of all living things from a single organism.
    突然変異と自然選択では、1個の生物からすべての生物が発展しえない。
  • "Created kinds" of plants and organism can vary only within fixed limits
    生物の創造された種類は、固定された範囲のみで変化しうる
  • Humans and apes have different ancestries.
    ヒトと類人猿は祖先が異なる
  • Earth’s geology can be explained by catastrophism, primarily a worldwide flood
    地球の地質は世界規模の洪水によって説明できる
  • The earth is youngin the range of 10,000 years or so.
    地球は1万歳程度。

Intelligent design, on the other hand, involves two basic assumptions:
これに対して、インテリジェントデザインは2つの基本的仮定をおく。

  • Intelligent causes exist.
    インテリジェントな原因が存在する
  • These causes can be empirically detected (by looking for specified complexity).
    これらの原因は指定された複雑さを見ることで、経験的に検出可能である。
ところが、インテリジェントデザイン支持者たちは、進化論で説明できない現象として5億3000万年前のCambrian Explosionを挙げている。

ただし、年代に触れてはいけないので、たとえばDiscovery InstituteのCenter for Science and CultureのProgram DirectorであるDr. Stephen C. Meyerは次のような微妙な記述をしている:
The “Cambrian explosion” refers to the geologically sudden appearance of many new animal body plans about 530 million years ago. At this time, at least nineteen, and perhaps as many as thirty-five phyla of forty total (Meyer et al. 2003), made their first appearance on earth within a narrow five- to ten-million-year window of geologic time (Bowring et al. 1993, 1998a:1, 1998b:40; Kerr 1993; Monastersky 1993; Aris-Brosou & Yang 2003). Many new subphyla, between 32 and 48 of 56 total (Meyer et al. 2003), and classes of animals also arose at this time with representatives of these new higher taxa manifesting significant morphological innovations. The Cambrian explosion thus marked a major episode of morphogenesis in which many new and disparate organismal forms arose in a geologically brief period of time.

[Stephen C. Meyer: "Intelligent Design: The Origin of Biological Information and the Higher Taxonomic Categories", 2007] (emphasis added by Kumicit)
まず、「カンブリア爆発は、5億3000万年前の多くの新しい動物のボディプランの地質学的な突如の出現を"refer"する」と書いている。起きたと言えないので、"refers"を使う。次の"At this time"も、5億3000万年前を指しているようでもあるが、おそらく「カンブリア爆発」を指していて年代不特定。次に「ten-million-year window(1000万年幅)」を従来研究の主張として書いている。その主張を認めると、少なくとも地球の年齢6000歳を否定してしまうのだが...

「地球の年齢」を言えないインテリジェントデザイン運動としては、苦しいところだろう。
タグ:id理論
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2008年03月26日

「いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ」なわけないでしょ

池田信夫氏がさらりと間違ったことを書いている[via 進化論と創造論についての第1掲示板]ので、指摘しておく。

間違ってる部分は、エントリの本論とは無関係に記述されたところ:
では、なぜスミスは人々が「よい均衡」を選ぶと信じたのだろうか? その答は、おそらく本書が言及していない理神論にあると思われる。これは神を人格的な存在と考えず、世界の秩序そのものが神の具現化だと考える教義で、ニュートンがその影響を受けていたことはよく知られている。彼の発見した古典力学の完璧な規則性は、まさに神の存在証明ともいえるものだった(いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ)。

[池田信夫: "「見えざる手」は誰の手か" (2008/03/24)]
間違っている点は以下の2点:

  • Newtonは確かに理神論の影響を受けているが、理神論とは違う立場にあった(神の介入を主張する点で)
  • インテリジェントデザインは理神論と敵対する(神の介入の有無について)


本論と無関係なところに間違いを書いて、わざわざ信憑性を落とすこともないと思うのだが...


それはさておき、Newtonが理神論と違った立場にあり、インテリジェントデザインが理神論と敵対する立場であることを示しておこう。


理神論は神の介入を認めない

理神論は「宇宙創造後に神が宇宙に介入することはない」と考える:
[wikipedia: Deism]

Deists typically reject supernatural events (prophecy, miracles) and tend to assert that God does not intervene with the affairs of human life and the laws of the universe.

[wikipedia: 理神論]

理神論は、一般に創造者としての神は認めるが、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。
この定義について、インテリジェントデザインのような反理神論の立場からの異論はない[後述]。


Sir Isaac Newtonの考えは理神論に近いが、理神論ではない

「宗教と科学」などの研究者である芦名定道氏は次のように指摘する:
@これまでいわば定説的な扱いがなされてきた「理論論者・二元論者ニュートン」という見解は、ニュートン理解としてはあまりにも不十分であり、むしろ我々は神と世界との積極的な関係性(絶対的な支配者・主としての神と僕としての被造物)をめぐるニュートンの議論にこそ注目しなければならない。

[芦名定道: "現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学" --W 現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学]
また保守系宗教学術誌First Thingに掲載された記事でAvery Cardinal Dullesも、神の介入を求める点で、Newtonの考えが理神論と違うことを主張している:
Shortly after its invention by Lord Herbert, deism received indirect support from the physics of Isaac Newton (1642-1727) and the philosophy of John Locke (1632-1704). The physical world, according to Newton, was explicable in terms of “insurmountable and uniform natural laws” that could be discovered by observation and formulated mathematically. By mastering these laws human reason could explain cosmic events that had previously been ascribed to divine intervention. The beauty and variety of the system, Newton believed, was irrefutable evidence that it had been designed and produced by an intelligent and powerful Creator. Close though he was to deism, Newton differed from the strict deists insofar as he invoked God as a special physical cause to keep the planets in stable orbits. He believed in biblical prophecies, but rejected the doctrines of the Trinity and Incarnation as irrational.

Herbert卿によって発明されてすぐに、理神論はIsaac Newtonの物理学とJohn Lockeの哲学から、間接的な支持を受けた。物理世界はNewtonによれば、逸脱できない一定の自然法則の言葉で説明可能であり、その自然法則は観測と数学的な定式化により発見可能である。これらの法則を理解できたなら、人間の理性は、かつて神の介入として記述された宇宙の現象を説明できるようになる。Newtonの信じた体系の美しさと多様さは、インテリジェントでパワフルな創造主によってデザインされ、創造されたことの論破できない証拠だった。Newtonは惑星軌道の安定性の特別な物理的原因として神を召還するという点で、厳密には理神論者とは違う。彼は聖書の預言を信じたが、三位一体と復活を非理性的として否定した。

[Avery Cardinal Dulles:"The Deist Minimum", 2005 First Things (January 2005)]
実際、Avery Cardinal Dullesの言うように、Newtonは神による創造後の宇宙への介入の証拠を求めた。


Sir Isaac Newtonは神の介入の証明を求めた

機械論の隙間に神を見出そうとして、機械論の性質そのものによって失敗する。それでも神を求めたのがSir Isaac Newtonである。
宇宙が完全に機械化されているのならば、神の振舞う余地などないのではないかという憂慮を誰よりも強く抱いたのは、ニュートンである。
...
彼の主意主義神学では、自然の出来事を機械的な結果としても神の意思としても説明できたので、神の介入を最もよく実証するのはどんな出来事なのかを決定しなければならなかった。最も派手な証拠があるとすれば、それは通常のから著しくかけ離れた異常な現象からのものだろう。だが主意主義哲学に基づけば、異常な出来事さえ神の制定した機構から生じるものとして考えることができた。もしその異常な出来事に対してあるメカニズムが特定されるとすれば、神の振舞いについて言及するには及ばない、と懐疑主義者が難癖をつけないだろうか。

[J.H. ブルック「科学と宗教」(p.161)]
機械論で記述されたら、それは神の奇跡すなわち神の介入ではなく、神の予見となる。神の存在を否定するものではないが、神の介入を肯定できなくなる。
創造以後も神が活動していることを肯定するために、さらになる証拠が必要とされたのは明らかである。ニュートンは恒星の安定性にそれを見出した。無限の宇宙においてさえ恒星の運動が予測されるのは、それぞれの恒星に作用している重力が皆無であるとは考えられないからだ。恒星が互いに衝突せずにいられるのは何ゆえか、という問いに対するニュートンの答えこそ、神の摂理なのであった。しかし、ここでも曖昧さが生じた。それは神自らが恒星を適所で支えているからなのか、それとも、お互いに作用する力を無視しうるほど遠く離れたところに恒星を配置した神の先見の明ゆえなのか?
..
しかし、この問題は創造の時点ですでに片がついていたのかもしれないというニュートンの推測は、神が定常的に関与しているとする論拠を弱めることになった。(p.163)

そして、太陽系の安定性に神の摂理を見出そうとするのだが...
太陽系が長期にわたって安定を保つには、神の摂理という安全装置が必要なのだ、さもないと惑星は軌道を外れるか、太陽と衝突してしまうだろう。果たして摂理はどんな備えをしたのだろうか。同じジレンマが残った。この建て直しは直接的な命令によるのか、それとも神性な仕組みによるものか。もしその効果が目に見えるものであるなら、直接的な命令のほうがずっと壮観なはずだ。しかし、トマス・バーネットへの書簡において、ニュートンはこう述べた。「自然因が手近にあれば、神はそれを道具として用いられることでしょう。」そして、彗星こそがそのような手近な自然因であるとニュートンは信じていた。皮肉なのは、ある自然因が見つかるや、徹底した自然主義の立場をとる人々が摂理を不要とする論議を展開しだしたことだ。(p.164)
機械論の内側にいる限り、自然法則を使って神が介入したのか、自然法則に従った自然現象なのか識別がつかない。

そして、Sir Isaac Newtonの死後に:
18世紀末には新たなアイロニーが生まれる。フランスの数学者、ラプラスとラグランジュによって、惑星起動に生じる不規則は惑星自体が矯正することが示された。だからといって、宇宙が設計の所産でないとはならなかったが、誤りを免れない科学に宗教的弁明をもち込むとどんな失態が起こるかを赤裸々に露見したのである。(p.165)
神の介入を証明しようとして、機械論の中で何かを示そうとする。しかし、機械論で説明できれば神は存在は否定されないが、その現象は神の予見の範疇に入り、神の介入ではなくなる。


なお、惑星軌道へ神の介入を主張したNewtonの記述はこれ:
"...the motions which the planets now have could not spring from any natural cause alone, but were impressed by an intelligent agent ... To make such a system with all its motions, required a cause which understood and compared together the quantities of matter in the several bodies of the sun and the planets, and the gravitating powers resulting from thence; the several distances of the primary planets from the sun, and of the secondary ones from Saturn, Jupiter and the earth, and the velocities with which those planets could revolve about those quantities of matter in the central bodies; and to compare and adjust all these things together in so great a variety of bodies, argues that cause to be not blind and fortuitous, but very well skilled in mechanics and geometry."

惑星の運動は今や、自然因のみで動くのではなく、インテリジェントエージェントの影響を受ける。すべての天体の運動を含むシステムを創るには、太陽や惑星など多くの天体の質量や、これによって生じる重力とともに、理解し比較する必要がある原因を必要とする。太陽からの主要惑星の距離、土星や木星や地球の衛星の距離や、中心質量のまわりを巡る速度。これらをすべての多様な天体をまとめて比較し調整するためには、盲目や偶然ではなく、機械と幾何に熟達していることを論じる」

[Letter from Isaac Newton to Dr. Richard Bentley]




インテリジェントデザイン支持者は理神論を拒否する

インテリジェントデザインの本山たるCenter for Science and Culture, Discovery Instituteセンター長であるStephen Meyerは理神論の説明力が有神論に対して劣ると言う:
Admittedly, theism, naturalism, and pantheism are not the only world-views that can be offered as metaphysical explanations for the three classes of evidences. Deism, like theism, for example, can explain the cosmological singularity and the anthropic fine-tuning. Like theism, deism conceives of God as both a transcendent and intelligent Creator. Nevertheless, deism denies that God has continued to participate in His Creation, either as a sustaining presence or an actor within Creation after the origin of the universe. Thus, deism would have difficulty accounting for any evidence of discrete acts of design or creation during the history of the cosmos (that is, after the Big Bang). Yet precisely such evidence now exists in the biological realm.

3つの種類の証拠についての形而上学的説明として提案可能な世界観はもちろん、有神論・自然主義・汎神論だけではない。たとえば、理神論は有神論と同じく、宇宙論的特異性と人間原理的なファインチューニングを説明できる。有神論と同じく理神論は、神を超越的かつインテリジェントな創造者と考える。しかしながら、理神論は神が宇宙の誕生の後に存在し続けたり、創造に役割を演じたりするなど、その創造に関与し続けることを否定する。従って、理神論は、ビッグバン後の宇宙の歴史において、明確にデザインをしたり創造したりしたといういかなる証拠も説明できないという難点がある。そして、そのような証拠はいまや生物学の領域に存在する。

[Stephen C. Meyer: The Return of the God Hypothesis, 1999]
Meyerは理神論よりも有神論が優れた説明力がある理由を、理神論が、"宇宙誕生後に神がデザインをした"という証拠が見つかると、それを説明できないからだという。もちろん、それは正しい。理神論は「宇宙創造後に神は宇宙に関与しない」という考え方だからだ。


インテリジェントデザインは神の介入を主張する


インテリジェントデザインの定義は以下のとおりで、インテリジェントな原因を主張している:
The theory of intelligent design holds that certain features of the universe and of living things are best explained by an intelligent cause, not an undirected process such as natural selection.

インテリジェントデザイン理論は宇宙や生物のある特徴は"自然淘汰のような指導されない過程"ではなく、インテリジェントな原因が最もよく説明できる

[Top Questions on Discovery Institute}
これは超自然の介入を主張するものである。もともとインテリジェントデザイン支持者たちは、超自然を排除する科学の原則たる方法論的自然主義を拒絶している:
Logicians have names for this, circular reasoning and begging the question being among them. The view that science must be restricted solely to purposeless, naturalistic, material processes also has a name. It's called methodological naturalism. So long as methodological naturalism sets the ground rules for how the game of science is to be played, IDT has no chance Hades. Phillip Johnson makes this point eloquently. So does Alvin Plantinga. In his work on methodological naturalism Plantinga remarks that if one accepts methodological naturalism, then Darwinism is the only game in town.

論理学者これに循環論法と名づけている。それは論点をたくみに避けるものである。科学が目的なき自然主義的かつ唯物論過程だけに限られるという見方にも名前がある。それは方法論的自然主義と呼ばれる。方法論的自然主義が科学のゲームの方法についてのグランドルールを定める限り、インテリジェントデザイン理論は日の目を見ない。 Phillip Johnsonはこれを雄弁に証明している。そして、Alvin Plantingaも。Plantingaは自著「方法論的自然主義」で、もし方法論的自然主義を認めれば、ゲームをプレイできるのはダーウィニズムだけになると述べている。

[William A. Dembski: "What Every Theologian Should Know about Creation, Evolution, and Design" (1996)]
公立学校の理科教育への侵入のため、明示的な方法論的自然主義否定を引っ込めていた頃もあった[ie Behe 2006]ようだが、その後は反転している[ie Chadwell, 2006, Plantinga, 2006]もよう。

そして、その超自然は初期値や自然法則として実装されるフロント・ローディングではない。
The impulse to front-load design is deistic, and I expect any theories about front-loaded design to be just as successful as deism was historically, which always served as an unsatisfactory halfway house between theism (with its informationally open universe) and naturalism (which insists the universe remain informationally closed). There are no good reasons to require that the design of the universe must be front-loaded.

フロントロードされたデザインの衝動は理神論的であり、フロントロードされtらデザインについての理論は理神論と同じく歴史的には成功したが、それは常に、有神論(情報的に開いた宇宙)と無神論(情報的に閉じた宇宙)の不満足な中間でしかなかった。デザインがフロントロードされたはずだ要求する、適切な論理はない。
....

To be committed to front-loaded design means that all these body-plans that first appeared in the Cambrian were in fact already built in at the Big Bang (or whenever that information was front-loaded), ...

フロントロードされたデザインを認めることは、カンブリア紀に出現したボディプランがすべて、ビッグバンの時点(あるいはいつにせよ情報がフロントロードされた時点)で構築済みだということを意味する。...

[William A. Dembski: "Intelligent Design Coming Clean" (2000/11/17)
インテリジェントデザインはあくまでも神の介入についての主張である。それは、もちろん理神論と敵対する立場である。






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2008年03月19日

復習:何もないインテリジェントデザイン

1987年6月19日のEdwards v. Aguillard -- U.S. Supreme Court Decisionにより「創造科学を理科の授業で教えること」が違憲と判断されると、創造論者たちはインテリジェントデザインを創った。

でも、これも2005年12月20日のKitzmiller v. Dover Area School District of Pennsylvaniaで創造科学と同等扱いで、違憲になった。

しかしそもそも、インテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonもインテリジェントデザインに教える内容がないと昨年発言している:
I also don’t think that there is really a theory of intelligent design at the present time to propose as a comparable alternative to the Darwinian theory, which is, whatever errors it might contain, a fully worked out scheme. There is no intelligent design theory that’s comparable. Working out a positive theory is the job of the scientific people that we have affiliated with the movement. Some of them are quite convinced that it’s doable, but that’s for them to prove…No product is ready for competition in the educational world.

私も現時点で、間違いを含んでいるにせよ、完全に働く記述であるダーウィン理論に比肩するような代替理論に、インテリジェントデザイン理論がなっているとは考えていない。比肩しうるようなインテリジェントデザイン理論は存在しない。肯定的理論を導くことは、私が運動で支援している科学系人材の仕事である。彼らの中には、それが可能だと完全に確信している者もいる。しかし、それを証明するのは彼らである。教育界で競合するために、いかなる生産物も準備できていない。

[Michelangelo D’Agostino: "In the matter of Berkeley v. Berkeley "]
ということで、"Teach the controversy"(論争を教える)に方向転換がなされる:
"I'm not pushing to have [ID] taught as an 'alternative' to Darwin, and neither are they," he says in response to one question about Discovery's agenda. "What's being pushed is to have Darwinism critiqued, to teach there's a controversy. Intelligent design itself does not have any content."

Discovery Instituteの方針について問われたとき、彼(George Gilder)は「私はダーウィンの代替としてインテリジェントデザインを教えることを推進していない。そして彼らもだ。推進しているのはダーウィニズムを批判することであり、論争があることを教えることだ。インテリジェントデザイン自体に中味はない」と答えた。

[The evolution of George Gilder (Boston.com 2005/07/27)]
でも、「進化はない」という査読つき論文があるわけでもないので、「論争」の存在も示せない。

なので、「critical analysis of theory of evolution」とか「We think students deserve to know not only about the strengths of modern evolutionary theory, but also about some of the theory's weaknesses and unresolved issues」とか言ってみる。

とは言っても、「進化はない」という査読つき論文があるわけでもなく、最先端の論争に高校レベルでつきあえるわけでなく。

しかも、「進化論は間違っている」のあとに言えることはこんなものしかない。
Arguably, intelligent design can be summarized as the notion that at some point in the past, in some way, some entity(possibly God) created life, or altered life at some point, or created the universe to be compatable with life.
おそらくインテリジェントデザインは次のように要約できる。過去のある時点で、ある方法で、ある存在(おそらく神)が生命を創ったか、ある点で生物を改変したか、生物が存在できるように宇宙を創った。[conservapedia:Creationism]
これでは中学校の実験レポートにもならない。

まあ、これでも「わたしの持論なんですが,この知的設計説という「大仮説」はまんざらバカにできないものだと思っています。」とか言っちゃってくれちゃってる竹内薫なら、大いに受け入れてくれるだろうけどね。





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2007年11月16日

用語メモ

用語集

  • 説明(explanation)
    仮説・法則・理論などのこと。
  • 自然な説明(natural explanation)・自然主義的説明(naturalistic explanation)
    超越的な神のような超自然を含まない説明。
  • 自然な過程(natural process)・自然主義的過程(naturalistic process)
    超越的な神のような超自然が関与しない過程。
  • 方法論的自然主義(methodological naturalism)
    自然現象の説明に、超越的な神のような超自然を含めない。科学の原則。
  • 形而上学的自然主義(metaphysical naturalism)・機械論的唯物論(materialism)
    超越的な神のような超自然は存在しない。これは科学的に検証・反証できないため、形而上学に分類される。なお、これは方法論的自然主義と矛盾しない。
  • 形而上学的超自然主義(metaphysical supernaturalism)
    超越的な神のような超自然が存在する。これは科学的に検証・反証できないため、形而上学に分類される。なお、これは方法論的自然主義と矛盾しない。
  • 経験的に検証可能 empirically testable
    理論・仮説が実験・観察・観測結果を予測できて、実際の結果と比較して、検証できる
  • 経験的に反証可能 empirically fallsifable
    理論・仮説が実験・観察・観測結果を予測できて、実際の結果と比較して、反証できる



インテリジェントデザインの論法

  • God of the gaps
    これは進化論では説明できないので、デザインだ。
  • Argument from default
    進化論で説明されない限り、デザインだ。
  • Argument from ignorance
    これが進化した経路を思いつかないので、デザインだ。
  • Argument from incredulity
    これが進化したとは信じられないので、デザインだ。
  • Negative Argument
    これがデザインされた証拠は、これが進化論で説明できないこと。


インテリジェントデザイン理論の対象外項目

  • インテリジェントデザイナーの数
  • インテリジェントデザイナーの能力
  • インテリジェントデザイナーの目的
  • インテリジェントデザイナーの意図
  • インテリジェントデザイナーの性格
  • インテリジェントデザイナーのデザイン方法
  • インテリジェントデザイナーのデザインの自然界への配置方法
  • インテリジェントデザイナーのデザインの自然界への配置時期
  • 地球と生命の歴史(時系列)



インテリジェントデザイン理論用語

  • デザイン
    =意図的部品の配置
  • インテリジェンス
    =目的/方向性を持った選択能力
  • 複雑で指定された情報(CSI)
    =自然法則でも偶然でも説明がついていない意味ありげなもの
    =デザイン
  • 還元不可能な複雑さ
    =漸進進化では説明できていない生物/生物器官
    =デザイン
  • Dembskiの説明フィルタ
    =「自然法則でも偶然でも説明がついていない意味ありげなものはデザインだ」



神学用語

  • フロントローディング(Front Loading)
    世界創造時点での初期値や物理法則の形での実装。進化するように設定するとか。
  • 神の予見
    フロントローディングと同じ。
  • 神の介入(Intervention)
    世界創造後に、世界の物理法則の一時的あるいは恒久的改変、惑星軌道の修正、新種生物の持ち込みなどを行うこと。奇跡もこれに含まれる
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2007年10月04日

放置されたインテリジェントデザイン文献倉庫にある用語の定義できなさ

最近では放置気味になっているインテリジェントデザイン文献倉庫ISCIDに、インテリジェントデザイン用語集がある。これを特に、「複雑さ」「指定」「デザイン」「デザイナー」「指定された複雑さ」を見ると、いかにインテリジェントデザインの用語定義がうまくいかないかが、よくわかる。

まずは複雑さから見ると:
Complexity 複雑さ

Complexity is one of those terms for which it is difficult to give a precise definition. Intuitively, it is thought of as a property or feature that implies the opposite of simplicity. Complexity is often used to describe single sytems made of multiple interacting parts. However, complexity descriptions can be used for a large variety of applications.

複雑さは正確に定義するのが困難な用語のひとつである。直感的には、単純さの反対を意味する特性と考えられる。複雑さは、複数の相互作用する部分から構成させる単一システムを描写するのに、よく使われる。しかし、複雑さという記述は、多種多様な適用に使える。
事実上、定義不可能だと言っている。通常の科学においても、複雑さの定義は、コルモゴロフ複雑性(Kolmogorov complexity)くらいしかない。

続いて、通常用語「意味ありげ」に相当する「指定(仕様)」を見ると:
Specification "指定"

A conditionally independent pattern that in the presence of complexity can be employed to draw a design inference.

デザイン推論を採るために、複雑さに見られる条件付き独立パターン
何も定義されていない。「意味ありげ」を定めることは、普通にむつかしいので、インテリジェントデザインで定義できなくても、特に不思議ではない。

「デザイン」はもはや定義できず、「デザイナー」の行動として解説されるのみ:
Design デザイン

A four-part process by which a designer forms a designed object: (1) A designer conceives a purpose or goal. (2) To accomplish that purpose, the designer forms a plan. (3) To execute the plan, the designer specifies building materials and assembly instructions. (4) The designer or some surrogate applies the assembly instructions to the building materials. What emerges is a designed object, and the designer is successful to the degree that the object fulfills the designer’s purpose.

デザイナーがデザイン物を形成するときに4つの段階を踏む。
(1) デザイナーは、目的あるいは到達点を考える。
(2) 目的を達成するために、デザイナーは計画を立てる。
(3) 計画を実行するために、デザイナーは、構成材料と組み立て方法を指示する。
(4) デザイナーもしくは代行者が、組み立て方法を構成材料に適用する。
これにより出現するのがデザイン物であり、デザイナーは、物がデザイナーの目的に適う程度に成功する。
目的を持ったデザイナーの活動結果として定義するしか、方法がないようだ。

ところが、「デザイナー」の項を見ると、この「デザイン」の解説にある「目的を持ったデザイナー」と整合させようとして、変なことになっている。
Designer デザイナー

An intelligent agent that arranges material structures to accomplish a purpose. Whether this agent is personal or impersonal, conscious or unconscious, part of nature or beyond nature are live possibilities within the theory of intelligent design. In particular, the designer need not be a creator.

目的を達成するために物質構造を組み替えるインテリジェントエージェント。このエージェントが人格を持つか否か、意識があるか否か、自然界の一部なのか、自然を超越しているのか、インテリジェントデザインの範囲内では、どれも有効な可能性である。特にデザイナーが創造主である必要はない。
インテリジェントデザインの建前どおりに書くと、こうなるのだろう。しかし、意識も人格もないが目的だけを持っているという変なものが出てくる。自動設計マシンあたりならOKかもしれないが。

そして、これらを組み合わせて、インテリジェントデザイン理論の精髄?あるいは唯一の新概念たる"指定された複雑さ"の項目へ進む:
Specified Complexity 指定された複雑さ

Specified complexity is William Dembski's dual-pronged criterion for objectively detecting the effects of certain types of intelligent activity without first hand evidence of the cause of the event in question. Dembski's notion of specified complexity is a rigorous theoretical formulation of the everyday distinction we make between natural events (i.e. natural death, naturally occuring rock formations) and events with intelligent causes (i.e. murder, Mount Rushmore).

"指定された複雑さ"は、問題とする現象の原因についての直接の証拠なしに、特定の型のインテリジェントな活動の効果を客観的に検出するための、William Dembskiの判別基準である。Dembskiの"指定された複雑さ"の概念は、自然現象(自然死や自然に形成された岩)とインテリジェントな原因による現象(殺人やMount Rushmore)を日常的な区別の厳密な理論的公式化である。

Specified complexity consists of two important components, both of which are essential for making reliable design inferences. The first component is the criterion of complexity or improbability. In order for an event to meet the standards of Dembski's theoretical notion of specified complexity, the probability of its happening must be lower than the Universal Probability Bound which Dembski sets at one chance in 10^150 possibilities.

"指定された複雑さ"は、信頼しうるデザイン推論のために不可欠な2つの重要な要素から構成される。第1の要素は、"複雑さ"あるいは"ありえなさ"の基準である。"指定された複雑さ"の理論的な概念のDembskiの基準に合致するには、その現象が起きる確率が、Dembskiが設定した1/10150の確率境界を下回らなければならない。

The second component in the notion of specified complexity is the criterion of specificity. The idea behind specificity is that not only must an event be unlikely (complex), it must also conform to an independently given, detachable pattern. Specification is like drawing a target on a wall and then shooting the arrow. Without the specification criterion, we'd be shooting the arrow and then drawing the target around it after the fact.

"指定された複雑さ"の第2の要素は、"指定"の基準である。"指定"の背後にある考えは、その現象があり得そうにない(複雑)であるだけでなく、独立に与えられた、分離可能なパターンと整合しなければならない。"指定"は壁に的を描いて、矢を射るようなものである。"指定"基準がなければ、我々は矢を射てから、的を描くことになる。

Criticisms of Dembski's notion of specified complexity often target the notion of specification. Critics argue that it is a subjective concept, highly dependent on the observer's background knowledge and therefore not reliable as a scientific criterion.

"指定された複雑さ"のDembskiの概念への批判は、しばしば"指定"の概念を標的にする。批判者は、それが主観的概念であり、観測者の背景知識に大きく依存し、従って科学的基準として信頼できないと論じる。

Additional criticisms include the following:
その他の批判論は次の通り:

  1. Too anthropocentric: it requires human-like intelligences
    人間中心的:人間のようなインテリジェンスを必要とする。
  2. Limited application: more easily applied to events for which we already know the causes
    適用限定:原因が分かっている現象についても、適用できてしまう
  3. Requires the elimination of all (known) random and lawlike causes
    (既知の)ランダムおよび法則性原因をすべて除外しなければならない。
  4. Determining probabilities of events involves incomplete knowledge of circumstances in which the event occurred
    現象の確率の決定が、現象が起きた環境について、不完全な知識を含んでいる。

Kumicitが批判を書くまでもなく、ちゃんと批判が書いてある。

ただし、根本的な論理のすり替えには言及していない。それは
  • Mount Rushmoreの大統領の顔と、自然の造形として顔みたいな岩は、見た目で、区別がつくだろう
  • しかし、あらゆる生物および生物器官は、すべてデザインに見えるはず。進化の産物なのか、デザイナーの産物かは、見た目からは区別不可能。
  • 区別の方法は、進化論で説明がつくか否か。
アナロジーである岩については「見た目」で、本来の研究対象たる生物(器官)については、「進化論で説明がつくか否か」で区別することになっている。すなわち、アナロジーが成立していないこと。
posted by Kumicit at 10/04 00:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | ID Introduction

2007年08月23日

インテリジェントデザイン運動がよく使う悪口用語

インテリジェントデザインの英語文献では必ず使われると言っていい単語たちがある。普通の英単語なんだけど、この手の業界用語なので、知らないと何だかわからなくなる。

ということで、ちょっと復習...

natural, naturalistic (自然の, 自然主義の)

"natural process"(自然の過程)とか、"natural explanation"(自然な説明)といった形で使われるのだが、慣れていないと、最もわけわからないかもしれない。

この場合の"natural"は"supernatural"(超自然の)と反対語。超自然には「超越的な神」とか「魂」とか「生気」(生物だけに働く力)とかが含まれる。普通は、「超越的な神」あるいは「超越的な神の、自然界への自然法則を無視した介入」といったことを意味する。

"natural"は従って、「超自然を除外する」と言った意味合いで使われる。"natural process"(自然の過程)とは、神様が直接関与していない過程であり、"natural explanation"(自然な説明)は、自然法則のみよる自然現象の記述といった意味を持つ。

これが何故、悪口になるかというと、「神様を除外している無神論」だから。


で、"naturalistic"(自然主義の)もほぼ同様。ただし、こっちは由緒正しい哲学用語"naturalism"(自然主義)の形容詞。本来は、metaphysical naturalism (形而上学的自然主義)とmethodological naturalism (方法論的自然主義)があるのだが、インテリジェントデザイン運動では、この2つを区別しない。

方法論的自然主義は「科学の説明は自然なものに限られる=超自然を召喚しない」というもの。形而上学的自然主義は「超自然は存在しない」という主張。

当然「神=超自然が存在しない無神論」という悪口。


material, materialistic (物質的, 唯物論的)

"material"(物質的)は、"natural"とほぼ同様に使われる。たとえば、"material process"だと、超越的な神や霊魂など"非物質的"なものは除外した過程。

"materialistic"(唯物論的)もほぼ同様。"materialism"とは形而上学的自然主義と同義で「超自然は存在しない」という考え方。

いずれも、超自然=神を除外したり、存在しないと主唱したりするので無神論と解釈される。


unguided (導かれない)
unintelligent (知性によらない)

米国の進化と創造についての世論調査で必ず出てくる選択肢が"Guided by God"である。具体的な意味は明確に定義されていないが、何らかの形で神様が関与していることを意味している。

この"Guided by God"の反対語が"unguided"である。これは、神がいないとまでは言わないが、「神が関与しない」ことを意味する。インテリジェントデザイン運動では、「自然界に介入しない神」なら、いないのと同じだから無神論に等しいと考える[ARN ID FAQ]。なので、"unguided"も悪口として使われる。

"unintelligent"も同様。"intelligent process"(知性が介在した過程)は、そのまま「神が介在した過程」なので、その逆は「神が介在しない過程」。


undirected (方向性のない)
blind (盲目の)
random (ランダムな)

軍拡競争で、ある方向に進化が進んでしまうこともあるので、必ずしも進化過程が行き当たりばったりというわけではない。にせよ、進化は偶然の積み重ねでもあり、人類が今の姿をしているのも偶然の産物でもあると思われる[ie ScienceDaily]。

「人類こそ到達点」とか「人類の登場は必然の結果」といった"事実"に基づいて、人類の存在意義・価値・尊厳を考える立場からすれば、"undirected"(方向性のない)などあってはならない。

逆にいえば、"undirected process"(方向性のない過程)は、「人類の存在意義・価値・尊厳」を否定するもの。それは、無条件に悪である。よって、"undirected"(方向性のない)は悪口になる。


"bind process"も"undirected process"と同義。"random"(ランダム)はちょっと違うはずだが、悪口として使われるときは同義。


purposeless (無目的)

「目的」は、機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する科学の取り扱い対象外。
よって、科学は「目的」に言及しない。これに対して...

「目的に言及しないのは、目的がないということだな。」
「人間の存在の目的がないとは何だ」...

まあ、インテリジェントデザイン運動はつまるところ、こんなもん。




以下、用例の出典
unguided, unplanned process of random variation and natural selection
[Luskin]

undirected, unguided natural causes
[ Pearcey, 2000]

unguided, unintelligent, purposeless, material processes such as natural selection acting on random variations or mutations
[Meyer & Keas]

coupling undirected, purposeless variation to the blind, uncaring process of natural selection
[DeWolf, West, & Luskin]

explain life in purely naturalistic and materialistic terms
[Taylor 2004}

the scientific establishment is requiring something else: "the best materialistic explanation for phenomenon
[Veith 2005]

Standing in the way is the materialistic definition of science inherited from the Victorian Age
[Richards 2005]
posted by Kumicit at 08/23 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction

2007年08月03日

ひきつづき方法論的自然主義

wikipedia:Naturalism (philosophy)の記述は編集合戦にならないように中立なものになっている。従って、創造論およびインテリジェントデザイン側のポジションも併記されている。
創造論とインテリジェントデザイン

創造論支持者は、超自然の活動の可能性を不必要に、現在の科学の実行と理論から排除していると主張する。現在では、「自然界の幾つかの特徴はインテリジェンスの結果として最もよく説明される」と主張するインテリジェントデザイン支持者は、科学の実行のために自然主義者の現実の概念化は不要だと論じる。彼らの一般的な批判は、「自然界が神や超自然の介入とは独立した不可侵の法則による閉鎖系だとするのは、科学を誤った結論に導き、神や超自然の介入についての考えを含めようと主張する研究を不適切に排除している」というものである。

ある現象が科学的検証可能で、自然に説明できるなら、それは超自然ではなくなるというポジションは、このポジションは本質的に矛盾していると論じる、形而上学的超自然主義によって論破される。彼らは何かが発見される前に、科学によって何が発見可能かどうやって定めるのかと問う。計測装置が開発されて、新しい発見が可能になるまで、計測不可能なものは検証不可能である。しかし、現象を検証する新しい方法を発見し開発することを科学的正統が許容するためには、非科学的と考えられるものを科学的に探究することが許されなければならない(しかし、その通りなら、非科学は科学になる)。そうでないなら、知識は宗教教義によっては限定されないが、唯物論的パラダイムによって限定される。このポジションは、「自然主義は超自然を召喚しないことで科学を限定するもので、方法論的自然主義からの逸脱なしに真理を探究する学界としての科学という、あらゆるタイプの科学についての規範的原則として正当化できない」と主張するCenter for Science and Cultureのようなインテリジェントデザイン支持者がとる。

[wikipedia:Naturalism (philosophy) translated by kumicit]
これについて注釈をつけておく。

このポジション(方法論的自然主義に反対)をとる人々

Center for Science and Cultureとはもちろん、インテリジェントデザインの本山たるDiscoery Instituteのインテリジェントデザイン部門である。Dr. Stephen Meyer率いるこのCenter for Science and Cultureが、主として方法論的自然主義に反対している[ie. Johnson, 2007]と考えてよい。

ただいま内戦状態な若い地球の創造論ミニストリAnswers in GenesisCreation Ministries Internationalや、かつての創造科学の本拠地たるInstitute for Creation Researchなどは、あまり声高に叫んではいない。

これは"若い地球の創造論"では、創造7日目からは神様は自然界に介入しないことになっている[ie. AiG, 1990]ので、神様を召還しなくても論争になってしまうため。つまり、方法論的自然主義の枠内でも、既に進化生物学&地球物理&宇宙物理その他大勢と戦闘中...

ということで、反"方法論的自然主義"の主唱勢力はインテリジェントデザイン運動になる。


このポジションでも、ダメダメなインテリジェントデザイン

たとえば、Lenny Flankは超自然であっても、科学的研究法を適用するなら、科学になると主張している。
科学的研究法は非常に単純で、基本的な5ステップから成り立つ。それらは次のとおり:
  1. 宇宙のある様相を観察する
  2. 観察したものを説明できる可能性のある仮説をつくる
  3. その仮説で検証可能な予測をつくる
  4. それらの予測を検証できる観察あるいは実験を行う
  5. すべての観察や実験と予測が一致するまで、仮説を修正する

これらの5ステップのどれでも原理的に、先験的に、"超自然の原因"を排除しない。この方法により、非物質的なピクシーやゴーストや女神や悪魔やグレートパンプキンやお望み次第のものを仮説に注ぎ込んでかまわない。実際に、治癒に対する祈りの効果としての"超自然の原因"について、科学的実験が提案され、実施され、論文発表されている。その他に、ESPやテレキネシスや予知や遠望視のような非物質的あるいは非自然的現象についての研究が行われている。
[Lenny Flank: Does science unfairly rule out supernatural hypotheses? translated by kumicit]
しかし、インテリジェントデザインは「3.その仮説で検証可能な予測をつくる」でこけているというのが、Lenny Flankの指摘である。

ここで、観察あるいは実験は、必ずしも直接的に現象を捉えるものでなくてもよい。たとえば、重力波やグラヴィトンを捕捉しなくても、ニュートンの万有引力の法則は検証可能であり、反証も可能である。実際はもうちょっと複雑で、水星の近日点移動から内側に惑星の存在を予測し、見つからなくて一般相対性理論へつながった場合とがあるけどね。

で、インテリジェントデザインによる検証可能な予測だが、これが一見それらしく偽装しているものの、実はとっても変である。

(1) High information content machine-like irreducibly complex structures will be found.
(2) Forms will be found in the fossil record that appear suddenly and without any precursors.
(3) Genes and functional parts will be re-used in different unrelated organisms.
(4) The genetic code will NOT contain much discarded genetic baggage code or functionless "junk DNA".

FAQ: Can we positively say something was designed? on IDEA Center]



(1) High information content machine-like irreducibly complex structures will be found.
高度情報を含む機械のような還元不可能に複雑な(生物器官)構造が見つかる


生物の器官なんて、たいがい「高度情報を含む機械のような」もの。さらに「還元不可能に複雑」の表向きの定義が「複数のパーツが同時にそろわないと機能しないもの」なのだが、実はちょっと違う。一見「還元不可能に複雑」であっても、進化経路が見つかれば「還元不可能に複雑」ではなくなる。血液凝固カスケードや免疫系や鞭毛などがこの例。

ここで問題なのは、「還元不可能に複雑だと主張されたものが、そうでないと示されたこと」ではなくて、「還元不可能に複雑=進化論では説明できないもの」であること。つまり...

(1) 進化論では説明できない、複雑な生物器官が見つかる


(2) Forms will be found in the fossil record that appear suddenly and without any precursors.
化石記録に突如、先行形態のなしに出現したものがみつかる。


古典的な中間化石が見つからないというもの。すなわち...

(2) (中間化石が見つからなくて) 進化論では説明できない化石が見つかる


(3) Genes and functional parts will be re-used in different unrelated organisms.
遺伝子や機能が関係のない別の生物で再利用される


これも類似器官が別の生物にあっただけでは成り立たない。それが進化で説明できたら、この(3)には該当しない。つまり...

(3) 進化論では説明できない、異なる種にある類似した器官・機能・遺伝子が見つかる


ここまでの3つは、結局のところ「進化論で説明できないものが見つかる」以上のことは言っていない。それだと、「進化論」の検証になるかもしれないが、「インテリジェントデザイン」の検証にはならない。つまり「その仮説で検証可能な予測をつくる」になっていない。


(4) The genetic code will NOT contain much discarded genetic baggage code or functionless "junk DNA"
ゲノムにはそんな多くの使われないコードや機能のないjunk DNAはない。


この主張は論理や根拠なく主張されていているものであり[エントリ]、インテリジェントデザイン運動が始まる前に、既にjunk DNAに機能がある[Battey et al. 1983<.a>] via Denialism Blog]と言われており、種の分岐がいつかを推定できるくらいにjunkな場所がある。

ということで、(4)はただの間違い。でも、そもそもが、「論理や根拠なく主張されて」いては「検証可能な予測」ではない。



ということで、超自然を論じる前に、「その仮説で検証可能な予測をつくる」に至っていない。このため、せっかくwikipedia:Naturalism (philosophy)の中立的な記述があるのに、それがインテリジェントデザインを正当化するのに効いてこない。


ということで、インテリジェントデザインは

科学の原則たる方法論的自然主義を否定していて、しかも超自然をOKにしてあげても、科学にならない。
posted by Kumicit at 08/03 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction

2007年08月02日

ふたたび方法論的自然主義

をもとにして、方法論的自然主義についてのエントリを書いてから、1年以上たった。

その後、wikipedia:Naturalism (philosophy)の記述がかなり整理されて、方法論的自然主義のみになり、形而上学的自然主義についてはwikipedia:Metaphysical naturalismで扱われるようになっていた。また、2007年2月にはStanford Encyclopedia of PhylosophyNaturalismが登場している。

ということで、とりあえずwikipedia:Naturalism (philosophy)のトピックを紹介する。

まずは定義から
Methodological naturalism contrasted with metaphysical naturalism(方法論的自然主義と形而上学的自然主義)

Metaphysical naturalism, which is often called "philosophical naturalism" or "ontological naturalism", takes an ontological approach to naturalism. Ontology is a branch of metaphysics that studies being, and so this is the view that the supernatural does not exist, thus entailing strong atheism.

哲学的自然主義あるいは存在論的自然主義とも呼ばれる形而上学自然主義は、自然主義に対して存在論的アプローチをとる。存在論は存在を研究する形而上学のひとつであるので、これは超自然は存在しないという見方であり、強い無神論になる。

In contrast, methodological naturalism is, in the words of Steven D. Schaphersman, "the adoption or assumption of philosophical naturalism within scientific method with or without fully accepting or believing it … science is not metaphysical and does not depend on the ultimate truth of any metaphysics for its success (although science does have metaphysical implications), but methodological naturalism must be adopted as a strategy or working hypothesis for science to succeed. We may therefore be agnostic about the ultimate truth of naturalism, but must nevertheless adopt it and investigate nature as if nature is all that there is." [4]

これに対して方法論的自然主義は、Steven D. Schaphersmanの言葉によれば「自然主義を完全に受け入れたり信じたりしているか否かにかかわらず、科学的方法の枠内の哲学的自然主義の採用あるいは仮定である。...(科学は形而上学的含意を持つが)科学は形而上学ではなく、形而上学的な究極の真理に依存しない。方法論的自然主義は科学がうまくいくための戦略あるいは作業仮説として採用しなければならないものである。したがって、我々は自然主義の究極の真理について不可知かもしれないが、これを採用し、自然があるがままであるかのように自然を研究しなければならない。」

[4] Naturalism is an Essential Part of Science - Steven D. Schafersman
続いて、超自然について
Relationship to the supernatural(超自然との関係)

This definition rules out recourse to the supernatural. Pennock contends[5] that as supernatural agents and powers "are above and beyond the natural world and its agents and powers" and "are not constrained by natural laws", only logical impossibilities constrain what a supernatural agent could not do, and "If we could apply natural knowledge to understand supernatural powers, then, by definition, they would not be supernatural". As the supernatural is necessarily a mystery to us, it can provide no grounds on which to judge scientific models. "Experimentation requires observation and control of the variables … But by definition we have no control over supernatural entities or forces." Allowing science to appeal to untestable supernatural powers would make the scientist's task meaningless, undermining the discipline that allows science to make progress, and "would be as profoundly unsatisfying as the ancient Greek playwright's reliance upon the deus ex machina to extract his hero from a difficult predicament."

この定義は超自然に訴えることを禁止する。Pennockは次のように強く主張する。「超自然のエージェントやパワーは自然界を超越したものであって、そのエージェントやパワーは自然法則には拘束されず、論理的不可能性だけが超自然のエージェントのできないことを制約する。そして、もし我々が自然な知識を超自然のパワーの理解に適用できるなら、定義上、それは超自然ではない。超自然は必然的に不可思議なものであるので、これに基づいて科学的モデルについての判断はできない。実験は観測と変数のコントロールが必要である。... しかし、定義上、我々は超自然の存在や力を制御できない。科学が検証不可能な超自然のパワーに訴えてもよいことにするなら、科学者の仕事は無意味になり、科学を発展させる規範は損なわれ、困難な状況か英雄を救いデウス・エクス・マキナに依存した古代ギリシャ劇のように、まったく不満足なもになる。」

Naturalism of this sort says nothing about the existence or nonexistence of the supernatural which by this definition is beyond natural testing. Other philosophers of science hold that some supernatural explanations might be testable in principle, but are so unlikely, given past results, that resources should not be wasted exploring them. Either way, their rejection is only a practical matter, so it is possible to be a methodological naturalist and an ontological supernaturalist at the same time. For example, while natural scientists follow methodological naturalism in their scientific work, they may also believe in God (ontological supernaturalism), or they may be metaphysical naturalists and therefore atheists. This position does not preclude knowledge that derives from the study of what is hitherto considered supernatural, but considers that if such a phenomenon can be scientifically examined and explained naturally, it then ceases to be supernatural.

このような自然主義は、定義の上で自然に検証できない超自然の存在あるは不在について何も言わない。ある科学哲学者は、原理的には超自然の説明の一部は検証可能かもしれないが、過去の結果から考えて、ほとんどありえず、超自然の探究にリソースを無駄にすべきではないと考えている。いずれにせよ、超自然の拒絶は実行上の問題であって、方法論的自然主義者が同時に存在論的超自然主義者であってもよい。たとえば、自然科学者は科学の研究においては方法論的自然主義に従うが、神(存在論的超自然主義)を信じているかも知れず、形而上学的自然主義者すなわち無神論者かもしれない。このポジションは、これまで超自然によるもの考えられてきたものについての研究による知識を、もしおその現象が科学的に検証可能で、自然に説明できるなら、排除しない

[5]Robert T. Pennock, Supernaturalist Explanations and the Prospects for a Theistic Science or "How do you know it was the lettuce?"
この後の部分は、Critiqueとして書かれていたものが、創造論とインテリジェントデザインのポジションという形の記述に改められている。
Creationism and intelligent design (創造論とインテリジェントデザイン)

Supporters of creationism claim that the possibility of supernatural action is unnecessarily excluded by the current practices and theories of science. Currently, proponents of intelligent design, who hold that certain features of the natural world are best explained as the results of intelligence, argue that the naturalist conception of reality is not needed in order to do science. Their general criticism is that insisting that the natural world is a closed system of inviolable laws independent of theism or supernatural intervention will cause science to come to incorrect conclusions and inappropriately exclude research that claims to include such ideas.

創造論支持者は、超自然の活動の可能性を不必要に、現在の科学の実行と理論から排除していると主張する。現在では、「自然界の幾つかの特徴はインテリジェンスの結果として最もよく説明される」と主張するインテリジェントデザイン支持者は、科学の実行のために自然主義者の現実の概念化は不要だと論じる。彼らの一般的な批判は、「自然界が神や超自然の介入とは独立した不可侵の法則による閉鎖系だとするのは、科学を誤った結論に導き、神や超自然の介入についての考えを含めようと主張する研究を不適切に排除している」というものである。

The position that if a phenomenon can be scientifically examined and explained naturally it then ceases to be supernatural is disputed by methodological supernaturalists, who argue that the position is inherently inconsistent. They ask, how can science presuppose what is discoverable before it has been discovered? What is immeasurable is untestable, until a measuring device is invented and a new discovery process enabled. But in order to be allowed by scientific orthodoxy to discover and invent new ways of testing reality, one must be allowed to engage in scientific pursuits of what is considered unscientific (but then, as stated, the "unscientific" becomes scientific, if it's true). Otherwise, knowledge is limited not as much as by religious dogmas, but by materialistic paradigms. This position is taken by intelligent design proponents such as the Center for Science and Culture, whose website claims that methodological naturalism limits science by not invoking the supernatural, and that "'methodological naturalism' cannot be justified as a normative principle for all types of sciencewithout doing violence to science as a truth-seeking enterprise." [12]

ある現象が科学的検証可能で、自然に説明できるなら、それは超自然ではなくなるというポジションは、このポジションは本質的に矛盾していると論じる、形而上学的超自然主義によって論破される。彼らは何かが発見される前に、科学によって何が発見可能かどうやって定めるのかと問う。計測装置が開発されて、新しい発見が可能になるまで、計測不可能なものは検証不可能である。しかし、現象を検証する新しい方法を発見し開発することを科学的正統が許容するためには、非科学的と考えられるものを科学的に探究することが許されなければならない(しかし、その通りなら、非科学は科学になる)。そうでないなら、知識は宗教教義によっては限定されないが、唯物論的パラダイムによって限定される。このポジションは、「自然主義は超自然を召喚しないことで科学を限定するもので、方法論的自然主義からの逸脱なしに真理を探究する学界としての科学という、あらゆるタイプの科学についての規範的原則として正当化できない」と主張するCenter for Science and Cultureのようなインテリジェントデザイン支持者がとる。

[12] CSC - Open Debate on Life’s Origins By: Stephen C. Meyer


明日へつづく
posted by Kumicit at 08/02 09:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction

2007年08月01日

アナロジー再訪

インテリジェントデザイン"理論"が、普通の科学な理論と違う大きなポイントのひとつに、「アナロジーによる議論」がある。
Arguments by analogy can be valid if there is sufficient similarity between the case in the analogy and the actual case. Intelligent design theory postulates that we can detect design by finding the product of design -- specified complexity. We try to detect intelligently sent signals from space through the "Search for Extra-Terrestrial Intelligence" (SETI) program by looking for specified complexity in the signals. Similarly, determine that archaeological artifacts, such as the heads on Easter Island, were intelligently designed because of their specified complexity. These two examples show how the underlying principle of intelligent design -- that we can detect design through the presence of specified complexity -- is true.
アナロジーの例と実際の例に十分な類似性があるなら、アナロジーによる議論は有効でありうる。インテリジェントデザイン理論は、デザインの生産物すなわち"指定された複雑さ"を見つけることでデザインを検出できると主張する。信号に"指定された複雑さ"を探す"地球外知性探索"(SETI)プログラムによって知性が送信した信号を宇宙から検出しようとする。同様に、イースター島の頭(モアイ)のような考古学的な人工物を、"指定された複雑さ"であるが故に、知的にデザインされたと判断する。"指定された複雑さ"の存在によってデザインを検出できるという、インテリジェントデザインの原則が正しいことを、これらの2つの例が示している。
[IDEA Center FAQ]

The signs of intelligence that occur in human artifacts and biological systems are not merely analogous. They are isomorphic, for we find the exact same form of specified complexity in each.
人間による人工物と生物システムにあるインテリジェンスの徴候は、単なる類似ではない。それは同形である。何故なら、まったく同じ形態の指定された複雑さを見つけるからだ。
[Dembski, 2006]


もちろん、論証の一部にアナロジーがある理論など、自然科学でなくとも、普通では考えられない。アナロジーでは何かを証明できない。以下に、如何に問題かを示してみよう。


アナロジーは証明しない

そもそも、アナロジーは可能性の示唆はできても、証明にならないと既にHumeが論じている
アナロジーは、科学的な仮説と同じように、可能性を「示唆」するだけであって、決して証明にはなりえないのである。科学の仮説は実験によって検証しうる。しかし、創造の背後にある知性についての仮説が同じようなやり方で検証し得ないのは明らかだ。世界が創造される現場を目撃した人はいないからだ。

我々が知っているのは一つの世界だけである。もし様々な世界を比較検討できるのであれば、「この」世界のほうが「あの」世界よりも機械に似ているとか似ていないとか言えるだろう。しかし、世界の単一性を奉じている我々に、どうしてこのような優劣の選択が正当化できるのか。
[JH ブルック: 科学と宗教, pp.201-203]

Humeは"世界"について述べているが、生物についても同様である。「生物デザインをデザイナーが自然界に持ち込む」ところも見たものはいないし、持ち込まれた直後の生物を捕捉した者もいないからである。


アナロジーは間違った帰納になる

アナロジーによる論は次のような帰納論のような形で提示される[Humbug! Online 2006/05/13]

  1. 構造と秩序を示す還元不可能に複雑なマシン{A]がある。
  2. 構造と秩序を示す還元不可能に複雑な生物機械[B]がある。
  3. 我々は[A]がインテリジェントデザイナー、つまり我々自身によって創られたと知っている。
  4. 従って、Bはインテリジェントデザイナー、つまり神によって創られたはずだ。

これは、「1+3」という命題が真であるから、逆命題である「2+4」も真だと主張している。
我々が確かに知っていることは、人間が何かをデザインしたとき、必然的に複雑さや構造や目的や秩序といった属性を持っているということだけだ。この推論を逆に適用して、複雑さや構造や目的や秩序を持つ何かは、インテリジェントデザインの産物でなければならないと証明できない。
[Humbug! Online 2006/05/13]



アナロジーの舞台に本題が乱入する

アナロジーを作るとき、日常感覚でわかりやすい事例を切り取ることがあるだろう。その事例が、アナロジーで説明しようとしているものと重なりがあると、説明が閉じなくなる。たとえば、Michael Beheの持ちネタのひとつがそれだ。
in walking through the woods a person might crush plants by his footsteps, accidentally break tree branches and so on. Why do we not ascribe those marks to purposeful activity? On the other hand, when we see a small snare (made of sticks and vines) in the woods, obviously designed to catch a rabbit, why do we unhesitatingly conclude the parts of the snare were purposely arranged by an intelligent agent? Why do we apprehend purpose in the snare but not in the tracks?

森の中を歩いていて、折れた枝か何かを偶然に踏んで、押しつぶしたとしよう。我々はこれを目的ある活動だと思うだろうか? 一方、我々が森で、明らかにウサギを捕らえようとした、棒と蔓でできた小さな罠を見て、何故、我々は躊躇することなく、罠がインテリジェントエージェントによって故意に用意されたと論じられるのか?何故、我々は森の小道に意図を感じず、罠に意図を感じるか?
[Michael Behe, 2000]
これは、構成部品が自然界にあるものだけでも、インテリジェンスによるものかどうか識別できるという主張の論拠である。ここでは「インテリジェントエージェント=人間(狩猟生活者)」であり、「部品=棒と蔓」である。それを、「棒だけ」あるいは「蔓だけ」と比較すれば、インテリジェンスによるものであることは明らかだという論になっている。

ところが、ここに「食虫植物」を並べてみると変なことになる。これは、アナロジーの舞台に、本題のネタが乱入した形になる。
HaetorisouD6.jpg
[東海大学開発工学部生物工学科星研究室]

「インテリジェントエージェント=人間(狩猟生活者)」であれば、「棒と蔓でできた小さな罠」はインテリジェンスによるもので、「ハエトリソウ」は自然物である。
「インテリジェントエージェント=創造主 or 人間」だったら、「棒と蔓でできた小さな罠」も「ハエトリソウ」もインテリジェンスによるものである。

どう考えればいいのだろうか?


アナロジーがこけると本題もこける

インテリジェントデザイン理論の概念のひとつ"Irreducible Complexity"には「ネズミ捕りのアナロジー」が理論の一部として含まれる。
In Darwin’s Black Box (1996), Behe presents a powerful argument for actual design in the cell. Central to his argument is his notion of irreducible complexity. A system is irreducibly complex if it consists of several interrelated parts so that removing even one part completely destroys the system’s function. As an example of irreducible complexity Behe offers the standard mousetrap. A mousetrap consists of a platform, a hammer, a spring, a catch, and a holding bar. Remove any one of these five components, and it is impossible to construct a functional mousetrap.

"Darwin's Black Box(1996)"で、Beheは細胞の中の実際のデザインについて強力な議論を提示している。彼の論点は彼の言うところの還元不可能な複雑さだ。もし、あるシステムが複数の連携した部品で構成され、そのひとつでも取り去れば、機能を失うのであれば、そのシステムは還元不可能な複雑さを持つ。還元不可能な複雑さの例として、Beheは標準的なネズミ捕りを挙げている。ネズミ捕りはプラットホーム、ハンマー、スプリング、キャッチ、および把持バーから成る。 これらの5つの部品のどれかひとつを取り除いてみよう。そうすると、機能するネズミ捕りを組み立てられなくなる。
[ William A. Dembski, 1998]
ネズミ捕りのように、「全部の部品がそろわないと機能しない"還元不可能に複雑な"システム」は、進化では実現しないというのがBeheの論である。

ところが、"還元不可能に複雑な"システムだと主張したネズミ捕りが"漸進進化"可能なら、論拠が失われてしまう。このため、論争はネズミ捕りをめぐるものになる。そして、幾つかの応酬があったものの、ついに"ネズミ捕りの漸進進化"が提示されてしまった。

==>John H. McDonald: A reducibly complex mousetrap [2002]



それでもアナロジーを使うしかないインテリジェントデザイン

まったく観測事実から帰納なしに「進化論で説明できないから、デザインだ」と主張するのは、さすがに説得力を欠く。
なので、今でも、ネズミ捕りは残っている。
タグ:id理論
posted by Kumicit at 08/01 01:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction

2007年07月27日

インテリジェントデザインが良く使う論

Argument from ignorance (無知からの論)

基本形式

Something is currently unexplained or insufficiently understood or explained, so it is not (or must not be) true.
あるものが現在、説明されていないか、十分に理解されていないか、十分に説明されていなら、それは間違っている。

Because there appears to be a lack of evidence for one hypothesis, another chosen hypothesis is therefore considered proved.
仮説Aについて証拠が欠けていることがわかれば、別の仮説Bが正しいことが証明される。

例文

鞭毛は進化論では説明がつかないから、デザインだ。


Argument from (personal) incredulity (信じられないからの論)

基本形式

"I can't believe this is possible, so it can't be true."
これがありえるとは信じられないので、これは真理ではない。

"That's not what people say about this; people instead agree with what I am saying."
それは人々が言っていることではない。人々は私の言っていることに同意する。

例文

鞭毛が進化したとは信じられないから、デザインだ。


God of the gaps argument (隙間神族の論)

基本形式

There is a gap in scientific knowledge. The gap is filled with acts of a god (and therefore also proves, or helps to prove, the existence of said god).
科学知識には隙間がある。その隙間は神によって埋められる(従って神の存在が証明される)。

例文

鞭毛は進化論では説明がつかないから、デザイナーがデザインした。


The Watchmaker analogy (時計職人のアナロジー)

基本形式

If you look at a watch, you can easily tell that it was designed and built by an intelligent watchmaker.
Similarly, if you look at some natural phenomenon X (a particular organ or organism, the structure of the solar system, life, the entire universe) you can easily tell that it was designed and built by an intelligent creator/designer.

時計を見れば、あなたは、それがインテリジェントな時計職人によって、設計・制作されたと簡単に言える。
同様に、あなたが自然現象X (特定の生物器官または生物、太陽系の構造、生命、全宇宙)を見れば、それがインテリジェントな創造主あるいはデザイナーによって設計・制作されたと言える。

詭弁のポイント

「時計の用途も、時計職人の存在および力量もわかっている」論と「目的が未知である生物と、力量は不明どころか、存在も証明されないデザイナー」論というアナロジーの成立しない2つの論を並べているだけ。すなわち前段はレトリックであって、論拠ではない。



参考URL:

  1. wikipedia:Argument from ignorance
  2. God of the gaps
  3. wikipedia: Watchmaker analogy
タグ:id理論