2008/05/29

インテリジェントデザインが科学ではない理由

宗教の欠落はナチズムをもたらすという理論と化してきているインテリジェントデザインだが、もともとは旧世紀初頭の聖書創造論に始まる創造論の系譜。当然のことながら、インテリジェントデザイン"理論"は"Theistic Science"を自称するとおり、科学とは違う範疇に属する。

何が違っているのかを、Science for All Americans Chapter 1: THE NATURE OF SCIENCE (第1章: 科学の本質)に従って見ていこう。

[1-9]
科学はあらゆる問題に完全な解答を与えられる訳ではない

科学的な方法による有効な調査ができない多くの問題が存在する。例えば、まさにその本質から肯定も否定も出来ないような信念が挙げられる(例えば、超自然的な力や物の存在や生命の本当の目的などである)。他の例を挙げると、ある種の信念(奇跡、予言、占星術、そして迷信など)を抱いた人たちによって、おそらく正確であろう科学的な調査が無関係なものとして排除される傾向もある。科学者は、善悪に関する話題を収束する手段を持っていない。しかしながら、科学者は善悪の重み付けを手助けするような特定の現象の結果を発見することでこの手の議論に時々貢献してしまう。 [langsam氏翻訳]


インテリジェントデザイン運動では、科学の定義はこれと違っている:

  • 超自然の存在[自然法則を超越した存在]を扱える
  • 目的・意味・意図などを扱える
通常科学はもちろん、自然法則によって世界を記述するものである以上、自然法則の逸脱たる超自然を取り扱い対象外にしている。また自然現象の目的・意味・意図がについても、その有無を含めて取り扱い対象外として言及することがない。

しかし、インテリジェントデザイン運動の定義に立てば、そのような通常科学の実行は次のようにしか見えない

  • 超自然の存在を否定している。
  • 自然現象あるいは宇宙あるいは人間の存在を無目的・無意味だと主張している。

そして、超自然について言及し、宇宙あるいは人間の存在の目的・意味を語る"正しい"科学を打ちたてようとする。



理解不可能な現象

そして、法則性から逸脱した存在・現象たる超自然を扱うために、さらに通常科学とは違う原則をとる。それは...

[1-5]
世界は理解可能である

注意深く系統立てた調査を通して理解することのできる一貫したパターンのうちに、自然現象が起こるということを、科学は前提としている。そして、知性の使用と我々の感覚を伸ばす機械の助けを借りることで、自然の全てのパターンを発見できると、科学者は信じている。[langsam氏翻訳]

インテリジェントデザイン運動の立場は、こんなかんじ:

  • 自然現象には科学で理解できないものがあると信じている。
  • それは奇跡=神による自然界への介入=神の存在証明
哲学の原理原則としては、この立場は間違いというわけではない。ただし、科学の実行上は、探求がそこで止まってしまうという点で、邪魔なだけ。

実際にやると、「鞭毛は進化し得ないから、デザインだ」という例のように「科学で説明できないものは神様のせいなのさ=God of the gaps」という隙間神族「鞭毛神」の召喚になってしまう。そして、鞭毛の進化経路が提示され始め、鞭毛が分解されてくると、「鞭毛神」を守るための聖戦を始めなければならなくなる。


科学的な概念が変化しないかのように振舞う

この戦いにおいて、科学の実行についてインテリジェントデザインが通常科学と違う認識を持っていることが示される。

[1-7]
科学的な概念とは変化するものである

科学とは知識を生み出す過程のことである。この過程は、現象の注意深い観測とそれらの観測事実を説明する理論の構築の両方に依存している。新たな観測事実はその時点での有力な理論を脅かすため、知識の変化は不可避なものである。ある理論がどれだけよく観測事実をうまく説明しようとも、別の理論がそれ以上にうまく当てはまったり、またより広い領域における観測事実に当てはまることもあり得る。科学において、理論の試行、改善、そして時々起こる破棄というのは、その理論が古くとも新しくとも、絶えず行われている。たとえ完全で絶対的な真実である保証はなくとも、さらなる正確な近似が世界とその作用を説明しうると、科学者は想定している。[langsam氏翻訳]
進化が確率過程として取り扱われ、遺伝子重複やコオプションなどがメカニズムとして加えられて久しい。しかし、インテリジェントデザイン運動は、確率という言葉を使いながら、確率過程という考え方が存在しないかのように論を構築する。理論とは打ち立てられたら変化しないものであるかのように。

戦いの武器としてインテリジェントデザイン運動が使う、Beheの還元不可能な複雑さという概念は、「突然変異でType III secrtory systemが自立運動しない鞭毛みたいになる」とか「それはそれで、大して不利でもなかったので、生き残ってしまったこともある(生き残れなかったケースの方が多数だったかも)」といった効果を無視した、理想化されたもの(あるいは、古典的な進化の考え方に基づくもの)。

そのような古風な「還元不可能な複雑さ」という概念が、インテリジェントデザインの中心的な概念になっているのは、「科学的な概念とは変化するもの」とは考えていないからだろう。


「科学的知識は持続的である」に従ってみた


インテリジェントデザインは以上のように科学とは違う何かである。しかし、あらゆる点で、科学ではない...というわけでもない。理科の授業に侵入すべく、科学の原則に従ってみようとした面もある。

[1-8]
科学的知識は持続的である

科学者は絶対的な知識に達する考えを排除し、ある不安定要素を自然の一部として受け入れてしまうが、大部分の科学的知識は持続的なものである。概念の無条件な排除よりもむしろ修正が科学の基準であり、強力な知的構築物は生き残り、より正確になり、広く受け入れられる傾向にある。例えば、相対性理論を定式化する際に、アルバート・アインシュタインはニュートンの運動法則を破棄するのではなく、ニュートンの法則が、より全体的な構想の限定的な適用の近似に過ぎないということを示した。(例えば、NASA(The National Aeronautics and Space Administration)は衛星軌道を計算するのにニュートン力学を用いている。)さらに、科学者が自然現象について正確な予測ができるようになることは、我々がまさに世界への理解を得ているということの説得力のある証拠でもある。継続性と安定性は変化と同じぐらい科学の特徴であり、確信はためらいと同じぐらい(科学において)一般的なのである。[langsam氏翻訳]
「地球も宇宙も6000歳」という命題を持っている"若い地球の創造論"は「科学的知識は持続的である」という原則を満たさない。創造論を採用したら、ただち、理解不能な自然現象が山積みになるからだ。たとえば、今もなお"若い地球の創造論"では、6000光年より彼方の星が見える理由を説明できていない。日々見上げる星空そのものが"若い地球の創造論"にとっては超常現象以外のなにものでもない。そんな"理論"が、通常科学の世界で認められることはない。というか値打ちが全くない。

そのような事態をインテリジェントデザイン"理論"は建前の上では回避している。すなわち「進化論で説明できないものはデザインだ」という形式。従来からある通常科学の主張をすべて認めた上で、その隙間に対して自らの主張をたてる。それによって、形式的には「科学的知識は持続的である」という原則を満たしている。

この原則をインテリジェントデザインが徹底することはあまりないのだが、ちゃんと守ろうとしたこともある。明らかに進化したと言えるものについて、「designed to evolve」と主張することである。実際に、ナイロンを食べる細菌についてDembskiが主張したことがある。これだと、通常科学の主張と矛盾することがない。

ただし、これは科学の実行において、ありがたみがない。この論の行き着く果てが、フロントローディング(自然法則と初期値と乱数系列の形で実装されていて、超自然からの介入がない)だからである。



証拠をもとめないインテリジェントデザイン

複数の理論のどれが正しいか戦っているときには、もちろん観測・観察・実験・シミュレーションなどの手段を以って、証拠を手にしようとするのが通常科学なのだが...

[1-12]
科学は証拠をもとめる

科学的な主張の妥当性は遅かれ早かれ現象の観察を参照することで決着がつく.よって,科学者は正確なデータを得ることに傾注する.そうした証拠をもたらす観察や計測がなされる状況は,自然な環境(たとえば森林)から完全に人工的なもの(たとえば実験室)まで,多岐にわたる.観察を行う際に,科学者たちはみずからの五感や,五感を強化する器具(たとえば顕微鏡)を使ったり,あるいは人間が感じとれるものとはまったく異なる特徴(たとえ磁場)をつかむ器具を使用したりする.科学者たちはみずから手出しせずに観察することもあれば(地震,鳥の渡り),収集したり(岩石,貝殻),あるいは積極的に世界を探測することもある(地殻のボーリング,試薬の投与)。[optical frog氏翻訳]


鞭毛とか血液凝固とか免疫系とか、インテリジェントデザイン運動はデザインの証拠を挙げる。だから、一見、証拠を求めているように見える。でも、インテリジェントデザイン支持者たちは、証拠を求めない

  • インテリジェントデザイン支持者たちは、Darwin's Black Box"の出版から12年間に、血液凝固系が還元不可能であることを示すべき研究を何もしなかった[Musgrave 2008, ]。
  • 鞭毛が進化不可能であることを示すために何もしなかった。それどころか、コオプションというメカニズムすら知らなかった。
  • 「junk DNAに機能がある」と言うが、決して「junk DNAに機能」を見つけようとはしない。



そんなインテリジェントデザイン"理論"とは科学ではなく...

超自然を扱い、目的・意味を論じる。理解不可能な現象があると信じる。そして、いつまでたっても、昔の進化論に戦いを挑み続ける。しかし、その戦いのために証拠を求めようとはしない。

少なくとも、それでは研究成果が出ないのは明らかだ。

  • 超自然も目的も意味も、科学で取り扱えない。
  • 理解できたという論文は書けるが、理解不可能という論文を書くのはむつかしい。
  • 現状のコンセンサスに戦いを挑まないのでは、成果にならない。
  • 自分で証拠を見つけてないのだから、メタアナリシスとかやるのでない限り、成果にならない

査読つき論文が皆無に等しいのは、そもそも論文が書けないからでもある。インテリジェントデザイン運動内の論文誌すら、論文数があまりも少なく、今や休刊状態。

そんな成果なきインテリジェントデザイン"理論"はなんだろうか?
タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/05/29 00:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/04/20

詭弁"Going ‘in the direction of evolution’"について

創造論者たち[ie. DeWitt, 2002]
は、優生学につながる素として"ダーウィン進化論"を批判することが多い。Ben Steinのインテリジェントデザイン宣伝映画Expelledも同様。

それらは「倫理的価値を"自然科学の版図内の結論"として導き出すこと」が詭弁ではなく、「論理的帰結だ」という前提が必要。すなわち...
Mooreは次のように論じた。進化の方向は"必然的に良い"ということではない。倫理的価値はそれが自然であることによって決定されない。そして、その派生で、「現に存在しているものは(自然なものであるから)、存在すべきである」という詭弁があると論じる人もいる 。

この観点では、「進化は発展的な力なので、あらゆる優生学的な方法で、我々は進化の方向へ進むことを助けるべきであり、人類が進化しない方向に進むのを抑止すべきである」とか「男性は女性よりも自然では乱交なので、男性の乱交は倫理的に容認可能だ」とか「男性は女性よりも自然では乱交であり、自然の秩序を変えるべきでない」といったものが例として挙げられる。

[Curry 2006]
この「Going‘in the direction of evolution’」[Curry 2006]な詭弁あるいは誤謬に関わるのは、創造論者たちだけではない。その立場によって次のように行き着く:

  • 進化によって生じたものは善である
  • しかし、"その形質"は一般には善とは考えられない
  • 従って...

    1. 進化論は間違いである
    2. "その形質"を善と考えないのは間違いで、実は善なのだ
    3. "その形質"は、適応によって生じたものではない

3.あたりから派生したのが、Lewontinたちの"社会生物学に対する批判"なのかもしれない:
強制交尾は、昆虫から霊長類まで広く見られるオスの適応行動だ。人間の男性の攻撃的な性行動も、文化的に条件づけられた権力行使の歪みとしてではなく、動物一般の繁殖戦略と見なさねばなるまい。社会生物学は、そして著者はそう主張する。
 この種の言説は危険というか、性犯罪者の免罪に利用されはしないだろうか。なにしろ男のレイプ衝動は「自然な性質」だとのお墨付きを与えているのだから。
 著者は「否」と断言する。何かが「自然である」とは、「善である」という意味ではない。両者を混同する「自然主義の誤謬」から、フェミニズムなどの見当違いのイデオロギーが生ずるというのである。

[三浦俊彦: (書評)ジョン・オルコック『社会生物学の勝利』(新曜社) 『読売新聞』2004年4月18日掲載]
「"自然に関する知識"から"倫理的価値"を導き出す」ために「自然は良い」という"価値観"(あるいは宗教)が必要。その「自然は良い」を自然科学の版図内にあると思えば、創造論者たち[ie. DeWitt, 2002]のような主張ができてしまう。

もちろん、「自然は良い」はさまざまな宗教の主張であっても、自然法則から導出できる結論ではない。キリスト教系だと神の被造物たる自然は善なるものかもしれないし、スピリチュアル系だと"自然"は信仰対象そのものかもしれない。だとすると、彼らにとっては、その自然から生み出されるものは善かもね。

したがって、これらの宗教を用いないなら、次のようになる:

  • 進化によって生じたものが善かどうかは知ったこっちゃない
  • "その形質"は一般には善とは考えられない
  • 従って...
    4. "その形質"は一般には善とは考えられない




関連エントリ


posted by Kumicit at 2008/04/20 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/04/04

地球の年齢を言えないインテリジェントデザイン

大学にインテリジェントデザインを広めるIDEAは「地球の年齢は対象外」と立場を表明している:
[IDEA Center FAQ]

Does IDEA take a position on the age of the earth?

The age of the earth is not an issue related to intelligent design theory, the validity of evolutionary theory, or even to to the validity of religions, including Christianity. For this reason, IDEA finds no reason to make any statements about the age of the earth. This does not mean it is not an important question, but it is not one we address.

地球の年齢はインテリジェントデザイン理論や、進化論の妥当性、キリスト教を含む宗教の有効性などとは関係ない問題である。この理由によりIDEAは地球の年齢について述べる理由を見出さない。これは地球の年齢が重要な問題ではないというのではなく、我々が対象としないことを意味するだけである。
これに対して、インテリジェントデザイン運動の公式的立場は以下の表明されるように、「前提にしない」である:
[Isn't Intelligent Design Another Name for Scientific Creationism? on ARN.org]

Legally, scientific creationism is defined by the following six tenets:
法的には、科学的創造論は次の6つの主張によって定義される:

  • The universe, energy and life were created from nothing.
    宇宙とエネルギーと生命は無から創造された
  • Mutations and natural selection cannot bring about the development of all living things from a single organism.
    突然変異と自然選択では、1個の生物からすべての生物が発展しえない。
  • "Created kinds" of plants and organism can vary only within fixed limits
    生物の創造された種類は、固定された範囲のみで変化しうる
  • Humans and apes have different ancestries.
    ヒトと類人猿は祖先が異なる
  • Earth’s geology can be explained by catastrophism, primarily a worldwide flood
    地球の地質は世界規模の洪水によって説明できる
  • The earth is young—in the range of 10,000 years or so.
    地球は1万歳程度。

Intelligent design, on the other hand, involves two basic assumptions:
これに対して、インテリジェントデザインは2つの基本的仮定をおく。

  • Intelligent causes exist.
    インテリジェントな原因が存在する
  • These causes can be empirically detected (by looking for specified complexity).
    これらの原因は指定された複雑さを見ることで、経験的に検出可能である。
ところが、インテリジェントデザイン支持者たちは、進化論で説明できない現象として5億3000万年前のCambrian Explosionを挙げている。

ただし、年代に触れてはいけないので、たとえばDiscovery InstituteのCenter for Science and CultureのProgram DirectorであるDr. Stephen C. Meyerは次のような微妙な記述をしている:
The “Cambrian explosion” refers to the geologically sudden appearance of many new animal body plans about 530 million years ago. At this time, at least nineteen, and perhaps as many as thirty-five phyla of forty total (Meyer et al. 2003), made their first appearance on earth within a narrow five- to ten-million-year window of geologic time (Bowring et al. 1993, 1998a:1, 1998b:40; Kerr 1993; Monastersky 1993; Aris-Brosou & Yang 2003). Many new subphyla, between 32 and 48 of 56 total (Meyer et al. 2003), and classes of animals also arose at this time with representatives of these new higher taxa manifesting significant morphological innovations. The Cambrian explosion thus marked a major episode of morphogenesis in which many new and disparate organismal forms arose in a geologically brief period of time.

[Stephen C. Meyer: "Intelligent Design: The Origin of Biological Information and the Higher Taxonomic Categories", 2007] (emphasis added by Kumicit)
まず、「カンブリア爆発は、5億3000万年前の多くの新しい動物のボディプランの地質学的な突如の出現を"refer"する」と書いている。起きたと言えないので、"refers"を使う。次の"At this time"も、5億3000万年前を指しているようでもあるが、おそらく「カンブリア爆発」を指していて年代不特定。次に「ten-million-year window(1000万年幅)」を従来研究の主張として書いている。その主張を認めると、少なくとも地球の年齢6000歳を否定してしまうのだが...

「地球の年齢」を言えないインテリジェントデザイン運動としては、苦しいところだろう。
タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/04/04 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/03/26

「いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ」なわけないでしょ

池田信夫氏がさらりと間違ったことを書いている[via 進化論と創造論についての第1掲示板]ので、指摘しておく。

間違ってる部分は、エントリの本論とは無関係に記述されたところ:
では、なぜスミスは人々が「よい均衡」を選ぶと信じたのだろうか? その答は、おそらく本書が言及していない理神論にあると思われる。これは神を人格的な存在と考えず、世界の秩序そのものが神の具現化だと考える教義で、ニュートンがその影響を受けていたことはよく知られている。彼の発見した古典力学の完璧な規則性は、まさに神の存在証明ともいえるものだった(いわゆるintelligent designは、理神論の現代版だ)。

[池田信夫: "「見えざる手」は誰の手か" (2008/03/24)]
間違っている点は以下の2点:

  • Newtonは確かに理神論の影響を受けているが、理神論とは違う立場にあった(神の介入を主張する点で)
  • インテリジェントデザインは理神論と敵対する(神の介入の有無について)


本論と無関係なところに間違いを書いて、わざわざ信憑性を落とすこともないと思うのだが...


それはさておき、Newtonが理神論と違った立場にあり、インテリジェントデザインが理神論と敵対する立場であることを示しておこう。


理神論は神の介入を認めない

理神論は「宇宙創造後に神が宇宙に介入することはない」と考える:
[wikipedia: Deism]

Deists typically reject supernatural events (prophecy, miracles) and tend to assert that God does not intervene with the affairs of human life and the laws of the universe.

[wikipedia: 理神論]

理神論は、一般に創造者としての神は認めるが、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。
この定義について、インテリジェントデザインのような反理神論の立場からの異論はない[後述]。


Sir Isaac Newtonの考えは理神論に近いが、理神論ではない

「宗教と科学」などの研究者である芦名定道氏は次のように指摘する:
@これまでいわば定説的な扱いがなされてきた「理論論者・二元論者ニュートン」という見解は、ニュートン理解としてはあまりにも不十分であり、むしろ我々は神と世界との積極的な関係性(絶対的な支配者・主としての神と僕としての被造物)をめぐるニュートンの議論にこそ注目しなければならない。

[芦名定道: "現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学" --W 現代神学におけるニュートン解釈と自然哲学]
また保守系宗教学術誌First Thingに掲載された記事でAvery Cardinal Dullesも、神の介入を求める点で、Newtonの考えが理神論と違うことを主張している:
Shortly after its invention by Lord Herbert, deism received indirect support from the physics of Isaac Newton (1642-1727) and the philosophy of John Locke (1632-1704). The physical world, according to Newton, was explicable in terms of “insurmountable and uniform natural laws” that could be discovered by observation and formulated mathematically. By mastering these laws human reason could explain cosmic events that had previously been ascribed to divine intervention. The beauty and variety of the system, Newton believed, was irrefutable evidence that it had been designed and produced by an intelligent and powerful Creator. Close though he was to deism, Newton differed from the strict deists insofar as he invoked God as a special physical cause to keep the planets in stable orbits. He believed in biblical prophecies, but rejected the doctrines of the Trinity and Incarnation as irrational.

Herbert卿によって発明されてすぐに、理神論はIsaac Newtonの物理学とJohn Lockeの哲学から、間接的な支持を受けた。物理世界はNewtonによれば、逸脱できない一定の自然法則の言葉で説明可能であり、その自然法則は観測と数学的な定式化により発見可能である。これらの法則を理解できたなら、人間の理性は、かつて神の介入として記述された宇宙の現象を説明できるようになる。Newtonの信じた体系の美しさと多様さは、インテリジェントでパワフルな創造主によってデザインされ、創造されたことの論破できない証拠だった。Newtonは惑星軌道の安定性の特別な物理的原因として神を召還するという点で、厳密には理神論者とは違う。彼は聖書の預言を信じたが、三位一体と復活を非理性的として否定した。

[Avery Cardinal Dulles:"The Deist Minimum", 2005 First Things (January 2005)]
実際、Avery Cardinal Dullesの言うように、Newtonは神による創造後の宇宙への介入の証拠を求めた。


Sir Isaac Newtonは神の介入の証明を求めた

機械論の隙間に神を見出そうとして、機械論の性質そのものによって失敗する。それでも神を求めたのがSir Isaac Newtonである。
宇宙が完全に機械化されているのならば、神の振舞う余地などないのではないかという憂慮を誰よりも強く抱いたのは、ニュートンである。
...
彼の主意主義神学では、自然の出来事を機械的な結果としても神の意思としても説明できたので、神の介入を最もよく実証するのはどんな出来事なのかを決定しなければならなかった。最も派手な証拠があるとすれば、それは通常のから著しくかけ離れた異常な現象からのものだろう。だが主意主義哲学に基づけば、異常な出来事さえ神の制定した機構から生じるものとして考えることができた。もしその異常な出来事に対してあるメカニズムが特定されるとすれば、神の振舞いについて言及するには及ばない、と懐疑主義者が難癖をつけないだろうか。

[J.H. ブルック「科学と宗教」(p.161)]
機械論で記述されたら、それは神の奇跡すなわち神の介入ではなく、神の予見となる。神の存在を否定するものではないが、神の介入を肯定できなくなる。
創造以後も神が活動していることを肯定するために、さらになる証拠が必要とされたのは明らかである。ニュートンは恒星の安定性にそれを見出した。無限の宇宙においてさえ恒星の運動が予測されるのは、それぞれの恒星に作用している重力が皆無であるとは考えられないからだ。恒星が互いに衝突せずにいられるのは何ゆえか、という問いに対するニュートンの答えこそ、神の摂理なのであった。しかし、ここでも曖昧さが生じた。それは神自らが恒星を適所で支えているからなのか、それとも、お互いに作用する力を無視しうるほど遠く離れたところに恒星を配置した神の先見の明ゆえなのか?
..
しかし、この問題は創造の時点ですでに片がついていたのかもしれないというニュートンの推測は、神が定常的に関与しているとする論拠を弱めることになった。(p.163)

そして、太陽系の安定性に神の摂理を見出そうとするのだが...
太陽系が長期にわたって安定を保つには、神の摂理という安全装置が必要なのだ、さもないと惑星は軌道を外れるか、太陽と衝突してしまうだろう。果たして摂理はどんな備えをしたのだろうか。同じジレンマが残った。この建て直しは直接的な命令によるのか、それとも神性な仕組みによるものか。もしその効果が目に見えるものであるなら、直接的な命令のほうがずっと壮観なはずだ。しかし、トマス・バーネットへの書簡において、ニュートンはこう述べた。「自然因が手近にあれば、神はそれを道具として用いられることでしょう。」そして、彗星こそがそのような手近な自然因であるとニュートンは信じていた。皮肉なのは、ある自然因が見つかるや、徹底した自然主義の立場をとる人々が摂理を不要とする論議を展開しだしたことだ。(p.164)
機械論の内側にいる限り、自然法則を使って神が介入したのか、自然法則に従った自然現象なのか識別がつかない。

そして、Sir Isaac Newtonの死後に:
18世紀末には新たなアイロニーが生まれる。フランスの数学者、ラプラスとラグランジュによって、惑星起動に生じる不規則は惑星自体が矯正することが示された。だからといって、宇宙が設計の所産でないとはならなかったが、誤りを免れない科学に宗教的弁明をもち込むとどんな失態が起こるかを赤裸々に露見したのである。(p.165)
神の介入を証明しようとして、機械論の中で何かを示そうとする。しかし、機械論で説明できれば神は存在は否定されないが、その現象は神の予見の範疇に入り、神の介入ではなくなる。


なお、惑星軌道へ神の介入を主張したNewtonの記述はこれ:
"...the motions which the planets now have could not spring from any natural cause alone, but were impressed by an intelligent agent ... To make such a system with all its motions, required a cause which understood and compared together the quantities of matter in the several bodies of the sun and the planets, and the gravitating powers resulting from thence; the several distances of the primary planets from the sun, and of the secondary ones from Saturn, Jupiter and the earth, and the velocities with which those planets could revolve about those quantities of matter in the central bodies; and to compare and adjust all these things together in so great a variety of bodies, argues that cause to be not blind and fortuitous, but very well skilled in mechanics and geometry."

惑星の運動は今や、自然因のみで動くのではなく、インテリジェントエージェントの影響を受ける。すべての天体の運動を含むシステムを創るには、太陽や惑星など多くの天体の質量や、これによって生じる重力とともに、理解し比較する必要がある原因を必要とする。太陽からの主要惑星の距離、土星や木星や地球の衛星の距離や、中心質量のまわりを巡る速度。これらをすべての多様な天体をまとめて比較し調整するためには、盲目や偶然ではなく、機械と幾何に熟達していることを論じる」

[Letter from Isaac Newton to Dr. Richard Bentley]




インテリジェントデザイン支持者は理神論を拒否する

インテリジェントデザインの本山たるCenter for Science and Culture, Discovery Instituteセンター長であるStephen Meyerは理神論の説明力が有神論に対して劣ると言う:
Admittedly, theism, naturalism, and pantheism are not the only world-views that can be offered as metaphysical explanations for the three classes of evidences. Deism, like theism, for example, can explain the cosmological singularity and the anthropic fine-tuning. Like theism, deism conceives of God as both a transcendent and intelligent Creator. Nevertheless, deism denies that God has continued to participate in His Creation, either as a sustaining presence or an actor within Creation after the origin of the universe. Thus, deism would have difficulty accounting for any evidence of discrete acts of design or creation during the history of the cosmos (that is, after the Big Bang). Yet precisely such evidence now exists in the biological realm.

3つの種類の証拠についての形而上学的説明として提案可能な世界観はもちろん、有神論・自然主義・汎神論だけではない。たとえば、理神論は有神論と同じく、宇宙論的特異性と人間原理的なファインチューニングを説明できる。有神論と同じく理神論は、神を超越的かつインテリジェントな創造者と考える。しかしながら、理神論は神が宇宙の誕生の後に存在し続けたり、創造に役割を演じたりするなど、その創造に関与し続けることを否定する。従って、理神論は、ビッグバン後の宇宙の歴史において、明確にデザインをしたり創造したりしたといういかなる証拠も説明できないという難点がある。そして、そのような証拠はいまや生物学の領域に存在する。

[Stephen C. Meyer: The Return of the God Hypothesis, 1999]
Meyerは理神論よりも有神論が優れた説明力がある理由を、理神論が、"宇宙誕生後に神がデザインをした"という証拠が見つかると、それを説明できないからだという。もちろん、それは正しい。理神論は「宇宙創造後に神は宇宙に関与しない」という考え方だからだ。


インテリジェントデザインは神の介入を主張する


インテリジェントデザインの定義は以下のとおりで、インテリジェントな原因を主張している:
The theory of intelligent design holds that certain features of the universe and of living things are best explained by an intelligent cause, not an undirected process such as natural selection.

インテリジェントデザイン理論は宇宙や生物のある特徴は"自然淘汰のような指導されない過程"ではなく、インテリジェントな原因が最もよく説明できる

[Top Questions on Discovery Institute}
これは超自然の介入を主張するものである。もともとインテリジェントデザイン支持者たちは、超自然を排除する科学の原則たる方法論的自然主義を拒絶している:
Logicians have names for this, circular reasoning and begging the question being among them. The view that science must be restricted solely to purposeless, naturalistic, material processes also has a name. It's called methodological naturalism. So long as methodological naturalism sets the ground rules for how the game of science is to be played, IDT has no chance Hades. Phillip Johnson makes this point eloquently. So does Alvin Plantinga. In his work on methodological naturalism Plantinga remarks that if one accepts methodological naturalism, then Darwinism is the only game in town.

論理学者これに循環論法と名づけている。それは論点をたくみに避けるものである。科学が目的なき自然主義的かつ唯物論過程だけに限られるという見方にも名前がある。それは方法論的自然主義と呼ばれる。方法論的自然主義が科学のゲームの方法についてのグランドルールを定める限り、インテリジェントデザイン理論は日の目を見ない。 Phillip Johnsonはこれを雄弁に証明している。そして、Alvin Plantingaも。Plantingaは自著「方法論的自然主義」で、もし方法論的自然主義を認めれば、ゲームをプレイできるのはダーウィニズムだけになると述べている。

[William A. Dembski: "What Every Theologian Should Know about Creation, Evolution, and Design" (1996)]
公立学校の理科教育への侵入のため、明示的な方法論的自然主義否定を引っ込めていた頃もあった[ie Behe 2006]ようだが、その後は反転している[ie Chadwell, 2006, Plantinga, 2006]もよう。

そして、その超自然は初期値や自然法則として実装されるフロント・ローディングではない。
The impulse to front-load design is deistic, and I expect any theories about front-loaded design to be just as successful as deism was historically, which always served as an unsatisfactory halfway house between theism (with its informationally open universe) and naturalism (which insists the universe remain informationally closed). There are no good reasons to require that the design of the universe must be front-loaded.

フロントロードされたデザインの衝動は理神論的であり、フロントロードされtらデザインについての理論は理神論と同じく歴史的には成功したが、それは常に、有神論(情報的に開いた宇宙)と無神論(情報的に閉じた宇宙)の不満足な中間でしかなかった。デザインがフロントロードされたはずだ要求する、適切な論理はない。
....

To be committed to front-loaded design means that all these body-plans that first appeared in the Cambrian were in fact already built in at the Big Bang (or whenever that information was front-loaded), ...

フロントロードされたデザインを認めることは、カンブリア紀に出現したボディプランがすべて、ビッグバンの時点(あるいはいつにせよ情報がフロントロードされた時点)で構築済みだということを意味する。...

[William A. Dembski: "Intelligent Design Coming Clean" (2000/11/17)
インテリジェントデザインはあくまでも神の介入についての主張である。それは、もちろん理神論と敵対する立場である。






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posted by Kumicit at 2008/03/26 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/03/19

復習:何もないインテリジェントデザイン

1987年6月19日のEdwards v. Aguillard -- U.S. Supreme Court Decisionにより「創造科学を理科の授業で教えること」が違憲と判断されると、創造論者たちはインテリジェントデザインを創った。

でも、これも2005年12月20日のKitzmiller v. Dover Area School District of Pennsylvaniaで創造科学と同等扱いで、違憲になった。

しかしそもそも、インテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonもインテリジェントデザインに教える内容がないと昨年発言している:
I also don’t think that there is really a theory of intelligent design at the present time to propose as a comparable alternative to the Darwinian theory, which is, whatever errors it might contain, a fully worked out scheme. There is no intelligent design theory that’s comparable. Working out a positive theory is the job of the scientific people that we have affiliated with the movement. Some of them are quite convinced that it’s doable, but that’s for them to prove…No product is ready for competition in the educational world.

私も現時点で、間違いを含んでいるにせよ、完全に働く記述であるダーウィン理論に比肩するような代替理論に、インテリジェントデザイン理論がなっているとは考えていない。比肩しうるようなインテリジェントデザイン理論は存在しない。肯定的理論を導くことは、私が運動で支援している科学系人材の仕事である。彼らの中には、それが可能だと完全に確信している者もいる。しかし、それを証明するのは彼らである。教育界で競合するために、いかなる生産物も準備できていない。

[Michelangelo D’Agostino: "In the matter of Berkeley v. Berkeley "]
ということで、"Teach the controversy"(論争を教える)に方向転換がなされる:
"I'm not pushing to have [ID] taught as an 'alternative' to Darwin, and neither are they," he says in response to one question about Discovery's agenda. "What's being pushed is to have Darwinism critiqued, to teach there's a controversy. Intelligent design itself does not have any content."

Discovery Instituteの方針について問われたとき、彼(George Gilder)は「私はダーウィンの代替としてインテリジェントデザインを教えることを推進していない。そして彼らもだ。推進しているのはダーウィニズムを批判することであり、論争があることを教えることだ。インテリジェントデザイン自体に中味はない」と答えた。

[The evolution of George Gilder (Boston.com 2005/07/27)]
でも、「進化はない」という査読つき論文があるわけでもないので、「論争」の存在も示せない。

なので、「critical analysis of theory of evolution」とか「We think students deserve to know not only about the strengths of modern evolutionary theory, but also about some of the theory's weaknesses and unresolved issues」とか言ってみる。

とは言っても、「進化はない」という査読つき論文があるわけでもなく、最先端の論争に高校レベルでつきあえるわけでなく。

しかも、「進化論は間違っている」のあとに言えることはこんなものしかない。
Arguably, intelligent design can be summarized as the notion that at some point in the past, in some way, some entity(possibly God) created life, or altered life at some point, or created the universe to be compatable with life.
おそらくインテリジェントデザインは次のように要約できる。過去のある時点で、ある方法で、ある存在(おそらく神)が生命を創ったか、ある点で生物を改変したか、生物が存在できるように宇宙を創った。[conservapedia:Creationism]
これでは中学校の実験レポートにもならない。

まあ、これでも「わたしの持論なんですが,この知的設計説という「大仮説」はまんざらバカにできないものだと思っています。」とか言っちゃってくれちゃってる竹内薫なら、大いに受け入れてくれるだろうけどね。





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posted by Kumicit at 2008/03/19 09:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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