2007/08/01

アナロジー再訪

インテリジェントデザイン"理論"が、普通の科学な理論と違う大きなポイントのひとつに、「アナロジーによる議論」がある。
Arguments by analogy can be valid if there is sufficient similarity between the case in the analogy and the actual case. Intelligent design theory postulates that we can detect design by finding the product of design -- specified complexity. We try to detect intelligently sent signals from space through the "Search for Extra-Terrestrial Intelligence" (SETI) program by looking for specified complexity in the signals. Similarly, determine that archaeological artifacts, such as the heads on Easter Island, were intelligently designed because of their specified complexity. These two examples show how the underlying principle of intelligent design -- that we can detect design through the presence of specified complexity -- is true.
アナロジーの例と実際の例に十分な類似性があるなら、アナロジーによる議論は有効でありうる。インテリジェントデザイン理論は、デザインの生産物すなわち"指定された複雑さ"を見つけることでデザインを検出できると主張する。信号に"指定された複雑さ"を探す"地球外知性探索"(SETI)プログラムによって知性が送信した信号を宇宙から検出しようとする。同様に、イースター島の頭(モアイ)のような考古学的な人工物を、"指定された複雑さ"であるが故に、知的にデザインされたと判断する。"指定された複雑さ"の存在によってデザインを検出できるという、インテリジェントデザインの原則が正しいことを、これらの2つの例が示している。
[IDEA Center FAQ]

The signs of intelligence that occur in human artifacts and biological systems are not merely analogous. They are isomorphic, for we find the exact same form of specified complexity in each.
人間による人工物と生物システムにあるインテリジェンスの徴候は、単なる類似ではない。それは同形である。何故なら、まったく同じ形態の指定された複雑さを見つけるからだ。
[Dembski, 2006]


もちろん、論証の一部にアナロジーがある理論など、自然科学でなくとも、普通では考えられない。アナロジーでは何かを証明できない。以下に、如何に問題かを示してみよう。


アナロジーは証明しない

そもそも、アナロジーは可能性の示唆はできても、証明にならないと既にHumeが論じている
アナロジーは、科学的な仮説と同じように、可能性を「示唆」するだけであって、決して証明にはなりえないのである。科学の仮説は実験によって検証しうる。しかし、創造の背後にある知性についての仮説が同じようなやり方で検証し得ないのは明らかだ。世界が創造される現場を目撃した人はいないからだ。

我々が知っているのは一つの世界だけである。もし様々な世界を比較検討できるのであれば、「この」世界のほうが「あの」世界よりも機械に似ているとか似ていないとか言えるだろう。しかし、世界の単一性を奉じている我々に、どうしてこのような優劣の選択が正当化できるのか。
[JH ブルック: 科学と宗教, pp.201-203]

Humeは"世界"について述べているが、生物についても同様である。「生物デザインをデザイナーが自然界に持ち込む」ところも見たものはいないし、持ち込まれた直後の生物を捕捉した者もいないからである。


アナロジーは間違った帰納になる

アナロジーによる論は次のような帰納論のような形で提示される[Humbug! Online 2006/05/13]

  1. 構造と秩序を示す還元不可能に複雑なマシン{A]がある。
  2. 構造と秩序を示す還元不可能に複雑な生物機械[B]がある。
  3. 我々は[A]がインテリジェントデザイナー、つまり我々自身によって創られたと知っている。
  4. 従って、Bはインテリジェントデザイナー、つまり神によって創られたはずだ。

これは、「1+3」という命題が真であるから、逆命題である「2+4」も真だと主張している。
我々が確かに知っていることは、人間が何かをデザインしたとき、必然的に複雑さや構造や目的や秩序といった属性を持っているということだけだ。この推論を逆に適用して、複雑さや構造や目的や秩序を持つ何かは、インテリジェントデザインの産物でなければならないと証明できない。
[Humbug! Online 2006/05/13]



アナロジーの舞台に本題が乱入する

アナロジーを作るとき、日常感覚でわかりやすい事例を切り取ることがあるだろう。その事例が、アナロジーで説明しようとしているものと重なりがあると、説明が閉じなくなる。たとえば、Michael Beheの持ちネタのひとつがそれだ。
in walking through the woods a person might crush plants by his footsteps, accidentally break tree branches and so on. Why do we not ascribe those marks to purposeful activity? On the other hand, when we see a small snare (made of sticks and vines) in the woods, obviously designed to catch a rabbit, why do we unhesitatingly conclude the parts of the snare were purposely arranged by an intelligent agent? Why do we apprehend purpose in the snare but not in the tracks?

森の中を歩いていて、折れた枝か何かを偶然に踏んで、押しつぶしたとしよう。我々はこれを目的ある活動だと思うだろうか? 一方、我々が森で、明らかにウサギを捕らえようとした、棒と蔓でできた小さな罠を見て、何故、我々は躊躇することなく、罠がインテリジェントエージェントによって故意に用意されたと論じられるのか?何故、我々は森の小道に意図を感じず、罠に意図を感じるか?
[Michael Behe, 2000]
これは、構成部品が自然界にあるものだけでも、インテリジェンスによるものかどうか識別できるという主張の論拠である。ここでは「インテリジェントエージェント=人間(狩猟生活者)」であり、「部品=棒と蔓」である。それを、「棒だけ」あるいは「蔓だけ」と比較すれば、インテリジェンスによるものであることは明らかだという論になっている。

ところが、ここに「食虫植物」を並べてみると変なことになる。これは、アナロジーの舞台に、本題のネタが乱入した形になる。
HaetorisouD6.jpg
[東海大学開発工学部生物工学科星研究室]

「インテリジェントエージェント=人間(狩猟生活者)」であれば、「棒と蔓でできた小さな罠」はインテリジェンスによるもので、「ハエトリソウ」は自然物である。
「インテリジェントエージェント=創造主 or 人間」だったら、「棒と蔓でできた小さな罠」も「ハエトリソウ」もインテリジェンスによるものである。

どう考えればいいのだろうか?


アナロジーがこけると本題もこける

インテリジェントデザイン理論の概念のひとつ"Irreducible Complexity"には「ネズミ捕りのアナロジー」が理論の一部として含まれる。
In Darwin’s Black Box (1996), Behe presents a powerful argument for actual design in the cell. Central to his argument is his notion of irreducible complexity. A system is irreducibly complex if it consists of several interrelated parts so that removing even one part completely destroys the system’s function. As an example of irreducible complexity Behe offers the standard mousetrap. A mousetrap consists of a platform, a hammer, a spring, a catch, and a holding bar. Remove any one of these five components, and it is impossible to construct a functional mousetrap.

"Darwin's Black Box(1996)"で、Beheは細胞の中の実際のデザインについて強力な議論を提示している。彼の論点は彼の言うところの還元不可能な複雑さだ。もし、あるシステムが複数の連携した部品で構成され、そのひとつでも取り去れば、機能を失うのであれば、そのシステムは還元不可能な複雑さを持つ。還元不可能な複雑さの例として、Beheは標準的なネズミ捕りを挙げている。ネズミ捕りはプラットホーム、ハンマー、スプリング、キャッチ、および把持バーから成る。 これらの5つの部品のどれかひとつを取り除いてみよう。そうすると、機能するネズミ捕りを組み立てられなくなる。
[ William A. Dembski, 1998]
ネズミ捕りのように、「全部の部品がそろわないと機能しない"還元不可能に複雑な"システム」は、進化では実現しないというのがBeheの論である。

ところが、"還元不可能に複雑な"システムだと主張したネズミ捕りが"漸進進化"可能なら、論拠が失われてしまう。このため、論争はネズミ捕りをめぐるものになる。そして、幾つかの応酬があったものの、ついに"ネズミ捕りの漸進進化"が提示されてしまった。

==>John H. McDonald: A reducibly complex mousetrap [2002]



それでもアナロジーを使うしかないインテリジェントデザイン

まったく観測事実から帰納なしに「進化論で説明できないから、デザインだ」と主張するのは、さすがに説得力を欠く。
なので、今でも、ネズミ捕りは残っている。

タグ:id理論
posted by Kumicit at 2007/08/01 01:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/07/27

インテリジェントデザインが良く使う論

Argument from ignorance (無知からの論)

基本形式

Something is currently unexplained or insufficiently understood or explained, so it is not (or must not be) true.
あるものが現在、説明されていないか、十分に理解されていないか、十分に説明されていなら、それは間違っている。

Because there appears to be a lack of evidence for one hypothesis, another chosen hypothesis is therefore considered proved.
仮説Aについて証拠が欠けていることがわかれば、別の仮説Bが正しいことが証明される。

例文

鞭毛は進化論では説明がつかないから、デザインだ。


Argument from (personal) incredulity (信じられないからの論)

基本形式

"I can't believe this is possible, so it can't be true."
これがありえるとは信じられないので、これは真理ではない。

"That's not what people say about this; people instead agree with what I am saying."
それは人々が言っていることではない。人々は私の言っていることに同意する。

例文

鞭毛が進化したとは信じられないから、デザインだ。


God of the gaps argument (隙間神族の論)

基本形式

There is a gap in scientific knowledge. The gap is filled with acts of a god (and therefore also proves, or helps to prove, the existence of said god).
科学知識には隙間がある。その隙間は神によって埋められる(従って神の存在が証明される)。

例文

鞭毛は進化論では説明がつかないから、デザイナーがデザインした。


The Watchmaker analogy (時計職人のアナロジー)

基本形式

If you look at a watch, you can easily tell that it was designed and built by an intelligent watchmaker.
Similarly, if you look at some natural phenomenon X (a particular organ or organism, the structure of the solar system, life, the entire universe) you can easily tell that it was designed and built by an intelligent creator/designer.

時計を見れば、あなたは、それがインテリジェントな時計職人によって、設計・制作されたと簡単に言える。
同様に、あなたが自然現象X (特定の生物器官または生物、太陽系の構造、生命、全宇宙)を見れば、それがインテリジェントな創造主あるいはデザイナーによって設計・制作されたと言える。

詭弁のポイント

「時計の用途も、時計職人の存在および力量もわかっている」論と「目的が未知である生物と、力量は不明どころか、存在も証明されないデザイナー」論というアナロジーの成立しない2つの論を並べているだけ。すなわち前段はレトリックであって、論拠ではない。



参考URL:

  1. wikipedia:Argument from ignorance
  2. God of the gaps
  3. wikipedia: Watchmaker analogy



タグ:id理論
posted by Kumicit at 2007/07/27 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/07/26

インテリジェントデザインの定義あれこれ

インテリジェントデザイン支持者たちによるインテリジェントデザインの定義について、見てみた。これらは、インテリジェントデザインの本山たるDiscovery Intituteの記載のコピペというわけではなく、思いが反映しているのか、少しつづ違っている。

まずは原本たるDiscovery Intituteから。
The theory of intelligent design holds that certain features of the universe and of living things are best explained by an intelligent cause, not an undirected process such as natural selection.
インテリジェントデザイン理論は、宇宙および生物のいくつかの特徴が、自然選択のような方向性のない過程ではなく、インテリジェントな原因によって最もよく説明されると考える。
[Questions about Intelligent Design on Discovery Institute]
「最もよく説明されると考える」のであって、「実際に理論で説明する」わけでないところが正直。

これに検出可能性を加えたのがインテリジェントデザインの神学と数学担当のDr. William Dembskiである。
Rather than trying to infer God’s existence or character from the natural world, it simply claims "that intelligent causes are necessary to explain the complex, information-rich structures of biology and that these causes are empirically detectable."
自然界から神の存在や特徴を推論するのではなく、複雑で情報に富んだ生物構造を説明するにはインテリジェントな原因が必要であり、これらの原因は経験的に検出可能であると主張する。
[William Dembski: "What is Intelligent Design?" on ARN]
検出方法が"God of the gaps"なフィルタであることはご愛嬌だが。

大学にインテリジェントデザインを広めるIDEA CenterのFAQはほぼDembskiと同じポジションをとっている。
Intelligent design is a scientific theory which seeks to determine if some objects in the natural world were designed through recognizing and detecting the types of information known to be produced by the intelligent agents when they act.
インテリジェントデザインは、自然界の何かがデザインされたかどうかを、インテリジェントエージェントが働いたときに作られるとわかっているタイプの情報を認識し検出することで、判断しようという科学理論である。
[FAQ: What is intelligent design theory? on IDEA center]
ここまでは、"神"くささを抑えるべく、インテリジェントエージェントと呼ばれている。

Discovery Insituteとは関係がないと思われるbeliefnetになると、少し"神"に近づく。
Intelligent design is the theory that living things show signs of having been designed. ID supporters argue that living creatures and their biological systems are too complex to be accounted for by the Darwinian theory of evolution, and that a designer or a higher intelligence may be responsible for their complexity.
インテリジェントデザインは、生物がデザインされたという徴候を示すという理論である。インテリジェントデザイン支持者は、生物と生物器官が複雑すぎてダーウィンの進化論では説明できず、デザイナーか高次インテリジェンスによるものだと論じる。
[FAQs: What Is Intelligent Design? on beliefnet]
「高次インテリジェンス」とちょっと神に近付いている。また、「生物はデザインされた徴候を示す」と強めになっている。

さらに、howstuffworksという団体の定義は踏み込む。
Intelligent design (ID) states that the universe and its inhabitants could not have evolved by the "blind chance" set forth in Darwinism. Its arguments are mostly concerned with what it considers to be holes in the theory of evolution, and it claims that these holes scientifically prove the presence of an "intelligent designer" in nature.
インテリジェントデザインは宇宙そのもの及び宇宙に住む者は、ダーウィニズムの言う盲目の偶然では進化しえない。進化論の穴と考えられるもの及び、これらの穴が自然界におけるインテリジェントデザイナーの存在を科学的に証明すると論じる。
[Julia Layton: "How intelligent design works" on howstuffworks]
すなおに、"God of the gaps"を振りかざしている。こんなに明瞭に"God of the gaps"言うのは自爆だとわかっていない。あんまり、インテリジェントデザインをめぐる論争動向を知らないのだろう。

そして、さらに、Kansasのインテリジェントデザイン支持団体になると、かなり踏み込む。
Intelligent Design (ID) is a scientific theory that says evolution's naturalism is wrong: an Intelligent Designer is responsible for the origin of the universe and of life and its diversity.
インテリジェントデザインは進化の自然主義は間違っていて、宇宙と生命のの起源および多様性はインテリジェントデザイナーによるものだと主張する科学理論である。
[Frequently Asked Questions (FAQ) on Intelligent Design Society of Kansas]
もはや反科学に踏み込んでいる。

意外と言うか、当然と言うべきか、もともと創造論の教科書として準備されていた、インテリジェントデザイン副読本"Of Pandas and People"は、創造論に近くなっている。
Intelligent design means that various forms of life began abruptly through an intelligent agency, with their distinctive features already intact. Fish with fins and scales, birds with feathers, beaks, wings, etc.
インテリジェントデザインは、多様な形態の生物が特有な特徴を持って、インテリジェントエージェンシーによって突如始まったことを意味する。
[Of Pandas and People quoted by wikipedia]
この「abruptly(突如)」は「creation(創造)」の言い換え用語であり、実際、創造科学の本拠地Institute for Creation ResearchのWendell R. Birdは"Theory of abrupt appearance"[Wendell R. Bird:The Origin of Species Revisited]を唱えたことがある。

政治的な状況を考えると"神による創造"の香りを弱めるべきなのだろうが、それではご利益がないと考える人々は、より踏み込んだ定義をとるようではある。


タグ:id理論
posted by Kumicit at 2007/07/26 00:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/07/09

神が存在しないことを科学で証明できない理由

==>忘却からの帰還: こんなかんじで神族分類 (2007/01/10)
==>忘却からの帰還: 科学と神の関係 (2007/05/04)

の続き...

今回は、科学的に存在を否定できない神様の例をあげてみよう。

「神は存在しないとしか考えられない」ように宇宙を創造した神[裏側神族]

この神が創造した宇宙は次のようなもの

  • 現在知られいている自然法則および将来発見される自然法則によって、宇宙は完全に説明がつく
  • 自然法則を逸脱した現象は存在しない
  • すべての自然法則は確率過程を含む数学によって表現できる

つまり、どこをどう見ても、宇宙は科学で説明しつくせる。自然現象の説明に神を召喚する必要性がまったくない。

このような「神は存在しないとしか考えられないように宇宙を創造した神が存在する」という主張はどうやって覆せるだろうか?

もちろん、反証することは、科学では原理的に不可能。


「135億年前にビッグバンが起きたかのように」宇宙を「2001年1月1日0時0分0秒に」創造した神[偽造神族]


この神も不在を証明できない。何故なら、2001年1月1日0時0分0秒以前にも宇宙が存在していたという証拠をどれだけ持ち出しても、それが神の偽造物でないことを、科学では証明する方法がないから。


  • 104歳の老人[2007/07/06現在]は、98歳の老人として過去の記憶とともに、2001年1月1日0時0分0秒に創造された
  • 超新星SN1987Aは存在しない。科学による観測からは、爆発したと考えるほかない光(や高エネルギー粒子など)を神は創造した。
    sn1987a_acsHubble_c1.jpg
    [SN1987A's Cosmic Pearls ]
  • というか、そもそもHubble望遠鏡も、現在の軌道上に2001年1月1日0時0分0秒に、いかにもNASAがつくって打ち上げたかのように、創造された
    telescope_essentials_introduction1_lg.jpg
    [Hubble]
  • Hubble望遠鏡の設計書類や打ち上げ記録や、修理作業の記録、そのほかもろもろもすべて2001年1月1日0時0分0秒に創造された


この「過去を偽造された」宇宙も、「神は存在しないとしか考えられない」ように創造された」宇宙と同じく、観測された宇宙は科学で説明しつくせるかもしれない。その場合は、自然現象の説明に神を召喚する必要性がまったくない。



「細菌の鞭毛をデザインして、地球に配備した」鞭毛神

もともと、この鞭毛神は、インテリジェントデザイン理論家Dr. Michael Beheの主張は「鞭毛は進化論では説明できないので、デザインだ」という理由で召喚したものである。

しかし、Matzke[2003]などで、「進化論では説明できないので」の部分がこけてしまった。「鞭毛の進化」という自然現象の説明のために鞭毛神を召喚する必要性は失われている。

では、「細菌の鞭毛をデザインして、地球に配備した」鞭毛神の不在は証明されるのかと言えば、そうではない。

  • Matzke[2003]の進化経路で鞭毛は進化していた
  • しかし、進化が鞭毛にたどり着く直前に、先回りして鞭毛神が、鞭毛つき細菌を地球に配備した。

と主張されてしまうと、科学では覆せなくなる。

たとえ、鞭毛が進化可能であることを、DNAをデザインして、突然変異過程を再現することで、実験的に示せたとしても、全然この鞭毛神の存在を否定できない。
「先回りして配備した」という主張を否定したことにならないからだ。


否定できないが、相手にもできない


鞭毛神も、「神は存在しないとしか考えられないように宇宙を」創造した神も、135億年前にビッグバンが起きたかのように宇宙を2001年1月1日0時0分0秒に」創造した神も、科学的には否定できない。しかし、

  • 科学が自然現象を説明する際に、これらの神々を召喚する必要性がない。
  • 科学的には、これらの神々を検出できない

従って、これらの神々は、科学の取扱対象外になる。
あくまでも「取扱対象外」なので、存否について、科学は何も言わない。


posted by Kumicit at 2007/07/09 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007/07/08

科学者が神を信じて矛盾がないのに、創造論な宗教が科学と対決する理由

自然科学者が神を信じても何の矛盾もない。にもかかわらず、創造論な宗教は自然科学と対決する。それは...

自然科学者が神を信じても何の矛盾もない理由

これは科学の原則が方法論的自然主義だから。

  • 方法論的自然主義
    方法論的自然主義は、超自然が科学的研究法で使えないという限定的な見方である。多くの科学哲学者は科学的研究の基本的な要件は、経験的に検証可能でなければならず、実効的に自然界の研究と説明に限定するものだと考えている。このタイプの自然主義は、定義において自然界で検証不可能である超自然の存否について何も言わない。
  • 形而上学的(存在論的)自然主義
    宇宙を含む自然界が存在する全てであるという形而上学的(存在論的)仮定に言及する。
  • 形而上学的(存在論的)超自然主義
    神(超自然)は存在するという見方。

方法論的自然主義が超自然(神)に言及しないのは、実用上の問題なので、神は存在するという形而上学(存在論的超自然主義)とも、神は存在しないという形而上学(存在論的自然主義)とも矛盾しない。

したがって、自然科学者は科学的な仕事において方法論的自然主義に従うが、神を信じているかも知れない。あるいは無神論者かもしれない[wikipedia:Naturalism(philosphy)]。


にもかかわらず、自然科学と共存しえない宗教がある理由(1)

方法論的自然主義は、「超自然の存否を仮定せずに自然因のみよって自然界に観測される現象を説明できる」という方法論的仮定を置く。
「自然因のみよって説明できない現象」は「わからない」だけ。

しかし、「方法論はありえない。あるのは存在論(形而上学)だけ」という立場をとる宗教がある。この考え方では「神の存否に言及しない=神は存在しない」と解釈される。そして、「科学は超自然への言及を排除すべきでない」と主張する。

ただ、それだけだと「経験的に検証可能」という原則が失われる。そこで、「経験的な検証方法」として、「God of the gaps = 科学で説明できないものは神様のせい」を使う。

たとえば、創造論者の主張には、細菌の鞭毛, 血液凝固 , タンパク質の細胞内輸送, 免疫系, 意識あるいは自由意志, 知性, 本能, 言語能力, ホモセクシャル, 倫理行動, 芸術, 音楽, 性格, 宗教などが進化論で説明できないというものがある。

当然、これらの解明が進むと、「それでは説明できていない」と徹底抗戦することになる。


にもかかわらず、自然科学と共存しえない宗教がある理由(2)

(1)は「超自然の存否」についての方法論的仮定をめぐるもの。すべての創造論者(若い地球の創造論・古い地球の創造論・インテリジェントデザイン)に共通する。
これに対して、(2)は若い地球の創造論者に特有な理由すなわち...聖書は無謬の観測記録である

聖書が無謬の観察記録であるという前提では、地球も宇宙も6000歳であり、生物は進化しない。従って、科学的に
  • 地球も宇宙も6000歳である
  • ノアの洪水があった
  • 生物が進化しない
    ことが証明されなければならないことになる。
    従って、神の存否に言及しないという科学の原則たる方法論的自然主義を容認しても、なおかつ自然科学と対決する。


    「事実」の裏づけのないものを信じられない


    方法論的自然主義という原則に従って、科学が神の存否に言及しないことが創造論系の宗教にとって何がまずいのだろうか? 科学的には自らが信じる神が肯定も否定もされないのだから、そのまま信じていけない理由があるのだろうか?

    あるいは、自然科学は一時的真理であって、経験的検証可能な観測事実によって覆るもの。「地球が45億歳なのも、生物が進化するのも一時的真理」である。それらはいずれ否定されると考えて、「地球も宇宙も6000歳で、生物が進化しない」と信じていけない理由があるのだろうか?

    あるとしたら、「事実の裏づけのないものを信じられない」くらいだろう。

  • posted by Kumicit at 2007/07/08 11:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID Introduction | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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