2016/08/05

143年の歴史を誇る都市伝説「ブアメードの血」Update 2016/08/05

2009/07/11から、ときどき追いかけてきた「(1999年に笠巻勝利氏が命名した)ブアメードの血」だが、前回(2016/03/29)から少し進展があった。(Googleの雑誌スキャンが進んで、オンライン情報が増えているようだ。)

  • 英国のLancetが"Can Imagination Kill"という記事を掲載したのが1886年。それよりも13年前に、同様の記述を掲載した医学誌が米国にあった。
  • 英国のLancetの記事では、傷つける箇所は「首」だったが、米国では1884年まで「腕」とする記載が複数見られた。
  • いつ実験が行われたか記載はなく、場所もフランスだったり、ドイツだったり


で、まずは、1873年、米国ミシガン州Battle Creekの"The health Reform Institute"が発行している"The Health Reform"に、「多くの読者にとって新たに知ることではない」事例として、死刑囚を使った実験例に触れた記事が掲載された。
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「実際に死の瞬間まで、まったく疾患ではないのに、想像力によって人が死ぬことがある」と私は言った。ここでは、多くの読者にとって新たに知ることではないが、そのような症例をここで指摘しよう。一人の男が、フランスで犯罪により、死刑を宣告された。数人の医師たちが、その男をただちにギロチンにかけるのではなく、実験に使うことを許可された。実験計画では、男の想像力を刺激し、心の働きによって、実際に死亡するのか、見極めることになっていた。医師たちは男に、出血死することになると信じ込ませたが、実際には、その男は一滴の血も流れることはなかった。医師たちは、「自分が出血するという想像が神経系に強く働きかけ、男は死亡する」と主張した。その男の例では、それが実証された。

男に見えるように、血液を受けるためのボウルが置かれた。一人の医師の手にある鋭いメスがきらりと光った。傷をつけるために、男の腕がむき出しにされた。そして、男は目隠しをされ、テーブル(台)の上に寝かされた。医師たちは話し合い、大動脈を探し、男がすぐに出血死する、適したところを指した。医師たちは、出血しない程度に、男の腕を刺した。医師たちは、血が流れ出ているかのように会話した。欺瞞を完全なものにするため、暖かい水を男の腕に流して、ボウルへと流し落とした。医師たちは出血量を話した。医師たちは男の脈をとり、そのゆらぎを話した。経過時間を少し長めに話した。男は実際に意識が遠くなり、出血死の症状を呈して、実際には一滴も出血することなく、死亡した。医師たちが男の想像力に働きかけた欺瞞だが、男にとっては実際に出血死すると思っていたことにより、男は死亡した。

[Good Health 1873, p233]
具体的な記述だが、いつ、起きたのかは書かれていないが、フランスで起きたことになっていた。。また、出血したと思い込ませるために傷つける箇所は腕だった。

1879年、米国ペンシルバニア州Wernersvilleの医学誌に、同じく「腕」を傷つけるストーリーが掲載された。ただし、場所はフランスではないようだ。
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私は別の例にも触れずにはなるまい。多くの医師たちが、ドイツ王子に、死刑を宣告された犯罪者を使って、心がどの程度、身体に影響を及ぼすのかの実験を求めていたという。ある人物が、首を刎ねるかわりに出血死させられると信じ込ませされた。指定時刻に医師たちは、彼の独房に出かけた。彼は簡易ベッドに寝かされ、目隠しをされた。そして、医師たちは血液を受ける容器を用意した。医師たちは彼の腕を傷つけ、暖かい水が腕を流れるようにし、床に落ちるようにした。目隠しされた人物は、出血死すると信じ込んでおり、医師たちはそのように印象付けるべく、脈拍を計測し、流れ出た血の量を計測し、弱っていく状態を調べた。彼が聞こえることは、彼が死にかけていると彼の心に思い込ませるものだた。そして彼は死亡した。まさしく想像力によって死亡した。彼は一滴の血も失っていなかった。これは凄いことだろう? 出血死するところ、あるいは事故か何かで死亡しかかっていると考えたとき、どんな気分になるか考えたことがあるだろうか?

[Laws of Health, 1878, p96]


続いて、1880年に、米国オハイオ州シンシナティの医学誌"The Cincinnati Lancet and Clinic"に、次のような記事が掲載された。これも出血したと思い込ませるために傷つける箇所は腕だった。
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Attention with imagination is a fruitful source of physical disorder. The schoolmen had an axiom: A strong imagination begets the events. The suggestion of a disease has been known to cause that disease, more especially if the disorder be a neurosis. Even death has ensued from a vivid imagination. A criminal is blindfolded, it having previously been represented that he was to be bled to death: a scratch is made upon his arm and trickling water represents to his ears the flowing blood, and he dies. Another dies upon the scaffold, just awaiting the descent of the fatal ax; a reprieve comes, but the man is already dead.

想像力に注意することが、身体的障害の豊かな源泉である。教師は格言を持っている。強い創造力は事象を生み出す。疾患を示唆すると、疾患を生じることが知られている。特に神経症ではそうである。死さえもが鮮やかな想像力によって起きた。一人の犯罪者が目隠しをされる。彼は出血死させられると、事前に告げられる。彼の腕に引っかき傷がつけられ、彼の耳には血の流れに聞こえるように、水を滴らせる。そうすると、彼は死亡する。別の死亡例もある。男は死刑執行を待っている。そこに執行猶予の知らせが来る。しかし
男は既に死亡している。

[The Cincinnati Lancet and Clinic 1880, p528]
この記事では、「腕に引っかき傷」以上の情報はない。いつ、どこで起きたのかも、椅子に座っているか、ベッドの上かもわからない。

そして、1884年のDaniel Hack Tukeの本には、1880年の記述と同様に、腕から出血していると信じ込んだ男と、執行猶予前に死亡した男の話があった。
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[Daniel Hack Tuke: "Illustrations of the Influence of the Mind Upon the Body in Health and Disease: Designed to Elucidate the Action of the Imagination" (1884)]



この後、傷つける箇所が「首」になったLancet (1886)の記事が登場する。そして、「首」系列から、指などの派生バーションが登場する。
出典人名場所年代針の場所固定場所流出したと信じた量
Lancet (1886)---台(table)- (6分後)
Items of Interest (1886)---台(table)- (6分後)
Chambers's Journal (1887)------
Chambers's Journal, Volume 64 By William Chambers, Robert Chambers (1887)-フランス(の医師)数年前(ナポレオン3世の許可)台(table)- (6分後)
Columbus Medical Journal (1889)------
Annales médico psychologiques (1886)-英国前世紀7-8パイント
Rochas 1887-英国前世紀7-8パイント
Flammarion (1900)[F]-コペンハーゲン1750台(table)7-8リットル
Flammarion (1900)[E]-英国前世紀台(table)7-8クォート
フラマリオン 著 ; 大沼十太郎 訳(1924)-英國先世紀テーブル六、七升
Toledo News Bee (1922)-英国の医科大学-心臓近くの皮膚手術台-
St. Petersburg Times (1926)-フランス(の医師)数年前動脈台(table)- (5分)
Arthur Brisbane (1930)---裸足の裏全体椅子-
谷口雅春 (1932)--或る時頸部椅子全身の血液の三分の二
PHILADELPHIA NEUROLOGICAL SOCIETY (1935)-インド(の医学誌)-四肢の先端台(table)-
谷口雅春 (1962)--あるとき頸椎椅子全身の血液の三分の二
広告屋のネタ帳 (1998)-アメリカ----
笠巻勝利 (1999)ブアメードオランダ1883足の親指ベッド全身の1/3
長谷川淳史(2000)ブアメードヨーロッパのある国第2次大戦前足の全指ベッド全身の10%
Lowel(1996)-インド(の医師)-四肢の先端ベッド-
Sones&Sones(2004)-インド1936四肢の先端ベッド-
Minasian(2010)--20世紀初頭--(翌朝)

posted by Kumicit at 2016/08/05 06:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016/07/24

メモ「人種偏見と発砲判断」

米国では、警官が誤って非武装の黒人に対して発砲する事件はときどき報道され問題になっている。「普通の市民よりは警官の方が誤判断が少ない」こと、しかし、「それは人種バイアスが小さいからではない」ことを示した、「武装あるいは非武装の白人と黒人の画像を瞬間的に見せる心理学実験」研究がある。
社会心理学者Joshua Correllはビデオゲームを使って、人種バイアスが容疑者に対する発砲に影響するか調べた。

かつて、連邦検察は、ニューヨーク市警の警官が、西アフリカからの移民であるAmadou Dialloを射殺した事件を起訴しないと決定した。彼が手にしようとしていた物体が銃ではないことが判明するまでに、41発の銃弾を受けた。社会心理学者Joshua Correllはデンバーでこのニュースを父親と見ていた。それは2001年1月31日のことだった。11か月前、陪審員たちは警察官たちを故殺について、ニューヨーク州の刑事裁判で無罪評決をしていた。そして、この起訴しないという発表は、Diallo殺人事件は警察の暴力性と人種差別性の証拠だとみている抗議運動者たちを怒らせた。

University of Coloradoで博士課程の研究を始めたCorrelは、「1999年の夜に何が起きたか解釈しようとするところから問題が起きている」ことに気付いた。他の条件、特に人種では、結果は違っていただろうか?警官が近づいていたのが白人で、Dialloがしたように、自分のアパートの玄関に走っていて、サイフを手にしようとしたとしたら。未明のブロンクスだったら、何が起きていただろうか。実際のところ、わからない。

しかし、彼はそれ以来、答えを求めて進んだ。4年間の博士課程の研究と、2年間のシカゴでの心理学助教授としての研究で、Correllは、警官の容疑者に対する発砲判断に、人種バイアスがどう働くか調べた。携帯電話かサイフかハンドガンを持っている、白人と黒人の画像を使って、Correllとコロラドの共同研究者たちは、瞬時判断を求めるビデオゲーム実験をつくった。絵が次々にでてきて、被験者は画像の人物がハンドガンを持っているか判断しなければない。850ミリ秒(あるいは、どれだけ被験者を急き立てたいかにより、さらに短い時間)で、被験者たちは発砲するか、そのまま放置するかキーを押す。Correllがターゲットと呼ぶものたちは、膝をついていたり、立っていたり、腕を組んでいたり、手をポケットに近づけていたりする。ターゲットたちは、公園の噴水や集合住宅の前や建設現場や樹木のある公園や駐車場などなど、よくある都市の風景を背景にしている。

実験を繰り返し、Correllは学部学生やDMV顧客やモールのフードコートの常連客や警官をテストして、まれではあるが、人々の誤りが、パターンに従っていることを見出した。非武装の白人よりも非武装の黒人に対して発砲する可能性が高く、武装した黒人より武装した白人に対して発砲し損ねる。2002年の4回の実験を列挙したJournal of Personality and Social Psychologyの論文で、Correllたちは、「黒人のターゲットの方が、発砲の閾値が低い」と書いた。その傾向は、被験者が黒人の場合でも変わらなかった。

Correllによれば、その傾向は、アクティブな偏見よりは、社会的なステレオタイプの影響と思われる。この文化バイアスは、被験者が何を信じているか、あるいは何を信じたいかによるものではない。長い時間かけて、映画を見たり、新聞記事を読んだり、ジョークを聞いたりするごとに、頭にねじ込んできたものによる。被験者を調べて、Correllはゲームの結果が、人種偏見よりもステレオタイプの認知度によって予測できることを見出した。「実際に黒人が暴力的だと考えている人々よりも、黒人は暴力的だと思われていると述べた人々の方が、人種バイアスを示す傾向がみられた」

2006年6月のJournal of Experimental Social Psychologyに掲載された論文では、どれくらい深くステレオタイプが根付いているか調べられた。実験で、Correllは被験者の頭部に電極を付けて、ビデオゲームプレイ時の神経系の活動を記録した。「驚いた。P200 (脅威に対する反応に伴う神経電位の上昇)は、白人の顔より黒人の顔を見たときの方が大きかった。」特に強くP200と、ビデオゲームでのバイアスは関連していた。「この電位変動は画面に人物像が表示されてから200ミリ秒で発生していた。我々はとても素早い前意識を見出していた。これが直感的反応だ。」とCorrellは言う。

Correllの最新の事件では、市警の警官も参加した。全体的には、警官たちは普通の市民より、素早く、かつ正確に反応した。「警官たちはほとんどミスらなかった。これは間違いない」とCorrellは言う。しかし、警官たちもバイアスから逃れてはいない。Journal of Personality and Social Psychologyの6月掲載論文で、Correllはデンバー市警の警官と、デンバー市民と、14州の警官の参加を募って、ビデオゲームを行った。主要な計測対象は、人種と反応時間の相関だった。警官と市民は同様の相関を持っていた。「ステレオタイプに反するターゲットを見た場合(銃を持たない黒人や、武装した白人)、彼らはためらう。数ミリ秒だけ遅れるが、判断を間違えるわけではない。」とCorrellは言う。

同じJPSPの2つの論文で、訓練でバイアスが除去可能であることを示す証拠を提示した。警官であれ市民であれ学生であれ、被験者たちが連続4日間ゲームをプレイすると、成績は良くなった。しかし、反応時間は変わらなかった。変わったのはミスの数だった。「複雑で変化する背景の中で、銃のような小さな物体を特定することには、コントロールと規律が必要だ。特に、根深い期待に反する画像の時には」とCorrellは言う。警官の訓練は、コントロールと規律を教えていて、これが警官のミスをほとんどなくしている。「この国の文化的ステレオタイプを変えられないとしたら、誤りを減らすことが、我々のできることのすべてだ」とCorrellは言う。

研究は充実しているとCorrellは言う。彼は警官の参加した実験の知見の探求を計画している。大都市の警官は小都市の警官よりも、人種に影響された判断遅延が大きい。Correllは神経電位変動の計測をさらに実行したいと考えている。さらに、Correllはヒスパニックやアジア系の人々の画像も使った実験や、多くの地域や人種の人々を被験者とする実験を始めている。すべての実験で、Correllは何が警官に発砲させているのか迫っている。「これは未だ、やっかいな問題だ」と言う。

story2.jpg
photo: Correllのビデオゲーム: 武装あるいは非武装の、黒人あるいは白人の容疑者が画面に表示される。秒単位の時間で、被験者は発砲するか否か判断しなければならない。

[Shooter’s choice (2007) on University of Chicago]


その後も、白人と黒人以外も含めたバイアスや、疲労度と人種バイアスの関係などの研究が続けらている。

posted by Kumicit at 2016/07/24 11:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016/03/29

130年の歴史を誇る都市伝説「ブアメードの血」Update 2016/03

2009/07/11から、ときどき追いかけてきた「ブアメードの血」
前回(2014/04/11)から、2年ほどたったので、少し調べなおしてみると...
  • 初出は変わらず、1886年の英国Lancetの記事(執筆者不詳、実験の場所・時代不詳)
  • フランス語圏への伝播は、Lancet記事の引用で、1886年。このとき「英国・前世紀」が加えられた。これがFlammarion(1900)英語版に引用されたと思われる。
  • 誌名不詳・年代不詳のインドの医療系定期刊行物に記載されていたとするインド系列の存在。これが1936年に始まり、除細動器開発者であるLownの1996年の著作で引用されて広まっている。
  • 「ブアメード」という名は、笠巻勝利(1998)以前に見当たらない。


はじまり


[The Lancet Vol 127 No 3277 Jun 19, 1886, p.1175 "CAN IMAGINATION KILL?"]


The writer of the article in our contemporary, we think wrongly, brings forward two remarkable instances of what may be regarded as practical jokes with melancholy terminations. In the case of the convict delivered up to the scientist for the purpose of a psychological experiment (the man was strapped to a table and blindfolded, ostensibly to he bled to death; a syphon containing water was placed near his head, and the fluid was allowed to trickle audibly into a vessel below it, at the same time that a trifling , scratch with a needle was inflicted on the culprit'a neck ; it is said that death occurred at the end of six minutes), fear must have played no inconsiderable share in the fatal result, and we do not knew whether all the vital organs were in sound condition, though they were presumably so.

現代に生きる、この記事の筆者は、我々が誤って考える、実用的なジョークとみなされる、2つの悲しい結末を提示しよう。心理学実験の目的のために科学者のもとへ連れてこられた囚人(台に縛り付けられ、目隠しをされ、表向きは出血死させられることにんっていた。彼の頭の近くに水の入ったサイフォンが配置され、水が音を立てて、下の容器に落ちるようになっていた。同時に、囚人の首に針で些細な傷がつけられた。そして囚人は、6分が経過すると死亡すると告げられた。)致命的な結末において恐怖が少なからぬ役割を果たしたはずだ。囚人のすべての臓器が健全な状態だったかわからないが、おそらくそうだっただろう。
これと同一の記事が他の雑誌にも、1886年に掲載されている。
この他にも...
[Columbus Medical Journal: A Magazine of Medicine and Surgery, Volume 7, p.214 (1889)]


自殺が想像によるものだという理論を支持するものとして、英国誌は2つの例を参照している。うち一つは医学系文筆家には、よく知られているものである。ひとつめの例は、実験目的で医学関係者の手に委ねられた死刑囚。彼は目隠しされ、出血死させられると信じ込まされた。彼は静脈に傷をつけられたと思い、傷口から出血するのを感じ、それが下の容器に落ちる音を聴いた。彼は瀉血によるものであるかのように、死亡した。

[Items of Interest, Volume 8, p.361 (1886)]

これを見ると、Lancetに掲載された、憂鬱な結末を迎えた実用的なジョークとみなせるかもしれない2つの例を思い出す。ひとりの死刑囚が心理学実験のために、科学者のところへ連れてこられた。男は台(table)に固定され、目隠しをされ、出血死させられると思い込まされた。水を入れたサイフォンが彼の頭部の側に置かれ、下に置かれた容器に音を立てて水が落ちるようになっていた。同時に、死刑囚の首には、わずかに傷をつけられた。6分後に彼は死亡したと言われる。...

一方、1887年に、Lancetを引用することなく、同じ話に尾ひれを付けた記事が登場している。
[Chambers's Journal, Volume 64 By William Chambers, Robert Chambers (1887)]


数年前、フランス皇帝ナポレオン3世は、あるフランスの医師に死刑囚に対する実験を許可した。死刑囚は医師のところへ連れてこられ、台(table)に固定され、目隠しをされ、出血死させられると思い込まされた。うなだれた頭部の近くに水の容器が置かれ、サイフォンによって、音を立てて下の床に落ちるようになっていた。と同時に、死刑囚の首に鍼で些細な傷がつけられた。完全な静寂が保たれ、6分後に男は死亡した。

既に、この時点でナポレオン3世と「フランスの医師」が付け加えられている。また、"some years ago"とは言うものの、実際にはナポレオン3世死後17年後の記事であり、「直近の出来事」ではないという記述をしている。直近だと納得感がないのかもしれない。


フランス語圏へ



Lancetの1886年の記事はフランスでも紹介されている。同じ1886年には、出典をLancetと明記しつつ、「前世紀に英国で有罪判決を受けた」ことにした記事が出ている。
The Lancet rapproche de ce cas tout récent deux exemples de cruelle mystification, ou la mort survint également sous le coup d'une profonde terreur.

The Lancetは、深い恐怖の影響のもとでの、残酷な神秘あるいは死亡の、最新の例を2つ挙げている。

Le premier est le cas classique d'un condamné anglais du siècle dernier, livré à des médecins pour servir à une expérience psychologique, dont la mort fut le résultat. Ce malheureux avait été solidement attaché à une table avec de fortes courroies; on lui avait bandé les yeux, puis on lui avait annoncé qu'il allait être saigné au cou et qu'on laisserait couler son sang jusqu'à épuisement complet; après quoi, une piqûre insignifiante fut pratiquée à son épiderme avec la pointe d'une aiguille, et un siphon déposé près de sa tête, de manière à faire couler sur son cou un filet d'eau qui tombait sans interruption avec un bruit léger, dans un bassin placé à terre. Au bout de six minutes, le supplicié, convaincu qu'il avait dû perdre au moins sept à huit pintes de sang, mourut de peur.

第一は前世紀に英国で有罪判決を受け、心理学実験のために医師たちのもとへ送られて死亡した古典的な例である。実験の被験者は丈夫なベルトで台に縛り付けられ、目隠しされて、血液を首から最後の一滴まで流出させると告げられた。そのあと、男の皮膚に針が刺され、目立たない音を立てられた。そして、男の首をつたって水が流れ、床に落ちて目立った音を立てるように、パイプが配置された。6分後に、少なくとも7〜8パイントの血液を失ったと信じた死刑囚は、恐怖で死亡した。

[Annales médico psychologiques (1886)]
この第2パラグラフは、その後、数回、フランス語の雑誌に登場している。

このフランス語の記事が、Camille FlammarionのL'inconnu - The unknown (1900)(英語版)のもととなっているようである。
[CAMILLE FLAMMARION: "THE UNKNOWN", NEW YORK AND LONDON, HARPER & BROTHERS PUBLISHERS, 1900, p.338]

An idea, an impression, a mental commotion, while entirely internal, can produce in another direction physiological effects more or less intense, and is even capable of causing death. Examples are not wanting of persons dying suddenly in consequence of emotion. The power which imagination is capable of exercising over life itself has long been established. The experiment performed in the last century in England on a man condemned to death, who was made the subject of a study of this kind by medical men, is well known. The subject of the experiment was fastened securely to a table with strong straps, his eyes were bandaged, and he was then told that he was to be bled from the neck until every drop of his blood had been drained. After this an insignificant puncture was made in his skin with the point of a needle, and a siphon arranged near his head in such a manner as to allow a continuous stream of water to flow over his neck and fall with a slight sound into a basin placed on the floor. At the end of six minutes the condemned man, believing that he had lost at least seven or eight quarts of blood, died of terror.

ひとつの考え、ひとつの印象、そしてひとつの精神的動揺が、内的ではあっても、別の方向の生理現象を大なり小なり引き起こし、ときには死に至らしめることもある。感情の帰結として突然死した人々の例には事欠かない。生命さえも奪ってしまう想像の力の存在は確立された事実である。前世紀に英国で、医師たちによる、この種の研究の被験者となった死刑囚に対して行われた実験はよく知られている。実験の被験者は丈夫なベルトで台に縛り付けられ、包帯で目隠しされて、血液を首から最後の一滴まで流出させると告げられた。そのあと、男の皮膚に針が刺され、目立たない音を立てられた。そして、男の首をつたって水が流れ、床に落ちて目立った音を立てるように、サイフォンが配置された。6分後に、少なくとも7〜8クォートの血液を失ったと信じた死刑囚は、恐怖で死亡した。
ただし、Flammarionはフランス語版では「1750年のコペンハーゲン」での出来事と書いている。
Une idée, tout intérieure, une impression, une commotion mentale peut, à l’inverse, produire des effets physiologiques plus ou moins intenses, et même amener la mort. Il ne manque pas d’exemples de personnes mortes subitement à la suite d’une émotion. La preuve est donnée depuis longtemps des effets de la puissance de l’imagination sur la vie elle-même. Personne n’a oublié l’expérience faite à Copenhague en 1750 sur un condamné, livré à des médecins pour une étude de ce genre, et qui fut observé jusqu’à la mort inclusivement. Ce malheureux avait été solidement attaché à une table avec de fortes courroies ; on lui avait bandé les yeux ; puis on lui avait annoncé qu’il allait être saigné au cou et qu’on laisserait couler son sang jusqu’à l’épuisement complet ; après quoi une piqûre insignifiante fut pratiquée à son épiderme avec la pointe d’une aiguille, et un siphon déposé près de sa tête, de manière à faire couler sur son cou un filet d’eau qui tombait sans interruption avec un bruit léger, dans un bassin placé à terre. Le supplicié convaincu qu’il avait dû perdre 7 à 8 litres de sang, mourut de peur.

ひとつの考え、ひとつの印象、そしてひとつの精神的動揺が、内的ではあっても、別の方向の生理現象を大なり小なり引き起こし、ときには死に至らしめることもある。感情の帰結として突然死した人々の例には事欠かない。生命さえも奪ってしまう想像の力の存在は証明された事実である。1750年にコペンハーゲンで行われた、この種の研究のために医師たちのもとに送られ、死ぬまで観察された死刑囚に対する実験は誰も忘れていないだろう。実験の被験者は丈夫なベルトで台に縛り付けられ、目隠しされて、血液を首から最後の一滴まで流出させると告げられた。そのあと、男の皮膚に針が刺され、目立たない音を立てられた。そして、男の首をつたって水が流れ、床に落ちて目立った音を立てるように、パイプが配置された。6分後に、少なくとも7〜8リットルの血液を失ったと信じた死刑囚は、恐怖で死亡した。

[Camille Flammarion: "Línconnu" quoted in Blog União Fraterna Bezerra de Menezes]



英語圏での変容と、"インド"系列



1922年のThe Toledo News-Beeの記事では、英国の医科大学で起きたことになっていた。



英国の医科大学で、患者が話したり動いたりできず、感覚もなくなるように麻酔薬を投与された。眼には包帯が巻かれた。外科医は尖ったツララで、彼の心臓近くの皮膚をなぞった。そして、動脈を切断したと叫んだ。暖かい水が彼の横を滴り落ちた。患者は、出血死すると信じて、手術台の上で死亡した。想像が彼を殺した。

[The Toledo News-Bee - Oct 25, 1922 "All in the mind" by Toledoan]
1926年に「数年前にフランスの医師」が行った実験として、現Tampa Bay Times(当時St. Petersburg Times)が紹介している。


数年前、著名なフランスの医師が、死刑判決を受けた囚人に対して、想像の効果を検証する実験を許可された。男は目隠しをされ、台に縛り付けられ、動脈を開き、死ぬまで出血させると告げられた、彼の頭の近くには水を入れたボウルが置かれ、管を通して水が流れ出て、床の洗面器に落ちるようになっていた。準備が整うと、医師は囚人の首を針で少し傷つけた。コックが開けられて、水がポタポタポタと落ちていった。5分が経過し、コックが閉じられた。男は台の上から降ろされた。男は死んでいた。

[St. Petersburg Times - Feb 21, 1926 (Currently Tampa Bay Times)]
さらに、1930年3月に幾つかの米国の新聞に登場した。
[Arthur Brisbane: "THIS WEEK" Appleton review Vol. 1, no. 11 (March 28, 1930), also on Cass City Chronicle (March 27, 1930), and Rochester Evening Journal - Mar 18, 1930]

What people think decides what they are. Prosperity is to a considerable extent a matter of psychology.

Once a man was fastened in a chair, his feet put in warm water, and as a practical joke he was shown a razor of which the blunt end was drawn across the soles of his bare feet. He was told, "You will bleed to death painlessly in this warm water." He didn't lose a drop of blood, but he died.

Don't let prosperity die in that fashion, killed by imagination.

人は自分で考えることで、自分を規定してしまう。幸運は相当程度に心理学の問題である。

ある男が椅子に縛り付けられ、足を温水の中につけられて、それらしいジョークのために彼は剃刀を見せられ、彼の裸足の裏全体をなぞられた。彼は「おまえは、痛みもなく、この温水の中に出血して死ぬだろう」と告げられた。彼は一滴の血を失うことなく死亡した。

想像で死ぬという形で、幸運を死なせてはならない。




Flammarion系列か分岐したのかどうかわからないが、Archives of Neurology and Psychiatryという学術誌に、同様のネタを「インドの医療系雑誌に掲載されていたネタ」して記載している記事があった。
Emotions as the Cause of Rapid and Sudden Death. Dr. N. S. Yawger.

Years ago, a medical periodical in India published an article entitled 'Killed by the Imagination'. In substance it stated: A celebrated physician, author of a work on the effects of the imagination, was permitted to try an astonishing experiment on a criminal who had been condemned to death. The prisoner, an assassin of distinguished rank, was advised that, in order that his family might be spared the further disgrace of a public hanging, permission had been obtained to bleed him to death within the prison walls. After being told 'Your dissolution will be gradual and free from pain', he willingly acquiesced to the plan. Full preparations having been made, he was blindfolded, led to a room and strapped onto a table near each corner of which was a vessel containing water, so contrived that it could drip gently into basins. The skin overlying the blood vessels of the four extremeties was then scratched, and the contents of the vessels were released. Hearing the flow of water, the prisoner believed that his blood was escaping; by degrees he became weaker and weaker, which, seemingly, was confirmed by the conversation of the physicians carried on in lower and lower tones. Finally, the silence was absolute except for the sound of the dripping water, and that too died out gradually. 'Although possessed of a strong constitution (the prisoner) fainted and died, without the loss of a drop of blood.'

数年前、インドの医療定期刊行物に「想像力による殺人」と題する記事が掲載された。その記事には次のように書かれていた: 想像力の効果についての研究の執筆者である著名な医師が、死刑判決を受けた犯罪者を対象とした驚くべき実験を許可された。高ランクの暗殺者である囚人は、彼の公開処刑によって彼の家族が屈辱を受けることを避けるために、刑務所の壁の中で出血死をする許可が与えられたと告げられた。「死は徐々にやってきて、痛みは感じないだろう」と告げられると、彼は喜んで計画に従った。完全な準備がなされ、彼は目隠しをされ、部屋に連れてこられ、台の上に固定された。台の四隅には水の入った容器があり、ゆっくりと水が床へと滴るようになっていた。四肢の先端の血管を覆う皮膚が傷つけられ、容器の水がリリースされた。水の流れる音を聞いて、囚人は自分の血が流れ出ていると信じた。医師たちの会話の声が次第に低くなるのを聞いて、彼は自分が弱っていくのを確認できた。そして最後には、水の滴る音以外は静寂となり、彼は徐々に死亡した。「囚人は健康体だったが、一滴の血液も失うことなく、気絶して死亡した。」

[PHILADELPHIA NEUROLOGICAL SOCIETY: Stated Meeting, Nov. 22, 1935. F. C. Grant, M.D., President, in the Chair, Arch Neurol Psychiatry. 1936;36(4):869-890. (1999K) (via Gary Bruno Schmid & Bernardo N. De Luca)]
想定出血ポイントが首ではなく四肢先端になっているが、それ以外はFlammarionの記述と違っていないので、インドの医療定期刊行物は存在せず、Flammarionのネタをそれっぽく語っただけという疑いもある。

雑誌掲載の年代すら記載されず、場所も時代もわからない記事だが、これを信じたのが、1921年生まれで、除細動器の開発者であり、1985年にノーベル平和賞を受賞した核戦争防止国際医師会議の提唱者である、Bernard Lownである。彼は、1996年に出版した「The Lost Art of Healing」の中で...
My interest in the psychological was constantly rearoused by clinical observation and by studying the encyclopedic literature. A report in an Indian medical periodical, "Killed by the Imagination"* left and indelible impression early in my carrier.

臨床観察や百科事典的記述の研究により、私の心理学への興味が、くりかえし、かきたてられる。インドの医療系定期刊行物に掲載された「Killed by Imagination"は、消せない印象を私のキャリアに残した。

A Hindu physician was authorized by prison authorities to conduct an astonishing experiment on a criminal condemned to death by hanging. The doctor pesuaded the prisoner to permit himself to be exsanguinated -- bled to death -- assuring him that death, though gradual, would be painless. The convict, on agreeing, was strapped to a bed and blindfolded. Vessels filled with water were hung at each of the four bedposts and set up to drip into basins on the floor. The skin on his four exremities was scratched, and the water began to drip into the containers, initially fast, then progressively slowing. By degrees the prisoner grew weaker, a condition reinforced by the physician's intoning a lower and lower voice. Finally the silence was absolute as the dripping of water ceased. Although the prisoner was healthy young man, at the completion of the experiment, when the water flow stopped, he appeared to have fainted. On examination, however, he was found to be dead despite not having lost not a drop of blood.

あるインドの医師が、驚くべき実験を絞首刑を宣告された犯罪者に対して行う許可を、刑務所当局から得た。医師は受刑者を説得して、放血すなわち出血死をすることを許諾させた。それは緩慢だが痛みのない確実に死に至る方法である。受刑者は同意のもとで、ベッドに固定され、目隠しされた。ベッドの4つの支柱に、水の入った容器が取り付けられ、床の洗面器に流れ落ちるようにセットされた。彼の四肢の皮膚が引っ掻かれ、水が洗面器に流れ落ち始めた。最初は急速に、そして次第に緩慢に。受刑者が弱る度合いに従い、医師が声のトーンを低くすることで、状況が強化された。水の流れが止まると、静寂が訪れた。実験されたとき、受刑者は健康な若者だったが、水の流れが止まると、意識を失った。検査の結果、彼は一滴の血も失うことなく、死亡していた。

Over the centuries, a wealth of similar anecdotes has been amassed. The medical profession has long known that nervous activity influences every part of the body. Nearly 350 years ago, William Harvey, discoverer of the circulation of the blood, stated: "Every affection of the mind that is attended with either pain or pleasure, hope or fear is the cause of an agitation whose influence extends to the heart."

幾世紀にもわたり、同様の逸話が多く積み上げられてきた。医療従事者は長きにわたり、神経活動が身体のあらゆる場所に影響することを知っていた。350年ほど前、血液循環の発見者であるWilliam Harveyは「心のあらゆる影響は、苦しみであれ楽しみであり、希望であれ恐怖であれ、興奮を引きこ起こし、その影響は心臓にも及ぶ」と書いている。

*N.S. Yagwer, "Emotions as a Cause of Rapid and Sudden Death", Archives of Neurology and Psychiatry, 36 (1936), 875.

[Bernard Lown:"The Lost Art of Healing"(1996/09/30), pp.31-32]
これにより、インドの医師ということになった。

この記述は、その後、幾つかの本で引用されている。たとえば...
In 1936, in India, recounts Nobel Laureate Bernard Lown in "The Lost Art of Healing," an astonishing experiment was conducted on a prisoner condemned to die by hanging. He was given the choice instead of being "exsanguinated," or having his blood let out, because this would be gradual and relatively painless. The victim agreed, was strapped to the bed and blindfolded.

Unbeknownst to him, water containers were attached to the four bedposts and drip buckets set up below. Then after light scratches were made on his four extremities, the fake drip brigade began: First rapidly, then slowly, always loudly. "As the dripping of water stopped, the healthy young man's heart stopped also. He was dead, having lost not a drop of blood."

ノーベル賞受賞者Bernard Lownは自著"The Lost Art of Healing"で、「1936年にインドで、絞首刑判決を受けた受刑者に対して、驚くべき実験が行われた」ことを語っている。受刑者は、「放血」すなわち、出血による死を選択する権利を与えられた。それは比較的、緩慢かつ痛みの小さい死に方であったからだ。受刑者は同意し、ベッドに固定されて、目隠しされた。

彼が知らないうちに、水の入った容器が、ベッドの4つの支柱に取り付けられ、その下にバケツが置かれた。そして、彼の四肢に小さな傷がつけられ、フェイクな水滴が流れ始めた。最初は急速に、そして次第に緩慢に、常に音を立てて。「水の滴りが止まると、健康な若者の心臓も停止した。彼は一滴の血液も失うことなく死亡した。」

[Bill Sones & Rich Sones Ph.D.: "Strange but true: Loud drips can scare you to death" (2004/01/05)]
年代不明だったのが、1936年の話になった。この話は、さらに引用されて広まっている。

一方、別のストーリーも今世紀に生き残っている。
Another dramatic example of the power of expectancy involves an inmate who was in prison and sentenced to be executed, He was offered a chance to participate in a research project and told that if he lived through it his sentence would be reduce to life in prison. The prisoner consented and the experiment was conducted. They wanted to find out how much blood a person could lose and still live.

The researchers placed the prisoner in a darkened operating room and made a very slight incision. Very little blood was lost through the incision. But they arranged for sound effects to simulate the dropping of blood which the prisoner believed was his own blood. The next morning, the researchers came into the operating room and found the prisoner had died, He died of his belief that he was bleeding to death. By the way, this study was conducted in the early 20th century and certainly wouldn't be sanctioned under our new AMA guidelines.

期待の力のドラマティックな別の例は、死刑宣告され、刑務所に収容されている受刑者の例である。その受刑者は、研究プロジェクトに参加して、もし生存できれば無期懲役に減刑されると告げられた。受刑者は実験への参加を承諾し、実験が行われた。彼らは、人間からどれだけ血液が失われても、生きていけるか、調べようとしていた。

研究者たちは、その受刑者を暗い手術室において、とても些細な傷をつけた。その傷から、些細な量の血が流れた。しかし、研究者たちは、音響効果を用意し、受刑者には自分の血が流れ続けているのだと信じ込ませた。翌朝、研究者たちが手術室に入ると、受刑者は死亡していた。受刑者は、自分が出血して死亡するのだという信念によって死亡していた。ところで、この研究は20世紀初頭に行われたもので、我々の新たな米国医師会基準のもとでは、認可されることのない研究である。

[Berge Minasian: "The Power of Choice: Living the Life You Always Wanted and Absolutely Deserve" (2010)]



そして、日本へ



フランスで「英国」の出来事にされた記事を基にしたと思われる、FlammarionのThe Unkown英語版が、日本で翻訳出版されたのが1924年。
[フラマリオン 著 ; 大沼十太郎 訳: "未知の世界へ" 東京 : アルス, 大正13 (1924), P.277]
觀念、印象、精神錯亂は全く内的であるが、而も他の方面に對して、多少激烈なる心理的結果を與へ、時には死さへも惹起せしむる事がある。感情の結果、急に死んだ人の例が澤山ある。妄想の力が生命にも影響を與へ得るものだと云ふ事は、久しい前から確かめられて居た。茲に、先世紀、英國で死刑囚に行った有名な實験がある。醫者は此死刑囚をテーブルに緊かり縛り付け、目隠しをした。そして彼に向かって、首から乾く迄血を出すと告げた。それから、針の先で、分かるか分からない程に皮膚を刺した。傍らには如何にも彼の首から血が出て居る様な音を聴かしめる様に、皿の中に水の滴りを落として置いた。暫くして六分の後、其の宣告された者は、最早少なくとも六、七升の血を失つたと思ひ詰めて驚いて死んで了つた。
これを読んだと思われる谷口雅春は、1932年に、少し改変した紹介をする。
[谷口雅春: "生命の實相 : 生長の家聖典" 住吉村 (兵庫県) : 生長の家出版部, 昭和7 (1932), P.233]
或る時死刑囚を實験に供しました。先づ其の男に目隠しをしました身體を厳重に椅子に縛りつけ、さて『これから汝の頸部から一滴ずつ血液を滴らして徐々に汝の全身の血を搾り取つて了ふぞ』と宣告しました。斯く云う宣告をして 恐怖の暗示を與えた後、實験者は囚人の頸部に針の先端をもつて微細な傷をつけ、恰も局所から血が滴つてゐるかのやうに、彼の頸部に水を傳はらせて、床の上に一滴づつ音を立てて落ちるような仕掛をしておいたのであります。六分間程経過して、『サァおまえは全身の血液の三分の二を失つて了つた』と暗示しますと死刑囚はそれを信じて恐怖の余り絶命して了つたのであります。(フラマリオン:"未知の世界")
その後、1962年に少し表現を変えて...
[谷口雅春: "生命の實相 : 頭注版. 第2巻 (實相篇 下)" 東京 : 日本教文社, 1962.6, P.20]
ある時 死刑囚を実験につかいました。まず其の男に目隠しをしまして、身体を厳重に椅子に縛りつけ、さて『これからなんじの頸部から一滴ずつ血液をしたたらしてじょじょになんじの全身の血を搾り取ってしまうぞ』と宣告しました。こういう宣告をして 恐怖の暗示を与えた後、実験者は囚人の頸部に針の先をもって微細な傷をつけ、あたかも局所から血がしたたっているかのように、彼の頸部に水を伝わらせて、床の上に一滴ずつ音を立てて落ちるようなしかけをしておいたのであります。六分間ほど経過して、『サァおまえは全身の血液の三分の二を失ってしまった』と暗示しますと死刑囚はそれを信じて恐怖のあまり絶命してしまったのであります。(フラマリオン:"未知の世界")


これから派生したと思われるのが笠巻勝利の記述で、「ブアメード」という名が初めて登場している。
[笠巻勝利: "眼からウロコが落ちる本"(1999/09) (PHP文庫), pp.46-47]
1883年、オランダにおいてブアメードという国事犯を使って一つの実験が行なわれた。表面上、一人の人間からどれだけ血液をとったら人間は死ぬものかというものである。医師団はブアメードをベッドの上にしばりつけておいて、その周りで話し合いをする。「三分の一の血液を失ったら人間は死ぬでしょう」という結論に達した。医師団は、「これから実験をはじめます」といって、ブアメードの足の親ユビにメスを入れた。用意してある容器に血液がポタポタとしたたり落ちはじめた。数時間が過ぎた。医師団は「どれぐらいになりましたか?」「まもなく三分の一になります」と会話する。それを聞いたブアメードは静かに息を引きとったという。実は、医師団は心理実験をしていたのであった。ブアメードの足にメスを入れるといって痛みだけを与えたのである。ブアメードはメスで切られるといわれれば、それこそ、ちょっとした痛さでも、メスで足を切られたと思うだろう。容器に用意しておいた水滴をたらしていたのであった
この「ブアメード」という名を信じたが、その出典を示さずに、少し改変したのが長谷川淳史。
[長谷川淳史: "腰痛は<怒り>である", 2000]
ヨーロッパのある国にブアメードという名の死刑囚がいました。彼はある医師から、「人間の全血液量は体重の10パーセントが定説になっているが、それを証明する実験をしたいので協力してほしい」と持ちかけられます。申し出を受け入れた彼は目隠しをされ、ベットに横たわり、血液を抜き取るため足の全指先を小さく切開されました。足元には容器が用意され、血液が滴り落ちる音が実験室内に響き渡ります。やがて、実験開始から5時間、総出血量が体重の10パーセントを越えた、と医師が大喜びしたとき、哀れこの死刑囚はすでに死亡していました。
ところがこの実験、実は血液など抜き取っていなかったのです。彼にはただの水滴の音を聞かせ、体内の血液が失われていると思い込ませただけだったのです。彼は暗示をかけられ、その事により命をおとしたのです。
一方、Flammarionとは別の流れで書かれたと思わる、日本語記事がある。
[広告屋のネタ帳 1998. 07.25 いつも通り第9号]
アメリカの電機メーカーで作業中にある作業員が冷凍室に閉じこめられてしまった。同僚に助けを呼んでも、誰にも聞いてもらえず一晩閉じこめられ、翌日同僚が気づいたときには、彼は凍死していた。しかし、驚いたことにその冷凍室には電源が入っていなかったのである。彼は冷凍室に閉じこめられ、凍死してしまうという自己暗示によって実際に死んでしまったのである。
すると、アメリカ人というのは実験をしたくなっちゃって、囚人を使って実験を行った。死刑囚に対して、人間は血がどのくらいなくなったら死ぬのかを実験したいということをいって、死刑囚の血を抜くふりをした。あくまでふりで実際には血はほとんど抜いていない。死刑囚の見えないところでバケツに水をぽたぽたと垂らし、医師が「そろそろ危ない状態に陥ります」なんてことを言う。すると、死刑囚はしばらくして本当に死んでしまったというのだ。
最初にある「冷凍室と作業員」も100年以上にわたって世界を旅しているネタ。出典は不明である。



ブアメードの130年の旅路



以上の長い旅路をリストアップすると...

出典人名場所年代針の場所固定場所流出したと信じた量
Lancet (1886)---台(table)- (6分後)
Items of Interest (1886)---台(table)- (6分後)
Chambers's Journal (1887)------
Chambers's Journal, Volume 64 By William Chambers, Robert Chambers (1887)-フランス(の医師)数年前(ナポレオン3世の許可)台(table)- (6分後)
Columbus Medical Journal (1889)------
Annales médico psychologiques (1886)-英国前世紀7-8パイント
Rochas 1887-英国前世紀7-8パイント
Flammarion (1900)[F]-コペンハーゲン1750台(table)7-8リットル
Flammarion (1900)[E]-英国前世紀台(table)7-8クォート
フラマリオン 著 ; 大沼十太郎 訳(1924)-英國先世紀テーブル六、七升
Toledo News Bee (1922)-英国の医科大学-心臓近くの皮膚手術台-
St. Petersburg Times (1926)-フランス(の医師)数年前動脈台(table)- (5分)
Arthur Brisbane (1930)---裸足の裏全体椅子-
谷口雅春 (1932)--或る時頸部椅子全身の血液の三分の二
PHILADELPHIA NEUROLOGICAL SOCIETY (1935)-インド(の医学誌)-四肢の先端台(table)-
谷口雅春 (1962)--あるとき頸椎椅子全身の血液の三分の二
広告屋のネタ帳 (1998)-アメリカ----
笠巻勝利 (1999)ブアメードオランダ1883足の親指ベッド全身の1/3
長谷川淳史(2000)ブアメードヨーロッパのある国第2次大戦前足の全指ベッド全身の10%
Lowel(1996)-インド(の医師)-四肢の先端ベッド-
Sones&Sones(2004)-インド1936四肢の先端ベッド-
Minasian(2010)--20世紀初頭--(翌朝)

posted by Kumicit at 2016/03/29 05:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016/03/19

メモ「ループする貧困」

貧困状態にあると、発揮できる認知能力が低下することを示す実験がある。
The poor often behave in less capable ways, which can further perpetuate poverty. We hypothesize that poverty directly impedes cognitive function and present two studies that test this hypothesis. First, we experimentally induced thoughts about finances and found that this reduces cognitive performance among poor but not in well-off participants. Second, we examined the cognitive function of farmers over the planting cycle. We found that the same farmer shows diminished cognitive performance before harvest, when poor, as compared with after harvest, when rich. This cannot be explained by differences in time available, nutrition, or work effort. Nor can it be explained with stress: Although farmers do show more stress before harvest, that does not account for diminished cognitive performance. Instead, it appears that poverty itself reduces cognitive capacity. We suggest that this is because poverty-related concerns consume mental resources, leaving less for other tasks. These data provide a previously unexamined perspective and help explain a spectrum of behaviors among the poor. We discuss some implications for poverty policy.

[Anandi Mani, Sendhil Mullainathan, Eldar Shafir, Jiaying Zhao:"Poverty Impedes Cognitive Function", Science 30 Aug 2013: Vol. 341, Issue 6149, pp. 976-980]

In a series of experiments, the researchers found that pressing financial concerns had an immediate impact on the ability of low-income individuals to perform on common cognitive and logic tests. On average, a person preoccupied with money problems exhibited a drop in cognitive function similar to a 13-point dip in IQ, or the loss of an entire night's sleep.

一連の実験で、研究者たちは、金銭的懸念が差し迫ると、低収入な人々の、一般的認知及び論理テストを実行する能力に直接影響が及ぶことを発見した。平均的には、事前に金銭問題に心奪われると、IQで13、他の人々より認知機能が低下する。

[Poor concentration: Poverty reduces brainpower needed for navigating other areas of life (2013/08/29) on Princeton]
これは、一時的な現象だが、成長過程で家庭が貧困である場合、恒久的な影響が出ることがある。たとえば、貧困は子供の教育機会を限定する。
Poverty limits opportunities for parents to teach their children.

Like any other kind of thinking, self-control can be taught. Children do better at self-control (and in school) when their parents teach them to solve problems independently and to participate in decisions. But that kind of involved parenting takes time, and financially poor parents are often “time poor” too. Family factors, such as nurturance and stimulation, that are limited by time poverty are directly linked to mental development. Furthermore, it makes sense that people living in poor, dangerous neighborhoods don’t give their children as much autonomy as people living in less dangerous neighborhoods. As a result, poor working parents are prevented from−not incapable−of teaching self-control to their children.

他の思考と同様に、自制心も教えることができる。親が子供に、問題を自分で解くことを教え、判断に参加することを教えれば、子供たちは、自制できるようになり、学校でもうまくやれるようになる。愛情を込めた養育や刺激など、貧しい生活に制約を受ける家族要因が、精神の発達に直接影響する。さらに、貧困で危険な近隣に住む人々は、安全な地域に住む人々ほどには、子供に自主性を与えられない。けっけとして、貧しく両親が働く家庭では、子供たちが自制心を学ぶことは困難である。

[Elliot T Berkman Ph.D.:"5 Reasons Why Poverty Reduces Self-Control" (2015/09/05) on PsychologyToday]
そして、貧困は、自分に何ができるかについてのビジョンが限定される。
Poverty restricts people’s vision of what is possible.

The Little Engine Who Could thought she could climb up the hill before she actually did. She had what psychologists call “self-efficacy,” the belief in her own abilities. An important source of self-efficacy is watching similar others accomplish goals. Poverty doesn’t occur in isolation, so children growing up in poor neighborhoods are short on models of people who escape poverty and long on models of people who do not. A child born in the bottom fifth of the income distribution has less than a one-in-ten chance of moving to the top fifth, and even the brightest poor children are still less likely to complete college than average wealthy children. Based on observing those around them, children in poverty have little reason to have high self-efficacy about self-control.

リトルエンジンは、実際に丘に登る前に、それができると考えていた。これは心理学者の言う「自己効力感」で、自分の能力への信条である。自己効力感の重要な源泉は、自分と似た誰かがゴールを達成するのを見ることである。貧困は単独では発生しないので、子供たちは貧困な近隣の中で育つ。そこでは、貧困から脱出する者は少なく、多くは貧困のままである。収入が下位1/5の家庭に生まれた子供が、上位1/5に移行する確率は1/10以下であり、賢くても貧しいい子供は、平均的な収入の家庭の子供よりも、大学を卒業する確率は小さい。自分の周囲の観察から、貧しい家庭の子供たちは、自制心について、高い自己効力感を持つ理由はほとんどない。

[Elliot T Berkman Ph.D.:"5 Reasons Why Poverty Reduces Self-Control" (2015/09/05) on PsychologyToday]
貧困家庭で育つことで、貧困から脱出する意思や能力が育たないという、ループが形成されているもよう。
posted by Kumicit at 2016/03/19 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016/03/14

物理科学における発展をあっというまにパクって...

「ニセ医療は、物理科学における発展をあっというまにパクって、生物学的効果の話に悪用する。100年前はラジウム。ラジウムと同じくらい古い「量子」は今もニセ医療屋「量子ヒーラー」たちに悪用されている。
もちろん「E=MC^2」もホメオパスのアフォネタに使われる。そして直近は「重力波」。

このようなクソのようなアフォネタが垂れ流され続けるのは、それが銭儲けに役立つからに他ならない。「我々」の間では、笑いものになったが、「彼ら」の間ではそうではないからだ。

そして、それらと並んで、ニセ医療屋やニセ科学屋が好むネタに、ゲーデルの不完全性定理がある。もちろん、彼らの不完全性定理もポエティックあるいはスピルチュアルなメタファーで、元々の意味など欠片も残っていない。
Some people get tempted to use Gödel's theorem as an escape hatch for their own pet theories that they consider "true but unprovable". Math cannot prove everything, therefore logical discussion of God is futile, so there! However, Gödel's theorem has a precise mathematical formulation, and so do the mathematical concepts of logical truth and provability; to even consider the truth or provability of a statement, it first needs to be formalized in the language of mathematical logic. "God", as an idea grounded in our imprecise maps of the real world, is clearly not a well-defined logical formula whose truth or falsehood is even meaningful to consider as a consequence of purely mathematical theories. This argument falls into not even wrong territory.

「正しいが証明不可能」と考えるお気に入りの理論のための脱出口として、ゲーデルの定理を使いたがる人々がいる。数学はすべてを証明できるわけではなく、したがって神の論理的議論は意味がない。さあ、どやあ! しかし、ゲーデルの定理は正確な数学的形式を持っており、論理的正しさと証明可能性についての数学概念を持っている。ステートメントの正しさや証明可能性を論じるだけでも、まず数学論理の記述で、定式化しなければならない。リアルワールドの不正確なマップ上に位置する考えである「神」は、純数学理論の帰結として考えるために、真偽が有意味になるように、明確に定義された論理定式でないことは明らかだ。この種の論は、「間違ってすらいない」論でしかない。

[Rationalwiki: Gödel's incompleteness theorems"]
数学者David Joyceは、エグゼクティブサマリーを読んで誤解する人々が多いという点を指摘しつつ...
People are romantics. They desire the unknown and the unknowable. They seek mysteries. The incompleteness theorems say something like "there's something that's true but we can't know it." The theorems justify their desire for mystery, and they latch on to them. Nonetheless, the incompleteness theorems don't apply outside of formal mathematics.

人はロマンティックだ。人は未知や知りえないことを求める。人は謎を求める。不完全性定理は「正しいが、知りえないことがある」というような感じのことを言っている。定理は、謎への欲求を正当化する。人はそれにしがみつく。しかし、不完全性定理は、数学定式化の外側には適用できない。

[David Joyce: Answer #1Why are Gödel's incompleteness theorems so misunderstood and abused?]
posted by Kumicit at 2016/03/14 09:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする