2011/01/20

しゃべるロバも史実な創造論

聖書で、人間の言葉をしゃべった動物は、エデンの園のヘビ(創世記)とバラムのロバ(民数記22章)の2匹だけである。

ただし、ヘビは現在の形状に変えられる前の姿は、今と違っているようだ。多くの絵画で、ヘビはリザードマンなど人間の顔を持つ形で描かれている。

==>ヘビとヘソ (2008/08/18)

一方、ロバは普通にロバっぽく描かれている:
Gustav_Jaeger_Bileam_Engel.jpg
Gustave Jaeger[1808-1871]: Bileam und der Engel(1836)

Balaam_and_Ass-by-Pieter_Pieterszoon_Lastman.jpg
Pieter Pietersz. Lastman [1583-1633]: "Balaam and the Ass"

Ass_of_Balaam_Talking_before_the_Angel-by-Rembrandt.jpg
Rembrandt Harmenszoon van Rijn [1606-1669]: "The Ass of Balaam Talking before the Angel" by Rembrandt, 1626 (Musee Cognacq-Jay, Paris, France)
で、ロバがしゃべっているのはこのあたり:
民数記 / 22章 23-31節

主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見たろばは、道をそれて畑に踏み込んだ。バラムはろばを打って、道に戻そうとした。主の御使いは、ぶどう畑の間の狭い道に立っていた。道の両側には石垣があった。ろばは主の御使いを見て、石垣に体を押しつけ、バラムの足も石垣に押しつけたので、バラムはまた、ろばを打った。主の御使いは更に進んで来て、右にも左にもそれる余地のない狭い場所に立ちふさがった。ろばは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまった。バラムは怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打った。

主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。」

バラムはろばに言った。「お前が勝手なことをするからだ。もし、わたしの手に剣があったら、即座に殺していただろう。」

ろばはバラムに言った。「わたしはあなたのろばですし、あなたは今日までずっとわたしに乗って来られたではありませんか。今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」彼は言った。「いや、なかった。」

主はこのとき、バラムの目を開かれた。彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見た。彼は身をかがめてひれ伏した。
バラムはロバがしゃべっても、ちっとも驚いていないので、バラムのロバはこれまでも、しゃべったことが、よくあることなのだろう。

なお、創造論者たちは、当然のことながら史実と位置づけ、ロバがしゃべったのは神による自然界への介入であるとしている。
Balaam’s donkey, as the only other example given of animals speaking in Scripture, was specially enabled by the power of God to speak intelligently to Balaam.

バラムのロバは聖書で唯一しゃべる動物であり、神の力で、バラムにインテリジェントにしゃべれるようにしてもらったものだ。

[Bodie Hodge:"Satan, the Fall, and a Look at Good and Evil" (2010/02/02) on AnswersInGensis]

Whenever it will serve God’s perfect plan, He can use anything to convey His message, even a donkey

神の完全なる計画のためには、神は神のメッセージをロバを使ってでも伝達できる。

[Ken Ham: "Why Can’t Snakes Talk Today?" (2010/07/15) on AnswersInGensis]


This tale of a donkey talking has been the object of great ridicule by skeptics. That it is not an allegory or fable, however, but a real historical event, was confirmed in the New Testament by the apostle Peter (2 Peter 2:15-16).

There is no naturalistic explanation for it, of course, but to insist that the event was impossible is simply to deny the power of God. Such miracles of creation are very rare, however, and there must always be a good reason when God intervenes in the laws which normally govern His creation.

しゃべるロバの話は、懐疑論者の嘲笑の的となってきた。しかし、これは寓話ではなく、真に歴史的事件であり、新約聖書のペテロ(ペトロの手紙二 2章15-16節)によって確認されている。

これについてもちろん、自然主義的説明は存在しない。しかし不可能であることは神の力を否定するものではない。創造の軌跡のようなことは極めてまれなことであるが、神の被造物を支配している法則に神が介入する良き理由が存在するはずである。

[Hnery M. Morris:"An Unlikely Testimony" on ICR]
しゃべるロバが寓話であれば、聖書には寓話が、寓話だと言う断りなく入っていることになり、福音書の記述が史実である保証はなくなる。保証するには、論理的には"あり"な「超越的神による自然界への介入=奇跡」を主張する他ない....というところか。
タグ:創造論
posted by Kumicit at 2011/01/20 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011/01/11

教皇・Ken Ham・PZ Myers

教皇ベネディクト16世は5年前に自然界の背後にインテリジェントプロジェクトがあると発言している
At the end of his general audience Nov. 9, the pope set aside his prepared text and spoke emphatically about the wisdom of recognizing "signs of God's love" in the marvels of creation. He made no scientific claims, but said it would be unscientific to think that "everything is without direction and order." Behind the natural world is "the creative reason, the reason that has created everything, that has created this intelligent project," he said.

2005年11月9日の総合聴取のおわりに、教皇は準備した原稿を使わずに、創造の驚異に「神の愛の徴」を認める知恵について強調した話しをした。彼は科学的な主張をしなかったが、「すべてに方向性や指示がない」と考えるのは非科学的だろうと発言した。自然界の背後に、「あらゆるものが創造し、このインテリジェントプロジェクトを創造した創造的理由」があると言った。

[John Thavis: "Designer God? Vatican experts debate fine points of evolution" (2005/11/11)on Catholic News Service]
もちろん、そのときも「宗教がその信仰のために科学的立証を求めるべきだとは意味しない」と科学への介入も否定している。

そして、2011年初にも同様の発言をしている。
"The universe is not the result of chance, as some would want to make us believe," Benedict said on the day Christians mark the Epiphany, the day the Bible says the three kings reached the site where Jesus was born by following a star.

"Contemplating it (the universe) we are invited to read something profound into it: the wisdom of the creator, the inexhaustible creativity of God," he said in a sermon to some 10,000 people in St Peter's Basilica on the feast day.

「宇宙は、誰かが我々に信じさせようとしているような、偶然の産物ではない。宇宙を熟考することで、我々はそこに深く刻まれたものを読み解くことになる。すなわち、創造主の知恵と、神の尽きることなき創造性を」」と3人の王が星に導かれてイエスの誕生した場所に到達した日だと聖書に書かれている御公現の祝日に、教皇ベネディクトはSt Peter's Basilicaに集まった1万名ほどの聴衆に向けて述べた。


Some atheists say science can prove that God does not exist, but Benedict said that some scientific theories were "mind limiting" because "they only arrive at a certain point ... and do not manage to explain the ultimate sense of reality ..."

無神論者の中には神が存在しないことを科学で証明可能だと言う者もいる。しかし、教皇ベネディクト「16世は科学理論はある種の到達点に至っているだけであり、現実の究極の意味を説明しようとはしないが故に、科学理論は思考を限定している」と述べた。

[Philip Pullella: "God was behind Big Bang, universe no accident: Pope" (2011/01/06)]
宇宙と生命の起源と進化を含むあらゆる科学理論を否定しないポジションをとったとき、神の置き場所は、自然界の背後以外にはない。

そのような考えに対して、"若い地球の創造論ミニストリ"Answers in Genesisを主宰するKen Hamは次のように述べる:
Now, if the book of Genesis is an allegory, then sin is an allegory, the Fall is an allegory, the need for a Savior is an allegory, and Adam is an allegory−but if we are all descendants of an allegory, where does that leave us? It destroys the foundation of all Christian doctrine−it destroys the foundation of the gospel.

If Genesis is an allegory then the first marriage is just an allegory, so marriage can be anything one wants to define it as! Jesus in Matthew 19 quotes from Genesis as real history to build the basis of marriage being one man and one woman.

創世記が寓話なら、原罪も寓話であり、堕落も寓話であり、救世主の必要性も寓話であり、アダムも寓話である。しかし、我々が寓話の子孫であるなら、我々に何が残るのか? それはキリスト教の教義すべての基盤を破壊し、福音書の基盤を破壊する。

福音書が寓話なら、最初の結婚も寓話にすぎず、結婚は自分が好きなように定義できる。イエスはマタイによる福音書19章で、創世記を真の歴史として引用し、一夫一婦制の基礎を打ち立てている。

[Ken Ham: "The Pope on the Big Bang" (2011/01/07) via PZ Myers]
「キリスト教と進化論は両立しない」を連呼する形し、逆にいえば、「進化論が正しければ、キリスト教はカス」となるインテリジェントデザインのJohn G Westと同じ形の論となっている。

寓話でしかないハゲのエリシャなどを事実ではなく寓話だとするなら、イエスの死と復活などの福音書の記述もまた寓話になってしまうと、Ken Hamは言う。それは、おそらく正しい。自然科学の知識と聖書がバッティングしたら、聖書を寓話として読むなら、次に起きるのは福音書の寓話化。実際、福音書に書かれたイエスの言葉の大半は歴史上の人物であるイエスの言葉ではないと見られている。歴史研究と聖書がバッティングしたら、聖書を寓話として読むか、リヴィジョニストになるしかない。

そんなKen Hamに対して、PZ Myers准教授は言う:
Yes! Exactly!

If Genesis is an allegory then the first marriage is just an allegory, so marriage can be anything one wants to define it as!

QED!

Yay! Ken Ham has demolished Christianity! I think I'll go have some tea to celebrate. Maybe take a nap, or read a comic book.

[PZ Myers: "Ken Ham makes it easy to be a lazy atheist" (2011/01/07)]




ちなみに、Ken Hamが引用したマタイによる福音書19章は...
マタイによる福音書 / 19章 3-12節

ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。

イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」

イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」

弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。

イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」







posted by Kumicit at 2011/01/11 00:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/11/24

創造論の未解決問題「カンガルー」ジョーク(3/3)

ジョークサイトOBJECTIVE Ministriesのカンガルー問題を一昨日昨日とりあげた。この明らかに創造論をおちょくったジョークを真に受けたサイトが存在する。

それが「リベラルに偏向したwikipedia」に対抗するConservapediaである。2009年3月21日のカンガルー記事修正で、なんと...
After the Flood, these kangaroos, bred from the Ark passengers, migrated to Australia. There is debate whether this migration happened over land[6] with lower sea levels during the post-flood ice age, or before the super-continent of Pangea broke apart.[7]. There is some evidence to suggest that kangaroos lived in the Middle East.[8]

The idea that God simply generated kangaroos into existence there is considered by most creation researchers to be contra-Biblical.

洪水後に、これらのカンガルーは箱舟の乗員に育てられ、オーストラリアに移動した。この移動が洪水後の氷河期の海面が低かった時期に陸伝いに起きた[6]のか、超大陸パンゲアの分裂前に起きた[7]のか論争がある。カンガルーが中東に生息していたことを示す証拠が存在する[8]。

神がカンガルーをオーストラリアに創造したという考え方は反聖書的だと大半の創造論者は考えている。

[6] "How did animals get from the Ark to places such as Australia", Chapter 17, of The Creation Answers Book, by Don Batten (Ed.)
[7] "Pangea and the Flood", Apologetics Press
[8] Creation Education Kangaroos in the Middle East, Apologetics Press
ジョークサイトのパロディ記事を真に受けて引用するという「ポーの法則」をやってしまった[via Rational Wiki]。その後、2日後に、この引用は削除された

実のところ、Conservapediaそのものがポーの法則の実例とも言われており、現在は編集履歴ごと削除されているが、かつてはDinosaurに、こんな絵を載せていた。


==>削除された?「イエスと恐竜」 (2007/11/28)
タグ:創造論
posted by Kumicit at 2010/11/24 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/11/23

創造論の未解決問題「カンガルー」ジョーク(2)

Landove Baptist Churchとともに、名の知られたジョークサイトOBJECTIVE Ministriesにある、"若い地球の創造論"をおちょくった記事のつづきで、「カンガルーの中東からオーストラリアへの移動」:
[Kangaroos of the Middle East -- Article by Dr. Richard Paley]

カンガルーなどの有袋類の移動:



ノアの洪水後に中東に生息していた有袋類はカンガルーだけではない。事実、今日に我々が見る動物の種類はすべて、中東に生息していた。現在の生物分布は、アララト山からの移住と、各地での繁殖と、種類の範囲内での小進化(すなわち退化)によるものである。

有袋類がすべてオーストラリアに移動したのは何故か? 神は箱舟に乗った動物たちが地球全体に広まって、繁殖することを求めた(創世記8章19節)が、行き当たりばったりに広まれば大混乱になってしまう。明らかに、神は動物の集団を地球上の割り当ての場所、すなわち迅速かつ効率的に繁殖できる場所へ、導く必要があった。有袋類はオーストラリを割り当てられたので、そこへ向かった。有袋類は中東に留まらなかったのは、そこが別の種類の動物に割り当てられたからである。何故に神は有袋類の場所としてオーストラリアを選んだのか? 神の意図は神にしかわからない。しかし、すべての有袋類が、紀元前2000年頃のパンゲア大陸の分裂前に、オーストラリアに渡ったわけではない。主として、遅い、うすのろのオッポサムのような落伍者は今でも南北アメリカ大陸に見られる。これは、洪水後の有袋類の大移動の証拠となる。(パンゲア分裂時に南極大陸に取り残された不運なものたちは、極南の地へ動かされて凍死したと思われる)

聖書懐疑論者がよくするナイーブな質問に「ユーカリの木がないのに、どうやって中東でコアラが生きていけるのか」というのがある。

神の被造物は堕落前に創造されており、現在の生物の生理状態は、元の情報的に複雑な遺伝子から(エントロピーの効果により)劣化した結果であることを思えば、その答えは単純だ。エデンの園では、コアラはユーカリだけではなく、あらゆる木(もちろん、知恵の木を除く)の葉を食べていた。箱舟に乗せられた2匹のコアラはユーカリの葉しか食べられないように劣化する前の状態にあったはずだ。ユーカリの葉しか食べられなくなったのは、コアラがオーストラリアへ移動した後のはずだ。中東ではコアラはイチジクなどのを食べていた。

洪水後の生物分布とカタストロフックプレートテクトニクスについては以下参照:

  • How did animals get from the Ark to isolated places, such as Australia? (ChristianAnswers.net)
  • Catastrophic Plate Tectonics: A Global Flood Model of Earth History (Peer-reviewed, published research of six Ph.D.s)
  • A Catastrophic Breakup: A Scientific Look at Catastrophic Plate Tectonics (Andrew Snelling, Ph.D., Answers magazine)
  • Catastrophic Plate Tectonics (Creation Wiki)



    pdearth.gif
    洪水後の地球:

    洪水前あるいは洪水直後は、地球の大陸は、我々がパンゲアと呼ぶ一つの超大陸だった。その証拠は大陸プレートのジグソーパズルと聖書にある。聖書は神が混沌の状態で大地を創造したと言っている。これは大地が複数の大陸に分裂しておらず、ひとつの塊だったことを意味している。さらに、神は我々に、天の下の水は一つ所に集まれと言っており、これは一つの海洋が超大陸を取り巻くように存在していたことを意味する。洪水後に箱舟を離れた動物たちは、地球上の陸地のどこへでも容易に行くことができた。(これについて、カンガルーやその他の動物の種類がオーストラリアへ向かって、洪水によって引き裂かれて会場を浮遊する植生マットに乗ってテティス海を渡ったという代替理論がある。これはまだ論争中である) パンゲア大陸は洪水後に次第に分裂していった。これは急速に水に浸かり、その後に急速に乾燥したことによる。
急速な大陸移動(カタストロフィックプレートテクトニクス)は"若い地球の創造論"の主張である。

それをネタに使って、カンガルーの大移動ジョークに仕立てている。その論に従えば、コアラもカンガルーと同程度の速さで、中東からオーストラリアに大移動したことになる。もちろん、その証拠はここにある。
posted by Kumicit at 2010/11/23 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする