2010/11/22

創造論の未解決問題「カンガルー」ジョーク(1)

"若い地球の創造論"における未解決問題のひとつに「カンガルー問題」がある。これは、「ノアの洪水のときに箱舟にいたはずのカンガルーが現在はオーストラリアにしかいないのは何故か」あるいは「どうやってアララト山からオーストラリアに移動したのか」という問題である。

これについて、創造論ジョークサイトOBJECTIVE:Ministriesが、エクストリーム創造論者な論を載せている:
[Kangaroos of the Middle East -- Article by Dr. Richard Paley]

中東のカンガルー:


カンガルーはかつて中東に生息していた?

世俗メディアに毒された人々たちと同じく、この問題に対するキミの答えはこんなのだろう:

「ノー、もちろん、ノー! カンガルーはオーストラリアだけに生息している」

しかし、それは本当に本当だろうか? 適切な聖書的観点から少し深く考えてみよう。次の問いに自問自答してみよう:

  • 聖書は無謬の神の言葉だと信じているか?(イエス)
  • 神が地球に洪水をもたらし、ノアが箱舟に乗せたもの以外のすべての動物は死に絶えたと信じているか?(もちろん、最初の問いに対する答えに従えば、聖書はそれが起きたと言っている)
  • カンガルーは箱舟に乗せられていたと信じているか?(イエス。聖書に直接的には書かれていないが、考えルーは動物であり、それらのうち2頭が明らかに箱舟に乗せられていた。でないなら、今日、カンガルーは存在しているのはなぜか)
  • 洪水の水が引いたとき、箱舟は中東に漂着したと信じている?(イエス。聖書はアララト山に着いたと言っている。アララト山の正確な位置には議論の余地があるが、ノアの世代についての記述から、中東のどこかだったことは確実だ。)
  • 箱舟に乗せられた動物は、箱舟が漂着した場所で箱舟を降り、少しの間、中東で過ごしたと信じている?(イエス。聖書は動物が箱舟から出されたと書いている。動物たちは、そこにとどまったにせよ、どこかへ移動したにせよ、少しの間そこで過ごしたはずだ)
  • したがって、かつてカンガルーは中東に生息していた?(明らかにそうだ。他に正しい答えはない。それが聖書の説明だ)

見ての通り、論理は不可避だ。カンガルーはかつて中東に生息していたはずだ。そうでないという主張は論破された。しかし、探求すべき問題が残っている。たとえば、中東にカンガルーがいないのは何故か?この地域の歴史にカンガルーが登場しないのは何故か?どうやってカンガルーはオーストラリアへ移動したのか?

まず、カンガルーという単語が、カンガルーとオーストラリアアボリジニがオーストラリア大陸に移住した後に、アボリジニよって作られたものだということを指摘しておこう(その当時、中東は間接的にオーストラリアと陸続きだった)。カンガルーは「私は知らない」という意味のアボリジニ語だった。話は近代ヨーロッパ人がオーストラリアに到着したときに遡る。彼らは大きなジャンプしている動物を見て、原住民にその名を聞いた。原住民は「カンガルー(私は知らない)」と答えた。原住民は動物の名をあげられなかったのは、原住民が聖書の知識を完全に失っていたからであり、したがって、原住民はアダムがカンガルーに付けた名前[創世記2章19節]を知らなかった。明らかに、中東の人々はこの動物を「カンガルー」とは呼んでいなかった。したがって「カンガルーという単語が古代中東に存在しなかったので、カンガルーも存在していなかった」という聖書批判者たちのナイーブな主張は明白な誤りである。

創世記の洪水の記述はカンガルーについて、名前も姿も言及していないことは、当時アララト地域にいた無数の動物の種類を考慮すれば、驚くことではない。パンダやマストドンやヴェロキラプトルやキリンなどの大群の中の一種、2頭のカンガルーなのだ。さらに、カンガルーが中東で過ごした期間は比較的短期間だった。

パンダ、マストドン、velociraptors、キリンの大群衆の中カンガルーまたは2つのは何ですか?また、カンガルーがためだけパンゲアの分裂前に任命された宛先に到達するには、他の動物よりも急いで残して(次のセクションを参照してください)必要とする、中東に住んで比較的短い時間を費やしている可能性があります。なぜなら、パンゲア大陸分裂前に、指定された地域にたどり着くために、他の動物たちよりも、はるかに急速に移動しなければならなかったからだ。

しかし、カンガルーがヨーロッパを経由して移動したという証拠はサテュロスについての報告にある。サテュロスは、異教徒たちによって山羊のような特徴を与えられていたために、その起源は間違いなく悪魔的だと多くの人々に信じられてきたが、実際には無知なギリシャの異教徒たちが悪魔とカンガルーを混同したものである。サテュロスのよく知られた特徴は、2本足で直立し、細長い中足骨を持ち、全身毛で覆われ、尾があり、長い角のような耳狩り、長い顎鬚をはやした顔であり、これはカンガルーの形態と一致している。偶蹄の脚のような、より山羊のような特徴は、明らかにワインで頭がいかれたデュオニソスのカルトたちが、カンガルーと悪魔を混同したものであり、カルトたちは山羊の形で表現したものである。

さらに、サテュロスは正しく翻訳されたKing James Version聖書のイザヤ書の予言でも言及されている。したがって、聖書においてもカンガルーは言及されている。イザヤ書は、バビロンの破壊を予言する際に、そこには誰も住むことがなく、ただ「サテュロスが踊るのみ」(イザヤ書13章21節。踊る(dance)はエコノミカルにヘブル語のraqadを訳したもので、意味は「スキップ・跳躍」である)と書いている。この予言により、少なくとも、いくらかのカンガルーたちがバビロン破壊の紀元前539年までは中東にいたことを証明している。

カンガルーについて詳しくは:
このあと、移動については次回に。

エクストリーム創造論者が書いたと読めなくもないが、ほぼジョークとわかる記述になっている。もちろん、それとわかるように、このOBJECTIVE:Ministriesは、「LOL means Love Our Lord!」と称してい「LOL Jesus グッズ」を販売していたりする。
LOLobjectiveMinistries.jpg
タグ:創造論
posted by Kumicit at 2010/11/22 00:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/11/18

聖書を知らない米国人

米国成人の聖書知識に関する調査をさがしてみたが、十戒を含む者は、1990年のGeorge Gallup Jrによるものしか見つけられなかった。
How about knowledge of the Bible? According to Gallup, "Despite the impressive statistics concerning Bible reading and study, it is apparent that ignorance about its contents is widespread." [8]

He gives evidence for this conclusion:

  • Only half of adults interviewed nationwide could name any of the four Gospels of the New Testament.
  • Just 37% of those interviewed could name all four Gospels.
  • Only 42% of adults were able to name as many as five of the Ten Commandments correctly.
  • Seven in ten (70%) were able to name the town where Jesus was born, but just 42% could identify him as the person who delivered the Sermon on the Mount. [9]


聖書についての知識はどうだろうか。George Gallup Jrによれば「聖書を読んだり学習したりすることについて印象的な数値があるが、内容を知らない人は多い」

  • 米国成人の半数が、4つの福音書の1つの名を挙げることができた。
  • 37%が、福音書4つの名をすべて答えられた。
  • 42%が、十戒を5個以上言えた。
  • 70%がイエスが生まれた町の名を言えた。42%が山上の垂訓がイエスが語ったことを知っていた。


[8,9] George Gallup Jr., The Role of the Bible in American Society, p.17, 1990

[Michael J. Vlach: "Americans and the Bible: Bible Ownership, Reading, Study and Knowledge in the United States" ]
1990年時点では、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネのひとつも名前を挙げられなかったのが半数。十戒を4つ以下しか答えられなかったのが58%であり、あまり知られていない様子。

1990年代後半の調査では、こなんなのもある:
Researcher George Barna has also documented the lack of Bible knowledge in the United States:

  • 38% of Americans believe the entire Bible was written several decades after Jesus' death and resurrection (While this is true of the New Testament, the entire Old Testament was written hundreds of years before the birth of Jesus Christ).
  • 12% of adults believe that Noah's wife was Joan of Arc.
  • 49% believe that the Bible teaches that money is the root of all evil. (The love of money is said to be the root of all types of evil).
  • 75% believe that the Bible teaches that God helps those who help themselves. [10]



Gorge Barnaは米国における聖書知識の不足を調査・記録している。

  • 38%の米国人が聖書全体がキリストの死と復活の数十年後に書かれたと信じている。(新約聖書については正しいが、旧約聖書全体はキリスト誕生の数百年前に書かれている)
  • 12%の米国成人がノアの妻はジャンヌ・ダルク(Joan of Arc)だと信じている。
  • 49%が聖書はお金が諸悪の根源だと教えていると信じている。(お金へのこだわりが、諸悪の根源)
  • 75%が聖書は「神は自ら助ける者を、助ける」と教えていると信じている。


[10] Barna, "The Bible," The information is from the years 1994, 1997, 1994, and 2000 respectively.

[Michael J. Vlach: "Americans and the Bible: Bible Ownership, Reading, Study and Knowledge in the United States" ]
「神は自ら助ける者を、助ける (God helps those who help themselves)」はもちろん聖書にはない。Algernon Sydney: "Discourses Concerning Government (1698)"Chapter 2 Section23などにある。広まったのは、Benjamin Franklinが出版していた"Poor Richard's Almanac"での引用のせいらしい。

それはさておき、これらの調査結果を見ていると「信じることに知識は不要」と思えてくる。

==>米国人の宗教知識についての調査 (2010/10/03)


posted by Kumicit at 2010/11/18 07:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/10/14

自然界に介入しない神は神なのか、神ではないのか

「方法論的自然主義は科学の目的のために、唯物世界が存在のすべてであると見せかけるように、我々に求めている」として、科学は神の役割を否定するとインテリジェントデザイン支持者たちは主張する。

==>CA601_1 進化論の唯物論あるいは自然主義は神の役割を否定する

したがって、神の自然界への直接介入を想定しない有神論的進化論は、創造論やインテリジェントデザイン運動にとって、敵である。そのような主張は、インテリジェントデザイン運動の本山たるDiscovery Instituteの副センタ長であるDr. John G Westによる、有神論的進化論批判にも見られる。

一方で、"若い地球の創造論者"は創造6日間以降の神の直接介入を想定しない。そのため"若い地球の創造論"の主たる関心が、「ノアの洪水を自然現象として起こす方法」を見出すところにある。


でも、聖書を見ると、ノアの洪水どころか、普通の雨や雷ごときにも神は介入している。
[サムエル記上 / 12章 18節](新共同訳)
サムエルが主に呼び求めると、その日、主は雷と雨を下された。民は皆、主とサムエルを非常に恐れた。

[ヤコブの手紙 / 5章 17-18節](新共同訳)
エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました

[via SAB]
さて、「自然界に介入しない神は神ではない」のか「創造6日以降は神は自然界に加入しない」のか。
posted by Kumicit at 2010/10/14 08:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/10/13

創世記は捨てないが...

"若い地球の創造論"ミニストリCreation Ministries International(Answers in Genesisの分裂後の豪州側)のJanathan Sarfatiが、ニューヨーク州辺境Watertownまで出張して、創造論講演をした。このときの反応が報道されている。
[Brian Amaral: "ADAM, EVE TOUTED IN CANTON -- CREATIONISM TALK: Speaker tells Christians evolution threatens their faith" (2010/10/11) on Washington Daily]

"I think it's good for someone of his expertise to remind people who compromise (on evolution) of what that's going to do to undermine our faith as a whole," said Robert Emmett, a churchgoer from Hopkinton who brought his 9-year-old daughter to the lecture on Sunday.

Hopkintonから9歳の娘を講演に連れてきたRobert Emmettは「進化論と妥協することが信仰全体を蝕むことになると専門家が人々に思い出させるのは良いことだと思う」
...
"It's helping people in our church," said the Rev. J. Frederick Sykes. "If you take out Genesis, it undermines our beliefs."
..
「我々の教会に通う人々の手助けになる。創世記を除外してしまえば、我々の信仰を危うくすることになる」とJ Frederick Sykes師は言う。

"You hear a lot of people tell you about evolution, but I know the truth," said Debra L. Thompson, a creationist who brought her two nephews, 13-year-old Benjamin D. and 17-year-old Matthew D.

Said Matthew Thompson: "If you throw out creationism, you throw out the whole Bible."

「多くの人々が進化論について語るのを聞いたことがある。しかし、私は真理を知っている。」と13歳のBenjaminと17歳のMatthewという二人の甥を連れてきたDebra L. Thompsonは言う。

「創造論を捨てたら、聖書をすべて捨てることになる」とMatthew Thompsonは言う。
この反応は福音主義キリスト教徒にありがちなもの。

ただし、多くの場合、実際には聖書をすべて字義通り受け取らない。たとえば、これは事実だと言い張るとしても...
町の子供たちがハゲにハゲと言ったら、クマさんに殺された[列王記下 2章 19-25節]
LA_HIRE-The_Children_of_Bethel_Mourned_by_their_Mothers.jpg
[Laurent de LA HIRE(1606-1656):"The Children of Bethel Mourned by their Mothers"(1653) at Palais Saint-Vaast, Arras]
次は寓話だと言う者も...
ロバがしゃべる[民数記第22章22-35節 via 流木のWebサイト]
Gustav_Jaeger_Bileam_Engel.jpg
[Gustav Jaeger: (1808 Leipzig - 1871 Leipzig): Bileam und der Engel (4. Mose = Numeri 22-24), 1836]
そして、これは...
[イザヤ書 / 40章 22節] 主は地を覆う大空の上にある御座に着かれる。地に住む者は虫けらに等しい。主は天をベールのように広げ、天幕のように張り/その上に御座を置かれる。
多くの場合、「見た目を描いたもので、地球平板を描いたものではない」と主張する。

そういったネタを集めているのが...

==>the Skeptic's Annotated Bible

矛盾する記述残虐な記述などがわんさかある。「神を信じる者は太る」もここのネタ。
タグ:創造論
posted by Kumicit at 2010/10/13 00:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/10/05

創造論・地球中心・地球平板

"若い地球の創造論"ミニストリ"Answers in Genesisを主宰するKen Hamは、進化論と創造論の戦いを、神の言葉の権威をめぐるものだと描写する。
The battle is not one of young earth vs. old earth, or billions of years vs. six days, or creation vs. evolution−the real battle is the authority of the Word of God vs. man’s fallible opinions.

Why do Christians believe in the bodily Resurrection of Jesus Christ? Because of the words of Scripture (“according to the Scriptures”).

And why should Christians believe in the six literal days of creation? Because of the words of Scripture (“In six days the Lord made ...”).

The real issue is one of authority−is God’s Word the authority, or is man’s word the authority? So, couldn’t God have used evolution to create? The answer is No. A belief in millions of years of evolution not only contradicts the clear teaching of Genesis and the rest of Scripture but also impugns the character of God. He told us in the book of Genesis that He created the whole universe and everything in it in six days by His word: “Then God said ... .” His Word is the evidence of how and when God created, and His Word is incredibly clear.

戦いは、若い地球と古い地球、数十億年と6日間、創造と進化についてではない。真の戦いは、神の言葉と人間の誤りうる意見の戦いである。

何故、キリスト教徒はイエスキリストの肉体の復活を信じるのか?それは聖書にそう書かれているからだ。

何故、キリスト教徒が文字通りの6日間の創造を信じるべきなのか?それは聖書にそう書かれているからだ。

真の問題は権威の問題だ。神の言葉に権威があるのか、人間の言葉に権威があるのかだ。であるなら、神は創造のために進化と言う手段を使えなかったのか?答えはノーだ。数百万年の進化を信じることは、創世記やその他の聖書の記述の教えに反するのみならず、神に異を唱えることのなのだ。神は我々に創世記で、神が宇宙全体とすべてを6日間で創造したと語っている。「神は言われた...」神の言葉は、神が、いつ、どのように創造したかの証拠である。神の言葉は明白である。

[Ken Ham: "Couldn’t God Have Used Evolution?"]
6日間の創造を信じないで、イエスの復活を信じられるのか、という主張である。

しかし、この主張はあっさり、自らに降りかかってくる。地球中心説を主張する団体Association for Biblical Astronomyを主宰するGerardus Dingeman Bouwを取り上げた、Daniel Radosは次のように指摘する。
Mainstream creationists (if I may be allowed the term) argue that the seemingly geocentric passages are merely God using the “language of appearance,” or divinely-inspired men speaking from a human perspective. This is the liberal tendency that makes geocentrists apoplectic. “Phenomenological or anthropocentric,” sniffs Bouw:

メインストリームの創造論者は、地球中心と読める記述は、神が「見かけについて語った」あるいは「神のよってインスパイヤされた人間が、人間の見方から語った」のだと論じる。このようなリベラルな傾向は、地球中心説論者を怒り狂わせる。"Phenomenological or anthropocentric"でBouwは次のように、あしらう。
either God inerrently inspired the wording or He did not; either the Bible is trustworthy or it is not. There is no middle ground. There is no room for compromise. After all, both the anthropocentric theory of inspiration and the phenomenological-language theory are forms of accommodation where God is said to accommodate his wording to the understanding of the common man. Good though that may sound on the surface, accommodation still maintains that God goes along with the accepted story even though he really does not believe it.

神が無謬にインスパイヤした言葉と、そうでないこと。聖書が信頼できるか、そうでないか。そこには中間はない。妥協の余地はない。結局のところは、インスピレーションの人間中心理論と、現象論的言葉理論は、普通の人間に理解できるように神は言葉を選んだという、「相手に合わせる」というものである。それは表面的には良いことのように聞こえるが、それは神が実際には信じてもいない物語を語っていると主張していることになる。
It does not help when, for instance, the Answers in Genesis web site caps its dismissal of geocentrism with the observation that “the question of the earth’s physical position is less important than the spiritual reality of God's love for his people” − precisely what Christians who accept evolution say about the physical creation of man. “It’s inconsistent,” Bouw told me. “you can’t say that one part of it is more credible than another part just simply because you feel uncomfortable with what it says there.”

たとえばAnswers in Genesisは、地球中心説を観測とともに否定する記事を載せて、「地球の物理的位置の問題は、神が人間を愛するというすぴるちゅあるな事実よるは重要ではない」と語る。これはまさしく、進化論を受け入れるキリスト教徒たちが、物理的創造論者について語る言葉なのだ。Bouwは私にこう言った「それは矛盾している。書かれていることが不快だという理由で、聖書のある部分が、他の部分より信用できるとは言えない」
[DANIEL RADOSH: "Man in the Middle: An Exclusive Cut Excerpt from Rapture Ready!" (2010/10/02) on The Nervous BreakDown]この地球中心説論者Bouwの主張は論理的には正しい。

しかし、その主張は地球平板説を持ち出すことで、地球中心説にも降りかかってくる。

紀元400年頃にはこんな記述もある。
また天体の形相と形姿とがいかなるものであると、われわれの聖書に従って信ずればよいか、しばしば問題とされる。というのも多くの人々が頻繁にこうした事柄に関して議論しているが、われわれの著者たちは、至福なる生に益なきものとして、学ぶ者たちにこうした問題を扱うことを大いなる賢慮をもって省いてきた。益がないばかりでなく、さらに悪いことに、こうした問題にかかずらうと、救いに関わる問題にふりむけるべき貴重な時間の多くをとられてしまうのである。世界の中心で平衡を保っている地球を、大空がいわば球のように全方向から包んでいるのか、あるいはいわば皿のごとき地球を上方一方からだけおおっているのかといった問題が、わたしに何の関わりがあろうか。しかしここでは聖書の信仰が問題となっており、一度ならず言及したことであるが、ある人が聖書の語り方を理解せず、こうした事柄に関して、それ自体明証的に認識される理拠に反するように見えることを聖書のうちに見出したり、あるいは読まれるのを聞いたりする場合に、その他のことで有益なことを聖書が勧め、物語り、宣べ伝えても、その人がもはや聖書を信じなくなるというようなことにならないように、手短に次のことは言っておくべきだろう、つまりわれわれの著者たちは、天体の形状について真理であることを知っていたが、これらの人々を通して語りたもう神の霊は、救いに何ら益ないことを人々に語ろうとは望まれなかったのだと。
[第2巻第9章20 p.53

[アウグスティヌス (著), 片柳 栄一 (翻訳):アウグスティヌス著作集 第16巻 創世記注解, 教文館,1994 ]


タグ:創造論
posted by Kumicit at 2010/10/05 07:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする